33話 芽吹き①
7月間近の空模様は快晴だった。
まだ梅雨の真っただ中であるこの時期にしては珍しく、雲一つない空が窓の外には広がっており、椎名は昨日ハンガーにかけておいた制服を手に取る。
自分の家の洗濯物の匂いとは違う香りが、椎名の鼻腔をくすぐる。
そろそろ衣替えのシーズンだ。周りの子たちは7月に入ったら揃って衣替えをしようと話していたのを思い出す。しかし、これを一度着てしまったら一度洗濯しないといけない。そうすると、この香りは上書きされるわけだ。
椎名はハンガーから制服を外しとって綺麗に畳む。そして、タンスから半袖の制服を取り出した。
「――勿体ないもんね、そう、勿体ない」
椎名はそう自分に言い聞かせながら、まだ一度も着たことのない制服に袖を通したのだった。
◇
2年3組の教室は異様な盛り上がりを見せていた。
授業中だというのに誰も自分の席に座っておらず、高校生活で最重要なイベントでもある「修学旅行」のグループ分けに躍起になっている。
ただ、友達の少ない龍一にとっては特に関係もなく、いつもの様に佐藤と須郷の三人でその様子を見ていた。
龍一と須郷はただ傍観していただけだったが、佐藤は違うようで……。
「……佐藤、さっきから睨みすぎ」
佐藤の血走った視線の先には、女子3人のグループに声をかける男子の集団の図があった。おとなしめな長い黒髪の女子と快活な笑顔の女子、眼鏡をかけた真面目そうな女子の3人は、以前一緒に勉強会を開いたことがあるので龍一も見知った顔だった。
「あいつら、三浦を誘いやがってぇ……! くそー、俺も行くべきだったか?」
忌々し気に睨みつけながら怨念のような言葉を呟く佐藤を見ながら、流石の龍一も苦笑を浮かべる。
恋愛ごとに疎い龍一でも、佐藤がどれだけ彼女の事を好いているのかは簡単に分かる。
それなのに、佐藤は表立って行動を取ることはなく、どちらかと言うと受け身な姿勢をとっていた。
まだ出会って3か月くらいしか経っていない龍一でも、彼の受け身な姿勢は意外だった。てっきり、もっとガンガンと攻めていくものだと思っていたが、どうもそうではないらしい。
「――あれ? こっち来るけど」
須郷の言う通り、三浦達のグループは寄ってくる男子集団を華麗にかわし、此方へ一直線にやってくる。先頭に立って歩いているのは笹岡好美で、いつものような快活な笑顔の裏に好奇心の色が見え隠れしていた。
彼女は龍一たちの前で止まり、バンッと音を立てて机に手を置く。
「ねぇ、佐藤たちはグループ決まった?」
「いや、男子3人は決まってるけど、女子の方は……」
「じゃあさ、私達と一緒のグループになろうよ!」
「――いいのか!?」
大きな音を立てながら、佐藤は勢いよく立ち上がった。
思いのほか大きな音だったのと、そもそも目立つグループ同士だったのもあり、クラス中の視線が佐藤の方へ向く。
その視線を感じ取ったのか、理性を取り戻した佐藤は一つわざとらしい咳ばらいをした後、ゆっくりと椅子に座る。
「――んんっ、まぁ? 俺らは人数足りてないしぃー? 別にいいんだけどぉー」
「きもちわる」
「――っるせ!」
佐藤は、須郷による小言の指摘を肩を叩いて黙らせる。
しかし、笹岡はその様子を面白そうに笑い飛ばし、元気よく龍一たちの方に手を上げる。
「じゃあ、そう言うことで。よろしくね!」
そう言って、彼女たちは嵐の様に去っていった。去っていく彼女たちを見ながら、龍一はいつもよりも大人しい彼女の背中に、小さな違和感を感じていた。
◇
下駄箱を出て、熱い日の光が龍一を襲う。
7月に入って、梅雨を開けたぐらいからか一気に日差しが強くなった気がする。まさに夏の始まりというやつだ。
「そういえば、そろそろか」
「え、何がですか?」
下から可愛い顔が龍一の顔を覗き込む。
強い日差しが彼女の白い肌に反射して龍一の視界を襲う。サラサラなベージュ色の髪は、この太陽の下で眩いほどの魅力を発していた。
