第182話
「・・・・・・という事をするのが、力ある者の責務という事だ。理解したか?」
ザボニーの自慢げに、力ある者の責務の講義を終えた。信康とヴェルーガはザボニーの長々とした力ある者の責務の講義が、漸く終了した事に安堵の溜め息を吐いた。
高級食堂の出入口で立哨している衛兵達も、うんざりした様な表情を浮かべている。
ザボニーの力ある者の責務の講義があまりに長いので、信康達は途中から左から右に聞き流していた。
(そもそもこんな奴に説明して貰わなくても、元々知っているんだけどな。かなり大雑把に要約すると、武士道や騎士道の一種だろう。まぁこいつの場合、上から目線で人助けしているという義務感と自己満足に酔いしれたいだけだろうがな)
信康の知己には元も含め王侯貴族出身の人物が複数おり、その何人から力ある者の責務について解説をして貰った事がある。ザボニーとの大きな違いは、知己の解説の方が分かり易く単純だったと断言出来た。
信康の知己達とは対照的にザボニーの講義は、長々と回り諄く力ある者の責務の本質を見てないと言えるお粗末な内容だった。
「それでヴェルーガとやら。先程の話の返答を、聞かせて貰おうではないか」
話しを聞いていたヴェルーガは、信康を見る。信康は好きにしろと言わんばかりに頷いた。
「えっと、お断りします」
「そうか、そうかそうか。断るか・・・・・・って、何ぃっ!?」
ザボニーはヴェルーガから提案を断られた事実に、両眼を見開き驚愕した様子で信じられない顔をした。
「何故だ!? ただ単に家の管理人をするという、難しくも無い簡単な仕事だぞっ!?」
「いやぁ、あたし達にはやっぱり恐れ多くて」
「何も怯える必要は無い。娘と一緒に住み込みで働ける、素晴らしい職場であるぞっ!」
「だったら、あたし達じゃなくても良いのでは?・・・それに」
ヴェルーガは信康の腕に抱き付いた。
「あん?」
いきなりヴェルーガに抱き付かれ、驚く信康。
そんな風に動揺する信康を見て、楽しそうに微笑むヴェルーガ。これだけ見ると、仲睦まじい恋人同士の様であった。
「あたしは、ノブヤスに面倒を見て貰いたいんです。だからお気遣い頂かなくても大丈夫ですから」
ヴェルーガがそう言うと立哨している衛兵達が、嫉妬心に満ちた羨望の眼差しを信康に向けていた。
ヴェルーガ程の美女に頼られていると男性冥利に尽きるというこの衛兵達の気持ちが分かるので、信康は何もしなかった。
「は、話を聞いていたのか? 其処の傭兵なんぞよりも、儂の方が裕福な生活を送る事が出来るのだぞ?」
「でも良く知らない人よりも、あたし達の為に戦ってくれた恩人の方が安心出来ますから・・・それに」
「それに?」
「別に裕福な暮らしとか、別段興味も無いので。お金に困っている訳でもありませんし、蓄えでしたら十分過ぎる程ありますから」
「・・・・・・」
ヴェルーガのあからさまな拒絶の言葉を聞いて、ザボニーは言葉を失う。
これではヴェルーガにどう言っても、無駄だと幾らザボニーの頭でも分かったのだろう。
しかし頭ではそう理解出来ても、感情までは納得出来ていなかった。
「いや、しかしだな」
「と言う訳で、ごめんなさいね。あたしは食堂のお手伝いがあるから、もうお話はこれで終わりにしましょう。それでは、御機嫌よう」
無駄な悪足掻きとも言えるザボニーにヴェルーガは相手する事無く優雅にそう一礼してから、信康から離れて厨房に向かった。
「・・・っっ」
ザボニーは悔しそうに歯嚙みしながらヴェルーガを見送ると、今度は信康に話し掛ける。
