お風呂の時間。
シャワーを浴びていると、浴室の扉が開く音がした。……は?
「失礼、します」
控えめな声。足音。背後に椅子を置いて、座る音。やけにそれがはっきりと聞こえた。
「ま、マジで入ってくるのか」
「う、うん。好きにしろ、って言ったから。はい、これ」
「あぁ、……まぁ、そう……だな」
言ったことは守りたい。手だけ差し出して、腰にバスタオルを巻いた。
多分、有希もしっかりと巻いている。だろう。
「う、うわっと」
「大丈夫か?」
反射的に振り返ると、椅子がずれてひっくり返ったカエルのような体勢の有希がいた。
安心した、ちゃんとタオル巻いていた。巻いていても、身体のラインを、誤魔化せるようなものじゃない。
白く傷一つない。視線が滑るように動いてしまう。そっと目を逸らしてしまう。
「いま、貧相だって思ったでしょ。ないことはないんだからね。あるにはあるんだよ」
「聞いてねぇ」
気にしたこと無いわ、考えたこと無いわ。単純に気まずかっただけだわ。
「ほら、髪から洗うからそっち向いて」
「あ、あぁ」
言われた通り座り直すと、すぐにシャンプーを泡立てる音が聞こえた。
「……ねぇ、覚えてる? わたしと出会った時のこと」
「そりゃ、覚えてるさ」
髪と髪の間を通って、地肌に優しく指を立てられる。
「痒いところはありますかー?」
「無い」
頭の上ですぐに泡が立ち始めたのがわかった。規則正しい、髪と指が擦れる音。
「ふふっ。なんか楽しくなってきた」
言葉は本音のようで、正しく、弾むような声だった。
「それは……良かった?」
「なんで疑問形?」
「いや、だって……何でもない」
「もうっ。なに? ドキドキしちゃった?」
「しないと思うか?」
鏡とか無くて良かった。いや、湯気で曇って見えなくなるか? どちらにしても、無くて良かった。
ただ、見えないというのも意外と厄介なもの。どうにも、後ろにいる有希のことを考えてしまう。手の動きを、細かく感じてしまう。
「流すね」
「あ、あぁ」
かと言って、摘まみ出す気がどうにも起きない。大人しく、この状況を受け入れてしまう、受け入れたい自分がいる。
丁寧に、勢いが物足りないシャワーが顔に掛からないように降り注ぐ。有希の鼻歌が浴室に反響して響く。
「次はお背中いくね」
「……頼む」
ナイロンタオルが擦れて泡が立つ音。優しく、ごしごしと丁寧に擦られる。
「ふふっ、遥君、ちょっと息荒い?」
「ん、んなことねぇ」
「その声で凄まれても」
「勘弁してくれ。少しくすぐったいだけだ」
「ふふっ。すべすべ」
「あんま触るな」
「くすぐったがり屋さん」
「勘弁してくれ。僕も一応男だぞ」
思わずぼやく。
「ふふっ。きゃーこわーい」
背中にシャワーが当てられる。だというのに、有希の呼吸が、やけに近く感じた。そして。
「こんな貧相なの、いらないでしょ」
やっぱり、抱き着いて来た。いつもより遮るものが薄いというのに。こいつは。じっと心を整える。心成兵器を扱えるようになれば、こういう場面でも多少の感情や本能のコントロール、心を介してできる。
「……いらない、か」
有希が抱き着いている。それに関する認識や感覚を頭から締め出して。湯気でも吸いこんだのかと思いたくなるくらい、靄がかかっていた頭が晴れていく。
「思い出した」
「何を?」
「有希が、抱き着いてくるようになったの、いつからだったかなって」
「いつから、だっけ?」
「僕が、初めて二本目の剣を出せるようになった時」
「……あぁ、あの時」
あの時……色々あった。今に繋がる色々の起点は、きっと、あの時だった。
「あの辺りだな、彩芽の担当になったのも」
「そうだったね」
「……いつまで抱き着いているんだ」
「ちょっと、人の温もりが、恋しくてさ」
「はぁ。程々にしとけよ」
心のコントロールだって、所詮は誤魔化しているに過ぎない。
「ん。君は、優しい」
寄りかかるように、縋るように絡めてくる腕。何となくその手を握ってみる。
「ふふっ」
囁くように笑って、握り返してくる。
「あの時は、大変だったな」
「そだね」
「あの日、彩芽も初陣だったんだよ」
「そうだったね。今思っても、ハードな初陣だね」
「無理矢理ついて来たんだぜ」
確か、『それが、更科の姓を持つ私の務めです』とか言っていたなぁ。いつからだろ、無駄にピリピリした顔でそんなことを言わなくなったの。
有希の手、少し乱暴に扱ったら壊れてしまいそうな、そんな危うさがあった。なのに有希は、しっかりと僕の手を握って離さなかった。
「湯船、入る?」
「入るって言ったら一緒に入る気なのか?」
有希、君は今、どんな顔をしているんだ。
「……ちゃんと大人しく上がるよ」
「あぁ」
少しだけ、安心した。もし一緒に入ると言われたらどうしようかと思った。
ふと、彩芽の顔が頭に浮かんだ。
「……なぜだ」
今更言えたことじゃないが、いや、抑えてはいるが。それでも。
「部隊員に恋慕の情を抱くのって、なぁ……しかも、告白されて揺れてるのか? 僕」
心を武器として扱うんだ。誤魔化しはしても、自分の気持ちくらい、わかっている。だからこそ。隊長としてどうなんだ。本当。




