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信康放浪記  作者: 雪国竜
第一章
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第179話

 第一騎士団と第五騎士団の進撃が止まったのを見て、ブラスタグス達は安堵の息を吐いた。


「取り敢えず、これで暫くは持つだろう」


「閣下。仰る通りですが、これからどうなさいますか?」


「ううぬ。このままでは退路を断たれる。各部隊に伝令を放て。一時要塞まで後退すべしと、諸将共に伝えるのだっ」


「お言葉ですが、閣下っ。それでは、敵の追撃を受けますっ。それに要塞は敵の手で既に奪還されていて・・・」


「分かっておるわっ。要塞が奪還されたと全将兵に知られては、全軍が動揺するであろうがっ! だから要塞付近まで、後退とする。飛行兵部隊を中心に一万を殿軍(しんがり)として、敵を足止めさせろっ! その間に後退を行い、全軍後退を完了したら橋を落とす。そしてアグレブまで撤退するぞ」


「は、はっ!」


 側近はブラスタグスの命令を受けて、直ぐに伝令部隊を各部隊に放った。


 その伝令部隊により全軍後退の命令が届くと、右翼に居た飛行兵部隊を中心とした一万の殿軍がパリストーレ平原に残ってプヨ王国軍を足止めするべく、そのまま最前線に残って継戦を行った。そしてその足止め役の殿軍の指揮は、ユリウスとは別の副団長が担当する事となった。その間に本陣は、急いでパリストーレ平原から後退した。


 カロキヤ公国軍が後退したのを見て、グレゴートは剣を抜いて号令を下す。


「今が好機っ! 全軍、総突撃せよっ!!」


 グレゴートの号令を受けて、大銅鑼が七回叩かれた。それは総攻めの合図であった。


 その合図を聞いて、両翼は突撃を始めた。


 まるで逃げ惑う獲物に襲い掛かる、血に飢えた猛獣の如くカロキヤ公国軍を攻撃するプヨ王国軍。


 そのプヨ王国軍の大攻勢の前に、カロキヤ公国軍は蹂躙され始めていた。


 それでもカロキヤ公国軍が士気崩壊を起こして瓦解しないのは、まだ指揮系統が生きている証拠だ。


 後少しで橋に到達するという所で、先発していた歩兵部隊からの伝令兵が本陣に駆け込んで来た。


「伝令! 川に掛かる橋が破壊されて渡る事が不可能となり、ぐふおあっ!!?」


 報告をしている最中で、いきなり伝令兵は斬殺された。


 伝令兵を斬って血が滴る剣を持っているのは、ブラスタグスであった。持っている剣の刀身は震えており、血は重力に従って地面に落ちて染みを作っていた。


 側近は唐突の凶行を目の当たりにして物申そうとしたが、ブラスタグスの目に狂気が宿っているの見て全員が口を噤んだ。何か余計な言動を口にして、斬殺された伝令兵の後を追うのはごめん被ったからだ。


「ふっううぅぅっ。ふううぅぅっ!・・・報告はきちんとせんとなぁ。何故ダナン城塞の陥落が分かったのに、川を渡る橋が破壊されたという報告が遅れてやって来るのだ?」


 ブラスタグスは荒く呼吸を繰り返しながら、剣を振るって刀身に付着した血を払い落とす。


 そして伝令兵の死体から、二人の側近に視線を移した。


「其処の貴様、ちょっと見て来い。そして見た事を確実に報告せよ。それから貴様は、この目障りな死体(ゴミ)を外に捨てて来いっ」


「「ぎ、御意」」


 二人の側近は、ブラスタグスに言われた通りに従った。一人は本陣を出て、橋へと向かう。もう一人は斬殺された伝令兵の死体を引き摺りながら外に出して、周囲の兵に後始末を命じてから本陣に一足先に帰還した。


 それから少しすると、橋の様子を確認しに行った側近が本陣へと戻って来た。


「・・・・・・申し上げます。橋は完全に破壊され、素早く渡河する事は不可能です。」


 橋を確認しに行っていた側近がそう報告したが、ブラスタグスは何も言わなかった。


 何も言わないので側近の者は顔を上げると、ブラスタグスは顔を真っ赤にしながら全身をプルプルと震わせていた。


「こ、こ、こんなところで、儂が敗れなどありえんっ! ありえん事だ!! ぬああああああっ!!」


 ブラスタグスは発狂したかの様に、禿頭を掻き毟りながら叫び声を上げた。そんなブラスタグスの狂気を見て、側近の一人が恐怖心を押し殺して決死の覚悟を抱きつつも進言を始めた。


