第零話2
竹千代が生まれて数日が経った。
屋敷の一室から、佐那は外を見ていた。
「今日も雨ね」
手に竹千代を抱きながら、呟いた。
竹千代が生まれてから、ここ数日長雨が続いていた。
終日降る雨は、大地を濡らすだけでは無く、作物にも影響していた。
日に当たる事なく、振り続ける雨により、腐り始めていた。
同時に、国内で水害が多発していた。
「御方様。準備が整いました」
男性が、佐那が居る部屋の前まで来て、膝をつきながらそう述べた。
男性は蓑を着て、編笠を被っていた。
「ええ、分かったわ」
佐那はそう言って、近くにいる侍女達に出立の準備を手伝わせた。
その間に、手すきの侍女達は編笠を被り、竹千代の産着を二重に包んでいた。
やがて、全員の着替え終えると、佐那は侍女から竹千代を受け取り抱いた。
竹千代を抱きながら、佐那は部屋を出て、屋敷の玄関に向かう。
屋敷の玄関には、膝をつく人足と輿があった。
輿の簾をあげて、佐那は輿に乗り込んだ。
「御方様。窮屈かも知れませんが、暫し耐えて下され」
「ええ、分かったわ」
男性が佐那に詫び述べた後、手を掲げた。
人足達が二本ある棒を担ぎ、屋敷を出て行く。
その後ろを侍女と男性が続いた。
屋敷を後にした佐那一行が向かったのは、高台にある寺であった。
ここ数日、水害が多発している為、いつ佐那達が暮らす屋敷に、水が襲って来るか分からなかった。
その為、親戚が住職を務める寺へと、避難する事に決まった。
寺に向かう最中も、雨に打たれる人足と侍女達。
一人も文句を言う事なく進み続けていた。
そして、寺へ向かう山道へと進んでいると、雨により地盤が緩んでいたのか、突然、崩れ出した。
『おおおおおおっっっ』
大地が突然、崩れ出した為、人足達はバランスを崩してしまった。
その為、輿が傾いてしまった。
「きゃあああっ⁉」
「御方様!」
佐那が輿から投げ出されてしまった。
男性が慌てて、佐那に駆け寄った。
「御方様。大事ありませんか?」
「え、ええ・・・・・・ああ、竹千代っ、竹千代は⁉」
ぬかるんだ土により、衣装が汚れるが、佐那の身体に怪我は無かった。
だか、輿から投げ出された事で、手に抱いていた竹千代が居ない事に気付いた。慌てて、周りを見ると。
「おきゃあああっ、おきゃあああっ」
佐那達が居る道の近くに流れる激流から、赤ん坊の泣き声が聞こえて来た。
その声を聞いて、佐那達は激流を見ると、流される竹千代を見つけた。
「あ、あああ、竹千代っ、竹千代⁉」
我が子が流されるのを見て、佐那は半狂乱になりながら、激流に飛び込もうとしたが、男性が止めた。
「お止めください。御方様っ。危険です!」
「放しなさい! 竹千代、ああ、竹千代!」
男性に抱き留められながらも、佐那は竹千代へと手を伸ばす。
だが、無情にも、竹千代は流されていった。
流されて行く竹千代は泣き続けていた。
産着を二重に包んだ為、直ぐに水が沁み込む事は無かったが、それも時間の問題と思われた。
加えて、このまま長い間水の中に居れば、体温の低下は避けられなかった。
このままでは、死ぬ事には変わりなかった。
だが、竹千代は泣く事しか出来なかった。
激流の中、泣き続けていると、水面に何かが浮かんだ。
それは、途轍もなく長い身体を持っていた。
その何かが、水面から浮かび上がった。
浮かび上がる事で、その何かが視認する事が出来た。
鯉の様に鱗に覆われた、蛇のように長い身体に、三本指の足を四本持っていた。
牛の様な耳と鹿の様に枝分かれた角を生やしていた。
