第130話
「それで?・・・何で朝帰りになったか理由を聞こうか。お前達?」
ヘルムートは兵舎の入り口で仁王立ちしながら、足元に座っているリカルド達を見下ろす。
リカルド達は、静かに兵舎にある自分の部屋に戻って、後は二日酔いで起き上がれなかったと適当な言い訳で誤魔化すという事にしようと、兵舎に来る前に話をしていた。
だが兵舎の玄関に入る為に扉を開けようとしたら、丁度ヘルムートが外に出ようとしていたのだ。
ヘルムートは四人を見るなり、静かに座れと命じた。
静かな怒りを感じた四人は、その場で大人しく座った。そして現在に至る。
四人は肘で隣にいる者を突っつき、お前が言えと無言で押し付けあっていた。
いい加減誰も話さないので、ヘルムートは一発喰らわせようかと指をペキペキ鳴らしだした。
それを見て、カインが慌てて話し出す。
「そ、総隊長。俺達はちょっと、酒を飲み過ぎて酒場で一晩明かしたんですよっ!」
酒を飲んでいたのは、本当なので嘘ではない。
ヘルムートも息を吐いた。
「ああ、それな。その件ならさっき、ノブヤスから聞いた。あいつがお前等の代わりに外泊届も出していたから、朝帰りそのものを咎める心算は無い」
ヘルムートがそう言ったので、四人は安堵の息を吐いた。
(た、助かったっ)
(ノブヤスの奴に感謝しないとなっ)
(だな)
(これで、お小言を我慢すればもう大丈夫だろう)
四人は小声で話す。
ヘルムートの後ろにある扉に、リカルド達を伺う者が居た。
信康であった。
(どうやら、後はお小言もらえば許してくれる雰囲気だな。俺が外泊届を出していなかったら、もっと面倒な事になっていただろうな)
扉越しに聞いているが、何となくだがどんな状況なのか分かる。
あのまま付いて行けば、自分もリカルド達と同じになっていたと思うと背筋が凍る思いだ。
そしてバーン達がしたい事も分からなくも無いので、無断外泊にならない様に外泊届を提出しておいたのである。
このまま行けば大丈夫だろうと思っていたが、そうは上手く行く程ヘルムートは優しく無かった。
「・・・今にも敵軍が攻め込んで来る状況で、のんびりと酒を飲みに行って朝帰りなど不謹慎の極みではあるが、事前に禁止しなかったから手前としてこれ以上は言わん。これだけならな・・・・・・・」
何故か、最後の言葉をこれでもかと強調しているヘルムート。
「どう言う意味ですか。総隊長?」
リカルドは意味が分からず、首を傾げる。
他の三人も同様に、首を傾げた。それは扉越しの信康もだった。
「はぁ~、お前等、本当に分からんか。ああ、そうか。人間自分の体臭は分からないって聞いた事があるけど、あれは本当だったんだな」
ヘルムートは呆れた様に、溜め息を吐いた。
「お前等、娼館に行っただろう」
「「「「っ!?」」」」
四人は目を見開き、肩をビクッと跳ねた。
ヘルムートの言い方が疑問ではなく断言していた。
まるで、お前等が娼館に行ったのは知っているんだぞと言っているようであった。
「隠しても無駄だぞ。お前等、香水臭いんだよ」
ヘルムートの言葉を聞いて、信康は顔を覆った。
娼婦は香水をつけるので、一晩相手にすれば香水の匂いがしてもおかしくない。
(これじゃあ、擁護フォローのしようが無いな。御愁傷様)
信康はそう思いつつ、顔を手で覆いながら横に振る。
「こっちは戦いの準備で忙しくて、俺は女房とするどころか顔すら見ていないのにお前等は娼館のねーちゃん達とよろしくやるとは、良い度胸だな!?」
ヘルムートは個人の怒りを込めて吼えた。
若干と言うか全く軍務に関係無い私情しかない個人的な事も言っているが、誰も指摘する者は居なかった。
「今日という今日は言わせて貰うがなっ!? バーン! カイン! ロイド! お前等はちゃんと訓練しているのか!? 俺が訓練場を覗いた時には、訓練しているのは女性陣とリカルドとノブヤスだけだぞっ! お前等三人の所は、ずっと自主訓練させていたじゃねえか。隊員に聞いたが訓練は午前中だけして、午後は飲みに行くそうだな!?」
「「「げえっ!?」」」
バレたという顔をする三人。
それは、ちょっとないなという顔をするリカルド。扉越しの信康は、サボり過ぎだろと呆れ果てていた。
