過去・姫と侍女と見知らぬ子供
ダキアが異形の鳥に拉致された。ダキア捜索に向かう支度をするシェリアルとの会話で、侍女シャオチェは子供のころに起きたある出来事を思い出す。
アシル城に向かったはずの姫と竜騎士、マナ使いが駐屯地に戻ってきた。
ダキア殿下が異形の鳥に連れ去られた、アシル神殿の宮司がサピエンスと繋がっている可能性が出てきた、と全く念頭にない、想像していなかった事態が起きた。
輿から覗き見るシェリアル姫の表情は、今まで見たことも無いくらい険しい。
ラタキア将軍とカイン竜騎士が、
「とにかくカインは姫の護衛を。捜索には砦のウルススを遣え、命令書を出す」
「輿は予定通り出して、最初のオアシスに着くのはなるべく遅らせてくれると助かるっす」
マナ使いのリョウはジウスドラ参謀に
「神殿から何か言ってきても知らぬ存ぜぬで通してください、参謀はサピエンスだからマナが見えない。それで白を切りとおせる」
神託の婚礼なのに実に不穏極まりない空気がたちこめていて、シェリアル姫の心中を思うといたたまれない気持ちになってくる。
そこにシェリアル姫が足早に戻ってきた。腕には下士官用の軍服を抱えている。
「お願いシャオ、着替えを手伝ってくれる?」
青白い疲れ切った顔だが、婚礼当日のような怯えたようすは微塵も感じられない。婚礼前夜までの記憶がないというだけで、気丈な姫そのままだ。
いやでも察せざるを得ない。自ら殿下を探しにまいられるのですね。
「承知しました」
そこでなにがあったのかシャオチェも全容を知ることが出来た。あの宮司がサピエンスと繋がっていたという。
「では、婚礼の朝に宮司が託宣したサピエンスが記憶を消したというのは嘘だと」
「うん、起きたことを信じると、そうなるわ」
てきぱきとシェリアルの着付けをしながらシャオチェも考える。
なぜ宮司がそんな嘘をつく必要があるのか、ますます分からないことだらけだ。
「父様、母様には私は大丈夫、そう伝えて、お願いねシャオチェ」
そんななかでも、父母に心配かけまいとするシェリアル姫。
「私に出来ることならなんでもいたしますとも」
きっぱり答えるシャオチェ。その返事の勢いにシェリアルは少し面食らったようだったが、やや間をおいて「あのね」と、切り出した。
あのね、から始まる時は大体外には出せない話せない本音を打ち明けるときの、シャオチェしか知らないシェリアルの癖だ。多分無意識に出たのだろう。
「はい」
「私はキンツェムに到着する少し前辺りから、この行幸を大好きな方と時間をかけて楽しむピクニックくらいに考えていたの。仮に記憶が戻らなくても礼儀作法、歴史、地政学、全て一から学び直せばいい。殿下について学んでいけばきっと楽しい事でしょう、ってそう思ってたわ。でも、観察者が現れた時に微かに思い出した。黒い大きな目をした何かは私に向かって。大丈夫。そう言った。私自身が狙われていたのに、それすらすっかり忘れて行幸を楽しんでいた。そんな私自身に腹を立てていたの。私が殿下に対していかに不誠実な態度でいたか、思い出しただけで恥ずかしくなるわ」
それが思い詰めた表情をしていた理由だったと知ってシャオチェは内心で胸を撫で下ろした。
姫は甘い気持ちでいたことを不誠実だと思われたのでしょうが、私はそうは思いません。記憶が無いことをいつまでも引きずって後ろ向きでいるよりずっと真摯です。
それに、ダキア殿下も結構浮かれていたように見受けられましたし。
「私は宮司と対峙しなくちゃならない。宮司がどうしてこんな事をするのかわからない。けど如何なる理由があっても殿下に手を出した事は絶対に赦さない。必ずけりを付ける。記憶を奪われる以前の私がどう考えていたか分からないけど、きっと同じことを思ったはずだわ」
ええそうですとも。姫は元来そういうお方ですよ。平素は淑やかで上品なのにダキア殿下のことになるとすっかり盲目になってしまわれる。
「だから殿下を探し出す。草の根分けてでも。必ず見つける。命に代えても連れ帰る」
待ってください?命に代えても、ですって??
