第135話
リカルド達と別れた信康とティファの二小隊は、脇道を道なりに進んでいた。
デコボコの道だが、周りの風景は草原が広がっていた。
「ふむ。中々見晴らしが良いな」
「そうね。これだけ何も無かったら、敵が強襲して来ても直ぐに対処出来るからね」
信康は周囲を見ながら零すと、ティファは隣で答えた。
左側を信康の第四小隊が右側に列を作り、ティファの第七小隊が左側に列を作って進むという、衝軛陣を敷きながら進んでいる。
というよりもティファが信康の隣に居るので、自然とこんな風な陣形になった。
衝軛陣は行軍でよく選択される陣形なので、別にこの行軍に使う事に違和感など無い。しかし二人の後ろの居る小隊員達は、信康とティファの関係を怪しんで歩きながら小声で話す。
「なぁ、あの二人。ちょっと怪しく無いか?」
「だよな? それに見て見ろよ。ティファ小隊長も、第四小隊と一緒の装備を一式持ってるぜ。個人であんな大金を払えたとは思えねぇよ」
「あれじゃない? 実はうちのノブヤス小隊長がティファ小隊長の気を引きたくて贈呈したんだと思うわ」
「馬鹿言え。たかだか気を引く為だけに、あんな高価なモンを送るか? お前だって、この三つでどれだけ掛かるか知ってるだろう?」
「でもよ。ノブヤス小隊長は金を持ってるから、別に一式贈る位の金は出しても惜しく無いと思うがなぁ」
「確かにな。ティファ小隊長は良い女だ。女好きのノブヤス小隊長なら、平気で出しそうだよな」
「いやいや。お前等はそう言うけどよ、ティファ小隊長はかなりの腕利きだぜ。きっと溜め込んでいた金を出して一括で購入したんだよ」
「いやいや、実はもうティファ小隊長とうちのノブヤス小隊長は既に出来てるって話はどうだ?」
小隊員の一人がそう言うと、暫く会話が無くなり沈黙が訪れた。
「お、おい。お前等、何か言えよ」
「いやぁ・・・実はそうなんじゃねぇかと思っちまってな。ノブヤス小隊長なら、とっくの昔にティファ小隊長を口説き落としていても俺ぁ驚かねぇよ」
「俺はそうは思わねぇな。あのティファ小隊長が、そんなあっさりと口説き落とされるか?」
「でもよ、二人は御似合いだとは思うぞ」
小隊員達は信康とティファの関係に関して、そう話し合っていた。
(ティファは既にノブヤス様の女だと知ったら、彼等は驚くでしょうね)
ルノワは小隊員達の話を、聞きながら思った。
黒森人族の聴力は、数キロ離れた所の囁き声でも聞こえる程だ。
なので小隊員達の話は、ルノワには丸聞こえだった。尤も、信康とティファは二人で話し合うのに集中していて、後ろに居る小隊員達の話し声が聞こえていないみたいだったが。
それから小隊員達の話は、ティファから自分の小隊の女性小隊員についての話になった。
「やっぱり、ルノワじゃねえか? あの褐色の肌が余計にエロく見えるぜ」
「いやいや、鈴猫の引き締まった足も悪くねえだろ」
「それを言ったら、ジーンもあれで脱いだら凄いんじゃねえか? 分からねえけど」
「トモエも色っぽいだろうよ。大和撫子って言うんだっけか? だけどレムリーアの爆乳も、捨てがてぇよなぁ」
「だったら、メルティーナの方も良いと思わねえか? あの人形みたいな顔立ちは見ていて、生唾を飲み込んじまいそうだぜ」
「それならよ。イセリア様の雰囲気も良いだろう。あの女王様みたいな雰囲気」
「「「「あっ? ねーよ」」」」
「えっ⁉」
そう言って、四小隊の女性小隊員について、あれこれ話し出す。
まだ戦が始まっていないとはいえ、少々気を抜き過ぎではと思うルノワ。
そろそろノブヤスに一言言って気を引き締めさせようとしたら、不意に耳に何か聞こえた。
「あら? 何かしら?」
ルノワは耳に神経を注いだ。
あらゆる音を聞き逃さないとばかりに、魔力も注いで聴力を集中させる。
そうして聞こえて来たのは、悲鳴だった。
「悲鳴!? 何処かで戦闘でもしているの!?」
何処から聞こえるのか、よく聞こうと耳をこらすルノワ。
よく聞くと足音と悲鳴は聞こえるが、戦闘していると思われる音が少ない。
