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異世界転移の方程式  作者: 朱
1/7

ビーサーとンガディとゾーンと

作中に昆虫食のシーンがあります。

虫が苦手な方はご注意下さい。

 もう何年前の事だろうか。

 物理学の権威として名高いイヴァ・ウルシアナスキー氏が突然発表した論文は、世界中を騒然とさせた。

『他次元世界への転移可能な数式について』

 文字通り、この世界とは全く異なる世界へ人が自由に行来できる方法を遂に見つけたと、こ難しい数式をつらつらと書き連ねて説明した論文は、瞬く間に世界中を駆け巡り注目の的となった。と同時に見識ある多くの学者から反発を引き出しもした。

 その理論はあり得ないと。

 日本でもあちこちのニュース番組が特集なんぞ組んだりして、大々的に取り上げた。物理学の専門家の(なにがし)とか大学教授の(それがし)とか。学者先生の方々は勿論だが、有名なコメンテーターの誰其れとかゲストで呼ばれただけのタレントAさんまで

『これからは宇宙旅行だけじゃなく、異世界旅行もステータスの一つに挙げられる事でしょうねえ。いやあ~楽しみですね~♪』

『ええ。ウルシアナスキー博士は今世紀最大の発明をなさった偉大な方ですよ。もう、ノーベル賞は確実ですなあ』

 なんて知った風な事を喋ってたっけ。

 俺には何がなんだか、さっぱり解らん。

 兎に角。かの有名な物理学者も吃驚仰天したかも知れない数式は、ウルシアナスキー氏が自身の理論を証明すべくネット配信を利用し、公開実験を執り行った。

 その結果、一転して世界中から大絶賛されたのだ。各国の要人や富裕層達が氏の数式に群がり、我も我もと異世界転移の研究が始まった。

 ところが――だ。

 この数式には実は、大きな欠点が、幾つもあった。

 先ず、転移できる異世界を指定できない。繋がった異世界への扉の向こうがアニメや漫画のような、魔法と精霊と騎士様の存在するファンタジーな世界ばかりとは限らない。

 もしかしたら誕生したばかりの地球みたいに、生物が全く生きていけない灼熱の世界かも知れないし極寒の世界かも知れない。恐竜時代のような弱肉強食の世界かも知れないし、突然宇宙空間に投げ出されるかも知れない。闇の力に支配された、危険極まりない世界の可能性だってある。

 要するに《行き先は運任せ》

 扉を開けてみないと判らないのだ。

 更に。

 繋がっている間は確かに二つの世界を行き来できるが、それを維持できるのは数時間と限定的だ。当然異世界を探索…なんて非常に難しい。

 精精、繋がっているゲートから半径一キロメートル程度の領域しか活動できない。

 そして一度閉じてしまうと再び同じ異世界に繋がる保証が無い為、取り残されたら最後こちらへ無事に帰還できる確率は、ゼロに等しい。

 当然ウルシアナスキー氏は直ぐ様この難題に取り組み始めた。世界中から有能な人材を掻き集め、政府を動かし国費を使わせ専門の研究施設まで建設し、さあこれからって時に突然氏がこの世を去ってしまった。

 まだ誰一人数式を理解出来ていなかった研究チームは、氏を喪った途端に全てが頓挫し施設は閉鎖、あっという間に解散の憂き目に逢った。

 残された数式は《解読》という名分で幾つかの先進国が氏の遺族に対し、譲渡若しくは売却を紳士的に高圧的に提案した。遺族は数式の扱いに困り明確な回答を避け続けた為に、果ては国家レベルの知的財産争奪戦へと発展していった。

 そして。お決まりのパターンだが、互いの足を引っ張り合う揉め事の種と成り果ててしまった。

 こうなると世間の興味は急速に薄れていき、他所の事へ向けられるようになる。

 やっぱ異世界へ簡単に行けるわけないよな~。って感じに。

 それでも偶に、後日談がニュース番組で取り上げられていた。先進国の某お偉い方さんと某大統領さんが《ワケ判んない痴話喧嘩やってます》程度の扱いで。

 事態が大きく動いたのは、ウルシアナスキー氏がこの世を去って一年程過ぎて。

 ある一人の名も無き人物が、問題だらけだったウルシアナスキーの数式を【完成】させたとSNSを使って発表した。


 世界は一変した。

 ―――――――――――となる筈だった。


 角を生やした兎に似た小型の魔獣ビーサーの死骸を山と積んだ荷車に乗り込み、採集問屋の検閲員は「えっと…」と言いながら素早く数えていく。

「確かに…ビーサー四十六匹、です…ね。角の傷んだモノは無し…っと。皮は…まあこれぐらいの傷なら大丈夫でしょう。…捕獲方法は鋏型の罠を使って生け捕りにした後で《処理した》…でいいんですね?」

「ああ」

 俺は検閲員に答えた。

 《処理》という言葉に内心抵抗を覚えながら、署名した納品証明の書類を検閲員から受け取って、大きな倉庫の端に小さな事務室を拵えただけの問屋を後にした。荷車は街に入る際に道具屋で借りたものだと申告すると

「こちらで返しておきましょう。ちゃんと穢れを払っておかないと大変な事になりますから」

 そう言って荷車ごと引き取ってくれた。

 ナーヴァ大陸中央地域の大半を占める、魔物の巣窟と化した大森林地帯《暗黙》に程近い地方都市の一つホプステプ。この街は《暗黙》から湧いて出てくる魔物対策として、頑丈な魔石を嵌め込んだ石壁で街全体をぐるっと取り囲んでいる。街への出入口となる門は三箇所。東西と南。

 その内最も大きな南門から中央の領主が住む居城までまっすぐに大通りが整備され、幅広の通りの両側に大店が軒を連ねている。

 一方大通りから脇道に入れば、巾の細い曲がり角の多い道が複雑に入り組んでいる。奥へ行く程生活水準の低い下層民の居住区となっている。明るい場所には富裕層が、ダウンタウンには貧民層がと住み分かれるのは《こっちの世界》でもどうやら同じらしい。

 その明るい方の大通りを一本裏に入った区域には《暗黙》に近い街だけあって、採集者や冒険者の為の飲食店や鍛冶屋に武具屋と宿泊所が充実している。

 採集者とは。

 主に魔法薬作りに必要な素材となる植物や魔獣を、《暗黙》だったり低級魔物が棲み付いた廃都ボウフなどで採集する者を言う。

 採集者である証の木札を採集用の篭に付け、スコップとピンセットに似た採集箸と手袋型の魔術具と、後は手製の罠等を背負い袋に入れて、小刀位は持っているが得物の類いは持っていない。基本、戦闘には向かない職業だ。

 冒険者とは。

 《暗黙》の奥深くを塒にしている中級以上の魔物を、時にはクェンやノドイホール等のダンジョンに籠って大型の魔物を狩る者を言う。彼らは直接魔物達と戦うので何かしら得物を携えている。

