第16話
信康が中に入ると、テーブルの上に広げられたパリストーレ平原の地図とそれを赤と青で色分けされた駒を地図の上に置いてあった。
床几に座っているのは、副団長の男性と部隊長を務める諸将で、一番奥の上座に座っているのが鋼鉄槍兵団兵団長のアルディラ・フォル・レダイムだ。
正直に言って信康はこの場に居るのが、有り得ない事だ。
それだけ地位と身分が離れているのだから、仕方がない事だ。現に諸将は何でこいつを呼んだのだろうと思っている目で、信康を見ていた。
(どうして俺がこの軍議に参加しているのか、そんなもの俺が一番知りたいわ)
諸将に見られている信康は諸将が思っている事を察して、心中でツッコミを入れながらヘルムートの隣に座った。
「では、これより軍議を始める。各自意見を言ってくれ」
副団長がそう言うと、諸将が声を上げ始めた。
「自分は命令である殿軍を務めるのは、兵を編成し直してからと思います」
「具体的にどうする?」
「まず、負傷兵を明朝に陣から十人一個分隊で順次逃がしてから、残った兵で本軍が撤退を完了するまで死守するのです。そうしてから本軍が撤退を完了した頃を見計らって、鋼鉄槍兵団我々も退くのです」
「本軍の撤退が完了するまで、鋼鉄槍兵団の兵力だけで死守しようと言うのか? それは愚策であろう」
「では、貴様はどんな意見があると言うのだ?」
「本軍の撤退が完了するまで粘るのでは無く、鋼鉄槍兵団我々も明朝に撤退するのだ」
「それでは、敵に背を見せろと言ってるようなものではないか!?」
「敵が攻めて来たらこちらも反転して攻撃して、敵が退いたらこちらは撤退をすれば良いであろう」
「そう簡単に兵が上手く動くと思うのか? 盤上の西洋将棋でもあるまいし、馬鹿か貴様は!」
「貴様がほざいた愚策より、遥かにマシだっ!」
「いや・・・それよりも傭兵部隊を囮にして、鋼鉄槍兵団我々は撤退するのは如何だ?」
「馬鹿者がっ! 傭兵部隊も敵に攻撃をして疲弊しているし、数も二個中隊程度と大して多くないのだぞっ! そんな小勢では、直ぐに敵に磨り潰されて突破されてしまうわっ!? 囮にする意味など無かろうっ!?」
「ならば兵を三つに分けて、退くのは如何だ? それで敵はどちらを攻撃するにしても、兵を分けるだろう。一人でも多く退くにはこれが良かろう」
「鋼鉄槍兵団我々は、重歩兵が主力だぞ。それではたちまち敵の飛行兵と騎兵の追撃を受けて、各個撃破されるだろうが! 貴様はそんな事も分からんのかっ!!?」
軍議は諸将が熱弁を振るい激しい議論をしていたが、案としてはどれもイマイチなものばかりであった。
それをアルディラと副団長は、黙って聞いていた。
信康達は何も言わず黙っていた。
ヘルムートならいざ知らず、信康が何を言っても傭兵部隊と言うより下士官の意見など、聞く耳持たないと言われそうだからだ。
頭の中にはもう既に案があるのだが、言っても聞き入れて貰えないだろうと思い言わなかった。
ヘルムートは信康の顔を見ながら、小声で訊ねた。
「これでは朝になっても、起死回生の妙案が出ないだろうな。どうしようもないぞ」
「総隊長は如何したいのですか?」
「俺としては傭兵部隊の皆が、一人でも多く帰れるようにしたい位だ。しかし、いかんせん俺の鈍い頭では、何も良い作戦が思いつかん。だが・・・ノブヤス、お前は何か良い考えがあるだろう?」
「何故そう思うのですか?」
「勘だ」
ヘルムートの発言を聞いて、信康は呆れ半分関心半分の様子で溜息を吐いた。
「自分でも馬鹿な事を言っている自覚はある・・・それでどうなんだ? お前に良い考えが有るのか? 無いのか?」
「俺が言っても取り上げて貰えるか分からないので、総隊長の意見として言ってくれませんかね?」
「何だとっ・・・部下の手柄を横取りするみたいで嫌だが、意見を通すのが最優先か。良し、分かった。どんな案なのか、言ってみろ」
「でしたら、耳を貸して下さい。総隊長」
ヘルムートが耳を寄せると、信康はこそこそと話した。
そんな二人を、正確にはアルディラは諸将の議論を無視して信康を見詰めていた。
「・・・成程。そいつは良い案だ。しかし、本当にお前の考えなのに俺の口から言っても良いのか?」
「総隊長が言うから、受け入れて貰えるかもしれないから教えたんですよ。確かに軍議が長引けば、下士官の俺でも意見が通る様になるかもしれませんが・・・時間も無いですし、意見を通すのが第一です。お願いします」