「おいっ。貴様からもあの女が儂の所に来る様に言わぬか」
ヴェルーガと話していた時と打って変わって、ぞんざいな口調となった。信康はそんなあからさま過ぎるザボニーに対して、鼻で嗤いながら信康は返答する。
「確かにそちらの所に行けば、裕福な暮らしは出来る上にこちらとしても身元の引受人にならなくても良いと思う」
「おおっ、そうであろう」
信康の殊勝とも言える態度に、ザボニーは機嫌良く同意する。そんなザボニーに、信康は益々嘲笑の笑みを浮かべた。
「しかし向こうが納得しない以上、こちらが幾ら進めても無駄ではないかと?」
「むぅ・・・それは、そうだが」
「そもそも俺がそちらさんの為に、其処までしてやる義務も無ければ義理も無い。ヴェルーガとは縁が無かったのだと、潔く諦めるという事で。それでは」
信康はヴェルーガとは対照的に大雑把な一礼をしてから、朝食にありつくべくヴェルーガに続いて高級食堂を入ろうとした。
「ま、待てっ!」
ザボニーは声を出して、信康を呼び止める。ザボニーに呼び止められた信康は、溜息を吐いて足を止める。
「はぁ・・・何です?」
信康はそう面倒臭そうに問いかけるが、ザボニーは信康にしか聞こえない様に耳元で囁く。尤もザボニーの方が信康より少し身長が低いので、少し背伸びをする滑稽な形となっているのだが。
「もしあの森人族の親子を儂の所にくれるなら、お前を騎士にする様に取り計らってやるぞ」
「はぁ?」
「儂は此度の傭兵部隊の監察官をしておる。軍上層部にあげる報告書で、お主を騎士に取り立てる様に計らう事も出来るのだぞ?」
「ふぅん」
信康は内心ではイラっと苛立ちを覚えたが、顔に出さない様に頑張った。そんな信康の表情を見てザボニーは脈ありと思ったのか、そのまま話を続ける。
「そうだ。お主の実力は広く知られている。お主が騎士となれば生きている間に、色付きの称号を賜るなるであろう」
此処でザボニーが言う色付きとは、異名に等しい騎士位である。
プヨ王国の騎士位の序列は下から従騎士、準騎士、正騎士という序列になっている。正確には正騎士の上に更にもう一つ騎士位があるのだが、此処では関係が無いので割愛する。
実質的な騎士位の最高位である正騎士位だが、更なる功績を上げた正騎士は本人を連想させる色が頭に付いた騎士位が授与される。それがザボニーの言う、色付きである。
分かり易い事例を一つ上げるとしたら、第一騎士団第一部隊部隊長のギュンターは『青騎士』の称号をプヨ王国から授与されている。これはギュンターが青色の鎧を好んで着用しているので、青はギュンターの連想色となっている。
この色付きだが結論で言えば称号を持っている騎士の人数から結論付けると、決して少なくはないから珍しいとはいえない称号だ。尤も、生きていない故人も含めればと言う文言が付いてしまうのだが。何故なら正騎士位の称号を得た正騎士は全員、色付きになれる様に鍛錬を重ね戦場で活躍しようと尽力する。しかし大抵の正騎士はその色付きの称号を得る前に、無茶や無謀な戦いをして戦場で戦死してしまうのだ。
そんな経緯もあって色付きの称号は、正騎士の死後に授与される事が通常の事例となっていた。なので色付きとは騎士にとって、死後の称号とも言われている。ギュンターの様に生きている間に色付きの称号を得ている凄腕の騎士は、そう多くないのである。だからこそザボニーは信康ならば、生存中に色付きの称号が得られると囁いたのだ。
「どうだ? お前にとっても、悪い話では無かろう?」
