第189話
プヨ歴V二十六年九月一日。
時間は遡り、夕方。
信康が特務警務部隊に連れて行かれて騒然としていた傭兵部隊の兵舎であったが、現在は落ち着きを取り戻している。
それでも事件の大きさから現状では、話題の筆頭に挙げられている。しかし傭兵部隊の隊員達の間では、楽観な予想が大半であった。その理由は信康を敵国の諜報員に仕立て上げるには、それを裏付けるだけの証拠が無さ過ぎるからだ。
その内に何らかの理由をつけられて、兵舎に戻って来るだろうと皆が話していた。
その話を調理をしながら聞いているヴェルーガは、表情には出さないまでもそうなれば良いと信康の無事を祈っていた。
自分を庇ったが為に信康は災難に遭っているのだから、負い目を感じるのは無理も無い話だった。
今日の傭兵部隊の兵舎の食堂での仕事が終り、後始末も終えると兵舎を出たヴェルーガ。
そして自分が借りている、カルレアのアパートメントへと帰宅する。その道すがら、ヴェルーガは思った。
(あの時にあたしが話を承諾したら、ノブヤスは捕まる事は無かったんだろうな)
そう思いながら歩いていると、自分の歩道の隣にある車道に馬車が通った事も気付かなかった。
そしてその馬車が自分の前を、少し進んだ所で止まった事も気付かなかった。
馬車の窓が開いた音で、漸く馬車の存在を確認したヴェルーガは馬車に目を向ける。
そして馬車の窓から、顔を出して来た人物を見て驚いた。
「おやおや、誰かと思ったらヴェルーガ殿ではないか」
「貴方はっ!?」
馬車から顔を出して来たのは、ザボニーであった。
ザボニーは笑顔を浮かべながら、ヴェルーガを見た。
「いやぁ、こんな所で会えるとは思いもしなかったな」
「・・・・・・何か、御用ですか?」
「いや、何。偶然、知り合いに会ったので挨拶をしようと思って、な」
ザボニーはニヤニヤしながら、話し掛けて来る。
「挨拶など、結構です。では、あたしはこれで」
ヴェルーガは頭を下げて、そしてザボニーの馬車から少しでも早く離れようとした。
「あの東洋人の事は聞いたか?」
「っ!?」
ザボニーに背後から声を掛けられたヴェルーガは、思わず足を止めた。
「ふっふふ。その顔を見る所、どうやら聞いた様だな」
「兵舎に入れば、嫌でも耳にするわよ。やはり、お前がっ」
ヴェルーガはザボニーへの礼儀も忘れて、怒りの表情を浮かべながら振り返った。
「ああ、その通りだ。どうだ? 儂が少し手を回したら、この程度造作も無いぞ」
したり顔をするザボニー。
その顔を見て、ヴェルーガは拳を握る。
「・・・・・・何が、目的なの?」
「そうだな。儂の目的は一つだ。お主等親子が、儂の愛人になれば良い」
「くっ」
ヴェルーガは嫌悪感から、顔を顰めた。
「お主等が直ぐにでも儂の下に来るのであれば、今すぐにでも東洋人を釈放してやろうぞ」
「・・・お前がその約束を守ると言う、そんな保証が何処にあると言うの?」
ザボニーの言葉を聞いて、ヴェルーガはそう反論した。
「其処はお主が、儂を信じる他無い。そうしなければあの東洋人が、永遠に陽の当たる場所に出る事は無いであろうな」
「・・・・・・」
何も言わないヴェルーガを見て、ザボニーはただ笑っていた。
「まぁ返事は急がぬ。時間を与える故、じっくり考えるが良い」
そう言ってザボニーは、ヴェルーガの下から立ち去って行った。
ザボニーが乗った馬車を、ヴェルーガは憎々しげに睨み付ける事しか出来なかった。
そんな二人の様子を、遠くから見ている者が居た。
うさ耳が生えている所見ると、どうやら兎人の様だ。
「・・・・・・ノブヤスさんが予想していた通り、ザボニーがヴェルーガさんに直接言い寄って来たわね」
そう言って物陰から顔を出したは、コニゼリアであった。
ザボニーが乗っている馬車を見ながら考えている。
(このまま追い駆けてザボニーの屋敷を探り当ててから、邸内に忍び込んで弱みでも握るべきかしら?)
