真相と和解~シェリアル、シチフサと語らう
シチフサは、エンキのマナの入った琥珀を抱えて、広間の真ん中にぽつんとしゃがみ込んでいた。
サピエンスもミアキスヒューマンも、種族の分け隔てなく、家族は子供を挟んで川の字に、恋人や夫婦は仲睦まじく寄り添い、年かさの男どもは馴染みや朋輩と輪になって、女はその傍らで微笑ましく眠っている。
「初代のように種を越え、互いを労り助け合う」エンキが望み願い、叶わなかった平和な世界を具現した光景だった。
ダキアを掴んで何処かに飛び去った後、戻ってきたエンキは、ひどく興奮していた。「なぜだ、なぜだ…」「悲しい、苦しい」と泣きながら脅え狂ったように、手あたり次第民衆の駐屯兵の記憶を消し去り、アシルの城に誘導した。
シチフサにエンキの狂騒を止める手立ては無かった。
二年の間、包み隠さず互いの身の上を語り合い、心を通わせてきたシチフサには、ダキアの感情に、100年前のフラッシュバックを起こしたエンキの気持ちが痛いほど理解できたからだ。
……エンキおじさんはもうすっかり消えかかって、かろうじて琥珀の中に、本当に微かに姿が見える程度まで弱ってしまった。エンキおじさんが消滅して、ここで安らかな顔で眠っている皆が目覚めたら僕はどうなってしまうんだろう。僕はもう死んでいるから誰にも見えない。助けを求められない。 僕には、狼狽えて怯えることしかできなかった。
どうしてこんな事になっちゃったんだろう。助けて。僕はあの子にお礼を言いたい、アベストロヒさんに会いたい。たったそれだけなのに。
悲しくなって涙をぽろぽろこぼして泣いていたら、優しい声が、僕にシチフサと呼びかけてきた。
「シチフサ」
顔をあげると、あの子が、僕の顔をのぞき込んでいた。
忘れもしない、薄い緑色の混じった、綺麗な金色の瞳。
―あの子だ。
「教えて、シチフサ。あなたは何がしたかったの?」
咎めるわけでも怒りに震えているわけでもない、一生懸命励ましてくれた二年前のような、慈しみに溢れた温かい、優しい声。僕は感極まって泣きじゃくった。泣きじゃくりながら言いたかったこと、今まで言えなかった言葉を紡いだ。
「フロートから落ちた僕を助けてくれてありがとうって、お礼を言いたかったのに、それだけだったのに、いっぱい酷いことになっちゃって、ごめんなさい、ごめんなさい」
謝って済むことじゃないと分かっているけれど、僕は何度も謝った。
「どうして、私の記憶を消したの?」
「僕の事、覚えていなくて、それで悲しくなった、それで僕が悲しくなったのに気付いたエンキおじさんが記憶を消しちゃったんだ、それで僕、怖くなって、嘘を着いた、嘘に嘘を重ねて逃げて、ごめんなさい、ごめんなさい」
「どうして、殿下を攫ったの?」
「僕が、殿下さんを僕が怖がっ、たから、エンキおじさんが、僕を庇ったの、エンキおじさんは悪くないの、わるいのは僕なんだ、だからエンキおじさんを怒ったりしないで」
「この、アシル城の広間は」
「昔ここはエンキおじさんのお屋敷だったの、マナになる前、息子さんと甥っ子さんが喧嘩して、みんなが争い始める悲しい辛いことがあって、エンキおじさんはその時のことを思いだして、それで、みんなの記憶を消して、……ずっと泣いてたんだ……平和に暮らしてほしいって、」
―実のところ、記憶を取り戻してから、シェリアルはある懸念を抱いていた。
アシルの森で宮司姿のシチフサと遭遇した時。あれは殿下を亡き者にしてシチフサが殿下に成り代わるつもりだったのでは。単純で純粋な子供ならではの悍ましい思考がそうさせたのではという憂慮、危惧があった。
先刻、城に乗り込む前、ダキアには大丈夫だから、と言ったが、シェリアルに腹案なんてものは無い。息を引き取るまで終始礼を述べたがっていたというクマルビの言葉が一縷の望み、僅かな希望だ。
この胸の悪くなる想像が杞憂であることを祈るしかない。
もし、危惧した通りだったら私は全身全霊をかけてシチフサを拒絶する。二度と殿下に危害を加えさせない。浄化のマナで消えてもらうだけ。
そう固く決意して、シチフサの許に歩み寄ったのだ。
だから、こんな真相だとは全く想像していなかった。
ーシェリアルの目尻からほろりと涙がこぼれた。想像が杞憂であったことに半分安堵し、胸を撫で下ろした。緊張から解放され放心したせいか、婚礼の日からの交々が思いだされた。
ー初めて見た時の殿下は、黒い鬣のものすごくいかつい外見で、とても恐ろしかった。そんな見た目で婚礼の行幸そっちのけで逃げようとするなんて、あんまりな方だと思ったわ。だけど、行幸が決まってからは、いつも傍にいてくれた。なんでも答えてくれた。各集落を巡る道中、わからなくて困った事なんて無かった。
時々軽率なミスもするけれど、一生傍にいたい、同じ物を見て、同じ時間をすごして、時々悪だくみや悪戯に興じたり、意見があわなくて論争に花を咲かせるのもきっと楽しいわ。そうしてお互い理解を深めて、一生退屈しない最良のパートナーになりたい。そう心の底から思える優しい方。
残る半分は、そのダキアを傷つけた事に対してのやり場のない怒りだ。
シチフサは、国家間行事の妨害、王族への傷害、アシルの民とグラディアテュール駐屯兵を人質に王宮立てこもりと信じがたい重罪を犯している。
しかし、それもこれも非力でか弱い、幼きものと心弱い老人が互いを慈しみあった結果起きた、いわば避けようの無かった不慮の偶発的事故だった。
これが幾ばくかでも悪意があって起こしたものであれば、まだよかったのに。それなら怒りにまかせて……。
沸き立つ暗い感情を押しこらえ、シェリアルは自戒する。
人の上に立つ者として、感情の赴くままに判断をするべきではない。
それに。シェリアルは唇をきつく噛み締める。
―事態を避けようがあったとすれば、それは私だ。
あの婚礼の朝、殿下と両想いだったことに浮かれていた私が、シチフサが携えてきたスノーポピーの花を目にした時に、僅かでもシチフサのことを思い出していたら何も起きなかったのだ。
全ては、私のせいだ。
これは私が全てを呑み込んで丸く収めるべきだ。
……ぐしゃぐしゃに涙を零す僕の頭をあの子が、優しく撫でてくれた。
「そうだったのね」
……エンキおじさん、僕、あの子にありがとうって、やっと言えたよ。
シチフサが抱えていた琥珀から、エンキのマナが陽炎のようにゆらりと立ちのぼって消えていった。
長い時間をかけて浄化消滅するとされていたエンキのマナがどうして100年で消えたのかはわからない。




