第169話
「フェリビア団長。ノブヤスさん。戻りました」
トパズがイゾルデとシェリルズを連れて、帰還した事を報告した。
「おう。お疲れさん・・・何か不機嫌そうだな? シェリルズ」
「!・・・別に、何でもねぇよ」
信康に不機嫌な態度を指摘されたシェリルズは図星だったのか、少し驚いた様子を見せたが直ぐにプイと首を振って自身の態度を誤魔化した。
「何でも無かったら、もう少し誤魔化す努力をしなさいよ。仕方無いじゃない。私達の任務は飽くまで監視が目的で、交戦許可なんて貰っていないんだから」
そんなシェリルズの態度を見兼ねて、イゾルデが諫める様にそう注意した。続けてトパズが、監視任務全体の報告を信康とフェリビアに始めた。
「報告します。ダナン要塞を目指した七百人前後居た砦の捕虜達ですが、途中で魔物の群れの襲撃に遭って数を減らしつつも六百五十人弱くらいが無事に辿り着いたと思います。ついでに言いますと、ノブヤスさんの御懸念通りでした」
「ふーん・・・つまり、あの文が書かれた服を捨てて行こうとしたか?」
「その通りです。途中でヨウシ川に服を捨てて行こうしたので、魔法の雨を浴びせて威嚇しておきました。その際に何名かに魔法が当たって流血し、その血の匂いが魔物の群れを招く形になったみたいです。そんな経緯もあってか、捕虜達は服の事も忘れて死に物狂いで駆け込んで行きましたよ」
トパズが砦の捕虜だったカロキヤ兵達の道中の経緯を報告してから、更にその続きについても報告を始めた。
「捕虜達がダナン要塞に入城する直前でカロキヤ軍の飛行兵部隊に発見されたので、入城した所までは見届けていません。シェリルズさんはその飛行兵部隊と戦いたかったみたいですが、交戦許可は頂いていないのでイゾルデさんが引き摺って撤退させました」
トパズの報告を聞いて、何人かはシェリルズを呆れた様子で見詰めていた。そんな視線を受けてもシェリルズは何とも思わなかったが、ある人物の言動が火に油を注ぐ結果を招く。
「まぁまぁ。自分の欲望を叶える為だけに、命令違反を犯そうとしましたの? これだから野蛮な山猿は・・・」
シェリルズに挑発的な言葉を口にしたのは、犬猿の仲にあるゲルグスであった。
カロキヤ公国軍の伏兵部隊の指揮官を無事に打ち取ったゲルグスは、シェリルズとは対照的に上機嫌でその舌も油が良く乗っていた。
このゲルグスの挑発的な一言は、見事にシェリルズに燻ぶっていた怒りを燃え上がらせた。
「んだとこらぁっ!? 砦じゃ俺に手柄を奪われていた癖にっ!!」
「お生憎様。今回の戦いでわたくし、カロキヤ軍の伏兵部隊の指揮官を討ち取る事が出来ましたのよ。貴女はその場に居なくて、残念でしたわねぇ? おーほっほっほっほ!!」
「て、てめぇっ!?」
ゲルグスの更なる挑発を聞いて、シェリルズは青筋を浮かべて睨み付ける。今にも得物を抜いて、ゲルグスに襲い掛かりかねない程の怒気と殺気を抱いていた。
「・・・・・・成程。そう言う事ですか」
シェリルズとゲルグスが一触即発の中、トパズが何か気付いた様子でそう呟いていた。そんなトパズの呟きが、現場の空気を鎮める結果を齎した。自然と注目がトパズに集中する中、トパズは信康に話し掛ける。
「ノブヤスさんが私にシェリルズさんを連れて行く様にした理由ですが・・・ゲルグスさんに手柄を挙げさせる為ですよね? 違いますか?」
「・・・良く分かったな? その通りだ。砦攻略でシェリルズの嗅覚の鋭さを見たからな。また手柄を取られたら、ゲルグスが今度のカロキヤ軍との決戦で無茶をしかねないと思ったんだよ。手柄を挙げさせると半ば約束した手前、守らないと行けないんでな」
「そうだったのですか。実に個人的な理由だとは思いますが・・・ゲルグスさんのガス抜きをして頂いて、ありがとうございます。またシェリルズさんに目の前で手柄を奪われたら、次の戦でもっと無茶をしていたと思いますので」
