婚礼翌日・出立から最初の集落へ
サピエンスが馬と呼ぶ四脚獣は二種類いる。屠った竜や移動式天幕、兵站を牽引する大型の重種と、斥候伝令用の小型軽種だ。どちらも指の爪が奇数。
外見は、ウサギに似た形の長い耳を持ち、首周りには胸部まで達する鬣を生やし、脚先は蹄まで柔毛で覆われている。三蹄の重種と違って一蹄の軽種は脚部がやや脆い傾向があるが、多少の荷なら背負わせることもできる。
はるか昔にサピエンスが乗りこなす技術を発見し、アシル神殿に伝えたのが始まりだ。サピエンスがミアキスヒューマンの移動速度に付いていくために必要不可欠な道具として広まったものなのだろう。ミアキスヒューマンも体力を消耗せずに移動できる手段として重宝している。衣食住、灌漑農耕に並ぶサピエンスの恩恵の一つだ。
夜が白々と明け、東雲色に染まる空の下、練兵・馬術場では贅を凝らした行幸の列の出発の準備が進んでいる。
ダキアは小型軽種の芦毛の愛馬、白嶺に念入りにブラッシングをかけている最中だった。
行幸中、姫が使う調度品と寝台を乗せた輿が一挺、式典用に飾り立てた白騎馬警護が三十騎、斥候兼任の歩兵小隊。供奉者として将軍、参謀、軍医が随伴。
兼ねて先触れを出した通りの日程で行幸を進める。
そして、ダキアと姫は手勢と共に行幸の列から付かず離れず、距離をとりつつ並走する。まずは明後日に丘陵を越えた先の集落で落ち合う予定だ。隧道、獣道を踏破するようなルートが殆どだから姫を徒歩で歩かせるわけにはいかない。別途脚が必要だ。
白嶺は十二歳の時に父から賜った駿馬だ。賢く、胆力がある。
主人に何か蟠っているものがあると感じとっているのか、ずっと耳を立てたままダキアの方に向けている。
結局、碌に睡眠をとれないまま朝を迎えた。徹夜するのは常だから肉体はさほど辛くはない。思い悩んでいるのは精神だ。
昨晩、打ち合わせが終わって後、部屋に戻るときにジウスドラに声をかけられた。
「最悪、姫の記憶が戻らない事態も想定しておかれるべきかと」
流石に表情に出ていたらしい。「内心お察しいたします」と先手を打たれた。
反論をピシャリと封じた上でジウスドラは更に続けた。
「これだけ物々しい騒ぎになったことで、ただでさえ重責あるお立場の姫君には更に肩身を狭くされていると愚考した上で提案致します。殿下におかれましては逸るより片時も離れずシェリアル姫を支えて差し上げることも肝心かと」
つまり、過去よりも現在未来を見据えろと。ジウスドラの提言は一理ある。そう思い直した。
「ああ、そうだな、有難う、頭が冷えたよ」
ジウスドラにはそう返して自室に戻ったが、また姫の記憶が消えているんじゃないか。また昨日の朝のように知らない人をみる眼で見られたらどうしよう。明日の朝、シェリアル姫と会った時、どんな顔をしてむかえれば。どう対峙すればいいんだ。そればかりが頭の中をぐるぐる回っていた。
だから、厩舎をシェリアル姫が訪う姿を見た時は、ダキアは正直ドキッとした。また記憶がリセットされて、記憶がないまま徘徊しているのか。そう思った。
ダキアはなんと声をかければよいか考えあぐねた末に、結局口をついて出たのが「えと、あのここは厩ですよ」というまるで他人行儀な挨拶だった。
「存じ上げております」
と返して、細い指を口元にあてて可愛らしく微笑むシェリアル姫。
「殿下はこちらにいらっしゃると伺ったものですから」
「今、殿下って呼びましたか?」
大股で足早に歩み寄ってシェリアル姫の肩を両手で掴んでいた。急かしてはいけないと分かっているけど問わずにはいられなかった。
「記憶が戻ったんですか?」
「いえ。それはまだ」