その姿は、まさに竜であった。
その竜は兎の様な、丸く大きな目で、口吻に乗っているものこと竹千代を見た。
「おぎゃああ、おぎゃあああ」
『・・・・・・』
竜は泣く竹千代をジッと見ていたが、何を思ったのか、口吻に乗せたまま何処かに向かった。
竜が向かった先は、何処かの山であった。
竜は洞穴から、中へと進んだ。
そのまま、進み続けると、広い所に出た。
竜は周りを見たが、何も居なかった。
『・・・・・・母様ああああっ』
竜は深く息を吸った後、そう吠えた。
吠えただけで、空気が震えた。
竜が吠えて、少しすると、その場所にある穴から誰かが出て来た。
それは女性であった。
側頭部から、黒い鹿の様な角を生やしていた。
水色の髪を腰まで伸ばし、目を見張る程に美しい顔をしていた。
少し吊り上がった目に、水色の瞳に金色の縦長の瞳孔を持っていた。
身長は子供の様に小さかった。
腰も細く、尻と胸は身体の大きさに反比例する様に大きかった。
「泉女。どうかしたの?」
女性は竜にそう声を掛けた。
『母様、見て見て』
泉女と呼ばれた竜は、まるで子供が探検して手に入れた物を見せつける様に、自分の口吻に乗せたまま竹千代を見せた。
『拾ったっ』
「あらあら、可愛い子ね」
女性はそう言って、泉女の口吻に乗っている竹千代を手で抱いた。
「おぎゃああ、おぎゃあああ」
「あらあら、お腹が空いたかしら?」
女性はどうしようかと考えた後、衣装をはだけさせて、胸を晒した。
その胸を竹千代に近付けると、竹千代は吸い付いた。
竹千代は喉を鳴らしながら飲んでいた。
「お腹が空いていたのね。ところで、泉女は何処で拾ったの?」
『河で流れているのを楽しんでいると、見つけたっ』
泉女が端的に、何処で見つけたのか教えた。
「そうなの。村が水害で流されたのかしら?」
竹千代に乳を与えながら、女性はどうして河に流れているのか、何となく予想していた。
お腹が一杯になったのか、竹千代は乳を飲むのをやめた。
食事が終わったので、女性はこの子の名前は分かるかなと思い、産着を調べると、襟の所に『竹千代』と書かれていた。
「この子の名前は竹千代と言うのね」
『母様、その子、どうするの?』
「そうね。・・・・・・うちの子にしましょうか」
女性は少し考えた後、名案とばかりに笑みを浮かべた。
『わ~い! この子、牡? 牝?』
「ええっと、・・・うん。牡ね」
『じゃあ、弟だ。やったあああっ』
泉女は嬉しそうに咆哮した。
「五月蠅いわよ。泉女」
「なになに、何かあったの?」
穴から、また別の女性達が出て来た。
一人は綺麗な顔立ちで、黒く艶がある髪を一つ結びにしており、後頭部から鹿の様に枝分かれした白い角を生やしていた。
切れ長の目で水色の瞳を持ち、金色の縦長の瞳孔を持っていた。
大きく育った果実を持ち、折れそうな程い細い腰。桃の様に柔らかく食べ応えがありそうな尻を持っていた。
もう一人は、甘い顔立ちをしていた。側頭部から、黄色い鹿に似た角を生やしていた。
水色の髪を腰まで、伸ばしたロングヘア―。
垂れ目に赤い瞳で、縦長の瞳孔をしていた。
高い身長に見合うように、細く括れた腰を持ち尻も大きかった。
そして、胸も大きくて豊満に育った果実を持っていた。
『あっ、梨伽羅姉と姜瓈姉。見て見て、弟が出来たよっ』
泉女はそう言いながら、徐々に体を変質させていく。
やがて、動き易さを主にしつつ、少し着飾っている衣装を纏い、翠色の髪を短めのポニーテールにし、頭頂部から水色の鹿角を生やしていた。
