第188話
信康が留置所に送られて、正午が過ぎた頃。
留置所とは留置されている罪人が何処の刑務所や監獄に収容するかが決まるまで拘束する場所なので、信康は暇を持て余していた。
すると其処へ留置所に勤務する刑務官が、信康が入っている檻の前に来た。
腰に掛けているキーホルダーを取り、信康の檻の鍵を開ける。
「出ろ。面会だ」
信康は言われた通りに、檻の外に出た。
「こっちだ。着いて来い」
刑務官にそう言われて、その後を追う信康。
その案内に付いて行くと、ある部屋の前まで来た。
刑務官が扉を開けたので、信康は部屋の中に入室する。
部屋の中は、網状の囲いで隔たれた部屋であった。
囲いの向こうに人が居るので、その者と話せという事だろう。
信康は囲いの前に置いてある椅子に座り、その囲いの向こうに居る者に顔を向ける。そして信康は反射的に、溜息を吐いた。
「はぁ・・・俺に何の用だ? 豚野郎」
信康は心底面倒臭そうに、囲いの向こうに居る者を怖気も無くそう呼んだ。
「ぶ、豚だとぉっ!?・・・ふ、ふん。まぁ良いわっ」
信康に面談しているのはザボニーであった。
「どうだ。留置所の居心地は?」
いやらしい笑みを浮かべながら尋ねるザボニー。
そんな笑みを向けても、信康は何とも思わない顔で答える。
「中々清潔な所だな。そちら様も来ないか?」
「遠慮しておこう。さて・・・長話する心算は無いので、早速本題に入ろう」
気が短い豚だなと思いつつ、信康は神妙な顔で話を聞く体勢を取る。
「儂から求める事は二つ。謝罪と提供だ」
「謝罪と提供?」
オウム返しのように言う信康。
(謝罪はまぁ、この前の首絞めた事だろうな。提供も・・・まぁこれも想定がつくが)
何をザボニーが求めるものが予想出来るも、わざと首を傾げて分からない振りを信康はした。
「ふん、その顔は分かっていないみたいだな。まぁ貴様のような頭の悪い傭兵如きに、理解しろと言うのも無理な話だな」
ザボニーは皮肉を言うが、信康は全く意に介さなかった。
「さっさと本題に入ったらどうだ? 俺と長話をする心算は無いのだろう? 自分で言った癖に、もう忘れたのか?」
信康は鼻で嗤いながら、ザボニーに本題を急かした。あからさまに信康に皮肉を返されたザボニーは青筋を浮かべて苛立ったが、一度咳払いをしてから直ぐに表情を元に戻した。
「こほん・・・決まっているだろう。女だ。それも三人」
それを聞いて、信康は再び溜息を吐いた。
信康はこうも行動が欲望に忠実過ぎて、却ってザボニーに感心すら抱いてしまいそうだった。
「ヴェルーガ達をお前の所に行かせる様にして、俺が頭を下げれば留置場から出してくれると言う事か?」
「ほぅ、意外に察しが良いようだな。その通りだ」
ニヤニヤしながら、信康に言うザボニー。
信康は三度、溜め息を吐いた。
(森人族が欲しいだけなら、単純に娼館に行けば良いというのに。其処までしてヴェルーガ達が欲しいか。確かにヴェルーガ達は、普通の森人族と比べて美しいがな)
奴隷上がりかどうかは別として、娼館には様々な人種が揃えられている。
無論、森人族も居る。それでもザボニーがヴェルーガ達に固執する理由が、信康は気になった。
「何故、其処まであの親子に固執するんだ?」
そこの所が気になり、訊ねる信康。
ザボニーは答えた。
「儂の見立てでは、あの親子は只の森人族ではない。恐らくは高位森人族だと思うのだ」
「高位森人族だと?・・・森人族の上位種と、そう言われている種族か?」
「そうだ。儂の目に狂いがなければな」
そう言いながらも、ザボニーは自信満々そうであった。
そんなザボニーの様子を見て、信康は内心で舌打ちをした。
(ちっ・・・高位森人族と見抜く慧眼はあるみたいだな。喰えない豚の分際で、生意気な事だ)
確信をまだ持っていないとは言え、まさかヴェルーガ達が高位森人族とザボニーが見抜いた事に驚きを隠せない信康。
もしこれでそうだと言えば、ザボニーは益々ヴェルーガ達に執着すると予想出来た。なので信康は、はっきりとは答えなかった。
「で、どうなのだ。話を受けるのだろう。まぁ、当然受けるだろうがな」
ザボニーは自分の意見が通ると、最初から思っている顔をしていた。
しかし信康はその顔を見て笑顔を浮かべて、口を開く。
「断る」
「そうかそうか、断るか・・・・・・って、何っ!?」
ザボニーは驚いた顔をした。
自分の意見が通らなくて、驚愕しているようだ。
「要件はそれだけか? じゃあ、俺は元の場所に戻させて貰うぞ」
信康は立ち上がり、部屋を出ようとした。
「ち、ちょっと待て! 貴様、断るとは正気なのか!?」
ザボニーは囲いを手で叩きながら、声を荒げる。
信康は首だけ振り向かせて答えた。
「至って正気だが? そもそもお前の提案に、乗る馬鹿がこの世の何処に居る?」
「考え直せ。悪い様にはせんぞっ」
「ふん。俺は前にもお前に言った筈だぞ? 何故この俺がお前如きに、媚び諂わなければならないとな。話はこれで終わりだ。さっさと失せろ。このブタガエルが」
「な、何だとっ!?」
ザボニーは信康の悪口雑言を聞いて、顔を真っ赤にさせた。
「良いだろう。貴様には地獄を味合わせてやる。覚悟しろ。後で、後悔しても遅いとしれっ!!」
「勝手に喚いていろ」
信康はそう言って部屋を出て行った。
扉を閉めると、刑務官の案内で最初に居た檻に戻る。
戻る際に部屋から何かを壊す音が聞こえて気がしたが、信康はフッと笑うだけでそのまま刑務官の後に付いて行った。
プヨ歴V二十六年九月二日。朝。
信康の移送先が、確定した。
その移送先とはプヨ王国本土の南西側にあるエルドラズ島の、プヨ王国随一にしてガリスパニア地方有数の刑務所であるエルドラズ島大監獄である。嘗て諜報員に仕立てられた元傭兵部隊隊員のグランが移送され、処刑された大監獄でもある。
信康は他にも移送される受刑者達が乗る馬車に乗せられて、プヨ王国で信康が最初に上陸した港湾都市ドルファンへと向かった。
グランの時ですらエルドラズ島大監獄へ移送されるまでに、裁判などの雑多な手続きで一週間は必要だった。そう考えると逮捕されて裁判も無しに次の日に収容が決定するなど最早、異様や異常の一言としか表現出来ない速度であった。
この通常ならば有り得ない筈の報告を聞いたヘルムートは、プヨ王国軍上層部に抗議し即時解放を要求した。しかしザボニーが事前に手回ししていた事により、この要求は却下された。
上奏を却下されたヘルムートは、この話をロベールに話して一刻も早く信康を返してくれる様に頼んだ。
ヘルムートの要請を受けて、ロベールも信康を返す様に上奏した。
しかし、このロペールの上奏が届けられた時には、既に信康はドルファンを出航してエルドラズ島大監獄へと向かっていた。