「お、恐れながら閣下っ。此処は軍を二手に分けて、一方を殿軍(しんがり)の増援として送り、もう一方は閣下が率いて浅瀬に渡り再起を図りましょう」


「馬鹿かっ、貴様は! 我等の要塞はあのユリウスが、一千もの兵力で守っていたのだぞっ! その兵力も唯の雑兵ではなく、精鋭部隊だったのだっ! にも関わらず要塞がああも簡単に陥落(おと)されたという事は、少なく見積もっても三千もの規模の部隊が居ると見なければならぬわっ! 恐らくだが、向こう岸には敵部隊が待ち構えているだろう。渡河が終わらない内に挟撃を受ければ、我が軍は地獄に叩き落されるのだぞっ!!」


「で、でしたら・・・我等はどうすればよろしいのでしょう?」


「・・・・・・・・・・この周辺の地図を持って来いっ!」


 ブラスタグスは側近に地図を広げさせた後、地図を見ながら打開策を必死で思案し始めた。


(何か、何かないか。・・・・・・むっ)


 そして地図を見ていると、ブラスタグスはある策を思い付いた。


「・・・そうだな。こうするとしよう」


「閣下、何か思いつきましたか?」


「うむ。先ずはな」


 ブラスタグスはどうするか、側近達に話した。


「・・・・・・という事とする。良いな? 直ぐに諸将に部隊を置いて本陣に集まる様に命じよ」


「っ!・・・分かりました。直ちに指示に従います」


 側近達はブラスタグスの命令に従い、直ぐに行動を開始した。



 カロキヤ公国軍はプヨ王国軍の追撃を受けながら後退を続けていくと、やがてヨウシ川に到達した。


「見ろ。川だっ! 川が見えるぞ!」


「助かったっ。早く川を渡ろうぜっ」


「ああ・・・・・・って。な、何だとぉっ!?」


「どうした? って、あ、ああああああっ!!?」


 カロキヤ兵の一人が叫ぶと、どうかしたのかと思って他のカロキヤ達も何があったのかと思い、カロキヤ兵が見ている先を見た。


 その先には、無残に破壊された橋があった。


「は、橋が、壊れている」


「ば、馬鹿なっ。何時の間にっ!?」


「あ、有り得ねぇ!?」


 橋が破壊されて、呆然としているカロキヤ兵達。 


 そうしている間にも最前線では、殿軍がプヨ王国軍を足止めしていた。


 しかし数でも士気でもその差は雲泥の差と言える程あったので、殿軍が破れて追撃が届くのは時間の問題であった。その現況を理解しているカロキヤ兵達は、急いで渡河しようと必死で浅瀬を探し始めた。


「上の奴等は、一体何処に居るってんだっ!! うちの部隊(ところ)の隊長も、引っ込んだっきり帰って来ねぇしよぉっ!!」


「知るか! そんな事よりも、早く浅瀬を探せ!」


 探している間にプヨ王国軍が、殿軍を撃破して更なる追撃を行った。そして後退していた本陣を包囲した。逃げ様にも背後を川で阻まれて、逃げる事が出来なかった。


 追い詰められたカロキヤ公国軍を見て、グレゴートは冷酷に命じた。


「殲滅せよ!」


 最早逃げ場は無く、降伏するしか方法がないカロキヤ公国軍に総攻撃を命じた。


 プヨ王国軍の諸将は、グレゴートの命令に忠実に行った。


 カロキヤ公国軍は形だけの抵抗はするが、それでも次々に討ち取られて行く。


 人間は逃げる事が出来ない状況に追い詰められると激しい抵抗をするというが、それは指揮官が敢えてそういう風に追い詰める事で出来る事だ。


 なので意図しない状況で逃げ場を失うと、よほど人望があり武勇に誉れがある名将でなければ間違いなく戦意を失う。


 現在のカロキヤ公国軍はそれよりも酷い惨状であり、統率が取れない極度の混乱状態に陥っていた。


 絶体絶命のカロキヤ兵達は武器を捨てて降伏するか、戦意を失い突っ立てている状態の所にプヨ王国軍の兵士達の攻撃を受けて倒れるか、ヨウシ川を無理やり渡河しようとして流され溺死するかのいずれかであった。