 採集者だって多少は戦えるが、中級クラスの魔物に出会ってしまったら先ず【全力で逃げる】を選択する。

 戦う必要はない。俺達採集者は【採る】事が仕事なんだから。

 冒険者が仕事の依頼を《冒険ギルド》から受けるのと同じように、採集者も《採集問屋》から仕事を受ける。だが、どちらも依頼自体は帝国の《魔物魔獣被害対策局》から発注されたもので、報酬は《ギルド》からも《問屋》からも直接受け取る事ができない決まりになっている。

 依頼の品物を納品した事を証明するこの書類を持って国立換金所に向かう。そこで報酬を受け取るのだ。

 この街の国立換金所は西広場の奥にある。問屋から大通りに一度出て居城の足下にある中央公園まで移動し、西通りを少し歩けば青果市をやってる西広場に辿り着く。市を通り抜ければ、目的の換金所に到着だ。

 受付の所員に書類を提出して近くの木製のベンチに腰掛ける。

 所員の無駄に時間の掛かる計算とややこしい手続きが終わるのをひたすら待って、やっと報酬を貰えるのだ。即日報酬が出ればいいが、場合によっては数日待たされる事だってある。

 異世界に居たって、お役所ってのは手間暇掛かってしょうがない。ここも同じなんだな。

 ともあれ。五十匹近くの魔獣を狩って得た金で、暫くは《こっちの世界》に居られそうだ。


 結構時間が掛かるだろうと覚悟していたが、いつもよりスムーズに手続きが終わって無事に今回の報酬を受け取った俺は、国立換金所のロビーで思わぬ事に顔見知りと再会した。

 赤毛の短髪に赤毛の髭をたっぷり生やした半ドワーフの男で年は確か、俺より一回り上だったか。職業は俺と同じ採集者だ。

 いや違うか。彼は採集問屋アッホイ商会と専属契約を結んだ【正規の】採集者なのだから。

 問屋と契約すれば正式な採集者として登録され、何かあった時に帝国が色々と補償してくれるのだ。

 例えば採集地で獰猛な魔獣や魔物に出食わし負傷した、若しくは苦労して採集したものを失った場合に発生した損失を補償してくれたり、用心棒が必要になれば問屋が冒険者を用意したり割引特典で紹介してくれるので、実入りの良い難易度の高い依頼もこなせるようになる。

 更に宿泊費用を全額立て替えてくれた採集者もいたっけ。

 俺のようなフリーの採集者とは大違いだ。

 いいなあ。

 だが。

 望めど身元不明の俺が何処かの採集問屋に登録出来る訳がなく、目下フリー採集者を貫き細々と毎日をこなしているのである。

 半ドワーフの彼オンボ・バードィルは、俺と目が合うや「おう!ニュートンじゃあないか!」と言って、軽く上げた右手をぶんぶん振った。

 俺はそれに応えて、互いに無事に再会出来た事を喜んだ。

 採集者は主に薬草や魔術具作りに必要な素材を、山や森林・海に出て採集するのが仕事だ。素材も植物・鉱物だけでなく、多少の魔物や魔獣も依頼リストにある。だから魔物・魔獣が多く生息する《暗黙》に足を踏み入れる事だってあるのだ。

 そこで不運にも魔物や魔獣に襲われたり命を奪われる事もある。だから見知った採集仲間にまた会える事は何より嬉しい。

 お互いの肩に腕を回して、積もる話をするならばと、迷わず換金所から向かいの酒場へ歩き出した。

 この世界では酒と料理を出す店はビヤと呼び、更に宿も提供するとヴィアと呼ぶ。件の酒場はビヤ《冥土のみやげ》と言って、ここの料理は安くて早くて何より味は絶品!一度食べたら病みつきになる事請け合いだ。………ま、見た目の問題をクリア出来れば、の話だが。

 無事にその試練を乗り越えられた勇者は換金所を出ると温かくなった懐を抱えつつ、俺達のように《冥土のみやげ》でまずは一杯引っ掛けて行くのだった。


 《冥土のみやげ》は今夜も大勢の客で賑わっていた。大半は、やっぱり冒険者と採集者。あっちで騒ぎこっちで呑兵衛が寝っ転がっている。

 俺達は何とか空いてるテーブルを見つけ、他の客に先越される前にさっさとテーブルに着いた。通りすがる給仕女性を捕まえて、オンボが次々と注文していく。その後で俺は俺の分を追加で頼む。店の奥に陣取っている一団が賑やかに声を上げた。

「ありゃあ…ムカィデんとこの冒険者だな」

 十人はいるだろうか。皆大分出来上がっているようで隣のテーブル客にちょっかいを出してる困った輩もいた。

 そんな中、目立っていたのは一団の中心に座っている男だ。冒険者らしく左頬から上唇まで真っ直ぐに傷痕があった。

 なのに、切れ長の目に鼻が高く筋が通った顔立ち。顎の辺りのラインがスッキリしていて…うん。なかなかのイケメンだな。両脇に綺麗なお姉さん達を抱え込んで随分とご満悦の様子だ。……ちくしょう。

 という本音を隠して

「へえ。大物でも仕留めたって所か」

 とドンチャン騒ぎの理由を予想してみた。すると、オンボは本当に嫌そうに肯定する。

「………だろうな」と

 数あるギルドの中でも大所帯で老舗の《ムカィデ》。そこに登録している冒険者達は、皆かなりの戦闘力と聞いている。《俺の居た世界》では想像上の生き物である、ドラゴンに良く似た上級魔物だって仕留められる数少ない組織の一つだ。

 そして。

 あんまり良い噂は聞かない。オンボも噂の事は知っているらしく、出来るだけ関わらねえようにしなくちゃなと俺に言って来た。


 黒麦酒を注いだグラスで何度目かの乾杯をして、俺はオンボと大皿に盛られたズブ肉のフライを取り合った。

 ズブとは尻尾のないリスのような姿の小動物で、揚げ物でよく使われる食材だ。シャモに近い歯応えがあり、鶏の唐揚げみたいな味のこいつを俺は結構気に入っている。生肉は鶏ささ身みたいな色なのに、何故だか赤黒い色に揚げられているせいで最初の一口に相当な勇気を必要とした。

 あの瞬間を乗り越えられた俺を褒めてやりたい!

