29話 雨の日①
真っ暗な空から無数の水滴が降り注ぎ、校庭にはいくつもの水溜まりが出来ていた。
中間テストが終わった辺りから雨の日が急激に増えた。どうやら、完全に梅雨入りしたようで、7月あたりまでこういう日が増えていくだろうことは容易に想像が出来た。
一年一組の教室では、雨によって体育が保健の座学に変わったため、女子生徒だけが残っていた。男子は体育館での授業のため、もうここにはいない。
「あーあ、今日はサッカーだったのに。ついてないよねー」
「……詩乃ってバスケ部員なのにサッカー好きだよね」
「バスケ部員だから、サッカーが好きなのよ! やっぱ、体育でバスケするのは楽しくないよ」
「しいちゃん、上手だからねー。みんなついていけないもん」
授業が始まるまで、三人の女子高生はまだ夕暮れ前なのに暗くなった空を見上げながら会話を続ける。
「――あ、相合傘だ」
椎名は校門の前を歩く二人の姿を見つけてそう呟いた。背丈と服装から、二人が異性であることはすぐに分かった。
「あの二人って恋人かな?」
「微妙な所かなー。見た感じサラリーマンとOLだし、何かの商談終わりに傘に入っただけかもねー。美穂はどう思う?」
美穂はじっとその二人を観察する。
「……私は恋人だと思うよ。だって、ほら。なんか慣れてる感じがしない?」
「言われてみれば、確かに……」
美穂の推理に詩乃も同調する。確かに、仲良さそうに話している姿や、自然な立ち振る舞いといい、二人の歩んできた長い道のりを感じさせる。
椎名はそんな二人の姿をじっと見つめながら、思わず頭に浮かんだ言葉を口に出した。
「いいなぁー。相合傘……」
椎名の呟きに、二人の女子高生は素早く反応する。先に行動を起こしたのは詩乃で、ニヤニヤと面白がって椎名を見つめる。
「――あれ? それって誰としたいの?」
瞬間、椎名の顔が真っ赤になる。一瞬で赤くなった顔は、彼女がいかに純粋無垢かを周囲に知らせるサイレンの様だった。
「――ち、ちがうよ?! 別に、花田先輩としたいってわけじゃなくて。その、憧れてるっていう意味で言っただけって……」
全力で否定する椎名を、二人は楽しそうに見つめる。
「今日は傘持ってきたの?」
「え、うん。折り畳み傘が鞄の中にあると思うけど……」
「花田先輩は傘持ってた?」
「……うん。黒いおっきな傘を持ってたはず」
美穂からの二つの質問に答えると、バトンタッチして詩乃が話を引き継ぐ。
「なら、忘れたフリしなよ! そしたら相合傘できるじゃん!」
「――そ、そんなの出来ないよ!」
椎名は全力で手を振ってその提案を却下する。椎名は嘘をつくのが苦手で、よく顔に出てしまう。そのため、この手の駆け引きには向いていなかった。
「まぁ、確かにこころに嘘をつかせるのは難しいでしょ」
「あー、まぁそっかー」
椎名が嘘をつけないタイプの人間であることは二人のよく知っている事で、その場はすぐに落ち着いた。三人の女子高生の中身のない会話は、始業のチャイムによってかき消されていった。
そう、これは中身のない会話のはずだった。しかし、放課後の下駄箱で、その言葉は現実のものとなる。
「――椎名、傘持ってるか?」
少し暗い下駄箱の放課後の喧騒の中、その言葉が椎名の耳に届く。椎名は自分の鞄の中に入っている折り畳み傘を取り出す。
「え、はい。折り畳み傘ですけど……」
「悪いんだが、駅まで傘に入れてくれないか?」
椎名は一瞬固まった。彼女の目には、少し恥ずかしそうな龍一の姿だけが映っていた。
◇
「……悪いな。クラスメイトに傘を貸しちまってな」
赤い可愛らしい傘を持つ龍一と、彼に殆ど引っ付くように形で一緒の傘に入る椎名。彼らを、はたから見てどう見えているか。そんな思考が椎名の頭を駆け巡っていた。
「いえ、その……あたしも、うれしいですし……」
「――え?」
「いえ、何でもないです!」
あわあわと慌てふためく椎名を、龍一は不思議そうな顔で見つめる。
二人は学校近くの駅まで同じ傘に入って歩いていき、いつもの様に並んで電車の席に座る。左右に少し揺れる車内で、椎名はあることを提案する。
「あの、いつもは駅までですけど、今日はおうちまで一緒に行きましょうか?」
「……いや、それは流石に悪いだろ」
龍一は、流石に悪いと一旦その提案を断る。実際、椎名の家と龍一の家はそこまで距離が離れているわけでは無かった。確かに、最寄り駅は一駅違うものの、毎朝龍一が歩く距離と考えれば大して長いとは思えない。
しかし、年下の、それも女の子に送ってもらうという事が、龍一の中で引っかかっていた。確かに、出来ることなら家まで傘に入れてもらえれば制服を洗濯して乾燥させる手間がなくなるので、助かるのは助かるのだが。
しかし、龍一にとってはその手間よりも椎名の時間を奪う方が何倍も避けたい事だった。しかし、椎名はそこで引き下がらなかった。
「いえ! いつもお世話になってますし、それに……、実は花田先輩のおうちって前から興味もあって。一回、見てみたかったんです」
これは本心だった。以前、中間テストの時にクラスメイトと泊りがけで勉強会をしたという話を聞いた時から、椎名は龍一の家に興味があったのだ。
まさかの理由に、一瞬たじろぐ龍一だったが、今回は彼女の好意に甘えることにした。
「そう、なのか。まぁ、家まで傘に入れてくるなら俺は大助かりなんだが……」
「はい!……ウィンウィン、ですね!」
そう言って笑う椎名を見て、龍一もつられて笑顔になる。二人は、いつもは素通りする駅で降り、椎名にとっては初めての帰路についたのだった。
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