シャイヤー湾・100年前の遺構
鬣がぽつぽつ生え始めた頃の話だ。
降り注ぐ暑気の日差しを避け、アンシャル城の川面の離宮で腰巻一枚の格好で涼んでいたら、シェダル兄がやってきて俺の横に並んで座り込んで、こんな話を始めた。
「なぁダキア、シャイヤー湾にはどうして人が住まなくなったんだろう」
妙なことを聞くもんだと思いながら生返事をした。
「どうしてって、そりゃ『海のマナ』があちこちにこびりついているからだろう」
通常のマナと違う、灰褐色にくすんだ気味の悪いマナ。本来ならありえない虹色を帯びていたりするものもある、得体のしれないマナだ。今は対処法も周知されて早馬で海沿いの道を使う事が多くなったけれど、その当時は泉で採取したマナをぶつけると海のマナが消滅する事など知らなかったから、正直いきなり何を言い出すんだという困惑の方が大きかった。
「だからみんな海から離れた内陸に集落を構えた。別に不自然な事じゃないだろう」
「じゃあどうして海沿いに舗装された道があるんだ?」
「それはサピエンスが作ったんじゃないか?サピエンスにはマナが見えないというし」
「でも、海のマナが『海沿いの舗装された道の崩れた部分』にしかいないのは説明がつかない」
「ああ、もう。兄は何を聞きたいんだ」
「分からないから聞いている」
とんだ禅問答だ。
シェダル兄には俺や親父とは違い、風や星を愛で、詩を吟じ、音曲に興じる。そんな哲学的な部分があった。養育係がサピエンスだったと聞いている。初仔だったから帝王に相応しい教育を授けたかった親父はシェダル兄を反面教師として、俺には強面の家庭教師を誂えた。その家庭教師というのが、今俺の側近をやってるカインだ。
ともかく、考えて答えが出ない時は言葉にする。人に話す。そうすれば新たな知見を得られる。そんなサピエンスに似た思考がシェダル兄の信条で、どうやら俺は兄が抱える思考の迷宮に風を吹き込む相手として選ばれてしまったということだけは理解できた。
「じゃあ、シェダル兄よ、俺も逆に問うぞ?それを知ってどうするんだ?大体そんな疑問、俺は問われるまで全く意に介していなかった」
「やはり分からんか」
シェダル兄は、はた目にもわかるようがっくり肩を落として、あうぅと一声唸ったあと、仰向けに寝っ転がった。
「昔から不思議だったんだよ」
そう前置きして、ぽつぽつ語り始めた。今度は「どう思う」と聞いてこないから、ただの問わず語りのようだ。
「キンツェムとグラディアテュールは昔から少々険悪な関係だ。渓谷のアシルが仲立ちしてくれていなかったら、キンツェムをヴァルダナール女帝が纏めていなかったら、最悪湾を挟んでにらみ合ってもおかしくない」
確かにそれは一理ある。だからお互い内陸に住まうことで、最小限の接触と悶着を回避することでやり過ごしている。おかげで雪の時期になると山越えしてくる白竜やその他越冬しに渡ってくる竜どもに集落を荒らされる羽目になって、雪の時期は親父が遠征に出張り、糧食はキンツェムが提供する妙な共闘関係が成立したのは皮肉な話だ。
「それじゃあ誰が海沿いに道を作った?それはサピエンスだ。ミアキスヒューマンにはそんな技術はない。でも今のサピエンスの数はミアキスヒューマン百人に対して一人いればいい方だ。そんな頭数で大掛かりな工事が出来るか?」
人口千人のうち十人の計算か。なら、充分な数の荷役用重種とウルスス系ミアキスが手伝えばいけるか?でも湾には海のマナがいる。ミアキスヒューマンが助勢するわけがない。
「なのに、海沿いには集落の跡らしい廃墟がある。考えれば考えるほど、不自然なんだ」