 オンボもズブ肉のフライは好物だそうで、会えばいつも大盛りで注文する。

 テーブルにはその他に、調理中に紫に変色する野菜炒めっぽいドルドルと人の手のような形に焼き上げる麦パン、赤と青と黄色とピンクの葉物野菜をハッシュというソースを絡ませたサラダにオンボが頼んだ酒の肴はコオロギっぽい昆虫の、煮詰めて干したものでンガディと言うらしい。

 コオロギと言っても、あっちの世界で見掛けるヤツの三倍の大きさはあるだろうな。コオロギというより――筆記する事に甚だ抵抗感を覚えるが―Gから始まる《人類の天敵》に見えて仕方がない。

 そうでなくても昆虫食には抵抗がある。流石に食糧危機とかで緊急事態に陥って、どうにもこうもにっちもさっちも行かなくなってしまい最後の手段として昆虫に手を出すしかない!となったらば、まあその時は食べる…かも知れないが。

 真っ先にズブ肉のフライを平らげた後、オンボはグラス片手に好物のンガディを一つ摘まんで頭の方からかぶり付き、音を立ててそのまま引きちぎる。奥歯で咀嚼し続ける音を聞きながら、俺は黒麦酒片手にドルドルを摘まみながら今回の仕事内容を話していた。

 今世話になってる問屋はジャンク・ルで発注元は《帝国錬金術養成院》。依頼内容は、来季に帝都で行われる錬金術師の資格試験に必要な素材集めだった。それもかなりの数と種類がリストアップされていた。依頼を受ける採集者に制限はなく厳しい審査もない。

 採集品目が兎に角、多岐にわたっているからだ。薬草六十七種類、魔獣の骨三十二種類、皮・角・爪は合わせて十種類、魔石は上級八種類、中級十四種類、下級だと二十八種類。爬虫類系魔物は生け捕りで五十匹と注文書に書いてあったが、魔石や魔物は冒険者向けの依頼だろう。

 俺はその中でも比較的簡単にクリア出来そうな魔獣ビーサーの捕獲を選んだ。

 報酬は納品の都度支払われるという。ビーサーの場合、四十匹で銀貨一枚、端数は一匹で〇・五銅貨。但し、試験で使う素材だけに基準が結構厳しい。希望数量に達した時点で依頼終了となる。

 依頼を受けて早速、俺は魔物の巣窟《暗黙》に入って罠を仕掛けてみた。意外にも簡単に捕獲できたもんだから、調子に乗って片っ端から捕まえて捕まえて捕まえて捕まえて捕まえ、て…。

「おうっ!それはそうと。…お前聞いたか」

 俺の話を唐突に遮って、オンボが顔を近付けてくる。にっかと笑って見えた下歯の隙間に、ンガディの残骸が挟まっているのをうっかり目にしてしまった。一度視界に捉えてしまうともう、その歯と歯の間から突きだした昆虫らしい足の先から目が離せなくなる。

 これは…。

(今夜、夢に出てくるかもな)

 などと尾首にも出さず、気付かなかった振りをして「何が?」と訊き返せば

「お前さんが狩りに行っとったその《暗黙》な、今、魔物どもが姿を消しちまっとるんだとよ」

「え?!」

 まさか。俺が狩りまくったせいでビーサーが絶滅したのか?いやいやまさか。あいつらの繁殖力は半端ないって聞いてる…ん?魔物?

「魔物って…どういう事だ?」

「ニュートン、お前……おお、そうか!お前は他所の大陸の生まれだったな!」

 呆れ顔でこんな常識を何で知らないのか、と言いかけたオンボは俺の作り出した偽プロフィールを思い出し「よそモンなら知る訳ないわな!」と豪快に笑って、大きな左手で俺の右肩を叩いた。

 わっはっはっはっと笑った拍子に、下歯に挟まっていたヤツがテーブルの上へと発射される。

 それも俺は見逃す事が出来なかった。心持ち仰け反る。そんな俺に気付かないオンボは親切に説明を始めた。

「《暗黙》じゃあな、定期的に魔物が大量発生するんだ。確か…二十年?いや三十年か。大体はちっちぇーヤツから中級クラスの魔物が近隣の村とか集落に押し寄せてきてな。まあ、こいつらは冒険者ギルドが駆除に乗り出して…っか~!…去年もどっかの公国が依頼を出しとったな。冒険者にとっちゃあ、ちょっとしたボーナス仕事だ……倒した魔物が落としたアイテムは全部、自分の物にできる、(ブチッ)…からな」

 話しながら黒麦酒を煽り、次のンガディに手を伸ばしてまた頭からかぶり付くと派手に音を立てて喰い噛った。

 更に話は続く。

「冒険者はこいつには飛び付くが、それとは別にだな、もっとでっかい…んぐんぐっ…くはぁ~やっぱ黒麦にゃあ、こいつが一番だあっ!……お、姉ちゃん!黒麦酒おかわりくれや!!」

 食べ終わった皿を何枚も積み上げ、満席状態の店内で酔ってフラついている客を器用に避けて厨房へと歩いていた、注文を頼んだ子とは別の給仕女性に声掛け振り返る。

 その機会を逃さず、俺はテーブルに落ちたンガディの足が見えないように取り皿を一枚、稍右手に動かし俺の視界から隠してみた。オンボはと言うと、抜け目なくちゃっかり俺の分まで黒麦酒を注文していた。

 はいはいと給仕女が返事して去って行くのを見届けてからこちらに向き直ると

「もっと規模のデカい、《魔王の行軍》ってやつが起きる」

「魔王の行軍?」

「ああ。普段は《暗黙》の結構奥にいて、なかなかお目に掛かれねえ上級以上のボスクラスの強ぇ魔物がな、百年に一度、全魔物を引き連れてだな、大群となって《暗黙》から溢れ出て来るんだ。……お貴族さんらの間で《魔王の行軍》とか呼んでるらしい」

「魔王って…魔物にも王様がいるってのか?」

「いや違う違う!物の例えってヤツだ。聞いた話じゃあよ、そん時だけとんでもなくデカい奴が現れるんだそうだ。そいつの腕はシャーフル神殿の正門の柱並みに太くてな、足はワイバーンよりも一回りでけえって話だ。あとな、ドラゴンみてえ顔だとか山羊だとか、まあ…色々だがな。…あ?なんで色々か?…それは知らん。…兎に角、そいつが馬鹿みたいにデカいヤツだから、勝手に誰かが《魔王》って呼び出したんだと。ま、奴らは所詮魔物だからな。統率力がある訳じゃねえよ」

 さっきの給仕女が厨房から戻ってきた。俺達のテーブルを通り過ぎながら黒麦酒が並々と注がれたグラスを二つ置いていった。

 その一つを早速手に取りながら、オンボは最後に締め括った。

「で、その《魔王の行軍》が起こる二週間くれえ前から《暗黙》で魔物の姿を見なくなるんだ。魔獣も、魔王が放つ闇の気配を感じ取って何処かへ逃げ出したか姿を見なくなっちまうとか。若しくは、奥から出て来た魔王が腹ごしらえに片っ端から食っちまってるかもな。…兎に角、魔物を見掛けなくなると帝都の行政部に報告する決まりになっとる。で、報せを受けた帝国は威信を賭けて討伐する。まあ…数が半端ねえらしいから帝国軍の正規兵だけじゃあ戦力が足りねえってんで、毎回、冒険者ギルドに頭数揃える目的で、冒険者狩りの命が下るんだとよ」

