26話 事件は突然に②
――天国と地獄。
ほんの数分前までもう少しで放課後だ、とはしゃいでいた椎名だったが、今はいつかの様に机に突っ伏してしまっている。
ついさっき届いたメッセージが原因であることは、詩乃や美穂にも分かっている。勿論、内容は知らないのだが、大方試験期間に入るから一緒に帰れないとかそういう事だろう。
「……みいちゃん、しいちゃん。今日は一緒に帰ろ……」
力ない椎名の声が零れる。その瞬間、詩乃と美穂の予想が正しかったことが証明された。
「……まぁ、テスト期間に入ったから、うちらも勉強しないとだし。丁度良かったんじゃない?」
「そうそう! まさにその通りじゃん!」
美穂の言葉に詩乃も同調する。正直な所、龍一と椎名はまっすぐに家へと帰るだけなので、別に一緒に帰っても良かったと思う。美穂も詩乃も、椎名の純情ぶりは知っていたが、いくら何でも寄り道の一つや二つしている物だと思っていたのでそう言う言葉が出たのだ。
しかし、事実はそうではない。寄り道など一切していないのだが、この間のお出かけで関係は深まっていると椎名も感じていた。そのためか、椎名も美穂の言葉に首を縦に振る。
「……そうだね。あたしも頑張らないとだよね!」
「そうそう、こころもやる気出てきたみたいだし、今日は図書館で勉強していこう!」
そう言って、放課後彼女たちは図書館へと向かったのだが……。
「――なんで、『棘の龍一』がここに!?」
詩乃と美穂の二人は、図書館の勉強コーナーにいる集団の中に「棘の龍一」の姿を見つけて、その場で固まっていた。幸い、そのエリアに入る前にトイレに行くと言って椎名はいない。
「勉強会でしょ。うちらと同じ」
「どうすんの!? こころが戻って来ちゃうんだけど!」
詩乃は焦りながら周囲を見渡す。人の数はそこまで多くはない。しかし、そのためにあの集団はかなり目を引く状況になっていた。
「あれをもしこころが見たら――」
美穂はそう呟いて想像する。
ベージュ髪の少女は、最近気になっている男子を見つけて頬を濡らしている。そして、自分との約束を断ったのはこのためだったと知り、せっかくの初恋を散らす決意を固め――。
「――絶対に見せちゃだめね。ここはあの作戦を使うしかないね」
美穂は勢いよく踵を返す。そして、隣のショートカット女子に作戦を伝えるのだった。
◇
「――あれ? 二人ともどうしたの?」
椎名が図書館のエントランス付近のトイレから出ると、すぐそばに立っていた親友たちの姿が目に飛び込んできた。先に入って席を取ると言っていたので、当然そこに居るとは思わず、不思議そうに首を傾ける。
「いやー、席がいっぱいでー、ちょぉっと勉強は難しそうだったんだよねー」
「……うん、詩乃の言う通り、ここじゃ集中して勉強できそうにないね」
いつもよりも間延びした語尾の詩乃に、美穂は呆れつつもフォローする。勘のいい者ならこの時点で嘘を付かれている事に気付くのだろうが、椎名は「あ、そうなんだ」と残念そうにするだけで、二人の事を疑う素振りも見せない。その事に内心ホッと胸をなでおろす詩乃たちだったが、続く椎名の言葉によって事態は一変する。
「……あ、でも、私借りたい本があるんだった」
「え!?」
詩乃は驚きの声を上げる。
「この間、花田先輩と見に行った映画の原作が読みたくて。花田先輩、この図書館で借りたって言ってたし、多分まだあると思うんだよね!」
椎名はまっすぐな目でそう言う。思いもよらない事態に、詩乃は美穂に詰め寄る。
「……どうすんの? 予想外の展開なんだけど!」
「任せて。うちに秘策があるから」
そう言って美穂はぱっと椎名の方に視線をうつし、一つ咳ばらいをする。
「――んんっ。こころ、中学の成績、覚えてる?」