まるで、村が野盗にでも襲われて、慌てて対処している感じだと思うルノワ。
(野盗等が村を襲うのは不思議では無いけど、此処ら辺は何時、戦場になるか分からないのにするのはおかしいわね)
これで戦っている最中、ならばまだ分かる。だが、ここら辺に居れば戦争に巻き込まれると分かっていて村を襲う盗賊などそうはいない。両軍から始末されるのが、目に見えているからだ。
(野盗の仕業ではないとしたら、カロキヤ軍? でも、それほど数は多くない。それでも百以上は居るわね)
ルノワは手に入れた情報を、そのまま先頭に居る信康とティファに話す事にした。
「ノブヤス様っ! ティファ小隊長! この先の村で、戦闘音と悲鳴が聞こえておりますっ!!」
ルノワのその一言で、二小隊は騒然となった。
「進め進めっ!! せめて村がどんな状況かだけでも、確認するぞっ!!」
信康はルノワの話を聞くと直ぐ様、自分の第四部隊を最大速度で先行させる。その中でも信康が最も速く、愛騎である斬影を襲歩の速さで走らせていた。
信康のあまりの速さに、付いて行けているのはルノワだけだった。因みに同行しているティファも信康に付いて行きたかったが、歩兵小隊である麾下小隊の第七小隊を置き去りには出来なかったので残る事となった。
現在のティファは苛立ちながら、麾下の小隊員達に駆け足で駆ける様に命じて信康及び第四小隊に追い付こうとしていた。
第四小隊にはトモエの他にも信康の速度に付いて行ける小隊員達が何十人か居たのだが、信康に同行する事は出来なかった。
何故なら第四小隊と言えど、まだ全員が馬術に長けていると言う訳では無いからだ。一番乗馬が下手な隊員だと、駆足で落馬しない様に走るのがやっとだ。これでも凄いのだが乗馬術に長けている信康からしたら、やはり不満でしかなかった。
バラバラで駆ければいざと言う時に敵軍に襲撃を受ければ、各個撃破される危険性がある。なので指揮を任されたトモエは、第四小隊全体で出せる速度で走行していた。
そして駆けていると、ルノワが前方を指差した。指差した先には、村があった。
「あそこですっ!」
「急行するぞ! ルノワ! 後から付いて来いっ!!」
信康はそう告げると、真っ先に駆け出した。
漸く目的地の村が良く見える所まで来ると、其処は阿鼻叫喚の地獄絵図であった。
馬に乗った襲撃者達が、血に濡れた武器を振るい人を斬っていた。
襲撃者達が武器を振るう度に、村の住人の身体が斬り裂かれ倒れて行く。
男性は老人だけが容赦なく殺され、女性はある程度の歳を取った中年女性と老婆だけ狙って殺されていた。
子供と若い女性はというと兵士が武器を持っていない手で捕まえて、小屋に放り投げる。
男達も鍬やら木の棒やらを構えて応戦しようとしたが、腰が引けて上手く反撃が出来ていない。しかし何故か斬られても、殆ど殺されずに生け捕りにされていた。
「はっはは、そんなへっぴり腰だったら、虫も殺せねえぞ!」
「ぎゃっ!?」
襲撃者の一人がそんな村人達を見て嘲笑しながら、剣を振るう。
その攻撃を受けて、村人はまた一人倒れた。
「あんたっ!?」
小屋に押し込まれた村人の女性の一人が小屋についている窓から、倒れた村人の男性を見て悲鳴をあげる。
「おっ。あれはお前の旦那か?」
「へへへ、そうかい。だったら」
小屋の中に居る村人達が逃げ出さない様に見張っている襲撃者達が、女性の悲鳴を聞き付けて楽しそうに嗤い出す。
そして襲撃者の一人が、今倒れたばかりの村人の男性に近付く。
村人の男性は身体を斬られたとはいえ、まだ息があった。治療すれば、十分助かると思われた。
しかし兵士は、まだ村人が生きているのを見て嗤う。
襲撃者は村人の男性の頭を掴み、小屋の窓の所まで進む。
痛みで気を失っていた村人の男性は、引き摺られた事で気を取り戻した。
襲撃者が村人の女性に、村人の男性の顔が良く見える様にした。
「ほら、お前の旦那はまだ生きているぜ。何か声を掛けたらどうだ?」