 殲滅戦が終了すると、プヨ王国軍は大量の捕虜を得た。


 その数はおよそ、約一万二千。


 それ以外は全て、パリストーレ平原かヨウシ川に倒れた。しかしその捕虜の中には、カロキヤ公国軍総大将にして征西軍団団長であるブラスタグスとその諸将の姿は無かった。その代わり、ブラスタグスが着用していたと思われる、豪奢な魔鎧が乱雑に打ち捨てられていた。


 プヨ王国軍とカロキヤ公国軍の偵察部隊同士の小競り合いからこのパリストーレ平原で行われた決戦までを含めた一連の戦いを纏めて、史書にはこの戦争をパリストーレ平原の戦いと名付けられる事となった。信康の尽力によりプヨ王国はカロキヤ公国から白星を勝ち取り、パリストーレ平原の会戦での雪辱を晴らす事に成功したのである。



 パリストーレ平原で、殲滅戦が行われている頃。


 ダナン要塞への道に掛かる橋から南に行った所の地点で、百名前後のの集団の姿があった。


 この集団は顔を隠す様に帽巾を深く被っており、更に得物を抜き盾を構えて周囲を神経質そうに見渡して警戒心を露にしていた。


 その集団の中で唯一、腰に帯剣している愛剣を抜かずに周囲に護られる様に囲まれている男性が居た。


 集団は周囲を厳重に警戒しながら歩いていると、ヨウシ川の浅瀬へと到着した。


「閣下。浅瀬へと着きました」


「・・・うむっ」


 集団の一人が、得物を手に持っていない男性に閣下と呼称してそう報告していた。


 この集団は、カロキヤ公国軍の部隊だったのである。


 そしてこのカロキヤ公国軍で閣下と呼称される人物は、死んだカロキヤ公国軍征西軍団副団長ユリウスと現在殿軍の指揮を執っているもう一人の副団長を除けば一人しか存在しない。その一人とは勿論、カロキヤ公国軍征西軍団団長のブラスタグスである。


 何故中隊規模の僅かな少数集団でブラスタグスが行動しているのかと言うと、それは事前にブラスタグスが思案した作戦によるものだ。


 プヨ王国軍との戦いでブラスタグスは敗戦を悟り、自身が助かる為に征西軍団を全て囮役にして戦場から離脱したからだ。


 先ず最初にブラスタグスは側近衆と親衛隊及び、諸将をなるべく本陣に集結させた。それから目立たない様に幾つもの少数集団に小分けして、戦場を離脱したのだ。


 戦場に残された征西軍団は、碌な指揮官が残っていない烏合の衆同然の雑兵集団に成り下がっていたのである。


 それから再集結したブラスタグスが選別した主力集団は、本流と支流の二手に分かれるヨウシ川で二つの集団に分かれた。


 ブラスタグスが居る集団がヨウシ川の支流を経由し、征西軍団の諸将が居る集団はヨウシ川の本流を経由してアグレブに帰還する事となった。


 何故ブラスタグスがヨウシ川の本流では無く支流を選んだのかと言うと、本流に人数が多い征西軍団の諸将が居る集団すらも、ブラスタグス自身が助かる為の囮役にする為だ。


 更にヨウシ川の本流だと、プヨ王国軍が敗残兵狩りの為に伏兵を配置している可能性が高かった。


 その懸念を考えれば、ヨウシ川の支流を経由するのが安全策と考えるのは間違っていなかった。


 そしてこの征西軍団の諸将に囮役に強制させると言う事実を、勿論ブラスタグスは征西軍団の諸将には言わなかった。


 ブラスタグスの離脱作戦を聞いた当初、征西軍団の諸将の何人かはブラスタグスの企みを察して渋い顔をしたが、結局はブラスタグスに言い包められてヨウシ川の本流を経由する事となった。


「それではこの辺りで浅瀬を渡り、アグレブに帰還するとしよう」


「はっ・・・此処まで来れば、敵軍の追撃も伏兵も無いと思います」


 ブラスタグスに同意した側近だったが、側近は渋い顔を隠せなかった。そんな側近の表情に気付かず、ブラスタグスはぐふふと下卑た笑みを浮かべた。


「プヨの愚か者共は今頃、我等の居ない我が軍を意気揚々と殲滅しておるであろうな」


「そう思いますが・・・軍団を囮にして見殺しにしたのは、本国に帰国出来ても問題視される可能性がありますぞ」


 ブラスタグスの側近が口にした懸念を耳にして、ブラスタグスは焦燥する事無く鼻で嗤う。


「ふん。軍隊などと言うものはその辺にいる野野盗や食い詰めの農民流民をとっ捕まえて、調練すれば使いものになるだろう。そんな代わりが幾らでも居る者共など、惜しくないわ・・・ああ、一つだけだが失って惜しい物があったな。今日まで儂の身を守ってくれた、我が愛用の魔鎧を捨てねばならなかったのは苦痛であった。カロキヤに戻り次第、新しい魔鎧(もの)を手配しなくては」


