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30話 雨の日②




 椎名と帰るようになって、通らなくなった帰路に少し懐かしさを感じながら、龍一は隣を歩く女の子の方を見る。以前、一緒に遊びに行ったのはもう1か月ほど前の話だが、その時期に切った髪の長さは徐々に椎名に馴染んでいくように伸び始めている。


 綺麗なベージュ色の髪を眺めながら、龍一は一つ疑問をぶつける。


「椎名の髪は、地毛なのか?」

「はい! あたし、実はハーフなんです。顔はお母さん似なんですけど、この髪はお父さん譲りなんです」

「……なるほど」


 椎名の髪はよく目立つ。顔たちは日本人らしいのに髪色は非常に明るいため、龍一も染めている物だと思っていた。しかし、出会ってからもう2か月が経つというのに、生え際まで綺麗なベージュ色だったため、もしかしたらと思ったのだ。


 案の定、椎名の髪は地毛だったようだ。椎名の母親の方には一度会ったことがあったが、父親の方はまだ会ったことがない。もし、知らずに会ったなら驚いてしまうところだっただろう。



 雨はまだ強く降っている。龍一は比較的小さな傘をなるだけ椎名の方に寄せながら、空を見上げていると、隣から小さな声が聞こえだす。


「……昔はこの髪が嫌いだったんです」


 龍一がぱっと椎名の顔を見ると、椎名は少し遠い目をしていた。


「いつも参観日はお母さんが来てくれてたんですけど、髪の色が違うから、みんな変な顔をするんです。たぶん、お母さんもそれに気が付いて、髪を同じ色に染めてくれたんです」


 椎名の母親も、椎名と同じ髪色だったはずだ。しかし、それは椎名の気持ちを汲んでの事だったらしい。


 龍一は自分の凶悪な顔を頭に思い浮かべる。毎日のように鏡で見る顔なので、すぐに思い浮かぶ。


 親の遺伝は時に残酷だ。この顔のせいで、一体どれだけのハンデを背負ってきたか。


 周囲の奇異の目にさらされ、怯えられる毎日は、今の充実した日々の中では考えられないほどに苦痛であふれていた。おそらく、隣を歩く彼女も同じなのだろう。


「――俺は、椎名の髪、すごくキレイだと思うぞ」


 龍一は無意識にそう呟いた。すると、椎名はぱぁっと顔を赤くして、下を向く。


「……あ、ありがとうございましゅ」


 椎名の赤面を見て、龍一もつられて恥ずかしくなる。我ながら気障なセリフを吐いた物だと、龍一は気恥ずかしさに身を震わせる。


 傘を打つ雨の音は、心臓の鼓動の音にかき消される。しかし、鈴のような彼女の声が、龍一を現実の世界に引き戻す。


「……この公園、何か見たことがある気がします」

「え?」


 龍一の家の近くの公園。ブランコなどのいくつかの遊具があるだけの至って普通な公園だが、椎名はその公園がひどく懐かしく感じられた。


 普通の公園なのに、普通ではない。何か大事なものがそこにある気がしてならなかった。



 立ち止まって、じっとその公園を見つめる椎名を見ながら、龍一も同じようにその公園を見つめる。


 龍一は公園で殆ど遊んだことがないため、公園での思い出はほとんど無に等しかった。

 しかし、たった一つだけ、大事な思い出だけが記憶の隅にあった。


 ただ、それは随分前の話で、もう薄れかけた記憶だ。暗くなりかけた空から降り注ぐ雨を聴覚で感じつつ、龍一は言葉を紡ぐ。


「……まぁ、どこにでもあるような公園だがらな」

「そうですね。だから見覚えがある気がしたのかもしれません」


 椎名も納得したように小さく頷いて、再び歩を進める。しかし、その瞬間、前方からの眩い光に襲われる。


「あぶない」


 龍一は、咄嗟に椎名の手を引いて自分の傍へ抱き寄せる。すると、前方から走ってきた普通車は、道路の水溜まりを跳ね上げながら、龍一たちの横を走り去っていった。その泥水は、盛大に舞い上がり龍一と椎名を襲う。


 冷たい水を被り、龍一たちは一瞬膠着する。しかし、先に我に返った龍一は、胸のあたりに抱き寄せた少女から体を引きはがし、自分の学生鞄から一枚のタオルを取り出す。


 今日の体育の為に持ってきたタオルだったが、この雨のせいで保健の授業に変わって使用していないタオルだ。


「これ」

「――あ、ありがとうございます!」


 椎名は真っ赤になった顔を隠すように、タオルで顔を拭く。いつにもなく胸が高鳴り、もの凄いスピードで血が体中を駆け巡っているのが分かる。それは、自分の聴覚を支配するこの鼓動が約30センチの距離を通り越し、龍一の耳に届いているのではないかとさえ思うほどだった。


 しかし、それは龍一も同様だった。ただ、いたって冷静を装う。


「……制服濡れちまったな。なんか、悪いな」

「いえ! これくらい大丈夫で――くしゅんっ!」


 可愛いくしゃみが、小さな路地裏に響く。龍一のアパートへは、ここから5分もかからない。このまま帰して風邪など引かれると、龍一は自分の事が許せない。


「もうすぐアパートに着くから、それまで我慢してくれ。流石に乾燥は無理だが、替えの服くらいはあるし」

「……すみません」


 濡れた服の冷たさで、熱くなった体を冷ましつつ、二人は無言で道を歩いた。



今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!

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