番外・ダキアの初陣
夜も更けた森の中からヒステリックなけたたましい咆哮が響いてくる。夜行型ミアキスヒューマンの斥候に寝込みを襲われた白竜の絶叫だ。
夜目が効かない白竜は、六角柱が並んで固まったような不思議な形状の岩場で、巨大な翼をたたんで頭だけ後ろを向いて背中に乗せるような恰好で休んでいた。
見晴らしのよいこの柱状節理の岩場は白竜のお気に入りの寝床の一つだった。
この三日間、森の中を駆けずり回り、餌を一匹も取れずにいたのでひどく空腹だった。いままでこんなことは無かった。不審に感じるところもあったが、白竜は考えるより休むことで体力回復を図ることを選択した。
ひそかに包囲されてることを白竜は知らない。気づいてもいない。
ゴツ。眠る白竜の鼻先に何かがぶつかった。間を置かず、夜明けでもないのに目の前が眩しくなって、嘴に激しい痛みを覚えた。
長年ハフリンガー大陸の生態系頂点として君臨してきたことで、獲物として、駆られる対象として、自らが襲われる意識が欠落している白竜は最初何が起きたのか分からなかった。
白竜は激しく混乱し、叫んだ。悲鳴を上げた。本能的に、翼を広げ、鳴き声をあげて巨体を誇示し、敵を威嚇した。
そこで初めて白竜は石柱の根本のあちこちが明るく灯っている事、灯の傍らに二足歩行のサピエンスの影を見て取った。
正確には彼らはサピエンスではない。サピエンス要素が多く発現したニアサピエンス、スリークォーターだ。中には手足だけがサピエンスの特徴をもって産まれたハーフサピエンスもいる。
サピエンス要素が強い。それはつまり五指を自在に操れる。力を加減し、狙いを正確に定める能力を持っているということだ。全員が弓を番え、火のマナを鏃に仕込んだ矢を白竜に向けて放つ。
だが、今は仕留める必要はない。寝ることを諦めさせればそれで十分だ。
サピエンスに近い姿のミアキスヒューマンが、正確に鼻孔を目頭を狙って焼える礫をぶつけてくる。今までのような単純な投擲ではない。どういう仕掛けなのか分からないが、たわんだ木の棒を縦に構えると、風を切る音と共に燃える礫が飛んでくる。
もうここでは休めない。あまり夜目が効かないから移動したくはないが、この場に留まるよりはマシだ。
白竜は翼を広げ飛び立とうとした。
すると、白竜が寝床にしていた柱状節理の岩場のすそ野に、無力なミアキスヒューマンたちがあらわれ、くつろぎ、じゃれあい毛づくろいを始める。万が一白竜が降りてきても大丈夫なように、全員逃走経路を確認済みだし、もし動くようなことがあれば周囲に配置された弓兵が雷のマナで電撃を浴びせ、ダウンさせる。
白竜をこの狩場に留めつつ、じわじわ衰弱させる。それがこの討伐の成否を左右する。
鳴き声や気配から結構な数が蠢いているようと推測した白竜はこの場を去ることを諦めた。夜が明けたら、こいつらを一網打尽に喰らう。
それだけを考え、まんじりともせず夜明けを待つことにした。
白竜はこのハフリンガーの大陸を好ましい餌場として15年もの間独占してきた。この大陸の生き物はエクウス大陸の動物のように追われても逃げることのない愚鈍な生き物だった。狩られるミアキスヒューマン達の生き残るための抵抗、悪あがきなのだが、白竜にしてみればそこにいるだけで食ってくださいと言わんばかりに飛びついてくる素敵なごちそうでしかない。
この冬もたらふく餌を喰らい頬張り、脂ののった体で群れに戻り、群れの雌を虐げ雄を蹴散らし強さを誇示するつもりだった。
それがこの逗留はまるで勝手が違った。