襲撃者にそう言われて、悲鳴を上げた村人の女性は夫である村人の男性に声を掛ける。
「あ、あんた。大丈夫なのかい?」
「うっ、うぅぅ・・・・・・お、おまえ」
村人の男性は痛みに震えながらも、妻である村人の女性に手を伸ばす。
村人の女性も村人の男性の手を握ろうと、自分の手を伸ばした。
後数センチで、互いの手が重なるとい所で、ドスッと村人の男性の足に、剣が刺さった。
「ぎゃああああああっ!?」
「あ、あんたっ!?」
足に走った痛みに、悲鳴を上げる村人の男性。
村人の男性を掴んでいる襲撃者が、村人の男性の足に自分の剣を刺していた。
「はっははっ! ほらほら、最期の会話になるかも知れねえんだ。気が済むまで話したらどうだ?」
兵士はグリグリと柄を弄りながら、傷付けている村人の男性に話し掛ける。
痛みに悶える村人の男性を、襲撃者は楽しそうに見る。
「ぐっ、ぐううううっ!」
「あんたっ!? あんた⁉」
「ほらほら、どうした? 最期になるかも知れねえんだぞ。気が済むまで話せよっ!」
襲撃者は村人夫婦を、嗤いながら言う。
そして、剣を抜き男性の首筋に剣を突き立てた。
「ぐぶうううっ⁉」
「あんたっ!?」
「おっと、こいつはもう駄目だな」
襲撃者は剣を男性の首筋から抜いて、死体を放り投げた。
投げ捨てられた男性は少し転がった後、そのまま動かなくなった。
女性は窓から声を掛けるが、男性は何の反応を見せなかった。
そして、襲撃者は血塗られた剣を構えつつ、次の獲物を見つける為に周囲を見回した。
「あん?」
突然、突風が吹いた。
すると、襲撃者の視界が横にズレた。
何でだと思っていると、そのまま視界はズレて行ってしまう。最期には自分の身体が、見える様になった。
(あれ? 俺の身体は立っているのに、どうして、頭は動いているんだ?)
襲撃者はそう思いながら、頭が地面に当たる感触を味わう。
そして自分の首が斬られた事が分からぬまま、意識を失った。
「やれやれ・・・略奪や虐殺をするのは戦場にあるありふれた闇の風物詩の一つで別に不思議じゃないが・・・流石に見ていて気分がいいものではないな」
血に濡れた鬼鎧の魔剣を持ったまま、信康は呟く。そして不愉快そうに、斬り捨てた襲撃者の首に唾棄した。
「な、何だ。手前は?」
仲間が斬殺されたのを見て、襲撃者達が武器を構えて信康に突き付ける。
「ふん。野盗かと思えば・・・その軍装、カロキヤ軍の兵共だな? 正規軍が真昼間から略奪とか虐殺とか、征西軍団はやはり軍紀というのは無さそうだな」
「手前、質問に答えろっ!?」
「ああ、俺はプヨに雇われた傭兵だよ」
「傭兵だと? はっはは、だとしたらお前は馬鹿だな」
カロキヤ公国軍の兵士の一人が、信康に武器を突き付けながら嗤う。
「何故だ?」
信康は武器を構えながら、カロキヤ公国軍の兵士に尋ねる。
「これだけの数を、一人で相手出来る訳無いだろうがっ!? そんな事も分からないなら、お前は馬鹿だなっ!」
カロキヤ兵の一人がそう言うと、周りのカロキヤ兵達は嗤い出す。
確かにこの場に居るだけでも、カロキヤ公国軍の兵士は百人前後は居る。信康はその一人を、不意打ちで斬り捨てたに過ぎない。
対して信康は、一人しかいない。
この状況なら、誰が見ても信康は不利だと思われた。
だがそんな状況でも信康は、何とも思っていなかった。
「お前等なんて、俺一人でも十分だよ。尤も、今回は一人じゃないもんでね」
「何っ? どう言う・・・」
カロキヤ兵が訊こうとしたら、信康は手を上げた。
すると緑色の矢の雨が、カロキヤ公国軍に降り注いだ。
『ぎゃああああああああああっ!!?』
突如降り注いだ緑色の矢の雨に、カロキヤ公国軍は何も対処が出来なかった。
身体の何処かに矢が当たり、倒れる者。矢が全身に当たり針鼠みたいになる者。矢が急所に当たり、一撃で絶命する者など色々居た。
しかしその緑色の矢は信康にも、まだ生き残っていた村人達にも、そして馬にも一本も当たらなかった。
矢の雨が無くなる頃には、立っているのは信康と村人達だけであった。