信康に色付きの説明を終えたザボニーが笑顔を浮かべたが、そんなザボニーに対して信康はこれまでの礼儀を忘れてザボニーの襟を乱暴に掴んだ。
「お、おいっ!?」
「黙れ。さっさと外に出るぞ」
信康はザボニーの襟を掴んだまま、高級食堂の外に出た。傭兵が貴族に手を上げるという事態を目撃した衛兵達だったが、信康を止めようとする衛兵は一人も居なかった。
ザボニーの言動にうんざりしていた衛兵達は、寧ろ信康に賞賛と感謝の念を内心で抱きながら見て見ぬ振りをしたのだ。信康は誰にも制止される事無く、高級食堂の外に出るとザボニーを壁に押し付けて首を絞めた。
「ぐ、ぐえぇっ!?」
「ふん。お前の下賤な企みを当ててやろう。管理人などと言う建前を与えて、実際はヴェルーガ達を妾にしたいだけだろう?」
信康の指摘を受けて、ザボニーは露骨に顔を顰めて視線を信康から反らした。
「な、なんの、ことだか・・・・・・」
「白を切る心算か? まぁ、良い」
信康はザボニーの惚けた態度を見て、鼻で嗤って嘲笑する。そして信康はザボニーの襟を掴んだまま、話を続ける。
「プヨ五大貴族だかヒルハイム侯爵家だか知らんが、俺にはどうでも良いし関係の無い話だ。第一俺の監察官はカラネロリーであって、お前ではない。俺の小隊に配属されていないお前が、何も見ていないのにどうやって戦果を報告する心算だ?」
「うぐっ・・・っ」
信康の強烈な指摘を受けて、ザボニーは反論出来ず口を噤むしか出来なかった。そんなザボニーに関わらず、信康は話を続行する。
「・・・その欲に塗れた濁った薄汚い目で、これをよ~く見てみろ」
「っ!!」
信康はザボニーの目に入らない様に虚空の指環を嵌めた左腕を背後に回してから、ある物を左手に持ち出してザボニーの前に見せた。それはグレゴート達、プヨ王国軍の諸将が連盟で署名が入っている第四小隊に所属する信康達の功績を賞賛した賞状であった。
「俺は勿論、第四小隊の功績は既に上層部に報告済みなんだよ。もうお前如きが介入出来る余地なんざ、一欠片も有りはしないのさ」
信康はザボニーを嘲笑して見せ付ける様に賞状を強調した後、再び左腕を背中に回して賞状を虚空の指環に大切に回収した。
「そもそも何故自力で戦果を挙げた俺がお前如きに媚び諂って、褒美や地位を請わなければならないんだ?・・・貴族の地位しか自慢出来るものが無いお前と比べて、根本的に俺とは何もかもが違うんだよ。油しか詰まっていないその貧相な頭で、俺の言っている事が分かるか?」
信康がそう言うとザボニーを一度自分の所に引き寄せてから、思い切り壁に叩き付けた。
「ぐえぇぇっ!?・・・き、貴様っ!? 儂を誰だと思っておる!? ヒルハイム侯爵家の次期当主にして、プヨ軍の大佐である儂に対しての悪口雑言っ! このままでは済まさんぞっ!?」
ザボニーが背中の痛みに耐えながら憎悪の視線で信康にそう恐喝したが、信康はザボニーの恐喝など微風程度にすら感じず鼻で嗤って一蹴した。
「はっ。なら誰かに言い付けるか? その時は食堂前での経緯の一部始終を、全部ぶちまけるだけだ。目撃者は大勢居たし、証言するのは簡単だ。お前はそうなったら、唯では済まないと思うがな」
「ぐ、ぐぐぐ・・・・・・っっ!」
「分かったら身の程を弁えて、ヴェルーガ達に近付かん事だ。さもないと、お前は全てを失う事になると思えっ」
何も言い返せないザボニーに信康は最終警告を通達した後、直ぐにザボニーに背中を向けて高級食堂に向かって歩みを進めた。自分の前から去って行く信康に、ザボニーは睨み付ける事しか出来なかった。当然だがザボニーの憎悪の視線に、信康は気付いていた。