【7】
「――『したかった』って、君は俺と結婚することに決まっているのに。何を言ってるのリジィ?」
「!!!!」
聞き慣れた声のした方向へ勢いよく顔を向けると、今の時間はヒロインとダンスを踊っているはずのカインが重厚なドアにもたれるように立っていた。
柔らかく艶やかな黒髪。太陽が沈む直前の空の色みたいな紫色の瞳。高い鼻梁と薄い唇は計算され尽くした彫刻のように整っている。
尊い。白い軍服に似た王族の正装姿のカイン本気で尊い。この顔で182センチの長身で軍服(に似た正装)姿とか反則的なくらい尊い。何度見ても鼻血出そう。
あ、うん。さすがに今はそんな場合じゃないですよね。
「カカカカカカカカイン?! いつから聞いてっ?!」
「うん。『カインのバカぁ、なんで私には唇へのキスすらしないのよぅ』の辺りかな?」
だいぶ台詞が簡略化されてるけどそれってだいぶ最初の方からですよね?!
「あの子と踊るんじゃなかったの?!」
「あの子……って誰のことかな。俺は自分の婚約者以外と踊る予定はないのだけど?」
「ほらっ、茶色い髪でピンクのドレスのっ! カインの前で転んじゃった女の子……っ」
「あぁ。エリナ嬢のこと?」
そうエリナ! ヒロインのデフォルト名!
やっぱりあの子はヒロインだった。目の前で起きたあれは出会いイベントだったのだ!
だけれどその事実を受け止めるより。
長い足で優雅に私に近づいて来るカインが。
カインの全身が冷気に似た怒気を発しているようでそちらの方が気になって仕方がない。
「エリナ嬢はちゃんと彼女の友人が迎えに来たよ。それより。リジィが泣きながら俺の部屋に入って行ったって報告があったから急いでここに来たんだけど……」
「あ、王子の私室に入るのに、誰にも止められないからおかしいなー? セキュリティどうなってるのかなー? と思ってたんだけど、やっぱり報告があったのね?! ちゃんと警備がしっかりしてて良かった……っ」
「うん。警備をつけているのは、部屋に対してじゃないんだけどね?」
一歩一歩。毛足の長い絨毯の上をカインが進むたびに。
一歩一歩。彼と私の距離が縮まるたびに。
部屋の空気がズンと重くなっていく。
「俺の大事なお姫様が泣くなんて。もしかして君の美しさに目が眩むあまりに命がけで不埒な真似を働いたゲスでもいたのかと焦ったのだけど」
「不埒な真似って、痴漢ってこと? や、やだなぁカイン! いくら痴漢相手でもさすがに命取ったりしないわよっ? 股間蹴りあげるくらいよっ?」
「君に俺以外の男が触れるなんて。リジィがそれで許しても、俺が許すわけないでしょう?」
ねぇ! 怖い!
なんか、カインが怖い!!
なんか、前世で散々見たバッドEDの時みたいな目をしてるんですけど?!
「――ねぇリジィ。俺のいない他の国へ行くって、どういうこと?」
瞬間。何かを考えるより早く。
ベッドから飛び降りてドアへ向かってダッシュする。
だけど。進行方向には当然カインがいるわけで。
長身のカインは手も足も長いわけで。
私を捕まえることなど容易いわけで。
私の本能的な逃走は僅か二歩。30センチも進まずに終了した。
「逃がさないよ」
天蓋付の大きくて広いカインのベッド。
一年前に忍び込んだ時にはただ眠るだけだったそこで。
壮絶な色気と熱を宿した瞳のカインに見下ろされて。
優しく。でも言葉通りに逃げ出せない強さで縫い止められる。
「君が学園を卒業するまではどんなに煽られても見逃してあげるつもりだったのに」
「ひぁ……っ」
「まさか失恋したと思い込むなんて。――リジィ。俺が、どれだけ俺の方が君のことを愛しているか。……今夜は全力で教えあげる」
覚悟して。
*
「もう、ゆる、してっ。ゆるしてカイン……!」
「まだだよリジィ。まだ君は俺の想いを全然理解していないでしょう? 誓う? リジィ? 俺から逃げるなんて、二度と言わないと誓う?」
「ちか、う……! 誓う、から……!」
全力で教えてあげる。その言葉通りに。
一度深くまで触れたら、もう私を離す気はないのだと。
激しく熱く印を刻んで。
彼の気持ちを信じられずに逃げようとしたことが嘘のように。
私の全てをカインに染められた。
「愛してる」
囁きと共に吹き込まれた吐息。
もっと。もっと。もっと。
何度でもそう言って欲しくて。
この愛から二度と逃げないと誓った。
*
それから三ヶ月後。
私は純白のウェディングドレスを着て、集まった観衆へ向けて王宮のバルコニーから手を振っていた。
青く晴れた空の下。色とりどりの花びらと紙吹雪。皆が笑顔で喜びの言葉を叫ぶ光景はなんて幸せなんだろう。
何度も何度も。ベストEDで見たイベントスチル。
だけど。
だけど今、彼の横で微笑んでいるのは。
「リジィどうしたの?」
リジィ。ブリジット=エスターナ。
私はこの国の王妃になるために生まれてきたの。
「うん……。私、カインと結婚できて、幸せだなぁって」
「俺も幸せだよ。この18年間。君以外を見たことなどなかった。おかしいかもしれないけど、生まれたばかりの君に一目惚れだったんだ」
唇を重ねた私たちに歓声が大きくなる。
祝福の声は、いつまでも送り続けられた。
fin