 ブラスタグスは自分自身の生存の為に犠牲になった将兵の事よりも、ブラスタグスが愛用していた魔鎧を放棄する羽目になった事を惜しんでいた。如何に高価な代物とはいえ、将兵の命より魔鎧の方が大切と意識する辺り、ブラスタグスの自分本位な性格が見て取れた。


 しかし、ブラスタグスが言っている事も、決して間違っているとは言えなかった。昔から、軍は得るのは容易いと言われている。


 尤も、質さえ問わなければという条件が必ず付いてしまうが。


「第一、諸将共も離脱出来る様に配慮したのだ。我が軍団の中核を担うあの者共も無事に帰還出来れば、軍団の立て直しなぞ直ぐに終わる。そもそも聡明なる我らが公王陛下ならば、数千万の雑兵の命よりも、儂の唯一無二の頭脳の方を重視して下さる筈だ。軍団を見捨てた事なぞ、何も問題にならぬわっ。くくははははっ」


「・・・・・・」


 自惚れていると言っても過言ではないブラスタグスの言葉と笑声を聞いて、ブラスタグスの側近は咄嗟に何も言えなかった。


 他の側近や親衛隊も同様で、寧ろ恐怖心で顔を引き攣らせていた。


 一歩間違えたら、自分達も殲滅される側になっていたからだ。


(このお方は征西軍団そのものだけでなく、我々や諸将の求心力を我が身可愛さで一気に失ったという事を、理解しているのだろうか・・・していないだろうな)


 ブラスタグスの側近は心中で溜息を吐きながら、アグレブに帰還するべく思考を切り替える事にした。それは他の側近や親衛隊も、同様であった。


「・・・・・・」


 そんな周囲の反応を他所に、ブラスタグスは先刻とは打って変わってある方向に視線を向けながら心痛な表情を浮かべていた。ブラスタグスの視線が向ける方向にあるのは、遠目からでも黒煙が良く見えるダナン要塞だった。


(ヴェルーガ・・・・・・)


 ブラスタグスは愛人であるヴェルーガ達を失った喪失感を、拭う事は出来ていなかった。ヴェルーガ達を思い出して、胸が締め付けられる。


(いや・・・儂と奴の間には、この制約(ギアス)がある。ヴェルーガを味わう障害であった忌々しい魔法であったが、今では儂の為に貞操を守る盾となっておるのだ。今は無事にアグレブに戻る事にのみ専念し、カロキヤに戻って再び力を蓄えあやつ等をプヨから必ず取り戻してくれるわっ!!)