龍一はそんな彼女の魅力を胸の中にしまいこみながら、グラウンドの方へ目を向ける。すると、既にユニホームに着替えた野球部員たちが、アップをしている姿があった。
「野球部の県予選だ。ほら、甲子園の予選大会」
「あー、確かに7月くらいにやっていた気がします!」
7月に入れば、夏の甲子園の県予選が始まる。
龍一たちが住む所は比較的田舎なので、他の都道府県と比べればスタートは遅いらしいが、いずれにしても今の時期は彼らにとって重要な時期であることは間違いない。
それは須郷も同様で、少し前から表情が硬くなっているいたのが気になっていた。
「須郷にはいつも世話になってるし、何かしてやれることがあればいいんだが」
「野球ですかー。あたし、あんまり野球って見たことがないんですよねー」
他愛のない会話をしながらグランドの脇を抜けようとしたとき、龍一はとある人物に目が留まる。
黒髪で赤ぶちの眼鏡をかけた女子生徒。特に変わった外見でも無ければ、目を引くほどの特徴でもない。しかし、出会った時の印象が強かったからか、はっきりと覚えていた。
「あの子は確か……」
「――あ、近藤若葉さんです! あたしと同じクラスの子です。……お知り合いですか?」
「いや、随分前だが一度廊下でぶつかったことがあってな。ちゃんと謝る前に逃げていってしまったんだ」
以前あったのは、確か二度目の「ラブレター事件」があった日だ。あの時、どうして彼女が二年の教室がある3階にいたのかは今でも謎だが。
「野球部の練習をずっと見てますけど、好きなのかな?」
椎名はそう言って彼女の方へと歩いていくと、後ろから肩を叩く。
「近藤さん!」
「――え、ぁわっ! し、ししし、椎名さん?! ……どうしたんですか?」
以前、龍一とぶつかった時と同じように挙動不審な動きであわあわとし始める。
ただ、龍一との時とは違って緊張から来るものではなく、この場所で話しかけられたことに対する恥ずかしさの様に感じられる。首には高そうなカメラが下げられていた。
近藤若葉は、椎名の後ろにいる龍一に気が付き、はっと息を呑む。
「あ、須郷先輩のお友達さん」
「――『須郷先輩のお友達さん』?」
不思議そうに首を傾ける椎名を見て、近藤は両手で口を塞ぐ。
「あ、な、何でもないんです! 忘れてください!!」
顔から火が出るほど顔を真っ赤にさせ、レンズの向こうの瞳は少し潤んでいた。
「――もしかしなくても、須郷の事が好きなんだな」
「あぅ! その、えっとぉー……」
再びもじもじし始める近藤を見て、龍一と椎名の疑いは確信に変わった。近藤も二人の顔を見て、もう隠し通すことは難しいと感じたのか、観念して一つ頷く。
「……でも、見てるだけでいいんです。
一回、告白しようとも思いましたけど、私が行った時にはもういなくて。ううん、来てくれなかったのかもしれません」
「須郷はそんな事しないと思うが……」
龍一の知る須郷は、快活で人の事を真に思える人間だった。いくら知らない相手でも、告白を受け付けないような人間ではないはずだ。
しかし、当人は首を横に振ってその言葉を否定する。
「でも、ちゃんと下駄箱に入れたんです。『今日の放課後、体育館裏でお待ちしています』って」
内容は、よくあるものだ。しかし、龍一はそのフレーズに身に覚えがあった。
「――それ、いつの事だ?」
「入学式の次の日です。その、一目惚れしてしまいまして……」
入学式の次の日。
それは、龍一の下駄箱に「白い紙」が入っていた日だ。そして彼女は「見ているだけでいい」と言う。
二回目の「ラブレター事件」で書かれていた内容は「ずっと見ています」だったはず。
何より、龍一の下駄箱と須郷の下駄箱は上下で隣接している。
「……なるほど、全部つながった」
龍一は、謎の達成感を胸に抱きながら、目の前の眼鏡女子の天然さに呆れていた。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます!
伏線、ようやく回収できました!
ずっと書きたかった部分だったので、少し嬉しい。