トパズは信康の気遣いに感謝して頭を下げた。それからシェリルズとゲルグスの方に、トパズは顔を向けた。
「シェリルズさんは砦戦で手柄を挙げているんですから、それで良いではありませんか。ゲルグスさんも、後でノブヤスさんにお礼を言っておいて下さいね? 私の同僚に、人にお礼が言えない人が居るとは思いたくありませんから」
「「・・・・・・はい」」
トパズに正されたシェリルズとゲルグスは、一言も言い返せずに素直に返答するしか出来なかった。
それから信康はカロキヤ兵達の死体と、野晒しにされた味方の遺体の焼却処分を行った。戦場に居なかったイゾルデとトパズとシェリルズも信康の鬼鎧の魔剣の性能をその目で確認するべく、信康に同行した。
焼却処分が終わった頃に傭兵部隊と合流を果たして、無事に転移門でプヨ王国軍本陣へと帰還する事が出来た。その過程で信康とトパズは、こんな会話をしていた。
「なぁ。一つだけ聞いて良いか?」
「何でしょうか? ノブヤスさん」
「監視している時に魔法を使ったと言っていたが・・・弓は使わなかったのか?」
「はい?・・・私もイゾルデさんも、弓はしっかり地に足を付けている時にしか使いませんよ。天馬に乗っている時に、まして、飛行中に使う訳ないじゃないですか」
トパズは「何を言っているんだこいつ」と言わんばかりの目を向けた後に、信康の下から立ち去った。
「そうか・・・・・・そうか?」
信康は心底納得いかない様子を見せながら、ただただ首を傾げていた。
信康達がプヨ王国軍の本陣に帰還している頃。
カロキヤ公国軍征西軍団が占領している、ダナン要塞の軍議室。
「全くっ! 何たる事だっ!? プヨ軍の奇襲を受けて砦を攻略された挙句、続け様に伏兵部隊も奇襲を受けて潰走し晒していた死体も奪還されただとっ!!?」
ブラスタグスはテーブルを叩きながら叫ぶ。
自分の考えでは、こうなる事など想定すらしていなかった。
プヨ王国軍が味方の死体を回収すべく伏兵部隊に攻撃しても、死体の周辺には大量の罠が仕掛けられている。仕掛けられた罠に梃子摺っている内に、葦原に潜ませた伏兵部隊が立て続けにプヨ王国軍を襲う。
大量の罠と伏兵部隊だけでプヨ王国軍に対処出来ない場合、砦から援軍を出して撃退する。もしプヨ王国軍が大部隊を派遣または激しく攻勢を仕掛けてくるならば、砦から狼煙を上げて本陣から援軍を送れば良い。
仮にプヨ王国軍が伏兵部隊を無視して先に砦を攻略しようと試みても、砦とダナン要塞からはヨウシ川を渡っても数時間の距離だ。
砦に近付くまでにその攻略部隊の存在を確認して狼煙が上げれば、援軍を編成して送り出しても陥落する前には十分に間に合う。何なら伏兵部隊を動かして、砦側と挟撃を仕掛ける事も可能だ。
ブラスタグスが攻略する要塞や城塞を選定している際に、このダナン要塞の周辺の地理を確認して攻撃目標に定めた段階から考え付いた必勝の戦法だ。
しかし現実は、自分が思っていた通りにならなかった。蓋を開けてみれば砦は一瞬で攻略され、返す刀で続け様に伏兵部隊も壊滅させられ死体も難無く奪還されてしまった。
ブラスタグスはその神速とも言える攻略の速さはまるで、プヨ王国軍から貴様が繰り出した稚拙な軍略など机上の空論に過ぎぬと嘲笑されているみたいにすら感じた。
ブラスタグスは自分が勝手に思い込んでいる妄想で勝手に怒りの炎に油を注ぎながら、腹立たしそうに何度もテーブルを叩き付ける。
「ええいっ、不甲斐ない役立たず共め! 敗残兵共は一体、どれだけ生き残っているっ!?」
「ははっ。砦から戻って来れた守備隊は六百五十七名。生き残った伏兵部隊は全部で三百七十八名。合計で一千三十五名です」
「即刻全員、処刑しろっ!!」
「は、はぁっ!?」
報告したカロキヤ公国軍の諸将の一人は、ブラスタグスから信じられない言葉を聞いた顔をして絶句していた。