 冒険者狩り―――。何やら物騒な文言が飛び出して来て、俺は残りの黒麦酒を一気に飲み干した。


 あの後、俺は派手に酔い潰れたオンボを宿泊しているヴィアまで背負って送り届けた。

 そこは五ツ星の高級ホテルのような、壁一面白亜色で統一された五階建ての美しい建物だった。しがない一採集者の俺には、お近づきにもなれない。

 だからふと思ったのだ。

 酔った友人を部屋まで送っていけば、泊まる事など決して叶わないこの宮殿のようなきらびやかなヴィアの中を、一目だけでも拝ませて貰えやしないかと。

 だが然し。そんな俺の浅はかな期待も虚しく、大通り沿いの正面門を抜けて前庭付きのエントランスに足を一歩入れた途端、玄関扉の前に立っていた警備員が二名、素早く近付いて来た。

 一人はごつい二の腕を見せびらかしつつ俺の背中から酔っ払いを引き取り、もう一人が「ありがとうございます。後は我々が…」と言って、にこやかに笑顔を振り撒きつつ右手で《帰れ》と正面門を指し、あっと言う間に俺は門の外へと追い出されていた。

 暫く正面門の前で立ち尽くしていた俺は、やっとの思いで未練を断ち切り、軽くなった筈の背を丸めたまま下町の真っ暗な石畳を安ヴィアへ向かって、足取り重く歩き始めた。

 ヴィアに深夜前に着いた俺は、別料金で提供してくれる朝食の予約を主人に頼んで部屋に入るとそのままベッドに突っ伏した。ギシギシ悲鳴を上げるベッドに更に惨めさが増してウジウジといじけていたのも、いつの間にか眠ってしまっていた。


 俺は《この世界》の住人ではない。


 俺の生まれ故郷は《地球》という名の太陽系第三惑星が存在する世界だ。その《地球》の日本という国の首都東京の上野の隅っこにある古い四階建ての雑居ビルの一室を借りて、ひっそりと《人探し専門》の小さな探偵事務所を営んでいた。所長は俺。従業員も俺一人。

 三十を超えた大人が、良い年をしてまだ実家から金銭こづかいを貰ってるお陰でまあ…最低限の生活は保証されている。

 友人達からは『まだ親の脛を齧ってるのか』『お前の仕事って只の道楽か』と嫌味を言われたりしてるが。

 正直あんまり繁盛はしてない。積極的に広告なんぞ出しちゃあいないので当然だか、時折『知り合いから失踪者探しを依頼するならここが良いって紹介されて…』とお客さんがやって来る。

 話を聞けば、勧めてくれた《知り合い》とは嫌味を言ってた友人達だった。

 やっぱり持つべきは友、だなあ!

 俺自身、この仕事は俺に向いてると思っている。どんなに情報が少なくても目的の人物を見つけ出すのは得意だ。何でかは――良く判らん。

 判らんが一度受けた依頼を失敗――失踪者を見つけられなかった事など一度もない。

 お陰で口コミで評判は広がり、じわりじわりとだが顧客数と業績は伸びつつあった。

 ある日。

 若い男が事務所にやって来た。二十代後半の彼は失踪した友人を心配し、行方を知りたがっていた。俺はその話を信じて友人を探し出した。

 ところが、依頼人が言うような失踪などしていなかった。友人は実家を出てアパート暮らしを始めていた。

 報告書を纏めている間、俺は何か引っ掛かった。だがそれが何なのか判らず、まあ気のせいだろうと放ってしまった。

 依頼人に調査報告書を渡し

『ご友人は失踪なぞしてませんでしたよ』

 と口にすれば

『すいません。実は、携帯を機種変更したせいで連絡付かなかっただけだったそうで、昨日、向こうから連絡ありました。お騒がせして申し訳ないです』

 ひたすら頭を下げた。一応捜索はしたので費用は払いますと向こうから言って来たので、いつものように請求書を報告書の入った茶封筒と一緒に渡した。翌日には指定した銀行口座に入金され、無事に依頼完了となった。

 数日後。依頼人だった若い男は、俺から受け取った調査報告書に記載した友人の住むアパートへ、事前に準備した包丁を鞄に隠し持って訪問したのだ。

 実は友人なんて真っ赤な嘘だった。中学生時代に自分を不登校にまで追い込んだイジメグループのリーダーに復讐する為、独り暮らしを始めて実家を出たと風の噂で聞いたそいつの居場所を突き止めたくて俺の事務所にやって来たのだった。

 幸いにも、偶々その時アパートに会社の同僚が数名遊びに来ていて、襲われそうになった被害者を助けに入ってくれたお陰で怪我は軽傷で済んだらしい。

 だが殺人未遂事件としてニュースで大きく取り上げられた。

 当然だ。被疑者は管轄内の刑事部長の長男で、被害者は某政党に所属する政治家の次男坊だったからだ。

 最初は襲われた次男坊に同情する側に偏っていた世論だったが、事件の切っ掛けであるイジメについてのネタを掴んだ某週刊誌が、特集を組んで事件の背後を暴露した途端に状況は一変。たった一日で被害者の次男坊は世間から叩かれる事になった。

 で、俺はこの殺人未遂事件の発端である、次男坊の個人情報を漏らしたとして所轄の警察官が三名やって来て、事務所兼自宅の入口でいきなり《重要参考人としてご同行願う》とか言って、問答無用で連れ出されたのだ。

 まるで俺が犯人であるかのように。

 信用第一の仕事だったのに。

 もうこの仕事は出来ないかもなぁ……。


 所轄の警察署に連行された俺だったが狭い取調室に現れたのは刑事ではなく、同じ濃紺のスーツで揃えた二人の男だった。

 パイプ椅子に座らされた俺と机を挟んで向かい合うように座ったのは一人。

 もう一人は扉の側で壁に凭れて腕を組んだ。真っ直ぐな黒髪は前髪を一直線に切り揃え、全体的に短く切り込んである。顎のラインがスッキリとして彫りが深い顔立ちだ。さっきから柔らかく微笑んだような表情をしているが、眼は全く笑っていない。酷く落ち着かない気分にさせる男だ。

 対して座った男は稍茶色く染めた髪に緩いウェーブを掛け、襟足を隠す程度の長さで切り揃え、色白の顔肌に細い鼻に枠の細い眼鏡を掛けていた。

 こっちはニコリともしない。一切の感情が剥ぎ取られた、能面の如く無表情で何を考えているのやらサッパリ読めない。どっちも嫌なタイプだな。

 眼鏡の彼が口を開いた。

『確認します。本件に於いて被疑者は貴方に虚偽の個人情報を提示した上で人探しを依頼し、その情報を信用した貴方は被疑者に被害者の住所を教え結果、事件を引き起こす切っ掛けを作ってしまった』