以心伝心ではないけれどシェダル兄の言いたいことが感覚で理解できた気がした。
そんな昔のことを思い出しながら、駒を進めていた。少し歳を重ねた分、当時よりも見えるものが違ってくる。
昨晩は大雨が降った。斜面からは、雨の名残の流水が崖から沁み出し絶え間なく滴り落ちていて、ちょっとした水壁のような有様になっている。本来なら泥でぬかるんだ道になるのが自然だ。この中央がすこし膨らんだ勾配を持った、六角形の石板を敷き詰めた敷石舗装道は、表面が微かに湿っているだけ。路面の下部をわざわざ掘り下げ、細かい砂利と礫石を敷き詰めている。更に海側の土手に傾斜を持たせることで敷石の表面を濡らすことなく排水機能を持たせているのだ。
同じ機構はグラディアテュールにも存在する。アンシャル城城下の軍用街道だ。
改めてそういう視点でこの道を見ると、確かに存在自体がおかしい。アシル、キンツェム、グラディアテュールを結ぶ緊急の隧道、というには拡幅が広い。輿を真ん中に、さらに両脇に駒を並べてもまだ余裕がある。日常、人の行き来で使う集落を結ぶ街道や、山岳地の前線を結ぶ山道と違って凹凸が非常に少ないから走りやすい。どう見ても軍事物資を運ぶための運搬道路だ。
こんな技術、サピエンス以外持ち合わせていないが、しかしこの規模の道路を敷くには絶対数が足りない。
白竜がやってくる前にはもっと大勢のサピエンスがいた?爪も牙もない俊敏でもないサピエンスが戦いに赴くのは非合理的だ。白竜はシャイヤー湾まで足を伸ばさなかった。だから海沿いに避難させた?
なのに集落跡は廃墟と化している。確かに奇妙な状況だ。
奇妙と言えばもう一つ。
この、シャイヤー湾からバルバリ山脈にかけて存在する円形の窪地だ。俯瞰で見ると山岳地から湾の海底一帯に数珠つなぎに連なっていて、湾内の海底は充分な水深があるために海竜の営巣地になっている。雪が降る少し前の季節になると成体の雌雄が湾内で入り乱れ、雄が湾を後にする。そうして雪解けの時期には幼体がわらわら群れ泳ぐ様子が眺められる。今がまさにその時期で、眼下の海では小さな竜が何匹かで魚群を囲むように俊敏に泳ぎ回り、餌をとっているようだ。
振り返って輿の方を見遣ると、姫が窓から身を乗り出して「あれが海竜なの?」と海面を指さし、明るい弾んだ声で侍女に問うている。
ニアミアキスの警護の二人が輿に近づいてなにやら話しかけ始めた。どうやら侍女に代わって姫の質問に答えているようだ。姫がうんうん、と興味深げに頷き、一緒に窓からこわごわ外を覗く侍女が耳を傾けている。
微笑ましいな、と眺めていると、ダキアが見ていることに気付いたシェリアル姫が、いっそう嬉し気に手を振って寄越した。屈託のない素直な笑顔だ。
今の年齢相応の姿がシェリアル姫本来の気質なのだ。そう思うダキアの胸の内に、不意に大いに愉悦にも似た歓喜が湧くのを感じた。
側近で竜騎士のカインが駒を近づけ耳打ちしてきた。
「口元が緩んでますぜ、殿下」
「べ、別にいいだろう」
内心慌てるダキア。まずい。そんなだらしない顔してたのか。
「そろそろ崖にさしかかるっすから、前もって教えて差し上げたほうがいいんじゃないっすかね?」
崖は湾に沿って走る舗装道路の半場ほどに数か所ある、弓なりに道が抉れた急所だ。中には道なんて跡形もなくなってる場所も存在する。
「注進、ご苦労」
カインが離れると同時に、ダキアが隊に停止の号令をかける。
隊列が止まると、姫と侍女が輿から降りてきた。
「どうされたのですか?殿下」
