第186話
ルノワに清浄の魔法を掛けて貰い、信康は身支度を整える。
その際に、何か嫌な予感を感じたのか、密かに虚空の指輪を飲み込んだ。
コニゼリアも信康同様に、急いで身支度を整えた。
そして二人に着替えが終えると、部屋を退室した。コニゼリアは信康言われた通りに、第四小隊の小隊員達を集めるべく先に分かれた。
信康とルノワが一階に降りると、一階の受付の傍にある歓談出来る広間にプヨ王国軍の軍人が並んでいた。
プヨ王国軍の軍人なの間違いないだろうが、見慣れない軍装なので傭兵部隊の隊員達は不審の目で見ている。
その空間にある椅子には、女性が二人存在していた。
一人は切れ長の眼差し。薄緑色の瞳。藍色のセミロング。綺麗な顔立ちの美女だ。
その美女は、椅子に座っている。
もう一人の女性は、ツリ目がちの赤い瞳。こちらは黒褐色の髪を短髪にしている端正な顔立ちの美女だった。
その女性は椅子に座っている女性の、直ぐ後ろに控える様に立っている。
そして美女二人の周囲には、部下と思われる軍人達が立っていた。
(初めて見る軍装だな。何処の所属だ?)
信康はそう思いながらも取り敢えず、椅子に座っている美女に声を掛ける事にしようとした。
「おい、其処の姉ちゃん達、こんな朝っぱらから、何か用かい?」
「俺達に会いに来たとか?」
「な訳ねえだろう。ぎゃはははっ!」
何処の小隊の者か知らないが、少なくとも信康麾下の第四小隊の隊員では無い隊員達が美女に絡み出した。もしこの言動が第四小隊に所属する小隊員がしたものなら、信康は叩き出している所だが直属の小隊員では無いので信康は一先ず静観する事にした。
「・・・・・・」
椅子に座っている美女は傭兵である傭兵部隊の隊員達に、何の反応を示さなかった。
それを見て、隊員達はいきりたった。
「おいっ!? 何とか言ったらどうなんだよっ!!」
隊員の一人が、美女の顔を見ようと近寄った。
「ぴぎゃっ!?」
その直後に変な悲鳴をあげながら、その隊員が吹っ飛ばされた。
隊員のはそのまま壁にぶち当たると、失神してそのまま倒れた。
一瞬の出来事に信康とルノワを除いて、誰も何が起こったか分からなかった。
隊員が吹っ飛ばされたのだからその隊員が吹き飛ばした要因は何なのだろうと思い、首を動かして見る。
すると其処には椅子に座っている美女の後ろに立っていた女性が、ハイキックの体勢で立っていた。
美女は足を下ろして、口を開く。
「汚い手で、我々に触れようとするな」
氷の用に冷たい声と目で、傭兵部隊の隊員達を見る。
蹴飛ばされた隊員の傍に居る別の隊員達は、蹴飛ばされた隊員の身体を触診して何処も異常がないか確認した。
それで顔を蹴られて鼻が折れた事以外は何処も問題ないとのが分かると、他の者の手を借りて医務室に連れて行った。
その様子を見送った隊員達は、隊員を蹴飛ばした美女を怒声を浴びせる。
「おい、この女っ!? いきなり蹴飛ばす事はねえだろうがっ!!」
「幾らなんでも、やりすぎじゃねぇのか。あん?」
隊員達は蹴り飛ばした美女に凄むが、美女は何とも思って居ない顔をした。
そのすましたとも言える美女の顔を見て、傭兵部隊の隊員達は余計にいきり立つ。
「姉ちゃん。詫びの入れ方ってえの、教えてやろうか?」
「ふん。お前達に出来るのか?」
美女は鼻で嗤って、傭兵部隊の隊員達を嘲笑した。
傭兵部隊の隊員達は理性の限界が来た様で、その内の一人がそのまま拳を握って美女の腹を殴ろうとした。
しかし、美女の腹を狙った一撃は、余裕で避けられた上に腕を掴まれた。
そして美女は傭兵部隊の隊員に足払いを掛けて、傭兵部隊の隊員の体勢を崩した。
体勢を崩された隊員は、そのまま仰向けに倒れた。
美女は遠慮する事無く、倒れた隊員の腕を捩じった。
「いででででででででっ!!?」
あまりの痛みから、叫ぶ傭兵部隊の隊員。
美女は追撃とばかりに、足を傭兵部隊の隊員の喉元に落とした。
そして捻る様に、足を動かした。
「ぐえっ!?」
倒された傭兵部隊の隊員は、そのまま気を失って失神した。
失神したのを確認してから、美女は傭兵部隊の隊員の手を離した。
「てめぇ」
「其処までだ」