 俺は黙った。

『で、間違いないですね』

『ああ…』

 渋々答える。さっきから言ってんだろうが!と八つ当たりの言葉を吐き出しそうになるのを堪えた俺は偉い。

『此方の調査でも、被疑者の証言から裏は取れました。…御存じでしたか?警察は貴方を共犯若しくは協力者ではないかと考えていたそうですよ』

『冗談じゃないっ!俺だって被害者なんだぞ!!』

 信用第一の職業なだけに、今回の事は大きな痛手だ。こみ上げてきた怒りで硬く握り締めた拳で机を叩いて声を張った。

 勢いで立ち上がった俺に落ち着くよう手で制した眼鏡男は、不機嫌なまま再びパイプ椅子に座ったのを見てから

『ええ。ですから貴方は釈放されます。ただ』

 と机の上で両手を組み合わせ

『被害者側は黙っていないでしょう』

『はあっ?』

『被害に遭ったとは言え、元々学友を虐めていた事実が発端となった事件です。その事実が明るみに出てしまった今、イジメの被害者であった被疑者への同情心から世論は被害者への風当たりを強くしています。父親のF氏も議員辞職願を出さざるを得ない状況に陥っていますし、F氏とF氏の支援者達にとってはハッキリ言って迷惑千万な事件です。貴方、随分と恨まれている事でしょう』

 それは言い掛かりってヤツだ。

『危害を加えられる、かも知れない』

『何だよ…それ』

『そこで提案です』

 指を組んだ両手を顔の前まで上げてテーブルに肘をついた眼鏡男の目が細められた。

 こいつ…笑った。

『我々が貴方を保護致しましょう。ご心配なく。どんな強大な権力であろうと、我々はびくともしません。我々の庇護下にある限り、貴方の身の安全は保証致します。但し、一つ条件があります。それは我々の依頼を受けそれを完遂する事です、いいえ、拒否権は与えません。依頼の内容は勿論、貴方の専門である人探しですから』

 は?

『如何でしょう』

 この言い方、この場の雰囲気、そして扉の前に相棒を立たせたままにしているこの状況で、どうして俺が《否》と答えられようか!

 やっぱ、こいつら嫌いだ。

 腹ん中で悪態を吐きながらも、俺の唇は《是》と形作ったのだった。


『何でも、貴方はどんなに少ない情報であっても目的の人物を探し出せられるとか。いやあ~なかなか素晴らしい才能ですねえ。その素晴らしい才能を是非共に、国家の為国民の為に大いに発揮して頂きたい。――異世界で』

 微笑み男の持ち上げセリフに気を良くした俺は、最後の一言を聞いて彼らの《探し人が誰か》気付いてしまった。へえ~何か面白そうですね~と、うっかり口にした俺は馬鹿だ。

 きっと大馬鹿野郎なんだろうな。

 まさか、あんなにも大変な仕事になるとは思いもしなかったのだから―――。

『これからはニュートンと名乗って下さい。コードネームというやつです。今までの御自身の個人情報は一切、使用を禁じます。誰に会っても、決して本名を漏らさないように。例え漏らしてしまったとしても、貴方はもう《死んだ人》となっておりますので、そこの処悪しからず』

 取引に応じた後、眼鏡男の指示を受けて微笑み男は俺に手錠を掛けた。そして手錠と繋がっている紐を掴んだ彼と連れ立って、先に取調室を出た眼鏡男の後を追う。

 表向き二人の肩書きは警視庁のストーカー犯罪対策室の警察官だそうで、俺は重要参考人として所轄から警視庁に身柄が移されるという筋書きらしい。

 廊下を幾らか歩いた後、裏口から署を出て停めてあったグレイのバンに乗せられた。運転席と後部座席の間には即席らしい不透明の仕切りが付けられ、窓は全て分厚いカーテンで塞がれて外の様子は見えない。

 勿論目的地は警視庁ではない。だが、何処に向かっているのか教えてはくれなかった。彼らの本拠地は極秘事項だそうだ。バンが走り出してから漸く手錠を外して貰い、俺は今度は微笑み男から簡単だが説明を受けた。

 予想通り、俺が探す人間は《ラビット・フットマン》――世界でただ一人、異世界転移の完璧な数式を編み出した天才だ。

 《ラビット・フットマン》

 本名不明、年齢性別住所に出身地不明、学歴職歴不明、生死さえ不明。ネットワーク上でこのアカウント名だけが有名無実に存在する、彼の若しくは彼女の個人情報は一切合財知り得ない。強固なプロテクトが掛かっているのかと思えば、あるホワイトハッカー曰く『空っぽ』だったそうだ。

 どういう手品を使えば個人情報なしでアカウントを手にできるのか。挑戦したハッカーがお手上げだったそうだ。

 一時間は経っただろうか。途中から坂道を延々上っていたらしいバンは遂に停車した。降りる前に黒い頭巾を頭から被され、視界を塞がれた。足元辺りは視線を落とせば何とか見えるが、ここが何処だか特定されたくないのだろう。

 徹底してやがる。

 建物の中に入ったと思ったら頭巾を外される。予想以上にそこは明るくて、眩しさに目を瞑ってしまった。

 特徴のない白い壁と天井、コンクリート地の床が続く通路を何度か右に左に折れながら進むと、ガラス張りの部屋が目の前に唐突に現れた。

 その中で、数名の人間が沢山のモニターとパソコンに囲まれて忙しく動き回っている。

 微笑み男は上着の胸元辺りからIDカードを取り出し、半分がガラス製の扉脇に備え付けられたリーダーに当てる。

 解錠音がして、横に扉がスライドした。

 微笑み男の後に続こうとして、眼鏡男に肩を掴まれ動けなくなる。見掛けと違い、なかなかの力だ。

『貴方のカードです。此がないと貴方は侵入者と判断し即刻排除されます』

 小さく顎を動かしガラスの向こうに見えるモニター群を指す。よく見れば、その奥にデカいハードディクスの四角い箱の角がチラッと見える。

『チャールズJrセカンドと言います』

 天井の監視カメラが数台、一斉に俺の方にレンズを向けた。無機質な威嚇の意思表示に背筋が凍り付いた俺は、慌てて眼鏡男からIDカードを受け取りリーダーに翳すと漸く中に入れた。

 微笑みを浮かべたまま、俺が入室するのを待っていた微笑み男に俺は八つ当たり交じりに睨み付けてみたが全く効果なく、奴は俺に特別探索チーム《猟犬ハンティングドッグ》のメンバーを紹介していった。

 モニター群から目を離さない索敵担当のダーウィンは二十代後半か、黒地に何かのキャラクターが胸にプリントされたTシャツとデニムパンツ姿で首の辺りにヘッドフォンを掛けている。地球世界からのサポートを任される管制官のテスラは対照的にグレイのスーツで身だしなみには随分と気を付けていますって印象を受けた。微笑み男に紹介されて、すっくと立ち上がり俺に握手を求めてきた。

「宜しくお願いします」

 とだけ言って、すぐに手を離すと仕事に戻った。

 俺と同じく異世界へ実際に赴いて兎さんを追うのは、長身で肩に触れる位に伸ばした髪を後ろで一つに束ねた爽やかな笑顔の青年パルメニデスに、小さめの太鼓程に育った腹を突き出したままソファから一ミリも動こうとしない中年男アリストテレス。