シェリアル姫が項垂れ頭を振る。ただ、昨日のような不安、動揺、脅えた様子は薄らいでいるのが救いだ。
「ですが、昨日のことは覚えていました」
良かった。さっきまで逡巡していた悪い想像は想像でしかなかった。ただの杞憂だった。心底安堵した途端、ダキアの膝から力が抜けた。
「殿下?!」
シェリアル姫がとっさに身体を支えようと膝を屈めて手を伸ばしてきた。もうそれだけで嬉しくなった。我ながら単純だなとダキアは自嘲気味に思ったがこればかりは仕方ない。
「心配させてごめんなさい」
ぽすん、とシェリアル姫がダキアの肩口に額を乗せてきた。
「でも、必ず取り戻します」
その言葉はきっぱりとした決意を秘めていていて、ダキアはドキリとした。
姫は今記憶がない。だけど、想ってくれる気持ちは変わらない。つまり、シェリアル姫の気持ちは嘘偽りなく真実なのだ。改めて、俺は三国一の果報者だ。ダキアは心の底からそう思った。
歓喜の感情は時として浮ついた隙を生む。
キンツェムに向かう街道近くの隧道で、小型の走竜に出くわした。小型といっても軽種の若駒くらいはある。純ミアキスの熊かなんかと獲物をめぐって小競り合いでもしたのか、えらく気が立っている。全身の羽毛を逆立てこちらを威嚇してきた。
山岳地の麓ならいざ知らずこんな平野部に現れるのは珍しい。この先には行幸の列と落ち合う予定の集落がある。
側近で護衛のカインに目配せして、剣を抜く。カインも槍を構え、攻撃に備える。リョウはカインに顎で指示され、しぶしぶというかやれやれというかそんな表情で白嶺に乗ったシェリアル姫の護衛に回る。
剣の鍔の装飾にはマナが入っている。攻撃するとその衝撃でマナに入っていた火や氷、雷が刀身を伝わる仕組みだ。束頭に普通のマナを入れておけば松明の替わりにもなる。
この武器の装飾にマナを利用するアイデアはジウスドラの考案だ。それまではマナは投擲して使う物だったし、これなら後で拾いに行く手間も省ける。サピエンスというのは本当に凄いことを思い付く。
ウルズス系は手甲やガントレットの内側に治癒のマナを仕込んでサピエンスの拳闘みたいに運用している。こうすることで素手の時より殴りつけた時の衝撃が柔らくなるのだという。その話を聞いたカインも籠手にマナを仕込むようになった。
ダキアも鍔の装飾に火のマナを付けているから、同じように手甲に仕込んでみたが、本当に衝撃が緩和されたと実感出来た。
気合一閃。振りかぶって走竜の嘴の付け根に刃を振り下ろした。
走竜もビックリしたにちがいない。目の前に火花が散って鼻先を焼かれるとは思ってなかっただろう。
ただ、この時のダキアには、姫にいいところを見せたい欲目、改めて惚れてほしいといったいやらしい下心があった。そんな浮わついた根性で挑んだせいで踏み込みに余計なタメ、つまり隙が生まれた。
走竜がそんなふざけたぬるい構えを見逃すわけがない。一瞬で懐に飛び込まれ、齧られかけた。
「うわっ」
牙を躱そうとしてバランスを崩した挙句、無様にひっくり返った。
「殿下!」
姫の悲鳴が鼓膜を震わせた。
冷静に間合いを図っていたカインが、雷のマナを仕込んだ石突を逆袈裟に振り上げ走竜を弾き飛ばす。
下顎をしたたかに殴られたうえに雷撃で昏倒する走竜の喉もとに刃を突き立てとどめをさすと、背を向けたまま言い放った。
「姫を早々に未亡人にする気っすか?大将」
大将、とはまだ乳歯しか生えてない幼少の頃のあだ名だ。普段はわきまえている側近の遠慮ない物言い。つまりは本気で呆れ怒っている。
「軽率だった、すまない」
ここでカインがいなかったら。倒れたところに追撃を喰らって死んでいた。想像して肝が冷えた。