 気持ちを切り替える事が出来たブラスタグスは生還する事に専念し、更にヴェルーガ達を失った喪失感を、プヨへの憎悪と復讐心に変化させた。


 ブラスタグスが憎悪と復讐心を燃やしている間に、親衛隊の隊員の一人がヨウシ川の水位と安全を確認する為に先に渡河を始めた。


 浅瀬なので、問題なく歩いていける。あと少しで、岸辺に届く所まで歩いた。


「よし、大丈夫だな。これでぶぺっ!?」


 もう大丈夫だろうと安堵していた親衛隊の隊員の首筋に矢が突き刺さった。親衛隊の隊員は息絶えてヨウシ川に倒れると、流血により一筋の赤い線が流れた。


「な、何事ぐあっ!?」


「や、矢だっ!? 矢の雨だぁっ!!?」


「盾を構えろっ! 閣下を守れぇっ!」


 続けて百本近い矢雨が、ブラスタグス達の真上に降り注いで来た。何人かが親衛隊の隊員と同様に矢が刺さって息絶えたが、大半は素早く所持していた盾を構えたので助かった。


 ブラスタグスも自身の側近に守れられた御蔭で、矢が刺さる事は無かった。


 矢雨が降り終わると、矢は跡形も無く消滅した。


「こ、これは魔法で出来た矢かっ!? 一体何者だっ!?」


 ブラスタグスがそう叫ぶと、上空に視線を移した。


 すると上空には、百騎を超えるプヨ王国軍の部隊が姿を現した。


「プヨ軍だとっ!?」


「くそっ! もう見つかったのかっ!?」


「本流だけでなく、この支流にまで(・・・・・)追撃の部隊を出すとはっ!!?」


 狼狽するブラスタグスの側近衆と親衛隊の隊員達を他所に、上空から現れたプヨ王国軍の部隊はブラスタグス達の前に降下して着陸した。


「思ったより、早く見つける事が出来たなっ」


 信康は標的のブラスタグスの発見に成功して、得物を見つけた肉食獣の如き笑みを浮かべる。其処へルノワが信康の下へ耳打ちを始めた。


「ノブヤス様。敵が何やら気になる事を言っております・・・どうやら本流にも逃走中の部隊が居るみたいです。話を盗み聞きした限り、高級将校を中心とした主力部隊が逃走していると思われます」


「ほう・・・」


 森人族(エルフ)系統の特性の一つでもある卓越した聴力によって、ブラスタグス達の会話を盗聴出来たルノワ。ルノワの報告を聞いて、信康は何が最善かを思案した。


「虻蜂取らずと言う諺があるが・・・此処は一挙両得を目指すとしよう。総員、下がれ。ブラスタグス達(こいつ等)は俺が一人で殺る」


 信康は第四小隊を下がらせると、斬影から下馬して前に出た。


「ね、ねぇっ!? ノブヤス(あいつ)だけ一人で行かせて大丈夫なの!?」


「・・・っ」


 信康が単独でブラスタグス達の前に出たのを見て、ヴェルーガの愛娘であるエルストが不安そうな声でそう行った。エルストの妹であるネッサンも、心配そうに信康を見詰めていた。