「分かった。後は俺に任せろ」
親指を立てて笑顔を見せて、副団長に顔を向けた。
「あ~、諸将の方々。自分も意見を言ってもよろしいでしょうか?」
「ヘルムート少佐、何か良い策が有るのか?」
「はい、この戦況で良い策が有ります・・・自分で言うのも何ですが、恐らく、これが最良の策でしょう」
それを聞き議論をしていた諸将が、静かになってヘルムートに注目した。
「何だと!? 少佐、それは本当か?」
「はい。そう言いました」
「そんな策があるのか? 早く教えてくれっ!」
「では、お教えします。私が言う策は・・・・・・・・」
ヘルムートは信康に提案された策を、そのまま説明し始めた。アルディラは未だに、ずっと信康を見ていた。
それを聞き終えて諸将は納得しながら、感心していた。
「成程。それが最良だな」
「見事な策だ。これなら被害がそう多くはないだろう」
「団長は如何ですか? この策」
聞かれたアルディラは腕を組んで頷いた。
「それで良い。他に意見の有る者は?」
アルディラはハスキーな美声で訊いたが、全員が何も言わなかった。
「では各員、直ぐに取り掛かれ。以上、解散」
諸将は自分達の団長であるアルディラに一礼して、我先に出て行った。
ヘルムートも行くので、その後を信康は付いて行こうとした。
「其処の東洋人、待て」
アルディラに呼び止められ、信康は足を止めた。
「何でしょうか? アルディラ兵団長閣下」
信康は何の用だろうと思いながら、慇懃に訊いてみた。
アルディラはバイザー越しで、じっと信康を見ていた。
何も言わないので、信康は焦れていた。
早く陣地に戻って策の準備をしたいのに、行けないのだから焦れて不思議ではない。
「貴様、故郷は何処だ?」
「はい?・・・大和皇国と言う、東洋圏内にある島国ですが?」
「大和とは、東洋でも有数の大国だな。随分と若いが、歳は幾つだ?」
「今年で十八歳になったばかりです」
「想像以上に若いな・・・何故故郷である大和を離れ、このプヨにまでやって来た?」
「傭兵をして各国を渡り歩く内に、プヨにまで来ただけですよ」
信康は真実を隠して一部の事実だけを答えたが、それを察したのかアルディラが強い口調である事を訊いて来た。
「そうか・・・・・・だが私が一番知りたい事を、まだ貴様は答えておらぬ。もう一度聞こう。何故、如何なる理由があって故郷を離れたのだ?」
「それは諸事情有って・・・とだけ言っておきます。自分の諸事情を今夜会ったばかりのアルディラ団長に話す程、まだ親しくなれた訳ではありませんので」
個人的な事情を探ろうとするアルディラに、信康は少し不快感を抱いて回答を拒絶した。
「貴様っ!? アルディラ団長閣下に向かって、その様な事を言うとは無礼であろうっ!?」
副団長が信康を無礼討ちにしようと抜剣すべく柄に手を掛けたが、アルディラは手で制止させた。
「しかし、閣下っ!?」
「良い。訊かれたくない事を訊こうとした、私が悪かった。許せ・・・東洋人、お前の名は何だ?」
「・・・傭兵部隊第一小隊所属、信康曹長であります。アルディラ団長閣下、恐れながら申し上げます。作戦実行の為にも、自分も失礼して良いですか?」
「うむ、傭兵部隊の下へ帰って良いぞ」
「では、失礼します」
アルディラ一礼してから、信康は出た。
「ノブヤスよ」
呼ばれたので信康は振り返った。
「まだ何か? 閣下」
「ああ、先程の献策、大儀であった。作戦の成功と、武運を祈るぞ」
信康はそれを聞いて、ピクッと眉を動かしたが、直ぐに一礼した。
アルディラは兜で隠されているが、笑っている気配がした。
因みに隣で聞いていた副団長は此度の作戦はヘルムートが献策した筈なのに、何故アルディラは信康にそう言ったのか理解出来ない様子であった。
「お言葉、ありがたく頂戴します・・・ではついでにもう一つだけ、献策させて頂きましょうか。『ロゴス大将軍が第三騎士団に居た御子息を失ったショックで失神、プヨ軍は混乱で統制が取れず士気が低下している』・・・と言う事実半分嘘半分の流言を流せば、カロキヤ軍の油断と慢心を誘えるでしょう。ついでにロゴス大将軍の旗印でも掲げておけば、カロキヤ軍を尚更食い付かせれるかもしれません。それではどうか、吉報をお待ちあれ」