「え、何急に?」
突然の事に椎名はきょとんとしている。しかし、美穂は真剣な表情を貫いて、更に言葉を続ける。
「――こころはあまり頭が良くないじゃない?」
「うぅ! そうだけど……」
実を言うと、椎名は成績が芳しくない。と言っても、別に悪いわけでも無い。ただ、試験期間中に必死に勉強をしてもあまり成績が伸びないタイプで、詩乃や美穂に比べて暗記力に劣るのだ。
「そんなこころが、本を読む時間なんてあるのかな?」
「確かに、そうだよね……。あたし、あんまり本読まないから時間もかかっちゃうし……」
美穂の正論に、椎名に反論の余地もなく退けられる。よくよく考えれば、本の返却期間は2週間なので、今日借りておいてテスト終わりに読んで返せばいいだけの話なのだが、椎名はそこに気が付いていない。そんな欠点を補うように、詩乃は椎名の手を取って出入口の方へと歩き出す。
「じゃあ、すぐにこころの家に行って勉強会だ!」
詩乃と美穂の二人は、大惨事を回避できたことにホッと胸を撫で下ろすのだった。
◇
「――そこは、文末に已然形が来ているだろ? だから、係助詞との関係で係り結びが成立してる。係助詞『こそ』は強意の助動詞だから、『この女をこそ得め』は……」
「……この女を妻にしたい?」
「そうだな。已然形の場合は『こそ』以外に係り結びは成立しないから、必ずつながるぞ」
「へぇー!」
三浦の友人である笹岡は龍一の説明に真剣に耳を傾けながら、ノートにペンを走らせる。
「ねぇ、花田くん。この部分が分からないんだけど……」
「あ、私も!」
「そこは――」
三浦ともう一人の友人である北村の質問に龍一は的確な答えを返す。化学の計算を必要とする問題だったのだが、龍一には朝飯前の問題だった。
龍一の説明を聞いて、内容を理解できた二人は嬉々としてペンを走らせる。しっかりと答えにたどり着けたようで、嬉しそうにハイタッチをしていた。
「なぁ、花田~! 俺にも教えてくれぇ~!」
「分かった分かった! だからそう引っ張るなよ」
泣きそうな顔の佐藤が龍一の腕を引っ張るので、龍一は少し困惑気味にそう言う。正直、佐藤の学力は悲惨なもので、龍一を持ってしても答えに導くのに苦労している。
その佐藤はというと、仲間だと思っていた須郷が普段から勉強をしていたことに恨みがましい視線を送っていた。確か、学級委員決めの時に「馬鹿だから」と揶揄していたはずだったので、学級委員になったのを機に、須郷は勉強するようになったのだろう。
「――こうか?」
「あぁ、ちゃんと合ってるぞ!」
何とか答えにまで導いて、龍一は一息つく。しかしその直後、龍一の頬に触れた冷たい感覚に体をのけ反らせる。振り返ると、楽しそうに笑う三浦の姿があった。
「ふふっ、隙あり!」
三浦はそう言って自動販売機で買ってきたお茶を龍一に渡す。どうやら、龍一が必死になって佐藤に教え込んでいる間に席を立って買ってきてくれたらしく、龍一は小さく礼を言いながらそれを受け取る。
「……あれ、俺のは?」
「私に勉強教えてくれたら佐藤君にも買ってあげるけど?」
「――んぐっ! 花田、俺にもっと勉強を教えてくれ!」
佐藤の目が血走っている。お茶一本でそこまでやる気を出せるものなのかと、龍一は苦笑いを浮かべる。
しかし、佐藤が勉強に対して前向きになったのは良い事だ。龍一は心の中で三浦に感謝しつつ、友達の学力向上のために一肌脱ぐのだった。
この時の龍一は、まさかこの後に佐藤たちと家に泊りがけで勉強会を開くことになるなど知る由もなかった。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます!
事件は突然に、ですね。




