前日譚・この世界の魔法の始まり 禁忌
狼ハーフが亡くなってサピエンスも子孫に研究を預けて没し、数十年が経った頃。サピエンスとミアキスヒューマンは種を越えた共存関係に移行しつつあった。
サピエンス子孫の一人が少々猟奇的な実験を試みようとしていた。
発端は、「そもそもマナって何?」から始まった疑問だった。彼の相棒で子供の頃から家族同然に暮らしている狼ニアサピエンスは、大きな耳をぴこぴこ震わせて、薬草を浸した水を注いだ素焼きの壺にマナの入った水晶を保存していた手を止め、「マナはマナだ」と返してよこす。
彼らの先祖の研究は、ミアキスヒューマンの集落の生活を大きく進歩させた。特にそれまで木の洞や岩穴、よくて掘っ建て小屋が関の山だった住処は、焼き煉瓦をつかった堅牢な壁で囲い、サピエンスと同等の邑まで発展していた。灌漑設備と貯蔵庫が出来たことで雑食性の系統も食うに困ることはなくなった。寒い冬に飢え死にすることも無くなった。外敵の猿や鹿や猪が来たら炎や雷を起こして撃退すればいい。暮らしていくのになんの過不足はない。
この薬草と共に水に浸して保存する方法も初代たちが発見した。マナの入った水晶を浸していた水は傷口の洗浄に使える。サピエンスの怪我も、マナを患部に直接あてがうより格段に早くなることが分かった。こうして持ち運びが出来るようになったことで、サピエンスだけでもマナを使った外傷の治療が可能になった。
「それじゃ返事になってない」
「お前は何を知りたがっているんだ?父や叔父や祖父がまとめてくれたものではダメなのか?」
狼のいう事は尤もだが、サピエンスが知りたいのは「マナの本質」だ。マナが治療、再生に携わる力の根源は何かという事。
サピエンスが語彙の限りを尽くしてこんこんと説明し、ようやく意図を理解した相棒は、うぅん、と唸って天井を向いた。
狼は、この少々偏屈なところがあるが柔軟な発想を持つサピエンスが好きだった。今も隣村のサピエンスが持ってきてくれた質のいい水晶を見て「薬草の種類を変えたら毒抜きも出来るんじゃないか」と指摘してきた。それで、実験するところだったのだ。
「改めて確認したいんだがいいか?サピエンスはマナが見えないんだよな」
サピエンスはおお、と力強く答える。
「マナは生き物の中にもあるんじゃないかなと思うことはある」
「え?」
「先日、二人で狩りに行っただろう?」
「獲物の鹿が死ぬときに、マナに似た、白い靄が抜けていくのが見えた」
サピエンスはしばらく思案していたがふいと顔を上げていった。
「それはいつも生じるものなのか?」
「?ああ必ずだ」
「解毒の薬草を採りに行くのを替わってやる、だからお前も俺の実験に手を貸せ」
その夜。
狼ニアサピエンスは野外で水を張った盥を手に満天の星を眺めてサピエンスの帰りをまっていた。
「出来るだけ口の広い器がいい」
そう言い残してサピエンスはでかけていった。確かにマナは綺麗な光を好む。どういうわけか金色の光の明るい夜にはマナは出て来ないから、この銀砂を一面に撒いたような満天の星空はマナを集めるにはもってこいだ。早速小さなマナが水面に揺れ始めている。単純にマナを集めるだけならこのまま夜明けまで待ってこごらせるだけでいい。後は水晶に掬い取るだけだ。
なんの実験をするつもりなんだかわからないのが少々気味悪い。あんまりいい気持ちの実験じゃない気がして帰りたいのだが、仕事を手伝ってもらった恩義があるから帰るわけにもいかないし。
「待たせたな」
戻ってきたサピエンスの手の中には巣立って間もないまだ口の端の黄色い雛がいた。雲雀の幼鳥だ。寒いのか保護色の枯葉色の毛を逆立ててぶるぶる震えている。
「じゃ、始めるぞ」
いうや否や、マナの集まり始めた水の中に雛を押し込んだのだ。
「何をしてるんだ!?」悲鳴をあげた狼にサピエンスが「早く閉じ込めろよ!」と怒鳴り返す。
何の実験か嫌でも分かった。分かってしまった。
生き物が死ぬときに現れる白い靄。あれを水晶に入れろと言っているのだ。
「もし、俺の考えが正しいなら、マナというのは生き物の根源だ。俺たちだって肉を食って魚を食って肉体を成長させる。それと同じだ。怪我は命を消耗させる。だから治癒に効力を発揮する」
だから、こうして死ぬ瞬間、出てきたモノを水晶に封じ込めて、それがマナならサピエンスの仮説は立証される。
「そうかもしれない、そうかもしれないけど」
まだ幼い雛を無理やり溺れさせて縊り殺すことが?こうしてあたら命を奪う意義のある実験なのか??こんなのただの興味本位じゃないのか??