「そんな浮かれた気持ちだから、娼館に行って朝帰りなんて嘗めた真似事をするんだな。今日の調練だが、一つの訓練場で合同でやって貰うっ! お前等三人の三小隊は監視も兼ねて、俺が一日中見学するからなっ!」
「「「そ、それはっ」」」
「何だ? 文句でもあんのか?」
ヘルムートは据わった目で三人を見る。
「「「いえ、ありません」」」
「よし。それとリカルド」
「はっ、はい」
「お前は普段、朝から晩まできっちり調練をしているからな。普段の真面目で勤勉な態度に免じてこれ以上、俺から何かを言う心算は無い」
「い、良いんですか?」
「構わん。分かったら調練に入れ。良いな?」
「分かりました!」
リカルドは笑顔で応えた。
逆に、バーン達は不満そうな顔をした。
リカルドに甘くないか? と思っている顔だ。
「日頃の行いだ。お前等ももっと真面目に訓練していたら、俺も此処までせんよ」
ふんっと息を吐くヘルムート。
「さてと、説教は此処までだ。お前等、もう訓練場に行って良いぞ。ただし、俺が行くまでにはちゃんと調練をしろよ。良いな?」
ヘルムートが笑顔で言うので、四人は激しく首を縦に振る。
「よし。じゃあ駆け足っ!」
ヘルムートが手を叩くと。四人は慌てて立ち上がり訓練場に駆けだした。
四人の見送ったヘルムートは息を吐いた。
「そろそろ、出て来たらどうだ。ノブヤス」
信康は気付かれたかと思い、素直に出て来た。
「おやっ? 気付いていましたか?」
「うん。ああ、これでも気配を察知するぐらいは出来るからな」
「気配を消してなかったからな。流石にバレたか」
信康は頭を掻いた。
「何だ? あいつ等が、どうなるか気になったか?」
「まぁ、昨日は殆ど行動を一緒でした。一歩間違えていたら、俺もああなっていたんだし」
「お前がああなっても、まぁ、あれだ。リカルドと同じで説教だけだったろうな」
「依怙贔屓だと思われませんかね?」
「日頃の行いだ。お前は他の諸将奴等に比べても・・・と言うか、かなり厳しく調練しているからな。それぐらいしてもバチは当たらないだろう」
「ありがたい事で」
「それで、お前の小隊は自主訓練か?」
「俺が戻るまで、そうしろと言っておきました。今から戻りますよ」
「そうか。ならお前も戻ると良い」
「了解。じゃあ、行くとするか」
信康は訓練場に行こうとしたら、車輪の音が聞こえてきた。
何だと思って音がした方を見ると、二頭立ての馬車が居た。
速度はそれほど早くないので、並足で進んでいる様だ。
馬車は兵舎の前で停まった。
御者席に座っていた男の御者が、降りて踏み台を用意していた。
「アンヌエットお嬢様。到着しました」
「そう」
馬車の中から、女性の声が聞こえた。
御者が馬車の扉を開けると、一人の女性が出て来た。
黒いファーが付いたコートのボタンをしないので、女性の身体がもろに出る服を着ているのが分かった。
動く度に豊満な胸が上下に動く。腰はくびれていた。
刃みたいに切れ長の目元。上品そうな顔立ち。
横に跳ねた短髪の銀髪。金色の瞳。ガリスパニア地方でも、中々お目に掛かれない瞳であった。
「?」
信康はこの美女の顔を見て、首を傾げた。
(はて? この女の顔。何処かで見た覚えがあるぞ)
何処で見たか思い出そうとしたが、頭に靄が掛かりどうにも思い出せなかった。
頭を悩ませている信康を尻目に、女性は馬車を降りてヘルムートの前まで来た。
「貴方が、傭兵部隊の総隊長殿かしら?」
「あ、ああ。近衛師団傘下傭兵部隊総隊長のカルナップ・ヘルムートだ。貴女は?」
女性は頭を下げて、一礼した。
「失礼。私は神官戦士団が一つ、火と戦の神アレウォールスが一派。炎龍戦士団の第一部隊長を務めるアンヌエット・グダルヌジャンと申します」
「神官戦士団の者か。何用で?」
「ちょっと、訊きたい事があって来たのよ。今はお時間、良いかしら?」
「え、ええ。立ち話も何なので、中へどうぞ」
「では、入らせて貰いましょう」
「グダルヌジャン・・・・・・・あっ、思い出した」
信康は手を叩いた。
「そうか、ルティシアの親族か・・・」
信康が納得した様子で、小声で呟いた。すると信康の呟きが聞こえたのか、アンヌエットは顔を顰めた。
「何よ、あんた。もしかして、ルティシアあいつの知り合いなの?」
先程までは、丁寧な言葉遣いであったが、ルティシアの名前を聞いた途端、蓮っ葉口調になった。