他の傭兵部隊の隊員達が激昂して今にも襲い掛かりそうだったので、信康が手を叩いて制止させた。
パンっという乾いた音とに聞こえた信康の声で、我に返った隊員は冷静になった様で信康を見るなり後退した。
信康は倒れた隊員に近付き、しゃがみ何処も異常が無いか見る。
「・・・・・・精々、打ち身程度しかない。しかし見事と言えるくらいな体裁きに、容赦ない攻撃だな」
「ふん」
信康は褒めているのだが、美女は何とも思っていない顔をした。
「こいつも医務室に連れて行け・・・傭兵部隊の隊員が失礼をしました。申し訳無い」
信康は失神した傭兵部隊の隊員を医務室に連れて行く様に他の傭兵部隊の隊員に命じて片付けさせると、信康は傭兵部隊の隊員達が行った非礼を美女達に謝罪した。それから信康は美女達に自己紹介するべく、敬礼して名前を名乗った。これも美女が直ぐに自分より階級が高い将校だと、左胸に付いている白銀色の記章を見て一目で分かったからである。
「傭兵部隊第三副隊長及び、第四小隊小隊長の信康と言います。階級は中尉であります」
信康が敬礼して自己紹介をすると、今まで椅子に座ったまま状況を静観していただけの美女が椅子から立った。そして信康に敬礼を返した。
女性にしては平均的な身長よりもやや高く、豊満な胸にくびれた腰。
そしてボンっと存在感がある尻がタイトなスカート越しで余計に存在を強調されていた。
「プヨ王国軍近衛師団傘下、特殊警務部隊総隊長のリエラ・フォン・デレツト大佐です」
「同じく、ルオナ・アミルシャブール中佐だ」
リエラの傍にいる美女も、リエラを習って敬礼して自分の名前を名乗る。
「とくしゅけいむぶたい?」
初めて聞く部隊名なので信康もルノワもその場に居る他の傭兵部隊の隊員達もどんな部隊なのか分からず、全員が首を傾げていた。どの様な担当に居る部隊なのか分からないので、反応に困っていたのである。
「・・・まぁ良い。その特殊警務部隊の方々が、一体何用で傭兵部隊へ?」
信康は取り敢えずリエラ達特殊警務部隊が、何故傭兵部隊の兵舎にまで訊ねに来た理由を聞く事にした。
それを聞いたリエラは、懐に手を入れた。
懐から手を出すと、何か紙が出てきた。
「ノブヤス中尉。貴方がカロキヤの諜報員ではないかと言う、内部告発がありました。それにより、貴方を逮捕させて頂きます」
『!?!?!?』
リエラの言葉を聞いて、場は騒然となった。
全員が何かの間違いだとか、有り得ないとか言い合っている。
「・・・・・・」
しかし、言われた信康は平然としていた。
「抵抗するのであれば、少々痛い目にあってから拘束させて頂くわ」
リエラがそう言うと、控えていた特殊警務部隊の隊員達も身構える。
ルオナもリエラの前に立ち、何かの武術の構えを取る。
それを見ても、信康は何の行動に移さなかった。
「一つ聞きたい」
「私が答えれる事であれば、何なりと」
「その告発者は、傭兵部隊の隊員から出たものか?」
「・・・普通、告発者の情報は言えないものなのだけど・・・少なくとも傭兵部隊から出たものでは無いとだけは、誓って断言出来るわ」
「それは良かった。そう言って頂ければ犯人捜しを始めたり疑心暗鬼が横行して、部隊内が不穏な空気にならずに済む」
リエラから話を聞いて、信康は安堵してから肩を竦めた。
そして、真面目な顔をする信康。
「少し待って頂きたい。後始末だけでもしておかないとな」
「後始末?」
「正確には、引継ぎの事だ。業務の引継ぎの大切さは、ご理解頂けると思うが?」
信康がリエラにそう言うとリエラは難しそうな顔をするも、「あまり時間は掛けない様に」と言って諦めた様子で承諾してくれた。リエラから許可を貰った信康は早速、ルノワを自分の下へ呼び寄せた。
「・・・ノブヤス様っ」
悲痛な表情を浮かべるルノワに信康は困った表情を浮かべながらも胸ポケットに入れている一枚の紙を取り出して、ルノワに押し付ける様に手渡した。
「これは?」
「お前に預けておく。必要な事は全てこの紙に書かれてあるから、必ず目を通しておけ」
「っ!・・・・・・御意。必ず、御言葉の通りに」
信康の命令を聞いて、ルノワは直ぐに承諾した。