美味そうなミアキスヒューマンが群れで動いている。しかし、いつもと違い向かってこない。一定の距離を保ったままこちらに近づいてこようとしない。近づくと散開する。そして岩陰や樹木の幹の影や藪に潜み、遠巻きに様子を窺っている。
気味の悪い行動の変化に白竜は得体のしれない不快感を覚える。一番近くの草むらに隠れているミアキスヒューマンを捕えようと飛び掛かった。
が、脚の爪は空を掴んだだけだ。獲物の姿はない。
白竜は知る由もないが、ニアミアキスのアナグマは、予め逃げるためのトンネルを森中に張り巡らせていた。ミアキスヒューマン達の連絡通路網だ。このトンネルはハフリンガーの森のあちこちに繋がっている。この通路を使い、キツネが、イタチが、アライグマが、藪から茂みから樹の洞から飛び出してきては、白竜の目の前に飛び出し横切って煙に巻いていく。
夜間は夜間で礫が飛んでくる。おちおち寝ていられない。だが、狩場を移動しようとするとどこからともなく群れが湧いてきて目と鼻の先まで近づいて寛ぎ始める。
それが昼夜を問わず続いている。
「殿下、休まないと体がもちませぬぞ」
本陣で参謀ジウスドラが気をもんでいる。ダキアはこの白竜討伐の前哨戦が始まってから3日、ろくに睡眠をとっていない。
「白竜の体力を削るために囮のミアキスヒューマンたちが頑張ってくれているんだ、俺がのうのうと惰眠を貪るわけにいかないだろう」と言って引かないのだ。
「攪乱部隊はラタキア将軍指揮の許で交代で休みを取るよう命じております」
ダキアもジウスドラが気遣っていることは分かっているし、休まねばならないことも理解している。ダキアはアシルの姫君と神託の婚礼を控えた身だ。ここで死んでは元も子もない。損耗以前の問題だ。だが、眠れない。こうして陣で待っている間にも被害が出たりしていないか。この作戦の肝は白竜を極限まで飢えさせること、そして空腹状態を維持させる事にかかっている。一人でも食われることが許されない作戦だ。
「殿下には白竜を仕留める大役がございます。最終段階で判断が鈍りますぞ」
「白嶺は賢い、俺がへまをしても無事にげおおせるさ」
白嶺は、父王サージャルより賜った葦毛の駿馬だ。討伐最終段階は騎馬を駆って白竜を渓谷に誘導し、墜とす手筈になっている。
「その白嶺が手傷を追うような事になったら如何なさいます」
そう詰められると返す言葉もない。
「わかった。なにかあったらすぐに起こせ」
そう申し付けて寝所に籠った。
先の寒季、ダキアは白竜討伐に同行した。
そこで見た白竜はあまりにも強大で、被害は想像以上に甚大だった。
ハフリンガー大陸で見かける鳥竜、走竜は掌にのるような極生サイズから家畜ほどの物がほとんどで、大きな種でも掘っ立て小屋くらいがせいぜいだ。
エクウス大陸から渡ってくる白竜は違った。身体がけた違いに大きい。身の丈は低中木を優に越える。翼もハフリンガー大陸の竜とは比べものにならないくらい巨大だ。そんな馬鹿でかいくせに翼を前脚のように器用に使い、四つん這いに近い格好でブナやナラの木立の間をすり抜け迫ってくる。
厄介なことこの上ない。無敵の厄災だ。
だからサージャルは少しでもこちら側が有利な条件になるよう見晴らしの良いひらけた台地に白竜を誘導した。
父王自らが先陣を切り白竜に喰らいつく。部隊は皆父王サージャルに心酔している。だから血で血を洗う地獄絵図の中、波状攻撃を仕掛けることにウルススもルプスもシンバも誰も躊躇いがない。止まらない。決死の覚悟で飛び掛かる軍勢を嘴で薙ぐように白竜が喰らう。殺戮の連鎖といっても過言ではなかった。
