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狼煙

 街に響き渡る魔獣警報。


 魔獣警報は基本的にランクC以上の魔獣が感知されなければ鳴らない。スライムを始めとするランクEの魔獣は通知も警報もない。ランクDならば付近のヒーローのデバイスに通知が来るだけだ。


 よって、駆除に変身ヒーロー以上の力が必要になった場合のみ、民間人の避難喚起も合わせて町中に警報が鳴るようになっている。具体的にどこに出没したかはニュースやSNSを確認する必要があるが。


 例外中の例外として、ランクDまたはEのモンスターが数百単位の大群で出現した場合は魔獣警報が鳴ることがある。だが、それは本当に稀な事態だ。日本では魔獣警報の設置が義務付けされて三十年になるが、低ランクのモンスターの大群で魔獣警報が発令されたことは全国で五件ほどだ。それも、全て雨期のスライム大量発生である。


 普通に考えると、これはランクC以上の魔獣が出現したことを意味している。


「湯上先輩、警報が鳴ってますね」

「ああ、妙だな」

「妙、ですか?」

「この町では二日前にキマイラの群れが出現した。スパンを考えると、ちょっと早すぎるな」


 昨日の今日ならばキマイラの打ち漏らしも有り得る。だが、一日の空白に違和感は拭えない。キマイラではないとすると更に奇妙な話だ。魔獣の習性と一黄の日課を考えると、この警報は少し不自然だ。不可解というほどではないが、不思議ではある。


「俺は現場に行くけどおまえはどうする?」


 葵は数秒考えこむように宙を見る。


「そうですね。ベルトも受け取ってないんで支部の方に行きます。組織の形態も連携も把握してないですから行っても邪魔でしょうし」

「そうか。気をつけてな」

「はい、先輩こそ。行くのはいいですけど先輩は変身もできないし魔銃も使えないへっぽこヒーローなんですから下手に戦わないようにしてくださいね?」

「俺はそれを分かっている」

「素になるほどショックでしたか?」

「はい」

「それは、その、ごめんなさい」


 謝罪する葵と分かれて、一黄は携帯端末を見ながら魔獣出現地点に急ぐ。家は藻取町と言えど、一年間も通った高校のある街だ。ある程度の土地勘は完成している。人通りの多い道を通るのも面倒なので裏道を通って行く。


「はい、ヒーローです! 通りますのでご注意ください!」


 時々人とぶつかりそうになるが華麗に避けつつ、最短ルートを通っていく。


『しかし、奇妙だな。このタイミングで警報が鳴るほどの魔獣の出現とは』

「あ、やっぱりおまえもそう思うか? シアン」


 一黄の端末から謎の音声が流れる。一黄はそれと会話しながらも移動の速度を緩めない。無論、通行人や建物と激突しないように注意しながらの走行だ。


「昨日も今朝も、俺はちゃんとやったよな?」

『ああ。この付近で魔獣が発生しやすい場所はあの山だけだ。そして、あの山に発生した魔獣は今朝、おまえが全滅させた』

「だよな」


 聞いている者がいないとはいえ、とんでもない会話を平然と続ける一黄と謎の声の主シアン。


『となると、あの山以外で発生した魔獣が流れ込んできた可能性が高いな。新しい魔獣の流れ道が出来たと見るべきか』

「それはまずいな。宝刀市こっちならともかく藻取町あっちに流れて来たらまずい。警報なんて鳴ってみろ、桜が怖がる」

『シスコンここに極まるな』

「兄は妹を守るものだ。常識だろう?」

『古臭い道理だな。さて、そろそろ目的地だ。私は一旦黙るぞ』

「了解。ところで、マゼンタは? 今日はやたら静かだけど」

『不貞腐れている。おまえの後輩が気に食わないらしい』

「だろうな。マゼンタは女性が嫌いだからな。嫉妬深くない? 俺と加賀はそんな関係じゃないのに」


 それを聞いたシアンには妙な間を空けた。


『そう思っているのはおまえだけだ。あの蛇にとってあいつは一方的に敵視している競争相手だからな』

「競争相手?」

『ほら、あの娘はおまえのことが好きだろう? 友愛や親愛ではなく、恋愛として」


 それを聞いて、一黄は噴き出した。危うく足元を滑らせるほど、可笑しい話だった。


「加賀が異性として俺を好き? いやいや、有り得ないって。だって好きな相手に『ゴミクズ』はねえだろう!」

『うん。客観的に見たらそうなるな』

「どんな神経してたら恋愛感情と一緒にそんな言葉を向けてくるんだ」

『そりゃそうじゃな!』

「俺はびっくりした!」


 突然聞こえた元気なマゼンタの声に、一黄は驚く。シアンの寝言と同じように足を滑らせそうになるほどだ。無論、こんなことで転ぶような愚鈍な運動神経はしていない。


『そうじゃな、そうじゃな! いやー、好きな殿方にそのような言葉を向けるなど有り得ぬよな! うんうん、おぬしがそれを分かっていて儂も嬉しい限りじゃよ。旦那様が真っ当な考えをしてくれて有り難い限りじゃ!』