言いかけて姫が目を見開いた。
「道が崩れてる」
侍女は道が崩れている事よりも、崖にところどころ張り付いている海のマナが気になるようで、姫の後ろで及び腰になっている。隊が水晶に入ったマナを海のマナに当てると、白いマナは灰褐色のマナを巻き込んで宙に溶けていく。
「こんな事も出来るんですね」
シェリアル姫が驚いたような感嘆のため息を吐いた。
そんな頬を紅潮させて喜ぶ様子を見ていたら、ふと、シェリアル姫をちょっとびっくりさせてみようという悪戯心が湧いた。
この崖を渡る方法を知った時、シェリアル姫はどんな反応をするだろうか。
「次は飛びますよ」
「飛ぶというのは?」
何か企んでいるのを察したのか分からないが、訝し気な表情でダキアを見つめるシェリアル姫。
「それは今からのお楽しみ」
「カイン頼む」
指名を受けたカインが今度はマナ使いのリョウに命じる。
「頼むぞ、リョウ」
「僕頑張る」
傍から見ればとんだ二度手間なのだが、リョウ曰く「グラディアテュールの繁華街でカインに拾われた恩義があるから、僕の主人はカインただ一人。僕に命令できるのはカインだけだ」と言い張るのだから仕方ない。
そのかわり、カインの命令は本当に素直によく聞く。カインが全軍を守れと言えば本当に全軍死守するし、竜の群れを殲滅しろと言えば本当に殲滅させる。同じミアキスヒューマンでもフェリナ系よりカニス系の方が習得しやすいという。それがリョウにアシル神殿でマナを使う術を修めさせた理由だ。
「全員騎乗、姿勢を保て」
隊に命じて、カインに再度リョウに指示するよう伝える。
「リョウ、頼む」
カインに命じられたリョウが、水晶とは違う、琥珀色に透けて輝く石と、柘榴に似た艶やかな黒い石を捧げ持つと、ゆっくり手前、つまり行幸の隊列から崖の対岸に向けて押し出すように腕を伸ばす。
すると。
ゆっくりと行幸の隊全体が宙に浮いた。
アシル神殿に伝わる古の秘技の一つ、物体を浮かせる技法。
マナ使いのリョウ曰く、マナを封じた石の特性で、効力を増幅させることにより、生き物の中のマナに干渉するのだそうだ。
「詳しいことは分かりませんが、この秘技は水晶じゃないことが大事なんだそうです」
きっと昔の人が手持ちの水晶が無く、あり合わせで試したかなんかで偶然発見したのだろう。水晶以外にマナを封じるなんてよく思いついたものだ。
ともかく、足元のおぼつかなさに暴れる軽種もいれば、茫然自失されるがままに四肢をだらんと下げたままの重種もいる。乗り手も慣れている者はどうどうと巧みに騎馬を落ち着かせ、怖がる馬を落ち着かせている。
歩兵も尾を丸めて四肢をこわばらせて息を荒げている。しかし誰も悲鳴を上げていない。
というのも
「ものすごい集中力を必要とするので、浮遊中は話しかけないでください。声をかけてきたら落とします」
リョウからそう念押しされているからだ。
白嶺を驚かさないようバランスをとりながら振り返って輿を確認すると、シェリアル姫もシャオチェ侍女も目を丸くして口許を手で覆い、悲鳴を堪えている。
想像通りというか、想像以上に驚いた表情に笑み崩れた。
隊の全員が無事に崖を飛び越え、先の舗装道に降りた後、「どうでした?」とシェリアル姫に訊ねると、空中浮遊がよほど怖かったのか、頬をそそけだたせていたが、ダキアが何やら笑いを噛み堪えているような表情を浮かべているのに気付いて、拗ねたように「知りませんっ」とぷい、と顔を背けた。
そうして崖を飛び越え、再度隊列が進み始めた時だった。
カインが聞いたことも無い恐怖を孕んだ悲鳴をあげた。