 対してソファの背凭れに軽く腰掛けて、緩い癖のある髪を金茶色に染めた紅一点のキュリーは、「どうも」と野太い声で応えながら、ダンベルをさっきからずっと片手で持ち上げては下ろしてを繰り返している。

 そして俺はここに至って漸く、微笑み男はエジソンで眼鏡男はハイゼンベルクというコードネームだと知ったのだった。

 誰も彼も初対面の俺に対して、自らの素性を明かす事はなかった。

 知るな訊くな。

 これがチームの絶対規則ルール、だそうだ。

 あと、ここにはいないがチームの総責任者はアインシュタインと名乗っているらしい。

 ま、俺たち末端が御尊顔を拝する機会は微塵もないから気にするな、とハイゼンベルクが両眉の間に小さな皺を作って吐き捨てるように付け足した。アイツ…。

(感情があったのか)

 一瞬、彼の視線が俺に刺さったような気がした。


 何とも言えない旨そうな匂いで俺は目を覚ました。どうやら俺は夢を見ていたらしい。だが、どんな夢だったのか、窓板の隙間から差し込む光が目に当たった途端に忘れてしまった。

「まあ…いいか。忘れちまうくらいだから、どうせろくでもない夢だ」

 それよりも。

 匂いに釣られて騒ぎ出したこの空きっ腹を一刻も早く黙らせよう。起き上がっただけで俺の体重に悲鳴を上げるボロいベッドから出て、床に置いたままだった背負い袋からシャツを一枚取り出す。

 汗と汚れでベッタリ肌に貼り付き、昨夜の酒の匂いがうっすら残っているシャツを脱いで、新しいシャツに着替える。背負い袋に再び手を突っ込み、取り出した麻袋の口を広げると脱いだシャツを無造作に放り込む。

 この世界では頻繁に服を着替える習慣がないらしい。理由は水属性魔法を使えるからだ。

 お貴族様の場合は、側仕えに洗濯させてるらしいが、平民の場合は汚れが酷くなったら月に一度纏めて《洗濯所》で魔法を使える者に銀貨二枚を払って頼むか、水属性魔法が使えるのなら銅貨六枚で洗い場を借りて洗うらしい。

 勿論、俺は全く魔法が使えないから人に頼むしかない。そうなると銀貨二枚は痛い出費だ。かといって、毎日着替えているから一ヶ月も溜めて置くとかなりの量になる。嫌でも目立ってしまい、変に人の記憶に残りかねない。

 それは大いに困る。

 そこで面倒な手間だが、ある程度洗濯物が溜ったら街を出る事にした。次の街まで移動する途中で川を見つけたら人目に付かない場所でごしごしと手洗いするしかない。

 ここに来て初めて《洗濯機》のありがたさを思い知ったよ。

 汚れ物を入れて口をしっかり縛ったら、麻袋を背負い袋に戻す。

 手が背負い袋の中で《あれ》に触れた。

 取り出したのは縛り紐がないのにしっかり袋口が閉じている、黒地に銀の刺繍糸で紋様が縫い付けられた小さめの巾着袋だった。

 初めての転移で辿り着いた異世界で、自称《神》からせしめた万能道具だ。巾着袋は俺の意思に合わせて念じるだけで口を開ける。

 中は某アニメのポケットみたく異次元空間が広がっていて、何でもどんなに巨大なモノでも収納できてしまう。今この中には魔獣ビーサーがまだ約三十匹程生きたままいる。

 魔獣と一口に言っても、RPGゲーム等に出てくるような《倒すと魔石やら時にはレアアイテムが手に入る》なんて展開は起きない。それは魔物の方だけだ。

 魔物が跋扈する《暗黙》のような特殊な生態環境では普通の生物はその闇の力に呑まれて死んでしまう。が、稀に耐性を持った生物が突然変異で生まれる。それを人々は魔獣と呼び分けているのだそうだ。

 一応獣に分類されるビーサーだが、《暗黙》での影響か肉は食べると魔人化する危険があり、その為食肉としては好まれない。

 草食で大人しく臆病な性格で人を襲うような事は全くない。人畜無害な魔獣だが、繁殖力が桁違いに凄いので慢性的に増え過ぎたビーサーの駆除依頼が発生する。

 肉は好まれないが、その他は様々な分野で素材としての需要がある。

 角は新米錬金術師の練習用に粉末にして使うそうで、錬金術養成院とかいう機関からの依頼が多い。

 皮は頑丈で物理攻撃に対する耐性が稍高めなので貧乏冒険者向けに安価な防具の素材として、骨は《暗黙》に広がる闇の魔力が蓄積されるそうで、まじない師が好んで買い取るのだそうだ。

 ビーサーの生息地域は《暗黙》に入ってすぐの、比較的陽射しが入って明るい場所が多い。人間に対して全く警戒しないので、いとも簡単に捕まえられた。

 捕まえたら、例の巾着袋に放り込んで置けば大量注文にも難なく対応できる。

 面白くなって調子に乗った俺は片っ端から捕っちゃあ放り込み捕っちゃあ放り込みを繰り返し、気が付けば二百匹近くになってしまった。

 依頼内容は確かに合計二百五十匹だが、流石に一度に大量のビーサーを納めると変に疑われるかも知れない。

 目立たないように。

 他の採集者と変わりないように。

 ここ暫くはあちこち街を巡り、数回に分けて少しずつ納品していた。《何度も暗黙に入ってはコツコツと依頼をこなしてます》アピールをしつつ、必死に誤魔化してきたのだ。

 俺はしがない採集者Aです。

 上級魔物を簡単に倒せるような冒険者ではありません。

 目立つと本来の《任務》が出来なくなるからな。

(《魔王の行軍》ね…捕食する側の下級魔物さえ姿を消し出したのに、ビーサーがいつまでも納品できてる状況ってのは…流石にまずいよなぁ)

 今日の昼前には街を出て、次の問屋がある街へ移動しようか。昨日の稼ぎ分なら一週間の旅費に余裕だろう。

 それでも無駄遣いは避けたい。不測の事態で出費が嵩む事もあるし。やっぱり乗り合い馬車を諦めて、歩くか。

 一度取り出したものの、開けないまま巾着袋も背負い袋に戻した。

 戻しながら、ふと自称《神》の顔を思い出した。巾着袋が欲しいと言った途端、ヤツは大いに慌ててたな。

 《これは母であり妻君であり姉であり片割れでもある我が存在の要が、我が為に拵えてくれた唯一無二の代物ぞ…はてさて。どうしたものか》

 結局、その要さんとやらが

 《くれてやれば良い!神を名乗る以上は約定を違えてどうする!この愚か者》

 その後はやれ出来損ないだの、やれ未熟者めだの色々と詰られ罵倒され出した。長くなりそうだったので、お説教を最後まで付き合う義理はないなと判断した俺は腕輪に手を掛け、とっとと《地球世界》に逃げ帰った。