吊り上がった目を、紫色の瞳に金色で縦長の瞳孔を持っていた。
こちらも姜瓈達に、負けない程に大きな胸を持っていた。
他の二人に比べると、腰回りは少々肉が付いていた。と言っても贅肉などではなく引き締まっているので筋肉の様だ。
尻も引き締まっていながらも、大きく程よく肉をついていた。
「弟?」
「あっ、母様。その手に抱いているのは?」
梨伽羅達が不思議そうな顔をしていたが、女性の腕の中に赤ん坊が居る事に気付いた。
「ふふふ、二人共。新しい弟よ」
女性はそう言って、竹千代を梨伽羅達に見せた。
「・・・うわあああ、可愛い」
「これが、新しい弟?」
姜瓈は嬉しそうに顔を緩ませながら、竹千代を見る。
梨伽羅は顔を覗き込むと、人間の子という事だけは分かった。
「きゃ、きゃ」
すると、竹千代は笑い出した。
その笑顔を見て、梨伽羅達は胸が軽く締め付けられる様な感覚に陥った。
「可愛いいいいい、この子、名前は何と言うの?」
「竹千代って、言うんだよ」
「竹千代と言うの、そう」
三人は顔を緩ませながら、喜んでいた。
「はいはい。この子は寝付いた所だから、大声を出さないの」
『は~い』
女性にそう言われて、三人は返事をして頷いた。
「ふふふ、賑やかになりそうね」
女性は微笑みながら、竹千代に微笑みかけた。
それから、暫く四人は竹千代と共に生活した。
だが、佐那が実家の力を借りて、竹千代を探し当てた。
捜索隊が見つけると、竹千代の返還を求めた。
梨伽羅達は反対したが、女性は首を横に振りながら、竹千代は親の元に替えうべきと言い、返還した。
それから、二日すると、佐那が直々に訪ねて来た。
佐那は女性に竹千代の乳母になって欲しいと頼み込んだ。
曰く、どんな乳母をつけても、乳を飲まない。このままでは飢え死にしてしまう。だから、助けてほしい。
そうお願いして来た。
女性は直ぐに了承し、娘達と共に竹千代の下に向かった。
「びええええ、びえええええ」
「はいはい。泣き止んで、竹千代」
泣く竹千代を女性が腕の中に抱くと、直ぐに泣き止んだ。
「ふふふ、可愛い子」
女性は竹千代をあやしながら、笑みを浮かべた。
「あれだけ泣いていたあの子が、直ぐに泣き止むなんて」
共に帰って来た佐那は驚きの表情を浮かべていた。
「良い子良い子。竹千代は良い子」
女性があやすと、竹千代は大人しくなった。
「あの、御方様。この方は?」
先程まで、竹千代を泣き止ませようとあやしていた侍女が、佐那に訊ねて来た。
「ああ、この方は、竹千代の新しい乳母よ。名前は」
「清海魅如。清海と呼んで頂戴」
女性は竹千代をあやしながら、自分の名前を名乗った。
「分かりました。清海様」
侍女が頭を下げて了承した。
侍女が特に不満な様子を見せない事に、佐那は内心で安堵していた。
何せ、今目の前にいる清海魅如は竜人の様な姿をしているが、実際は違う。
その正体は、妖の一種である竜であった。
更に言えば、ただの竜ではなく、竜の頂点にである八大竜王の一柱である娑伽羅竜王の血を引く竜であった。
数年後。
竹千代は長じて、元服の時を迎えた。
「今日より、烏帽子親の名の一字を貰い、お前は信康と名乗るが良い」
竹千代の父親が一枚の紙に竹千代の名前を書いた。
この頃には、元康は名を改め吉康と名乗っていた。
「はっ。有り難き幸せ」
竹千代こと信康は平伏しながら、名前を受領する。
その姿を佐那と清海親子は少し離れた所で、見て微笑んでいた。
その数年後。
信康は敵の謀略により、国を出奔する事となった。