そんななかで、サージャルが後脚を獲られた。白竜は脚でサージャルを押さえつけ、嘴で後脚を食いちぎろうとする。
それを見た主力のウルススたちが「王を守れ」と白竜に飛びついた。ウルススの誰かが嘴の付け根か、目の辺りに爪を立て、それを嫌がった白竜がサージャルを離し顔をあげて嘶く。その隙にラタキア将軍が下半身が千切れかけたサージャルを白竜から引き離し、「ダキア殿下。王を頼みます!」叫んでウルススの加勢に向かった。
治癒のマナを携え、サージャルの許に駆け付けたダキアの目の前に観察者があらわれ、下半身を引きちぎられかけた父王に踊るように纏わりついた。
こいつらはミアキスヒューマンをどこぞに連れ去ると聞かされている。
観察者は父を連れていくつもりか。
「父になにをするか」
ダキアは観察者を追い払おうとして猛然と剣をふるった。
それでもしつこく周回し、羽虫のように集り続ける観察者。ダキアは焦る一方だ。一刻を争う事態なのに。父を治癒のマナで回復させねばならぬのに。
ダキアが観察者と小競り合っていることに気付いたルプスの一団が加勢に加わって、ようやく観察者を追い払うことが出来たが、事態は望まぬ方向で終わりを告げた。
マナとて万能の効果を発するわけではない。治癒を行うまでに時間がかかったことで、白竜に砕かれひしゃげた腿骨が戻らず、脚があらぬ方を向いたままの状態で癒着した。
サージャルがいなくなったことで士気の下がった軍をダキアは懸命に鼓舞し、なんとか戦闘を繰り返したが、成果は芳しいものではなかった。せいぜい被害は最小限ですんだ。その程度だ。
このままでは白竜は倒せない。敵の意表をつき、隙をつき、体力を奪い、弱体化させる。そういう戦略を具体的に立案実行出来る存在が必要だ。
そうして父王サージャルから軍の全権を譲渡され、個人的な権限で幕僚にサピエンスを加えた。
城下で変わった拵えモノを作って生計を立てていたジウスドラを、お前の変ったものの考えかたを必要としている、と掻き口説いた。
「殿下は我々だけでは討伐出来ないとお考えなのか」
「私たちはサピエンスを信用できない」
意見の相違からアルカスを始めとしたウルズス系が討伐のボイコットを決めた。そのためアルクトディア系、ルプス系の斥候、軽騎が主力の、決定的戦力を欠いた状態での遂行となった。この間、兄シェダルがキンツェムに働きかけ、女帝ヴァルダナールはキンツェム国内から白竜討伐志願兵を募ってくれた。
ウルススにサピエンスの必要性を認めさせるためにも。父を安心させるためにも、女帝の恩義に報いるためにも、この白竜討伐は失敗するわけにはいかないのだ。
白竜は限界を迎えつつあった。この地に降りてから、ほぼ餌を屠れていない。水さえまともに飲むことが出来ていない。ろくに眠ることもできない。
飢えと渇きで体力を奪われ、気力も尽き、白竜は半分狂いかけていた。夜の闇の中、獲物と錯覚して樹の幹に齧りついたまま、睡魔に襲われ意識を失ったところにゴツ、と眉間に何かが当たった。
眠気で飛びそうになる意識を無理やり奮い起こし、瞼をこじ開ける。焦点を合わせた視界のほの明るい辺りに、騎馬に跨り、弓矢を番えた複数のミアキスヒューマンの姿があった。
極限まで飢えていた白竜は、餌だと認識するや、本能的に飛びついてきた。
「まだ動けるだけの体力が残っているのか」
馬上のジウスドラが舌を巻く。
「ここは動いてもらわなくちゃ困る、行くぞ」