「あ、うん?」

『この蛇女……』


 自分にしか聞こえない二つの声に首を傾げながら、一黄は現場へと急ぐのであった。





「あーあ。先輩、行っちゃったなぁ」


 一黄と分かれた葵であったが、彼女の進行方向は先程言った通り、ヒーロー協会宝刀支部である。だが、その足取りは欠片も急いでいなかった。魔獣警報が鳴っている以上、ヒーローであるならば多少は急ぎ足になりそうなものだが。


 葵は時折、特定の方向に視線を向ける。それは魔獣出現地点のある方向だ。もっとも、土地勘のない葵が携帯端末で情報を確認するでもなく迷わず其方を向けるのは奇妙な話だった。一黄と分かれた場所からも離れているため、彼の進行方向を参考にしたと言うには若干苦しい。


 何故、誰に教わるわけでもなく魔獣出現地点までの道筋を知っているのか。それは、彼女が知っていたからだ。今日、この時間にどこにどんな魔獣が出現するか、昨日の時点で葵は知っていた。


「止めれば良かったかな? あ、そもそも引き留めなきゃ良かったのか。でも、久しぶりに先輩とお茶したかったし……。あー、やっちゃったな、私。ううん、そうでもないか。まあ、先輩徒歩みたいだし、この距離なら間に合うはずないからいっか」


 一黄がもうすぐ現場に到着することなど思いもよらない葵は、携帯を取り出し、目的の人物へと通話を入れる。


「もしもーし? 天城あまぎさん? 加賀です。これから支部に向かいます。ええ、流石に今日入隊ですからね。ベルトもデバイスも持っていませんから、辻褄はどうとでも合わせられます。最悪、道に迷ったことにしますから。ふふ」


 もしも湯上一黄がその嘘を信じたら何と言うだろうか。純粋な人だからきっと素直に信じて、街の道でも教えてくれるだろうか。つい上機嫌な笑い声が漏れる。


 電話の相手は葵の態度に違和感を覚えた。誰だってそうなる。


「え? なんだか機嫌が良さそうですって? 別にそんなことないですよ――って、男って何ですか男って。どうして何でもかんでも男女の関係に持っていこうとするんですか。だいたい、先輩はそういう対象じゃありませんから! ……あ」


 加賀葵、見事なまでに墓穴を掘る。慌てて弁明するがもう遅い。


「違います違います違います! だから違いますって! あんなパッとしない顔で大食いでポンコツで鈍感でおっぱい星人で眼鏡似合ってなくて筋トレマニアで料理が上手なシスコンで努力家で薄幸で隠れロマンチストで子どもや動物に優しくてちょっと危うさがあるところが放っておけないダメダメヒーローのことなんて全然好きじゃないんですから。むしろ先輩が私のことを大好きなんですからね! 今日だって制服姿を褒めたり突然大好きだって言われたんですから。そうです、そうです。いやー、絡まれて困っているんですよね。ようやく理解して――いや、別にそこまで困っているわけではなくて――――あの人に何かしたらおまえを殺すぞ!!」


 突然の殺害宣告に電話の相手も黙る。流石に言い過ぎたと思ったのか、葵も次の言葉が出なかった。先に沈黙を破ったのは葵の方だった。


「……すみません。ついカッとなりました。姉弟子兼上司の天城さんに言っていいことではなかったですね、色んな意味で。ええ、はい。長門崎ながとざき師匠には黙ってください。バレたらちょっとどころじゃなくて面倒臭いことになりそうなので。勿論、お父さんとお母さんにも……。というか、他言無用ですからね。誰にも喋っちゃダメですからね絶対。あー、あー、もう分かりました。認めます。先輩のこと大好きですよ。今度詳しく教えますから」


 よりにもよって面倒な相手に知られてしまったことを後悔する葵。だが、比較的マシな相手だったと言えるだろう。先程口にした通り、知られたらもっと面倒臭くなる相手の方が葵の関係者には多かった。両親を始めとして過保護な上位者が多いのだ。


「それこそ天城さんはどうなんですか? 女子大生なんですし、浮いた話の一つでもあるのでは? まさかないなんて言わないですよね。この私をからかっておいて、自分は恋愛偏差値零だなんて言いませんよね。恋愛経験皆無だなんて言いませんよね。あ、こら逃げるな、姉弟子! この自称恋愛マニア!」