「何も問題ありませんよ」


「二人共、落ち着きなさい。ノブヤスがそういうなら、きっと大丈夫よ」


 狼狽するエルストとネッサンに、ルノワが面倒臭そうにそう言って相槌を打った。そしてヴェルーガは愛娘二人と違って、落ち着きを払って二人を宥めていた。


 因みにヴェルーガ達は、それぞれ相乗りをさせて貰っていた。


 マジョルコムはケンプファに。カラネロリーはイセリアに。エルストはメルティーナに。ネッサンはルノワに。そしてヴェルーガは信康に相乗りをして貰っている。


 余談だが信康は着用している甲冑の所為でヴェルーガの豊満な乳房を堪能出来ない事を、内心では残念に思っていた。


「・・・っ・・・っっ」


 一方でブラスタグスの側近衆と親衛隊の隊員達は、単独で前に出る信康に警戒心を露にしていた。しかし当のブラスタグスは、ある光景に目を奪われて呆然としていた。


「か、閣下?」


 ブラスタグスは呆然としながら、何故か前に足を進めていた。そんなブラスタグスに、側近の一人が当惑しながら声を掛けた。


「ヴェッ・・・ヴェルーガッ! それにエルストとネッサンもっ!! 無事であったかっ!!」


 空いている左手をプルプルと震わせてヴェルーガ達を指差しすると、喜色満面とばかりに嬉しそうな表情を浮かべてヴェルーガ達の名前を呼んだ。


「「「・・・」」」


 ブラスタグスに名前を呼ばれたヴェルーガ達は、露骨に嫌そうな表情を浮かべた。


「ふっ」


 そんなヴェルーガ達のやり取りが面白くて、可笑しそうに笑う信康。その笑いには、ブラスタグスへの嘲笑も含まれていた。


「ふん」


 信康はのこのこ前に出て来たブラスタグスに向かって、足元にあった石を蹴る。信康に蹴られた石は、真っすぐブラスタグスに向かって飛んで行った。


「閣下、危ないっ!」


 ブラスタグスの近くに居た親衛隊の隊員が、盾を前に出して信康に蹴られて飛んで来た石からブラスタグスを護った。盾に当たった石は、跳ね返ってから地面に落下した。


「何を喜んでいるんだよ? 言っておくが、ヴェルーガ達はプヨ軍(こちら)で保護させて貰った。これから死ぬお前には、関係の無い話だがな」


 信康はブラスタグスを心底馬鹿にした様子で、嘲笑しながらそう言い捨てた。そんな信康の無礼千万な物言いに、ブラスタグスはあっさりと激昂した。


「何を抜かすかっ! 分を弁えぬ下賤な小僧がっ!?・・・儂の事は良いっ! さっさとプヨ軍(奴等)を皆殺しにして、儂のヴェルーガ達を取り戻せっ!!」


 ブラスタグスは感情のままに、信康率いる第四小隊を殲滅してヴェルーガ達を取り戻す様に側近衆と親衛隊の隊員達は厳命した。


 ブラスタグスの厳命を受けて、ブラスタグスの側近衆と親衛隊の隊員達は得物を構えて信康の方を見た。


「纏身。金翅鳥鬼鎧きんじちょうきのよろい


 しかし信康の行動の方が、ブラスタグスの側近衆と親衛隊の隊員達よりも素早かった。信康は既に、鬼鎧の魔剣オーガアーマーズ・ソードの能力を解放して変身を終えていた。


「なっ・・・何だ、こいつっ」


 信康が変身した姿を見て、親衛隊の隊員の一人がそう呟いた。その一言は直ぐに伝染し、ブラスタグスを除く全員に恐怖心を抱かせた。


 今日までの戦いで二度も征西軍団に大損害を単騎で与えて来た存在を前に見て、恐怖心を抱かないのは無理も無い話であった。


 寧ろ恐慌状態に陥らず、ブラスタグスを見捨てて逃げ出さない辺りは立派と言えた。


「何を怯んでおるかっ!? さっさと儂の為に、死んでもヴェルーガ達を取り戻せっ!!」


 しかし当のブラスタグスはそんな忠誠心など目に移らず、身体を震わせて動こうとしない自身の側近衆と親衛隊の隊員達を罵倒し始めた。


「はっ。聞くに堪えん・・・帰命したてまつる(ノウマク)あまねき(サマンダ)諸金剛よ(バザラダンカン)梵天よ(ブラフマー)焼き尽くせ(ソワカ)


 信康は纏まりがないブラスタグス達を他所に、三尖刀を構えて詠唱を行った。


 すると数十もの極細の赤い光線が、ブラスタグス達を襲った。そしてブラスタグス達を襲った数十もの極細の赤い光線が消滅した後、ブラスタグスを除いてブラスタグスの側近衆と親衛隊の隊員達は、胸に穴を空けた状態でバタバタと倒れて息絶えた。


「なっ・・・ぁっ・・・っっ!!?」


 自分しか生存していない絶望的とも言える孤立無援な状況に、ブラスタグスは脂汗を流して焦燥していた。抜剣して愛剣を持つ右手は、プルプルと恐怖心から震えていた。


「・・・」


 すると状況を見守っていたヴェルーガが、斬影から下馬して信康の下まで歩き始めた。


「「母様っ!!」」


 信康の実力を目の当たりにして呆然としていたエルストとネッサンだったが、ヴェルーガの行動を見て当惑しながらヴェルーガを呼んだ。


 しかしヴェルーガは止まる事無く、信康の隣に立って並んだ。


「・・・ブラスタグス。もう貴方の運命は決まったわ。せめて最期くらいは、潔くありなさい」


 ブラスタグスを窘める様に、ヴェルーガはそう言った。すると信康は、この状況を利用して悪乗りを行った。


「愛しのヴェルーガはそう言っているが、どうする心算なんだ?」


 ブラスタグスを生かしておく気は毛頭無い信康は、三尖刀を向けながらヴェルーガを開いた左手で抱き寄せて自身と密着させた。


 信康の唐突な行動に、ヴェルーガはきゃっと小さく悲鳴を上げて両手を信康の胸板に沿えた。


「「なぁっ!?」」


『・・・はぁっ』


 エルストとネッサンは、驚愕と困惑の声を上げて信康を睨み付けた。一方のルノワ達は、信康の行動を見てただ溜息を一斉に吐いた。


「なぁっ・・・っっ!」


 そしてブラスタグスもまた、信康の行動を見て怒りで震えていた。ブラスタグスの顔色は当初こそ恐怖で青褪めていたが、直ぐに憤怒で赤く染まって行った。そしてその憤怒は、直ぐに爆発する。