「うむ、それもまた妙案だな。早速、捕えた捕虜を利用して実行しよう。あのロゴス愚か者の旗印を掲げるなど業腹ものだが成程、撒餌には丁度良いやもしれぬな」
信康は開き直って堂々と献策すると、アルディラは感心した様子でそう答えた。
隣に居た副団長は此処に来て漸く、ヘルムートが行った献策は実の所この信康と言う若い東洋人が真に考えた計略だった事実に気が付いた。
驚愕の表情を見せる副団長の視線を受けながら、信康は今度こそ陣幕から出て行った。
「随分と長話だったな。お前、アルディラ団長に気に入られたか?」
信康が外に出ると、ヘルムートが待ってくれていた。ヘルムート肘で小突きながら、信康に言ってきた。
「そういう訳では無いと思います。寧ろ、逆の可能性が・・・まぁ現在はそれよりも、早く陣に戻りましょう。総隊長」
「そうだな。意見が通ったのは良いがその所為で、今夜は寝る暇も無い程大変になったぞ。お互い頑張らないとなっ!」
「無論、その心算です。俺も死にたくありませんからね。一晩の徹夜で生き残れるなら、安い代償です」
「全くだな。生きて帰れたら俺の屋敷うちに招待して、愛妻つまの手料理を食わせてやる」
「それを聞いて、俄然やる気が出て来ました」
「その意気だ! 良し、戻るぞ」
頷いてから信康は、ヘルムートの後に付いて行った。
そして陣に着くとリカルドから、被害報告を聞いた。
生き残っているのが二百七十名で、二十名は負傷して十名は戦死していた。
その二十名の負傷者の内、十六名が前線復帰可能で、四名は前線への復帰が困難であるとも知った。これで傭兵部隊の兵力は現在、二百八十六名となった。
ヘルムートは軍議で話した作戦、を信康が考えた事は秘密にしてを傭兵部隊の全隊員に話した。
「俺達の一部はこの陣地を出て、指定された場所に行き陣地を作る事だ」
地図を広げて指で場所を指しながら説明した。
「その仕事は工兵小隊と、七十名ほど選抜した者達で作る。その指揮はロイド、お前に任せた。カイン、お前にロイドの補佐を任せるぞ」
「了解しました。総隊長、きっちりやり遂げてみせますぜ」
ロイドと言う、四十代前後の男がヘルムートに応えた。カインと言う三十代前後の男性も、ロイドに続けて応えた。
「頼む。元大工として腕を振るっていたその腕前、今回の作戦で存分に発揮していけ。では残った奴等は敵の攻撃に備えて、今の内に少しでも休憩を取れ。明日は長い一日になるからな」
『はっ、了解しました!』
傭兵部隊は行動を開始した。
信康とルノワとジーンとリカルド達は、鋼鉄槍兵団と共に行動する方になった。特に信康はアルディラ直々の指名であり、後でリカルド達から質問攻めにあったが作戦が最優先事項だと言って回答を拒否した。
ロイド率いる工兵小隊は元大工や土木作業経験者で構成されており、準備を整えて陣から出て行った。
やる事が終わった信康は、決戦に備えて仮眠を取る事にした。
「さて、俺も仮眠を取るとしよう。ルノワ、お前も休め」
「はい。何か起こったら直ぐ分かる様に、魔法を唱えておきます」
それを聞いて、信康は横になって就寝した。ルノワも信康に凭れ掛かって、仮眠を取るべく就寝した。
プヨ歴V二十六年五月十七日。朝。
そして夜が明けて、太陽が東から上がって来た。仮眠を終えた信康は戦いが起こる前に、自分の得物の点検をした。
実はこの得物には点検などする必要性なの無い特殊な得物なのだが、精神統一の一環で行っている事であった。
愛着も然る事ながら、自身の命を託している相棒なのだから日々綺麗にしているのだ。
そんな信康の姿を、後ろから見ている者が居た。それはルノワであった。
ルノワは話し掛けずにジッと、信康の背中を見ていた。
その視線を受けている信康は、無視をして得物の点検をしている。
得物の点検を止めて、ふぅと溜め息をついた。
「ルノワ、何か用か?」
「いえ、特にないです」
そう言いながらも、ルノワは信康を見ている。
信康は再び、得物の点検を始める。
その信康を飽きる事無く見るルノワ。
そんな二人に、声を掛ける者が来た。
「おぅい、ノブヤスとルノワ。其処で何をしているんだ?」
声を掛けてきたのは、リカルドだった。
信康は手を止めて振り返る。
その際、ルノワが舌打ちしたのだが、信康達の耳には届かなかった。
「何って、俺は得物の点検だ」