 しかし、相手の方は電話を終了してしまった。おそらくかけ直しても応じることはないだろう。そういう女であることを、葵は重々理解していた。故に、独りで悪態をつくしかない。


「全く、天城さんめ」


 しかし、電話の向こうの姉弟子が重大任務中であることは葵も知っている。とてもではないが、自分と年相応の一般女子らしいトークをしている状況ではない。どう考えても文句を言うには葵の分が悪い。


 師匠を始めとする組織の幹部勢にバレたら大目玉である。


「あ、勢い余って詳しく教えるなんて言っちゃった……」


 口は禍の元とは今日の葵のためにあるような言葉だ。


 本当は、一黄にもあんな第一声をかけるつもりはなかったのだ。では何と言うつもりだったかと問われたら、全く決まっていなかった。それでも久しぶりであったため何か話したいと口を開き、咄嗟に出た言葉が「ゴミクズ」だった。


 ゴミは私だ、と自己嫌悪に沈むばかりだ。


「私はいつになったら先輩に素直になれるんだろう。いや、素直になるわけにもいかないんだけど」


 もっとも、素直になってもどうしようもない部分はある。もう一人の自分が素直になってはならないと言ってくる。あの人が本当のおまえを好きになってくれるはずがないと告げてくる。


 湯上一黄はヒーローで、加賀葵は悪の組織の一員なのだから。


 組織に正式な名称はなく、多くからは『結社』と呼ばれている。世間一般からはその存在は徹底的に隠されており、都市伝説にさえ登場しない。存在を知っているのはエクソシストの上層部と一部の魔法少女のみだ。ヒーロー協会は想像もしていないだろう。魔獣や魔力を利用して、世界征服を目論む悪の組織があるなど。


 構成員の名称は退魔士エクソシストに対応する形で『魔術師』としている。


 両親ともに結社の人間で、幼少期から葵もかくあるべしと育てられた。


 総帥閣下にも赤ん坊の頃から会っているし、文字の書き方より先に魔力の使い方を教えられた。まだ人間を殺したことはないが、魔獣との戦闘経験はある。


 葵が中学一年生の時点で葵はヒーロー協会に潜入することが決まっていた。魔力係数は十分であり、顔も母親譲りの美人。師匠に叩き込まれた剣術があれば部活で好成績を修めることは容易い。高校入学と同時にプレシャスファイブに選ばれることは確定事項だった。現在を顧みるにその期待は正しかった。


 だが、そこに葵の意志などない。


 偉大なる総統や尊敬する師匠や母親の期待に応えられることは喜ばしい。だが、それだけだ。嬉しさはあっても達成感はない。歓びはあっても充実感はない。どこか空虚な気分で、ノルマをこなすように生きていた。


 そんな時に一黄と出会った。


 一目惚れ、というわけではなかった。別に顔や声は好みじゃない。好きになったきっかけらしいきっかけはなかった。あったような気もしなくはないがなかった。気づいたら好きになっていた。好意を自覚したきっかけはあった。好意を深めるきっかけもあった。


 この一年間、出会う機会は少なかったが、恋の想いは強くなった。特に、英語について勉強している時にふと思い出すのだ。英文を日本語に直訳する時、まさに彼が時折する喋り方のようになる。


 彼は怪獣災害の生き残りで、魔力欠乏症で、喋り方に妙な癖があり、家庭環境が特殊である。だが、経歴や体質が特殊なだけで本人の性質まで特殊かと言われたらそうでもない。割と普通の人間だ。誤魔化しようのない異常性を、気づきにくい普遍性が支えている。


 そのアンバランスさが好きなのだ、と思う。ような気がする。


 彼がバイトヒーローになったと聞いた時は正直、焦った。結社の一員として活動する以上、いつか一黄を犠牲にする時が来るかもしれない。しかも活動する街が同じなのだから猶更だ。しかし、彼は魔力欠乏症故にヒーローとして出世はできずベルトさえ持てないため、戦闘に参加することは有り得ない。


 しかも所属は宝刀市ではないことが本日判明した。葵としては嬉しい限りだ。これならば遠慮をする必要などないのだから。今回のようなケースもあるが、直接の所属でないのならあまり重要視するような意味はないはずだ。


「楽しい高校生活にしましょうね、先輩。いっぱい楽しい思い出を作りましょう。」


 結社の計画は長期的なスパンによって構成されている。どんなに早くても葵が死ぬまでに結社の最終目標である世界征服は勿論、日本の支配さえ終わらないだろう。


「ああ、でも高校最初の思い出が地域ヒーローの死だなんてちょっと血生臭いですね。傷ついた振りしたら、先輩は優しくしてくれるかな?」


 くすりと笑う様は、まさに悪の組織の魔術師そのものだった。

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