ヴェルーガ(その女)は儂のものだあああぁぁぁっっっ!! 返せえええぇぇぇぇっっっ!!!」


 ブラスタグスは怒りのまま、愛剣を突き刺しながら信康に向かって駆け出した。


 しかしブラスタグスはその頭脳から繰り出される知略を得意とする知将型な為か、身体能力や武術の腕は並の兵士以下であった。


「ふっ・・・」


 信康はブラスタグスの遅さを嘲笑しながら、ヴェルーガを離して前に出た。そして三尖刀を、勢い良く突き出した。


「ぐふううぅっっ!!?」


 信康の三尖刀は勢い良く、ブラスタグスの胸を貫いた。ブラスタグスの背中から、大量の血が流れ出た。


「ば、ばかな、わしが、こんな、こんなところで・・・・・・・」


 ブラスタグスは口元から大量の血を吐きながら、持っていた愛剣を落とした。


 最早視界すらもハッキリと見えない状態だが、ブラスタグスはただ残された力で右手を震わせながら伸ばし続ける。


「あ、あ・・・・・・・・・・・・」


 右手を伸ばした先にあったのは、ヴェルーガであった。もうその手に触れる事は叶わないというのに、それでも未練がましく手を伸ばし続けるブラスタグス。


 しかしブラスタグスのその手は、何も掴む事無くブランと落ちた。そして最期にブラスタグスは、再び吐血して絶命した。


「ノブヤス様がカロキヤ軍征西軍団軍団長、ブラスタグス・ド・イケニを討ち取られたぞっ!!」


 ルノワがそう宣言すると、第四小隊は大歓声で勝鬨を上げた。


(さようなら。生まれ変わったら、今度は真っ当な性格になりなさいね)


 ヴェルーガは第四小隊の勝鬨を耳にしながら、一瞬だけ目を閉じて祈りを捧げた。それなりに長い間、過ごした相手への黙祷であった。


「喜ぶのは、その辺にしておけ」


 信康は胴体から斬り落としたブラスタグスの首級を持って、第四小隊に声を掛けた。既に変身は解除しており、通常の状態であった。


 信康の制止を聞いて、第四小隊は勝鬨を止めて静かになった。


「戦いを始める前に得た情報から推察すると、どうやらブラスタグスの囮役を務める筈だった部隊が、本流から逃走中の様だ・・・行き掛けの駄賃だ。そいつらも仕留めるぞっ!」


『っ!・・・おおっ!!』


 第四小隊は信康の言葉に一瞬だけ呆気に取られるも、手柄を上げる好機を得られて嬉しそうに返事をした。


 信康達は一先ずブラスタグスの死体を放置して、征西軍団の諸将が居る部隊の追撃を優先してその場から離脱した。


 その結果。信康達は本流から逃走中の部隊に追い付く事が出来た。


 信康は後方に下がって、掃討戦には参加せずにルノワ達に任せる事にした。信康の隣には、ヴェルーガ達も居た。


「ねぇ、ノブヤス。ちょっと良いかしら?」


「どうした?」


 戦闘を他所に、ヴェルーガは信康に話し掛けた。ヴェルーガに尋ねられた信康は、何だろうと思いながら返事をした。


「先ずは、お礼を言わせて頂戴。ありがとう。これであたし達は自由になれたわ」


「別に礼なんて良いぞ。寧ろ礼をしなければならないのは、俺の方だ。お前が居なければ、ブラスタグスには逃げられていたかもしれんからな」


 ヴェルーガの御礼の言葉を聞いて、信康はただ肩を竦めてそう言った。


「そう?・・・じゃあ、ちょっとお願いがあるのだけど・・・」


「何だ? 出来る事に限りがあるが、取り合えず言ってみろ」


 信康はそういったので、ヴェルーガは遠慮なくその願い事を口にした。


「ブラスタグスから解放されたのは良いんだけど・・・あたしの収納(ストレージ)にブラスタグスの財宝は有っても、行く当てが無いのよね。だからノブヤスの下で、暫く雇ってくれない?」


「・・・何? それに財宝、だと?」


 ヴェルーガの言葉を聞いた信康は目を細めた。


「ブラスタグスはノーフォク王国って国の王族だったんだけど、滅んだ時にあたしが宮殿の財宝を回収させられたのよ。まぁそんな事は、どうでも良いじゃない。ノブヤス、お願い♪」


「・・・・・・仕方がないな」


(まぁ願ったり叶ったりと言えるか)


 ヴェルーガの頼みを聞いて、信康は内心では喜びながら承諾した。


 するとヴェルーガは嬉しそうに笑みを浮かべて、信康の背中に抱き着いた。

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