「わからんやつだな、見えない概念を理解することに意味があるんだろうが!」
そうだ、サピエンスにはマナが見えない。これは好奇心をみたすだけの悪ふざけじゃない。推測を実証させるための工程だ。
雛から零れ出た白い靄を、掬い取った。
それはマナのようでありマナとも違うような輝きだった。
通常のマナは白い。この雛から取り出したマナは微かに虹色の光輝を帯びていた。
生き物もマナを持っている、と立証されてから二世代ほど経過した頃。
集落も一族郎党の母屋を中心としたものから、近隣の集落が合併したり、集落の運営を住人の合議で行われるようになっていた。集落間の移動も徒歩から四脚獣つまり馬を使うようになった。
この頃、ハフリンガー亜大陸には、大陸から移動してきた大型羽毛竜が、集落を囲んで広がる豊かな実り、つまり農作物や家畜を求めて、生息地を拡げ、翼竜が越冬するようになった。
初代サピエンスと狼ハーフの子孫たちの住む集落も竜の群れに集落を襲われ流れ着いた集団を取り込み大きな邑になり、集団が大きくなれば馬の合う合わないで仲たがいする者もでてくる。サピエンス本家の兄と分家の弟がまさにそういう関係だった。
ある時何か祝い事があって宴が開かれた。この時期 生乾きの漆喰に彩色を施す技法が発明され、壁を鮮やかな絵で飾るのが最先端の流行でもあった。そこで手先が器用なサピエンスに祝い事に相応しい絵を仕上げるよう任せたのだが、この男は本家の兄を嫌っていた。壁画にこっそり本家の象徴である蛇を分家の象徴の獅子が踏みつけているようにみえなくもない構図を含ませた。要するに当てこすりである。
当然宴席は殺伐とした雰囲気で早々にお開きとなり、これが決定打となって集落全体が本家の兄派、分家の弟派に分かれていがみ合うようになった。
そんなわけでサピエンスの当代長老は狼ハーフの末裔と相談し、本家の兄と分家の弟に新しい土地で暮らすように命じた。ようは喧嘩両成敗だ。
本家の兄も分家の弟も「お前のせいだ」とお互いを憤ったが長老の命は絶対だ。ならばこちらにも考えがあると我先にと長老の許にはせ参じ
「ならば、せめて一族に連なる者の証として先祖代々の秘宝をいただきとうございます」と申し出た。
長老が首を振ることはなかった。二代前の当主があれは門外不出。世に出してはいけないものだ。と遺言を残していたからだ。
一族の本家も分家も正当な後継であるという証が欲しい。夜間、宝物蔵に忍び込んだ。
宝物蔵と言っても純金で出来た置物なんてものはないのだ。あるのは初代から先代までが書き残したマナの研究書。それが周囲の集落がこの集落に畏敬の念を持って忠誠を誓い、透明度が高く質の良い水晶をはじめ、血のように赤いルビー、深い海の色を思わせる青いサファイヤ、若葉色に輝くエメラルド、瑠璃、翡翠、珊瑚、ダイヤモンドなど貴重な石を持ち寄る証でもある。
まず宝物蔵に忍び込んだのは本家の兄と従者のルプス系ミアキスだった。
「本当なら俺様が継ぐべきなのだ」
「左様でございますとも我が主様」
「それが分家の甘言に乗せられてあのクソ爺」
「左様でございますとも我が主様」
早速封泥を壊し、初代からの書簡を盗み読んだ。ほとんどが初代の手記で占められている。
曰く。清浄な泉にてマナを囲うべし。
つまり、マナの採れる泉や渓流を大切にしろ。ということだ。サピエンスでもマナを使い持ち運べる方法があること。属性の異なるマナを組み合わせると、更なる効果が生まれること。マナの属性と封じる石には相性があること。属性と相性で相乗も相殺もできること。