そして信康は左胸に着けている、銅色の記章を取る。
その記章を、リエラに見せる。
「この記章なんだが、うちの総隊長に渡して頂きたい」
「それだけで良いの?」
「えぇ、それだけで結構だ」
リエラはその記章を信康から貰うと、信康は両手を突きだした。
「抵抗もせず捕まるとは、随分とあっさりしているわね」
「仮に特殊警務部隊を返り討ちにして逃走出来たとしても、別の罪で指名手配されて追われるだけだ。そもそも抵抗したら、自分が諜報員だと認めるのと同義だろう」
「尤もね。それでは」
リエラは目配せをして、特殊警務部隊の隊員の一人が信康に手錠を掛けようとした。
「ま、待て!」
大きな声が聞こえたので全員が、その声が聞こえた方に目を向ける。
大声がした方向には、傭兵部隊総隊長のヘルムートが居た。
「総隊長っ!」
「やったぞ。これでノブヤス小隊長が捕まる事はなくなるか?」
傭兵部隊の隊員達は全員、ヘルムートの登場を喜んだ。ヘルムートが取り成せば、信康の連行が阻止出来ると期待しての事だ。
「特警が何故、ノブヤスを連行するんだっ!? 俺はそんな命令など、聞いていないぞっ!」
ヘルムートは進み、信康とリエラとの間に入る様な位置に来た。
「ヘルムート中佐。貴方の部下思いな気持ちは立派ですが・・・特務警務部隊は軍上層部からの命令で来ています。ですので、庇い立てしても無駄ですよ」
「リエラ大佐っ、巫山戯ないで頂きたいっ! ノブヤスが今回の戦争で、どれだけの戦果を上げたと思っている? 第一戦場に出てカロキヤ相手に武功を立てている時点で、カロキヤの諜報員扱いなんざどう考えてもおかしいでしょうがっ!?」
「確かに中佐の言う通りでしょう」
「だったら」
「しかしでね。現に告発者が居て、ノブヤス中尉にその様な容疑が掛かり、更に上層部がこうして逮捕状を出して逮捕する事を認めてしまったのです。であれば特警としても、指令通りに中尉を連行するのが職務であります。どうか御理解の程を」
「出来るかっ!? グランの件はまだ百歩譲って理解出来たが、今回は完全な冤罪だっ!? 軍内部の秩序と治安を守る特警が、無実の人間を逮捕する気かっ!!?」
「・・・もう決定事項なのです。それ以上言うのであれば、申し訳ありませんが・・・貴方も公務執行妨害で逮捕する事となります」
「おう、上等だっ。捕まえれるものなら」
ヘルムートは見得を切ろうとしたら、肩に手が掛かった。誰だと思って振り向くと、信康がヘルムートの肩に手を掛けていた。
「落ち着いて下さい。当事者の俺より、総隊長の方が熱くなってどうするんですか? それに階級が一つ上の上官相手に、その言葉遣いは流石に不味いですよ」
信康は嬉しそうかつ困った様な複雑な表情を浮かべながら、激昂するヘルムートを宥め始めた。
「ノブヤスッ・・・しかしだなっ! と言うか何故お前はそんなに冷静なんだ? 特警に連行されたら、どんな目に遭うのか分からないんだぞ!?」
ヘルムートは信康の冷静さに困惑するが、信康はただ首を横に振るだけだった。
「此処に居るリエラ大佐達は上層部の命令で来ただけなんですから、責める事自体がお門違いなんですよ。戦う相手を間違えないで下さい・・・お待たせした。行きましょうか? リエラ大佐殿」
信康は意味深な一言を残して、リエラの前に出た。
「・・・・・・分かったわ」
リエラの隣で歩き始めた信康に、特殊警務部隊の隊員の一人が信康に手錠を嵌め様とした。
「無粋な真似は止めなさい。逃走する気配も無いから、しなくて良いわ」
「は、はっ。失礼しました」
特殊警務部隊の隊員はそう言い、手錠をしなかった。心なしか安堵しているので、特殊警務部隊の隊員も信康に手錠を嵌めたくは無い様に思えた。その言動だけで、信康は特殊警務部隊に好印象を抱いた。リエラはヘルムートに信康から渡された記章を渡した後、信康に声を掛けた。
「外に馬車を待たせているから、それに乗って頂戴」
「了解した」
先頭をリエラとルオナが進み、その次が信康で最後尾を特殊警務部隊の隊員達という順番で、信康達は傭兵部隊の兵舎の外に出た。ヘルムート達は特殊警務部隊に連行される信康を、黙って見送る事しか出来なかった。