カロキヤ兵達は全員、身体の何処かに刺さった矢で倒れていた。
何人か軽傷で済んでいるカロキヤ兵も居るが、足などを撃ち抜かれて歩くのもままならない様子だ。
「が、い、いてえ・・・・・・」
「ど、どこから、これだけの、やを」
カロキヤ兵の一人がそう呟くと、緑色の矢は消えた。
「これは、魔法か?」
カロキヤ兵の一人がそう呟く。
「その通り」
信康は別に答えなくても良いのだが、その呟き答えた。
そしてある家の屋根に、目を向ける。
だが、不思議な事にそ其処には誰も居なかった。
「ご苦労だった。見事だ」
信康は誰も居ないのに、声を掛ける。
「お褒めのお言葉、ありがたく。ですが、大した事はしていません」
すると誰も居ない所から突然、声が聞こえた。
信康以外の村人やカロキヤ兵は何だと思っていると、空間が揺らめいた。
そして、ルノワが姿を見せた。
「黒森人族!」
ルノワの姿を見た、カロキヤ兵の一人が叫んだ。
基本的に黒森人族は優れた魔法使いでもあり、戦士でもある。
事実、ルノワは狩猟神の指環で隠蔽を唱えてから誰にも見つかる事なく屋根に登り、そして疾風の矢弾の魔法で何時でも狙撃出来る様にしていた。
ルノワの準備が整ったので、信康は派手に登場したのだ。
(まぁルノワが居なくても俺一人でこんな連中、簡単に殲滅出来たけどな)
信康は自分の技量を鑑みて、カロキヤ公国軍の殲滅は簡単だと判断していた。
これまでの経験上、これよりも遥かに多い人数差で戦い勝利して来た事もある。たかだか百人前後など、信康にとって何一つ問題は無かった。
信康は考えていると、第四小隊がやって来た。
ルノワも屋根から降りて、信康の傍に寄る。
「ノブヤス小隊長。少し遅れてしまい、申し訳ありません」
「気にするな。それよりもお前等の身体の所々に、血が付いているぞ? 人数は半数しかいないし、襲撃でも受けたのか?」
トモエ達の身体には血が所々ついており、更に得物も血で濡れていた。
「はい。この村に来る途中で逃げた村人を追撃していたのか、それとも待ち伏せされていたのかは知りませんが百騎程度の騎兵隊が襲い掛かって来ました。その騎兵隊を殲滅するのに忙しかったので、こちらに来るのが遅れました」
「ほう、殲滅したとな? それよりも第四小隊の損害は?」
「ありませんよ。サンジェルマン姉妹が開発したこの魔鎧の御蔭で、誰一人掠り傷すら負っていません。こちらに攻撃が通用しない事に動揺した隙に、敵騎兵隊を包囲殲滅しました。更に敵指揮官を含め三十名前後を捕虜にし、八十頭以上の軍馬の鹵獲に成功しております」
「素晴らしい。じゃあ、取り敢えずは・・・」
信康は倒れている、カロキヤ兵と村人達を見た。
「村人達の治療と、敵さんの捕縛でもするか。総員、倒れているカロキヤ兵共を武装解除してから拘束しろ。その中で重傷かつ手遅れと思われる奴等が居たら・・・レムに治療させるのも面倒だから、止めを差して楽にしてやれ」
信康が指を鳴らしてそう指示すると、トモエ達は直ぐに行動を開始した。トモエの指揮の下、次々とカロキヤ兵達が次々と止めを刺されて逝くか、得物と鎧を没収されてから拘束されて行った。
しかしカロキヤ兵の中で一番軽傷で、足に傷が無い者が得物を振るって暴れ始めた。
「捕まってたまるかっ!?」
ガムシャラに得物を振るうので、小隊員達は迂闊に近付けなかった。
その隙をついてカロキヤ兵は、傷口を抑えながら立ち上がり逃げ出した。
「ふっ、愚かな」
トモエは鞍に着けていた、自身の愛弓を取り出した。
第四小隊に支給された連弩では無く、長弓と言える大きさの弓だった。
トモエは鞍に着けている矢束から矢を抜く。
信康は足を狙えと、トモエに指示する。
トモエも頷き、矢を番えてカロキヤ兵に狙いを定める。
十分に矢弦を引いたので、今放とうとした瞬間にそれは起こった。
「ぎゃばっ!?」
走って逃げていたカロキヤ兵が、馬上槍で貫かれて即死した。
信康率いる第四小隊で、馬上槍を扱う小隊員は居ない。何より何処から飛んで来たのかと驚いていた。