「私は此処ら辺では見ない武器なので、少々興味がありまして」
(嘘つけ、俺を見てただけだろうが)
信康はそう思っても言わなかった。
「で、何か用か? リカルド」
「ちょっと話したい事があってな」
「話したい事?」
「ああ、ノブヤス・・・君は真紅騎士団の事を、どれくらい知ってる?」
「どれ位ね?・・・真紅騎士団は団長含めて十二人の幹部合わせて十三騎将と言われている事と、兵士にも赤い鎧を着ているくらいだぞ」
「実はさっき、数年前に一度だけ真紅騎士団と戦った事がある傭兵の話を聞いてさ、凄い情報を手入れてきたぞ」
「凄い情報?」
「そうだ。その十三騎将は全員が魔宝武具を持っているそうだよ」
「それは本当ですか!?」
魔宝武具とは、魔力を帯びた武具の総称だ。
その武具の特徴は持っている者が特殊な技を使える事と、五つの等級が存在した。
魔具級―――この武具は魔宝武具の中では一番低い等級だ。これは魔力を持った鍛冶師で、魔力鍛冶師と言われる鍛冶師だけが作る事が出来る。大量生産された量産品から特注品と振れ幅が広く、強さもピンからキリだ。
名器級―――魔具級よりも等級が一つ上に属する武具になる。魔力鍛冶師の上位互換である魔力鍛冶匠と言われる上位者だけが製造可能。名器級魔宝武具は例外無く、全て業物である。
宝具級―――古代の英雄が使っていた武具、又は魔力鍛冶匠ーの中でも更に優れた者にしか作れない業物中の業物。宝具級に属する魔宝武具は、例外無く国宝に指定される。更に宝具級魔宝武具は、逆に使用者を選ぶとされている。相性が悪かった場合、拒絶反応が出る。
神具級―――この等級に入る魔宝武具は、神話の時代から伝えられる宝物になる。宝具級魔宝武具以上に制御が難しく、高性能である。神具級によっては一国すらをも滅ぼしかねない程の、性能の高さを秘めていると言われている。
神器級―――最高位等級に属する魔宝武具の頂点。神器級は殆ど現存しておらず、中には存在そのものに懐疑的な見方がある程である。この等級に属する魔宝武具は大陸すら灰燼に帰す性能を秘めていると言われている。
この五つの等級に魔宝武具に与えられている等級なのだが、現代では宝具級の魔宝武具までしか、製造不可能とされている。
神具級以上の魔宝武具の製造及び修復は、世界各国の魔力鍛冶匠や魔力鍛冶師が試みているが、成功している国家は現在、存在してしない。
魔宝武具を製造可能な魔力鍛冶師は希少な存在であり、王侯貴族や大商人の間で争奪戦になる程の存在だ。
魔力鍛冶師の上位互換である魔力鍛冶匠ともなれば、全ての国々で国家専属となる様に法律で定めている場合もある程、手厚く保護されている。
魔宝武具は一つ存在すれば、時には戦場の戦局を変えるばかりか国々の命運すら左右する程の代物なのだ。
その為か昔から、魔宝武具は世界各国で争奪戦の対象となっている。
勿論、人々の間でも争奪戦の対象である。一介の凡人が魔宝武具一つで英雄として、史書に名前を残せた事例もある程だ。
軍人や武人は勿論、英雄志望者や戦場で生きる傭兵にとって、魔宝武具は憧れの存在である。
まさに魔宝武具は国々も人々も魅了し惑わす、この世の理から大きく外れた人外の魔宝なのである。
そんな魔宝武具を真紅騎士団の幹部が全員保有していると聞けば、ルノワが驚くのも不思議では無い。
何せ、一番等級の低い魔具級の魔宝武具を持った一人の兵士が、普通の武装をした百人を相手に戦って勝利したという逸話があるくらいだ。
大手の傭兵団幹部と言えど、魔宝武具などそうそう持てる筈が無いのである。
「戦った傭兵が言うにはそうらしいけど、本当はどうだろう」
「まぁ、相手は欧州最強と言われる傭兵騎士団だ。魔宝武具を持っていても、別に不思議じゃないだろう」
「そう言われたら、そうだな」
信康は漸く、得物の点検を終えた。
「さて、持ち場に戻るか」
「じゃあ、俺も戻るよ。ノブヤス、ルノワ、武運を」
「あなたも」
「お互い武運を祈る」
リカルドはその場から離れて行く。
信康達が持ち場につくと、敵が進軍しているのが見えた。
「さて、敵さん、上手く引っかかるかな。上手くいけば上出来。失敗しても逃げる事に変わらないから良いだろう」
今にも攻め込んで来そうな、カロキヤ公国軍を見ながら信康は呟いた。
そしてパリストーレ平原の会戦における、最後の戦いが始まった。