それはこの会議室に集結している、他の諸将も同じだった。
「閣下。それはあまりにも短慮が過ぎまするっ!」
「そうですっ!! 今は兵士が一人でも多く欲しい状況なのですぞっ!!」
今回のカロキヤ公国軍征西軍団の編成は歩兵が一個旅団一万。騎兵が約二個連隊七千騎。飛行兵が二個連隊七千騎。弓兵が三個大隊三千。補給兵が三個大隊三千という計一個軍団三万だという編成だ。しかしこの数字も、プヨ王国との開戦前の総数である。
先の乱取り戦術では先ずプヨ王国軍の偵察部隊と小競り合いを起こし歩兵部隊二個中隊四百と騎兵部隊二個小隊百、合計で二個中隊五百を失った。
続けての誘引計を用いた初戦では、弓兵部隊三個中隊六百。騎兵部隊二個中隊四百騎。飛行兵部隊一個大隊一千騎。補給兵部隊一個大隊一千。合計で三個大隊三千もの将兵を失っている。更にダナン要塞攻略で、飛行兵部隊を先行させて力技に任せた総攻撃を命じた結果、飛行兵部隊二個中隊五百を失った。そして今回の戦いで歩兵部隊三個中隊六百と弓兵部隊二個中隊四百、合計で一個大隊一千も失ってしまった。
この時点でカロキヤ公国軍征西軍団が失った兵数は、総数で一個連隊五千。全軍の六分の一を失った計算になる。その上でダナン要塞まで生命からがら生還してくれた弓兵部隊一個大隊一千を処刑するなど、とんでもない暴挙である。ブラスタグスが行おうとしている愚行は最早、プヨ王国軍への利敵行為としか思えなかった。
カロキヤ公国軍征西軍団の総数は現在、二個師団二万五千。その内訳は歩兵が二個連隊九千。騎兵が二個連隊六千五百騎。飛行兵が二個連隊五千五百騎。弓兵が二個大隊二千。補給兵が二個大隊二千である。更に言えば補給部隊は戦力として数えられないので、実質戦力は二千を引いた二個師団二万三千であった。
プヨ王国軍の総数は現在、全部で二個師団二万二千。その内訳は第一騎士団が二個連隊七千五百。第二騎士団が二個大隊一千八百。第四騎士団が二個大隊二千。第五騎士団が二個大隊二千。砲兵師団が一個連隊五千。神官戦士団が一個連隊三千。傭兵部隊が三個中隊七百であった。これでブラスタグスが処刑を実行してしまえば、折角の数字上での有利点を自ら捨ててしまう事になる。カロキヤ公国軍の諸将は、何としてもそれを避けたかった。
「ブラスタグス団長閣下。どうか、御考え直しをっ!」
カロキヤ公国軍征西軍団副団長のユリウスも宥めるが、ブラスタグスは顔を顰めるばかりだ。
「ぐぬぬぬっ・・・・・駄目だ駄目だ駄目だっ!!! 聞けば砦の守備隊も伏兵部隊も敵に一方的に打ち負かされた挙句、敵の情けで生かされた上に背中にあれだけの屈辱的な言葉を書かれておめおめと帰って来たのだぞっ! 奴等は恥知らずにも程があるっ!! 生かしておいた所で、百害あって一利も無いっ! あの役立たず共は全員、即刻処刑しろ! これは総大将命令だっ!!」
ブラスタグスはユリウス達の諫言を聞く事無く、そう言って大きく吠えた。
ユリウス達は何とかブラスタグスを説得しようとしたが、ブラスタグスが自身の得物の柄に手を掛けたのを見て諦める他に無かった。自分が殺されてまでしたくないと、それ以上誰も宥める事はしなかったのである。
結局信康の目論見通りダナン要塞まで帰還した、カロキヤ公国軍の兵士達一個大隊一千三十五名は即刻処刑された。
その屍は職務怠慢の厳罰への見せしめとして、晒し者となった。
そうした事をした所為で、カロキヤ公国軍の士気は下がる一方であった。
更に今回の遠征軍は軍規に緩いという面があるので、味方を処刑されたと聞いて次は自分達が何かしらの理由を突き付けられて処刑されるのではという思いが、カロキヤ公国軍の将兵達の心中に生まれた。
普段ならばそんな事も分からないブラスタグスでは無いのだが、今は怒りの感情で頭の中が一杯だったので、其処まで思い至る事は無かった。