「なんだ、知っている事ばかりじゃないか」
何が門外不出だ。悪態をつきながら書簡を繰っていた本家の指が止まった。
初代の孫、三代目が記した項だ。
曰く。虹色の渦にマナを封じるなかれ。
「虹色の渦とはなんだ?」
「分かりかねます我が主様」
最後の項は二代前の当主の手記。
曰く。死すものより出ずる物は禁忌なり。
「死すものより出ずるもの?」
「分かりかねます我が主様」
「なんの判じ物だ?ふざけやがって」
分からないものを分からないままにするのも業腹だ。粗暴で狡賢い兄は奸計を思いついた。分家の弟は小心者だがマナの研究は人一倍熱心だ。
「ならば分家に謎を解かせよう」
「流石妙案です我が主様」
壊した封泥を一見そうには見えないように置きなおし、分家が来るのを待った。
しばらくして分家の弟と従者のやはりルプス系ミアキスがやってきて、封泥が割れていることに気付いた。
「兄がここに来たんだ、書簡を奪われたもう駄目だ」
「落ち着きなさいよ御主人、中身が無くなってるなら本家の兄を吊るし上げる大義名分が成り立ちます」
「そ、それもそうだな」
そうして分家も書簡に目を通し、同じようになんだ既知の知識ばかりではないかと愚痴をこぼし、やはり虹の渦と死すものより出ずるもので首を傾げた。
「虹とは天空にかかるあの虹ですかね?」
「あれは朝方か夕暮れに陽を背にして雨雲を臨むときに起きる半円現象だ、渦を巻いたりしない」
「じゃあ違うか、でもご主人様、この死すものより出ずるものは分かりますよ」
「知っているのか?」
「多分、魂っていうやつです。俺たちには見えるけどご主人様がたサピエンスには見えない点も同じだし」
「もし魂がイコール、マナだとしたら、ああこれは仮定だとして聞いておくれよ?マナ自体が大地の魂が漏れ出たもので、大地から草木、草木から動物、とマナは移動して、最後に動物が死ぬときにマナが解放されるんじゃないかと思うんだ」
「話が壮大過ぎてついていけませんよ御主人様」
「簡単に説明したつもりだったんだが難し過ぎたか、とにかく同じマナなのに禁忌だとわざわざ指定するのにはなにか理由があるはずだよ」
「何か残ってないか探してみよう」
分家の弟と従者は早速宝物蔵を捜索し始め、本家の兄と従者が隠れているのに気付いた。
「わああああああぁぁ」
分家の弟は思い切り後ずさり、背後の書棚にぶつかった。ガチャリと素焼きの壺やなんかが割れて床に飛び散り、破片と共に誰かが隠してそのまま忘れられてしまったたのか日干し煉瓦の塊が転がり出てきた。塊は少し欠けてヒビが生じている。日干し煉瓦は脆い。衝撃で簡単に砕けたり亀裂が入る、それ自体は普通によくある現象だ。ありえないのはそのヒビが、内側から光を放っているように見えることだ。鈍い、ほんの微かに虹色を帯びた光。こんなのは初めて見る。
「?」
「?」
「?」
「?」
割ってみると中に入っていた水晶が水と一緒に床に転がり出た。
「ちっ、脅かしやがって」
「驚きましたね我が主様」
「なんだ、マナを封じた水晶か」
「大丈夫でしたか御主人様」
四者四様に水晶を見つめ、中に封じられたマナが普通ではない事に気付いた時、全員が後ずさり尻込みし腰を抜かし悲鳴を上げた。
中に封じられたマナは鳥の雛のような姿で、生きているかのように水晶の中で蠢いていた。
その場にいる全員は知る由もなかったが、それは二代前当主たちの実験の産物だった。