 元気にしてるかな?仲良くやってると良いけど…ま、余計なお世話か。

 少ない荷物を纏めて背負い袋を担ぐと、短い間だったが世話になった部屋を後にした。

 短い廊下を数歩で抜けてギシギシ五月蝿い階段を下りる間も、宿の中は腹の虫を騒がしくさせる匂いで充満していた。初めてこの街に来た俺に、問屋の従業員が強く勧めてくれた。

『ここのヴィアはね、見掛けはアレなんだけど料理は本物だよ。主の爺さんはね、若い頃帝都で修行した一流の腕を持っててね、なんでも首相邸で専属の料理人に何十年も就いてたらしい』

 どうやらその話は嘘ではなかった。

 夫人ではないそうだが、宿の主とそう年の違わない老女が給仕している。階段を下りきったら食堂だ。

 既に何人かむさ苦しい男衆が、各々テーブルに着いて朝食を貪っていた。殆どが冒険者、と見た。金属製の胸当てを付けてる者、兜を外しテーブルの上に置いてる者、防具の類いは身に付けていないが腰のベルトに小刀の鞘を差してる者、食堂の奥の壁際のテーブルに着いてる髭の逞しい男は、自慢の得物であろう大斧をこれ見よがしに立て掛けてあった。

 俺も空いてるテーブルを見つけて席に着くと、老女が近付いてきた。昨日と同じやつを、と言えば無言で厨房へ向かう。

 いつも不機嫌そうな表情で口もきいてくれないので、怒っているのかと不安になれば主曰く。

「気にするな。あの顔は生まれつきだ。それと、だんまりなんじゃねえ…喋れんのさ」

 それ以上の説明はなかった。

 二人してコミュ力は高くないようだ。

 料理が来るまで、俺は再び食堂内を観察する。一人で食事をする冒険者が大半だが若い男が二人、一つのテーブルに向かい合うようにして食事をしているのは、妙に目に付いた。

 身なりは冒険者……なのだが、その割に佇まいがきちんとしているというか、上品…というか。食事中の姿勢が良いんだよなあ。

 まさか、良いとこの坊っちゃんが身分を隠して市井に出て来て『一度やってみたかったんだよね~』と只今、冒険者生活を満喫中…とか?う~ん。ないか。

 確かに向かって右手に座ってる若者の方が、立場が上っぽい雰囲気出してるけど…主従と言うより上司と部下っぽいなあ。年齢(とし)が近そうに見えるが、兄弟ではないな。

 全っ然、似てないから。

 等と勝手な推理を始めていたら、老女が朝食の料理が盛られた皿をトレイに載せてやって来た。

 もう限界だ!俺は大急ぎでトレイから料理皿を次々とテーブルに下ろすと、匙を掴んで先ずは温かい内にスープに飛び付いた。

 昨夜の《冥土のみやげ》もそうだが、この街はどこの店も本当に料理が旨い!残りのビーサーもここで納めて、まだ少し足りない分はまた《暗黙》に入って狩りをしようと算段していた訳だが、仕方ない。

 暫くはこのスープともお別れだ。一気に飲み干してしまいたい衝動をグッと堪えて、噛み締めるようにいつもより時間を掛けて朝食を味わう事にした。

 朝食を終える頃には、冒険者たちの大半が食堂から消えていた。例の気になった二人組も、いつの間にか居なくなっていた。

 俺は老女に声を掛けて朝食の代金を渡す。そして宿を引き払うと告げると、聞こえていたのか厨房から宿の主も顔を出してきた。

「やけに短いな…一昨日来たばかりだろ?」

「ああ、何でか急にビーサーが捕れなくなってね。狩場を変えようかと思って」

 《魔王の行軍》の事は伏せておくようオンボに釘を刺された。

『あくまでも噂、だからな。違うかも知れねーしなっ』

 帝国が正式に発表するまで、口外無用だそうだ。

「そうか…お前さんも大変だな」


 一度オンボにも声を掛けておこうかと思い、豪華な白亜のヴィアを再び訪れた。昨日の今日なので、警備の男達は俺の事を覚えていた。

 咎められる事もなく玄関の扉が開かれ、俺は初めて中に入った。半円形のロビーには大小のスツールがあちこちに置かれ、天井は吹き抜けになっていて、灯り取り用のガラス窓から差し込む日光でフロア内はとても明るい。館内もまた、外壁と同じ白亜の壁と大理石のような反射する床石が敷き詰められている。

 フロントは俺が立ち尽くしている真っ正面にあった。左右に長いフロントの受付係の女性にオンボの呼び出しを頼めば、何と言うことでしょう!

 早朝に街を発ったと言うではありませんか!

 《帝国軍の奴ら、冒険者と採集者の違いも判らねえ。うっかり冒険者狩りに巻き込まれねえようにな!》

 ああ…そういや、そんな事言ってたな…。で、自分だけサッサと逃げたと。

 いや。それとも問屋から早々に指示が出たのかも……。アイツの泊まってた部屋、見てみたかったな。

 ガックリと項垂れた俺に憐憫の視線を送る受付係だったが、何かを思い出したらしい。「あっ」と声を上げて背後の壁に据え付けられた棚から数枚の紙類を取り出し、カウンターの上に広げた。

「オンボ様から“ニュウトン”様へお言付けがございました。もし、当館に立ち寄られましたら、こちらをお渡しするようにと」

「これは?」

「ゾーン一騎の譲渡証明書と、こちらは通行手形書となります。あと、こちらを…」

「ゾーン…一騎?!」

 ゾーンとは、全身の体毛がやや長めのパッと見道産子のように脚が太い、灰色から黒地の馬である。頑丈な体躯に馬力はなかなかのもので持久力もある為に軍馬として扱われる事が多い。

 余談だが、この世界の神話にゾーンの祖先が登場する。

 最高神である男神が目当ての女神に近付く為に女神が好きだと言う馬の姿となって宮殿に忍び込み、興奮のあまり元の姿に戻るのを忘れて交わった。その結果、生まれた息子は半神半馬の姿となってしまった。

 息子神の性格は幸いにも女好きな父親に全く似ず温厚で思慮深く、いつも静かに神々の住まいである宮殿で魔法やら奇蹟やらの研究に勤しみ、後に知恵と世界の理を司る神として信仰される。

 そして神魔戦争に参加した息子神は、激しい戦いの中で敵の魔人に腹部を喰い千切られ、その肉片が大地に落ちた途端に生まれたのがゾーンの先祖、と言われてるらしい。

 そもそもその神魔戦争の発端は神々の母神である《イオン》を邪神が独占しようと地中に封印した事だった。最高神は激怒し《イオン》奪還の為に大軍を率いて邪神の住処に雪崩れ込んだ。

 大戦の地は《イオン》が封印されたその頭上にあって、《イオン》の力が滲み出た大地と血やら肉片やらが交わってしまい、そこから新たに神や魔物が次から次へと生まれて、それはもう、しっちゃかめっちゃっか……。

 止めよう。この(くだり)は今、大して必要ない話だった。

 兎にも角にも。

 書類と一緒に渡された手紙には走り書きのような、スペルの判読にそこそこ時間を要する文章が短めに書かれてあった。

『徒歩での移動は大変だろう、大したことはできないが、俺からの餞別だ。遠慮せず取っとけ!』

 だ、そうだ。

 無論、ありがたく厚意を受け取る事にした。

 やった、歩かずに済むぞ!

