キンツェム女帝・ヴァルダナール後編
三日三晩の祝宴も終わり、グラディアテュールに向かうため再度アシルに出立する朝。謁見の間で女帝に挨拶をした。
銀毛雪白の髪を結い上げ、虹色に輝く宝石を身に纏い、優雅に座する白銀の貴婦人、白虎ヴァルダナール。
謁見の間に幾人もの侍女が恭しく控えていて、ピンと張り詰めた緊張感すら覚える。
「出立の時間にはにはまだ早いようですね、名残惜しむ時間くらいはあるでしょう」つまり、「少し話がしたい」と申し出てきた。
着いて参られよ、とヴァルダナールが自ら客人を先導する。
「陛下、共は」
側仕えが寄ろうとすると、女帝は要らぬ。と介助を断った。
「今朝はすこぶる体調がいいの」
昨日まで、歩くのもやっとだったとは思えないくらいしっかりした足取りだ。
長い回廊を幾つも巡って着いたのは、内宮殿の石造りの奥の院を飲み込み聳える巨大なガジュマルの気根を緑廊に見立てた小さな庭園だった。池には白蓮が咲き、他にもジャスミンや名前は判らないが白い花が咲き乱れている。
「白花苑です、先代が造らせましたの」
先代というのは女帝の連れ合い、つまり先のキンツェム帝だ。女帝が嫁いですぐに亡くなってしまい、エルバダーナの直系が途絶えた。
大儀そうに岩窟に座す白銀の女帝。
やっぱり無理をしているんじゃないのか。宮殿で人払いをすれば済む話では。そこまで内密にしなきゃいけない話とは。
「女帝陛下、話とは」
「知ってましたよ、シェリアルが記憶をなくした事」
ダキアは勿論、シェリアル姫も従者も困惑した。
大公も奥方も口を滑らせた様子じゃないのにどうして。どこからその話を聞いたのだこの女帝は。まさか件の記憶を消したサピエンスと女帝が通じていた??
そこまで想像してしまい、無意識に歯を剥き出し唸り声をあげていた。
「殿下、落ち着いてください」シェリアル姫がしがみついてきて、初めて女帝に剣を抜き飛び掛かろうとしていたことに気付いた。将軍も側近も止めに入らなかったのは、多分同じ想像をしたからだろう。この場にシェリアル姫がいなかったらどうなっていたことか。
「姫」
「言いたいことは分かります、でも違う、そんな気がするのです」
頭を振ってダキアをまっすぐ見据えるその瞳は、嘘でも、丸腰の老女だからとむやみやたらに女帝を庇っているわけでもない。この場は話を聞くべきだ。そう訴えている。
「落ち着きなさい、ダキア」
女帝の品のある柔らかな声。これは姑息な嫌がらせや意地の悪い思い付きを好んでする者の声じゃない。
「失礼しました」
改めて非礼を詫び、居住まいを糺した。
「いいえ、私の態度も良くなかったわね。城について直ぐにあなた方が打ち明けて相談してくれるものだと考えていたから」
エルバダーナの女帝ヴァルダナールが語るには、輿が出立してすぐにアシルのルイス王夫妻が密書を寄越したのだという。
「行幸の列が城を出た後のタイミングでしたから、何かあったのだろうとは思いましたが、記憶を無くすというのは」
シェリアルが公の場、こと国家間の約定で悪ふざけをするような娘ではないと承知したうえで、と前置きして白銀の虎は続ける。
「シェリアルにその気が無くてシャオチェと狂言を打ったか、それともダキアの方が婚儀の破棄を訴えたか、そこまで考えましたよ」
それで大公にも黙って一芝居打ったのか。
「義弟には悪いことをしたわ」
女帝がシェリアル姫を見やる。そのまなざしはかつての記憶にある慈しみの聖母そのままだ。
「キンツェムを治めるエルバダーナの女王ヴァルダナール個人としてお願いです、グラディアテュールの王子ダキア、アシル王息女シェリアルを、どうぞ、よろしくお願いします」
そう言って頭を一つ下げた。
そろそろ出立の時間が近い。
「陛下はお戻りになられますか」
介添えを申し出ると、女帝はやんわり首を横に振った。
「有り難う、ダキア。でももう少しだけ、この庭を眺めていたいの」
心に沁みる、優しい声音。
「では、そのように伝えましょう」
一行の姿を見送ると、ヴァルダナールは満足げに前足に顎を乗せ、瞼を閉じた。
白虎女帝の身体の端端からマナがゆっくりと滲み、空に溶けていく。