何処から投げ込まれたのかと信康達が思っていると、バサバサっと言う羽音と馬の嘶きが聞こえた。
「上かっ!」
信康達が上を見ると、其処には翼を持った馬に騎乗した騎士達が居た。
「翼が生えた馬・・・天馬か」
「此処の国で有名な天馬に騎乗した一団と言えば、第四騎士団しかいねえ!?」
「第四騎士団か」
信康は得物を持っていない手で、顎を撫でる。そして直ぐに行動に移った。
信康はルノワに視線を向けると、ルノワは目配せだけで信康の意図を理解して首肯した。そして収納の魔法を唱えると、発生した黒穴からある物を取り出した。
ルノワが取り出したのは、信康から預かっていたプヨ王国軍の軍旗だった。信康は満足気に頷くと、ルノワはそのプヨ王国軍の軍旗を近くに居たジーンに渡した。
「ジーン。今直ぐこの軍旗を振って、第四騎士団に傭兵部隊は友軍だと伝えろ」
「お、おうっ!」
プヨ王国軍の軍旗をルノワから受け取ったジーンは、信康の命令で直ぐにプヨ王国軍の軍旗を力強く振るった。それを見てルノワ達は、第四騎士団が自分達をカロキヤ兵の仲間を勘違いして攻撃して来る事は無いと安堵した。
しかし信康だけは、油断していなかった。敵軍の軍旗を盗んで味方を偽装するのは、在り来たりな基本戦術だからだ。問答無用で攻撃する可能性は大きく減っただろうが、まだ第四騎士団は自分達を警戒しているだろうと考えていた。
信康が考え込んでいると天馬に乗った騎士達の中で、一番豪奢な装備をしている騎士が降りて来た。そして信康の前まで来た。その際にチラッと、ジーンが手に持っているプヨ王国軍の軍旗を確認した。
「・・・貴方の所属を教えて頂けますか?」
「はっ・・・はっ! 自分はプヨ王国軍近衛師団傘下の、傭兵部隊に所属している者ですっ」
訊ねて来た騎士に、信康は敬礼しながら所属を答えた。
誰であろうとそうしたが、眼前の騎士が只者では無いと直ぐに見抜いていた。
(やべぇな。こいつは強い)
一目見た瞬間、分かった。
もしこの騎士に本気で勝とうと思うなら、鬼鎧の魔剣の全能力を開放しなければ勝てないかもしれないと真剣に思った。
無骨な兜で顔は見えないが視界を確保すための隙間から、見える青い瞳を見ただけで武者震いが走った。
プヨ王国に来てから今日まで、背筋が震える敵に出会った事も無かった。なので想定外の存在を前に、驚きながらもその力量を理解する。
信康がパリストーレ平原の会戦で一騎打ちをした真紅騎士団の十三騎将であったダーマッドなど、子供に見える力量差だ。それだけ目の前に居る騎士が、強いという事が分かる。
これが敵ならばいざ知らず、味方と同士討ちなど何一つ利益が無い。なので早々に、信康は所属を答えたのだ。
「そうでしたか。失礼しました」
そう言って軽く謝罪をすると、眼前の騎士は気を緩めた。
得物らしい得物を持っていないのに眼前の騎士は、もし信康達がカロキヤ公国軍だった場合を考えて素手で戦う心算だった様だ。
甘く見られたものだと苛立ちながらも信康は表情には出さずに、鬼鎧の魔剣に付いた血糊を一振りして払いながら眼前の騎士を改めて観察した。
兜と同じく無骨な甲冑を着ているが、胸の所に膨らみが有る所を見るとどうやら目の前の騎士は女性みたいだ。
得物は恐らく先刻信康達から逃走を図ろうとしたカロキヤ兵を貫いた、馬上槍と考えられる。
女性の身であれだけ大きい馬上槍を扱えるなど、素直に凄いと思う信康。
「改めて名乗らせて頂く。自分は傭兵部隊第三副隊長であり、第四小隊小隊長の信康と申します。失礼ながら、御身の御名前をお聞かせ下さらぬか?」
信康は敬礼しながら、そう眼前の女性騎士に訊ねた。
挨拶をすれば、向こうも返してくれると思っての事である。
「これは御丁寧にどうも。私は第四騎士団団長、フェリビア・フォン・パルシリアグィンと申します。以後お見知り置きを」
信康の敬礼に、丁寧な自己紹介で応えたフェリビア。
これが後の世にその美貌と槍術の腕前から『戦女神』と謳われる、フェリビアと信康との最初の邂逅であった。