9話 棘の龍一④
ひそひそと聞こえる小さな声。
冷ややかな視線と心無い声が龍一の耳に届く、そんないつもと変わらない朝。
しかし、そんな事よりも龍一は目の前の白いソレの方に視線が釘付けにされる。下駄箱に横たわるソレは異様な存在感を発していて、龍一の普段から鋭い視線が突き刺さる。
男子トイレで一人の男子が白い手紙とにらめっこをしている。
これは悪戯だろう。
以前下駄箱に入っていた手紙と同じ文字で『いつも見ています』と書かれている紙を見つめながら、龍一はそう考えた。
そもそも、おかしな点が多い。
まず、差出人の名前が書かれていない点だ。二度とも同じという事は、うっかり書き忘れたという線は消える。それに、以前呼び出しに応じた時、この手紙の差出人は来なかった。
そして、何よりこの手紙の意図が全く分からないというのも龍一がそう考える根拠の一つだ。
以前の物は呼び出すという明確な意図があったが、今回の物は龍一に何かを求めているというわけではない。ただ「見ている」という事実を龍一に伝えるだけの無意味な手紙だ。
結論、この手紙はラブレターなどではなく、ただの嫌がらせの手紙という事だ。
龍一は、少し残念な、それでいてホッとした気持ちの二つを胸に抱きながら紙を洋式トイレに流す。
悪戯は意識しないに限る。こっちが過剰に反応することを意図して出されたものなのだから、一々うろたえてなどいけないのだ。
龍一は便器の渦が収まるのを見守ってからトイレを出る。すると、丁度男子トイレの前にいた誰かにぶつかる。
「――キャッ!」
ぶつかった瞬間は男子だと思ったのだが、黒髪に赤ぶちの眼鏡をかけた女子が龍一と向かい合うように倒れている。
「悪い、大丈夫か?」
龍一は何か違和感を覚えながらも、素直に謝罪をして手を差し伸べる。しかし、目の前の女子は顔を真っ赤にしている。
「あ、あわわわわ――」
「え、え?」
壊れた機械のように、奇声を発する女子生徒に龍一は狼狽える。数秒間奇声を発した後、女子生徒は勢いよく立ち上がる。
「あ、あの、だ、大丈夫でしゅっ! ちが、えっと大丈夫なのです。気にしないで下しゃい!」
盛大に噛んだ。真面目そうな見た目なのに天然らしく「ま、また噛んじゃった」と呟きながら、二度大きく頭を下げて走り去っていく。
「――何だったんだ?」
龍一は訳の分からないまま、階段を駆け降りていくその背中を見送った。
◇
「――聞いたか? 『棘の龍一』の父親って元暴走族の総長だったってやつ」
一人の男子生徒がそういう。
「聞いた聞いた。てか、総長ってヤバくね?」
「そんであれだろ? 母親に捨てられたんだろ?」
「まぁ、子供の顔がアレだったらこえぇもんな」
最近流れてきた噂の一つであり、以前よりも具体的な情報が広まっていた。ここにはいないヤンキーの話題に、各々情報を出し合う。
すると、最初に話し出した生徒が新たな情報を口に出す。
「ていうか、あの噂ってホントなのかな?」
「え、どれ?」
「ほら、同級生の女の子に手ぇ出して転校させたってやつ」
「え、そんな噂あんの?」
初めて聞く情報に皆興味津々だ。すると、丁度その場に通りかかった一人の生徒が輪に入ってくる。
「――なぁ、その話詳しく聞かせてよ」
「え、良いけど……」
◇
「なぁ、花田くんさぁー」
「どうかしたのか、須郷」
少し間の伸びた口調の須郷は龍一の顔を覗き込んだ。
須郷とは、一度目のラブレター騒動――龍一は悪戯と結論付けた――の時に仲良くなり、進藤という一年生との一件を機に一緒に居ることが増えた。
須郷の他にも、サッカー部の佐藤もよく話しかけてくれるようになり、着実に理解者が増えてきていた。
そんな須郷から思わぬ言葉が飛んでくる。
「花田くんのお父さんって元総長なの?」
「――え、よく知ってるな」
龍一は素直に驚く。
これまで、親が暴走族だという噂はあったが父親が元総長だという噂は聞いたことがなかった。しかも、それを同じ中学の出身ではない須郷から聞かされようとは思いもよらなかった。
龍一がその噂を半ば認めると、須郷は少し考えるような仕草を取る。
「なんか最近、花田くんの噂が妙に具体的になってきてるんだよなー。この間なんかさ、ほら、転校していった桜井さんの名前まで出てきてさー」
「――え?」
龍一は驚きの声を上げる。しかし、須郷の言葉はまだ続く。
「なんか、桜井さんに花田君が暴力したとか――いや、俺は信じてないよ? でも、なんか最近は具体的な名前とか出てくるし、ちょっと気味悪い噂が多いんだよなー」
「そう、なのか……」
勿論、そんな事実はない。
しかし、確かにこの類の噂話は大体ぼかされていて具体的な固有名詞が出てくることはなかった。「誰か」や「何人か」などの不特定多数を指す代名詞が出てくるだけでおさまっていたのに、今回は明確に人名が使用されている。
そして質の悪い事に、それはこの学校には既にいない人物であった。
微妙な表情を浮かべる龍一に対して、須郷は元気づけるかのように優しく肩を叩く。
「まぁ、気にするな。俺や佐藤はその都度違うって言ってるから、いつか消えていくよ」
「おぅ、ありがとな」
「いいよ、花田くんは友達だしな!」
少し焼けた肌に白い歯が光る。気持ちのいい笑顔を残して、須郷は自分の席に戻っていく。
「桜井、か……」
龍一は、苦い表情を浮かべながらその名前を呟いた。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
小説の設定に力があるからか、するすると指が動きますね。
結構短時間で話が思いつきます。
……まぁ、それが面白いかは別の問題ですけどね(笑)