 通行手形書は元来軍馬用のゾーンをそれ以外の目的で使用する際に発行されるのだそうだ。これを失くしたら、平民の俺は第一級窃盗罪に問われて厳しく処罰され兼ねないそうだ。気を付けよう…。

 しっかし。

 オンボの奴、ゾーンなんて持ってたのか…。結構な額で取引されるって聞いてるぞ。やっぱり正規の採集者は俺と違って経済的に余裕があるんだなぁ。

 等と感心していたら

「ご存知ではないのですか。オンボ様は青銅爵家バードィルの次期当主と目されるお方です。何を隠そう、当ホテルは先代様の頃からご贔屓頂いておりまして」

 知らなかった…。

 知らなかったぞ!オンボっ!

 青銅爵とは黄金爵、白銀爵、赤銅爵の次に位置する貴族だそうで、俺の世界で言えば准男爵に相当するようだ。因みに彼らを纏める傍系王族のみに叙せられるのが、白爵、だそうだ。

「ご覧の通り、当館は帝国創建間もなく開業致し、三六八年の長い歴史を刻む由緒ある宿泊施設でございます。これまでに多くの高貴な方々をお迎え致しました」

 だから、一介の採集者如きが軽々しく出入りできる場所ではございません事よ~身の程を知りなさぁ~い!

 と言外に匂わせてきた。確かに、言われてみればそうだろうけどさ。

 受付係はカウンターに置いてあった三角錘の真鍮製の小さな鳥の置物を持ち上げた。何の鳥か、俺にはさっぱり判らん。

 嘴は家鴨のように平べったいが、駝鳥のような長い首に胴体は冬場の雀みたく真ん丸だ。蹲っている姿を象っているので、足の特徴は解らなかった。

 その置物は、持ち上げただけで鈴のような細く高い音を鳴らした。

 すると、丈の短く袖のない白色の胴着を着た少年が駆け寄ってきた。足下は膝下辺りまでしかない青色ズボンの裾を白いリボンで絞って軽く膨らませている。

 長靴の先が土で汚れていたので、彼がゾーンの繋がれている厩舎へ案内してくれるのだと気付いた。

 案の定。受付係は「この者がご案内致します。お願いしますね」と告げて深々と頭を下げた。

 もう俺の相手はしない、と。

 どうも、と挨拶を返しておいて、俺は少年が「こちらです」と指を揃えて指し示した方へ歩き出した。

 裏庭に厩舎があった。流石は高級ヴィアだ、厩舎も本館と同じ白亜の石壁に囲まれた立派な造りをしてやがる。嗚呼羨ましい。

 厩舎の前で待たされ、奥から少年に手綱を引かれて大人しく出てきたゾーンは俺が知っている馬蹄系生物の中でも飛び抜けて大きな身体をしていた。

 全身が黒毛で覆われたそのゾーンは、俺と目があった途端立ち止まって動かなくなる。

 急に手綱が張ったので、少年は驚いて引く手に力を込めてみるが、全く効果はない。ゾーンの黒い両目がじっと俺を見ているだけだ。

 その佇まいがとても美しい。

 果たして自分の主として相応しい人間かどうか。

 値踏みされて正直居心地は良くないが、俺はこいつを気に入ってしまった。

 驚かせないよう、ゆっくり俺の方から近付いてみる。

 ガキの頃に祖父じいさんに誘われて乗馬をした事があるが――まあ、一応、金持ちの子だからな―凄く楽しかったな。

 嫌がられるのではないか、内心ドキドキしていたが右手を伸ばして首の辺りに触れてみる。

 更に優しく撫でてみる。少し首を振ったが、嫌がってる様子は見られなかった。困った表情の少年から手綱を受け取り、踏み台を用意して貰って背に跨がってみた。

 《地球世界》の乗馬とは勝手が違い、ゾーンに鞍や鐙は付けていない。その代わりに一枚の敷物がゾーンの背に掛けられている。細かい刺繍で複雑に縫い付けられた草木の模様が黒毛の彼に良く似合っている。

 身体が大きい為に、サラブレッドよりも目線が高くなった。

 確か腹を蹴る、はNGだったっけ。手綱を引いたり緩めたりして指示を出す、だったな。

 良く知ってる乗馬のつもりでいたら大変な事になる。うっかり腹を蹴らないよう緊張しながら手綱をしっかり握ると、ゾーンは勝手に歩き始めた。真っ直ぐ、迷う事なく門へと向かう。

 俺は好きにさせた。正直ゾーンの正しい乗り方なんて知らない。慌てて止めて、次動いてくれなかったら非常に困るのでゾーンの背中に乗ったまま少年に振り返り、礼を言った。

 少年は深々と頭を下げた。

 外の街路へ出る正門をゾーンに跨がったまま抜けていく俺を、昨夜の警備員がデカい口を開けたまま見送ってくれたのは本当に気分が良かった。

 ホテルの門を出れば、俺がゆっくり手綱を右手に動かしただけで町の外へ向かう大通りを東へ歩き出す。

 大通りは荷馬車や旅人が沢山往来していつもごった返しているが、大きなゾーンが歩くと皆が慌てて道を空けてくれた。

 町をぐるりと取り囲む石積みの外壁は分厚く、町の東西と南に半円形の門がある。日の出から日没までの間、門の内側で町を出る者を外側で入る者を各々、下ろし格子門の前で兵士が検閲している。

 ゆったりとした歩みで近付いてくるゾーンの姿を遠目からでも見えていただろう、爵位持ちの関係者と目される騎乗の俺に「降りろ」とは言って来なかった。

 手綱を軽く手元へ引いただけで黒毛のゾーンは止まってくれた。

 懐からさっき渡された通行手形を出して一人の兵士に高い所から渡す。彼は受け取り、軽く目を通しただけですぐに書類を返してきた。

「どうぞお通りください」

 手形を返した兵士は俺に最敬礼をして右手に作った拳を胸の前に当て、片膝を軽く曲げると背筋をピンと伸ばした。

 残念ながら、俺は軍人らしい返し方など知らん。小さく頷いてから手綱を握った。するとゾーンに通じたのか、静かに歩き出した。俺はそのまま何もせずに門を抜け、街を後にした。


 はーー。

 結構緊張したな。出来れば次の街まで面倒事は避けて、のんびりと行きたいものだな。

 ゾーンの左耳がブルッと揺れた。

(続く)

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