シャオチェは真顔でシェリアルに抱き着いた。
「そんな遺言みたいな言い方は無しです」
「大丈夫、必ず帰ってくるわ。だから安心してシャオチェ」
マナのかがり火の中、壮麗な式典盛装から着慣れた籠手、胸当て、具足に装備を替えた竜騎士、マナ使い、そしてありあわせの軽量装備を纏った旅装束姿のシェリアルが数頭の替え馬と荷馬をひいて駐屯地を出ていく。
姿が見えなくなるまで見送って、今度はすっかり仲良くなったニアミアキスの警護に守られてシャオチェがアシル城に出立する。
「じじょはアシルにもどっちゃうの?」
「せっかくなかよくなったのにかえっちゃうのはさびしいねぇ」
「じじょ、しずかだね」
「かんがえごとをしてるんだよ、ぼくたちもしずかにしよう」
輿を出るとき、シェリアル姫は言っていた。
「宮司は鼻先が白くて、耳が黒くて折れ曲がっていたの」
だから頭巾で顔を隠していたのね。そう言い残して竜騎士、マナ使いと合流したのだが、シャオチェの脳裏には引っかかるものがあった。
黒い耳で、鼻が白い。いつだったかそんな風貌のミアキスヒューマンを見た覚えがある。いつだったかしら。そんなに昔のことじゃないと思うのだけど。
そうだ、ダキア殿下が白竜を討伐した時です。
まだ雪も降らないうちから白竜が姿を見せたあの日、シェリアル姫と私シャオチェは城の郊外、裏に広がる湖群を散策していました。雪の前に食堂の花瓶に飾る紅葉を採りに出かけたんです。
そこで、知らない子供を拾ったんです。
「白竜が何か落としたわ」
と仰って、わざわざ見に行ったんです。
「白竜が戻ってきたらどうなさるおつもりですかぁ」
「ここ一帯は灌木と湖が殆どだから、この辺には降りてこないわ。降りるならもっと山脈に近い場所よ」
そうしたら、全裸の子供が倒れてまして。白い部分と黒い部分のくっきり分かれている、見たことのない不思議な毛色です。
小川が流れる崖下に倒れていたところを、私が切り株に手をかけて、姫の帯を掴む形で引っ張り上げたんです。火事場の馬鹿力です。いつ白竜に見つかるかと思ったらもう怖くて怖くて。
その子は、頭蓋が陥没して、手足もあらぬ方に折れ曲がってどうやったらこんな状態になるのか不思議なくらい酷い怪我を負っていました。傷口からはマナがにじみ出ていて、助かる見込みはなさそうでした。
「助けなきゃ」
多分姫にもマナが抜けかかっているのは見えていたはずです、それでも姫はそうおっしゃって、神殿に向かうと申されて子供を担いだのです。ええ、もちろん私も悲鳴をあげながら支えましたとも。
「頑張って、シチフサ、神殿に着いたら神主様がすぐに手当てしてくれるから」
姫は勝手にシチフサと名前を付けて、必死に声掛けをしておりました。ええ、黒い模様が七つあるからだそうです。
「便宜上でも名前が無いと困るでしょ?」
シチフサでしたか、あの子は、確かどうしたのでしたっけ。
神殿に着いてからの顛末を思い出したシャオチェは身体中の血の気が引くような戦慄を覚えた。冷や汗と激しい動悸を禁じえなかった。
シチフサは治癒の甲斐なく息を引き取ったはずです。どうして宮司に就けるというのです?