灯のマナを掲げた騎馬十騎が一斉に踵を返し、ダキアの駆る白嶺を殿に、夜の隧道をひた走る。
鏃の代わりに石礫を括りつけた矢を射かけて白竜を起こし、蔓で作った橋を架けた狭い渓谷に誘導する。騎馬が橋を渡り終えたタイミングで橋を落とす。まともな判断力も飛ぶ力も残っていない白竜はそのまま谷底に滑落する。それが作戦の概要だ。飢え渇いた状態のまま休ませず、体力を限界まで削らせたのはこのためだ。
ラタキア将軍はよくやってくれた。現場の判断で白竜に対して挑発行為を加えることで、この森での狩りを諦めて新しい餌場に向うことを阻止し、この場に留まらせることに成功した。
「上手くいくかな」
馬上の誰かが不安げに呟く。
「行くかな、じゃない。いかせるんだ」
渓谷の手前まできて突如馬たちが脚を止めた。陽のある時間帯に予めスクーリング演習を行ってはいたが、本番では対岸は真っ暗なうえに松明代わりのマナの灯も届かず蔓橋の先がどうなっているか見えない状態だ。そのため脅えて渡ろうとしないのだ。幸い、森には白竜以外、他の大型捕食動物はいない。
「降りろ!下馬だ!」
ダキアが咄嗟に命じると、全員が馬を放し、決死隊が橋を渡り対岸に逃げる。馬たちは白嶺を中心に纏まると、渓谷から離れて走り去る。
「橋を落とせ!」
全員が橋を渡り終わるタイミングで竜騎士カイン、ラタキア将軍が斧で蔓を斬って橋を落とす。
白竜は翼を拡げ、対岸の縁を蹴って跳んだ。
この時、ジウスドラは作戦が失敗したかもしれないと感じた。背筋に氷柱をさされた心地だった。
想定していたより図体が大きい。この渓谷では落とすには狭すぎる。このままでは飛び越えられる。次善の策は再度徴発を続け、今度こそ命が尽きるまで体力を削り取るしかない。最悪の持久戦だ。
白竜が渓谷を飛び越えて対岸に渡ろうとしたその時。
黒い影が、白竜に飛び掛かった。
ダキアが白竜の頭部にしがみついたのだ。
ここで手を緩めるわけにはいかない。絶対に仕留める。
弾みでバランスを崩し、渓谷に仰向けで挟まれた無様な格好で脚をばたつかせ、もがく白竜。
「危険だ」
「無茶だ」
「殿下戻るんだ」
皆が口々に叫ぶ中、ダキアはいつから白竜の背に刺さっているのか分からない槍を掴んで、白竜の後頭部にまわりこんだ。
そして、頭蓋から頸部の継ぎ目にあたる喉の一番細い個所を両足で締め上げ、剣を逆手に持ち替えると、白竜の眼球めがけて刃を振り下ろした。
切先が眼窩に食い込み、ぐじゅりと目玉が潰れる気味の悪い手ごたえを感じた。深々と刃を突き立て脳をかき回すと、もう片方の眼球も同じように潰して深々と剣を突き立てる。
白竜の断末魔が森中に響き渡り、静寂が訪れた。
「やったのか」
「やったぞ」
「殿下が白竜を!」
「白竜を仕留めた!」
状況が伝わるにしたがって今度は歓声と鬨の声が広がっていく。
「殿下万歳」
「殿下万歳」
絶命した白竜の死体が引き揚げられた。
「殿下、それは」
一緒に上がってきたダキアの手に、ひときわ白く輝く鞭のように長い羽根が握られている。
「これか、白竜の飾り羽だ」
白竜の目尻から側頭部にかけて睫毛のような飾り羽が生えている。その中でもひと際長い、先端にうっすらと朱赤の色味を帯びた羽。
「アシルの姫の婚礼衣装に使えないかと思ってな」
では、そのようにアシルに伝えましょう、と早馬が申し出たが、ダキアは断った。
「できれば婚礼当日に明かしたい。飾り羽の件は口外しないでもらえると助かる」
それが先先の寒季、雪の時期の話だ。