ヘルムートは突然口調が変わって驚いていたが、御者の男はまたやったという顔をしていた。信康はアンヌエットの口調と呟きを聞かれた事に驚いて面食らった、直ぐに丁寧に返答する。階級や肩書で言えば、ヘルムートですらアンヌエットより少し下か漸く同等だ。なので信康は所属は違えど、上官としてアンヌエットと接する事にした。
「知っていると言えば知っていますが・・・なりかけ討伐で一度しか会ってないから、知り合いと言える程でも無いんだよなぁ」
「なりかけ討伐?・・・もしかしてルティシアあいつが言っていた東洋人の傭兵って、あんたの事でしょう? あんた、名前は?」
「俺は信康。近衛師団傘下傭兵部隊所属、第三副隊長兼第四小隊小隊長をしている者です」
「ノブヤス・・・ああ、噂には聞いているわ。カロキヤ軍を撃退する策を献策して、十三騎将の一人すら討ち取ったと言う腕利きの傭兵ね」
「ははははっ。偶々上手く行っただけの話ですよ」
「ふ~ん」
アンヌエットは信康を値踏みする様な視線を送る。
「・・・・・・それなりに出来そうね」
「お褒めにあずかり恐悦」
信康は手を胸に当てて一礼した。
「ふん。傭兵如きが、そんなに綺麗なボウアンドスクレープをしなくても良いわよ」
鼻で笑うアンヌエット。しかし内心では、信康の綺麗な礼儀作法に驚いていた。傭兵とは礼儀作法に基本的に無縁なので、信康が礼儀作法を身に付けている事実に驚くのも無理は無い。
一方の信康はアンヌエットにそう言われても、何とも思っていない顔をしていた。
アンヌエットの反応が昔、良く遊んだ幼馴染み兼妻妾とそっくりだったからだ。
(あいつも憎まれ口を叩いていたな。今頃、どうしているかな?)
故郷で元気に過ごしていると良いなと、切実に思う信康。
「ちょっと、何処を見ているのよ? 私と話していて、目を合わせないなんて失礼よ」
「ああ、すまない・・・一つ、訊きたい事があるのですが」
「何かしら?」
「ルティシア嬢とは、もしや双子で?」
「なっ!?・・・コホン。何も言ってないのに、良く分かったわね?」
「お顔が、良く似ていたものですから」
信康はアンヌエットに顔を近付ける。
「な、何よっ」
いきなり、顔を寄せられて驚くアンヌエット。
「いや、綺麗な金色の瞳だなと思いましてね」
「は、はぁっ!?」
「黄金きんみたいで、不純物が何も入っていない綺麗な色だ。見ていて飽きないな」
「な、何を言っているのよ。こいつっ!」
「んっ? よもや、照れているので?」
信康は手を伸ばして、アンヌエットの頭を撫でた。
「はっはは、意外と可愛いものがありますなぁ」
信康は笑いながら、乱暴にアンヌエットの頭を撫でる。
「・・・・・・・やる・・・」
「うん? 何か言いましたか?」
「塵一つ残さず燃やしてやるって言ったのよ!?」
アンヌエットの手に突然、炎が生まれた。
「おお、魔法も使えるのか・・・いや、当然か」
「そんな事を言っているのも今の内よ!?」
炎が剣の形になり、アンヌエットの手の中に納まった。
「覚悟しなさい。私を揶揄って、生き残っていた奴は一人も居ないのだからっ!?」
「はっはは、じゃあ。俺がその一人目になってやるよっ」
「~~~っ、こんの~」
アンヌエット魔法で出来た炎剣を振るう。
一つ一つの振りが、ちゃんとした訓練で鍛えられた動きをしていた。
それも達人の域に入る鋭い動きだ。
しかしアンヌエットが振るう炎剣は、一向に信康には当たらない。
「はっははは、どうしたどうした。全然当たらないぞ~」
「この、避けるな。男なら当たれっ」
「流石にそれは無理な相談だ。当たったら、痛いし肉も焼けるではないか」
信康はアンヌエットへの敬語も忘れて、煽りながら炎剣を避けていた。
アンヌエットは頭に血が上り易い性格みたいで、怒って太刀筋が乱れていた。
そんな乱れた太刀筋では、幾ら達人級の腕前があろうと信康ならば簡単に躱せる。その証拠に、信康は両眼を閉じて避けていた。そんな信康の舐め腐った態度を見て、余計にアンヌエットの頭に血が上り太刀筋が乱れるという悪循環であった。
「えっと・・・・・・・」
信康とアンヌエットが突然、追いかけっこしだしたのでどうしたものかと悩むヘルムート。
「お嬢様。元気にはしゃいでおいでで、私は嬉しゅうございます」
御者は信康を追い駆けるアンヌエットを見て、喜びの涙を流していた。