そう考えていると、懐から声が聞こえてきた。
『コニー』
自分の愛称を呼ばれたコニゼリアは、懐に手を入れる。
懐から出てきた出てきた手には、一枚の魔符が握られていた。
どうやらその魔符から、声が聞こえて来たみたいだ。
「お姉様」
コニゼリアは魔符に向かって、お姉様と呼んだ。
どうやら魔符の声の主は、ルノワみたいだった。
『感度は良好みたいですね。そちらの様子はどうですか?』
「はい。問題なく聞こえます」
『そうですか。それでヴェルーガに、ザボニーは接触してきましたか?』
「はい。先程」
『会話は聞こえましたか?』
「バッチリと、一言一句あます事なく」
『そうですか。では、そのザボニーはどうしていますか?』
「馬車に乗って、何処かに向かうみたいです。どうしますか?」
『では、その後を追跡しなさい。もしザボニーの行き先が自分の屋敷だった場合は、弱みを手に入れる事は出来ますか?』
「・・・現在の装備では、少し難しいかもしれません」
『そう。なら無理はせず、偵察にのみ専念なさい。焦らなくても、何れ好機は巡って来るわ』
「はい。お任せ下さい。それにしても、この魔符は凄いですね」
コニゼリアは符の効果を見て、素直に感嘆していた。
この符はルノワが作った物ではなく、以前からカルレアのアパートメントに住んでいるシエラザードが製作してくれた交信の魔法が付与された魔符だ。
ルノワは今回の信康の不当逮捕の件をルベリロイド子爵家に報告した帰りに、シエラザードと偶然出会い相談も兼ねて伝えると協力の約束とこの交信の魔符を貰ったのである。
交信の魔符は、二つで一つの効果を発揮する魔符だ。距離にもよるが、離れた所でも話をする事が出来るという便利な通信機器の役割を果たしていた。
シエラザードから王都アンシ内であれば、何処でも使える様に作って貰っていた。ただし代償として片方の使用者の魔力が切れたり王都アンシの外に出たら、通信が行えない仕様なのだと言う注意事項もシエラザードから受けていた。
ルノワはそれをコニゼリアに渡して、密かにヴェルーガの後を付けさせた。信康が事前に予想していた様に、何れザボニーがヴェルーガと接触するだろうと予測したからだ。
『では、頼みましたよ』
「了解です」
程無くして魔符から、ルノワの声が聞こえなくなった。
それを確認したコニゼリアは、魔符を懐に入れた。
「待っていて下さいね。ノブヤスさん」
コニゼリアはそう言って、ザボニーの後を追い掛けた。
兎人の瞬発力ならば、追いつく事も可能であった。
そしてザボニーの後を追い駆けた先は、一軒の屋敷であった。
どうやら其処は、ザボニーの屋敷みたいだ。
コニゼリアはザボニーの屋敷が分かったので、今日は帰る事にした。
今の装備では潜入するのは、やはり難しいと言わざるを得なかった。なので無理をする事無く後日、潜入する事とした。
プヨ歴V二十六年九月二日。
ザボニーが不在である事を確認してから、屋敷に潜入したコニゼリア。しかし何とザボニーの屋敷からは、証拠となる書類などの物的証拠を探し出す事は出来なかったのだ。
コニゼリアの報告を受けたルノワは、ザボニーが所有する別の物件等に隠している可能性を推測した。そしてルノワから報告を受けたロペールとヘルムートは、これは長い戦いになると覚悟を決めた。