後輩
「湯上先輩は相変わらずゴミクズですね」
始業式も終わり、家に帰ろうとした一黄。蒼月は生徒会、みかは部活、その他の友人も何かしら用事があったため、ひとりで駅まで着たのだが、改札口前で背中からそのようなことを言われた。
声を掛けられる前から声の主の存在には気づいていたが、何やら一定間隔の距離を取って尾行してきたため放置していた。尾行をしてくる理由も分からなかったため、振り切ろうと走るわけにもいかず、むしろいつもよりゆっくり歩いた。当然、その正体も把握している。
「俺は俺の後輩に暴言を言われてとても驚いた」
素で返しながら振り向けば、そこには一黄と同年代の少女がいた。着ている制服は、一黄と同じ高校の女子用のもの。リボンの色から、今年入学したばかりの新入生であることが察せられる。
無表情で黙っていれば大和撫子の具現化のような容姿なのだが、現在、実に小憎らしい笑みを一黄に向けていた。
「その英語の直訳文みたいな喋り方も相変わらずですね。どこまでも意味不明で気持ち悪いですね、先輩は」
彼女の毒舌っぷりも相変わらずだったが、一黄はそれを指摘しない。指摘すれば「え~? 先輩ってば真実を言われて傷ついているんですか~? ああ、図星だから余計にですか」と言われるに決まっている。実際、過去に言われたことはある。
「お久しぶり、ってほどでもないですね。高校の合格祝いにご飯を奢ってもらった時以来ですか、湯上一黄先輩」
「そうだな。それで、何の用事だ? 加賀葵後輩」
加賀葵。湯上一黄の中学生時代の部活の後輩だ。おそらく後輩の中では最も会話を交わした仲だ。と言っても、葵が一方的に話しかけてきて一黄がそれに反応すると言った図式が多かった。これほど毒舌や暴言を投げてくるのだから嫌われているのだと思うが、その理由はよくわかっていない。正直、嫌いなら放っておいて欲しいのだが。
「はあ、察しの悪い先輩ですね」
これ見よがしに溜め息を吐き出す葵。それを受けて、一黄は困ったように頭をかいた。彼女が何を察して欲しいのか本当に分からないからだ。
「全部言わないと伝わらないなんて、どこまでもダメな先輩ですね。ほら、私の恰好を見て何か言うことはありませんか?」
「うん? ああ、そういえば制服姿を見るのは初めてだったな」
まさか感想を求められているのだろうか。わざわざ自分の感想を聞くためだけに尾行してきたとは思えないが、先程の言葉からそれ以外の意味を見出せるとは思えない。ならば、とりあえずは褒めるとしよう。
「めっちゃ似合っている。超可愛い。今年のミス高校一年生はおまえだ。十点満点中百点。おまえのために詩を送りたいが、その美しさを言葉にできない俺の無学さを許せ。早い話、控えめに言って最高だ」
「っ~~~!」
わざとらしい言い方ではあるが、全部本音だ。そして、一黄の賞賛を受けて無言で固まる葵。
「加賀?」
名前を呼んでみれば、はっとしたように葵はまくし立てる。
「は、は~? 先輩の分際で私を採点するなんて何様のつもりですか? まさか私が先輩に制服姿を褒めて欲しくてここにいるとでも思っているんですか? あーあ、先輩みたいな唐変木に私の思考を読み取れなんて方が無駄な期待でしたか」
「そうみたいだな。悪かった」
「全くです。猛省してくださいね」
何をどう猛省すれば良いのかは分からない。
「それでは、無能極まりない湯上一黄先輩にも分かりやすいように、説明してあげましょう」
「応。頼む」
「実は私、今日、ヒーロー協会に入隊するんです」
「へー。じゃあ学校でもバイト先でも後輩になるのか」
「ええ。でも、立場は私の方が上になると思いますよ」
「その心は?」
ふふんと成長途中の胸を逸らして葵は言う。
「なんと私、魔力係数とヒーロー適正が高くて入隊早々にランクC認定を戴き、『プレシャスファイブ』に選ばれたんです!」
「もう一度おっしゃってください!」
「予想外の驚き方!?」
葵は驚いたように言うが、一黄の方が驚きだ。
プレシャスファイブ。
この宝刀市で活躍するヒーローグループだ。グループと言ってもずっと同じメンバーというわけではなく、五人組で活動していて、欠番が出たら新しいメンバーが入ると言った形式を取っている。宝刀市が学生の町だけあって、メンバーの条件の中には『学生である』ことがある。これは表向きの条件で、実際にはもう一つ、『美男美女』という条件は暗黙の了解になっている。
この三月で『青』が大学卒業、『桃』が短大卒業と共に脱退したため、新しいメンバーが入ることは知っていたが、まさかそれが中学の後輩である葵であるとは夢にも思っていなかった。それも正式な入隊が今日であるにも関わらずプレシャスファイブへの選出が伝わっているということは、三月の段階であったはずの入隊試験で常人離れした数値を出したことになる。
去年から在籍しているメンバーを押しのけて町の代表に選ばれるというのはそういうことだ。入隊試験の結果だけではなく、美少女であること、中学時代の部活の成績が全国上位であることもあるのだろうが。
「入隊試験の結果でプレシャスファイブに選ばれるなんて天才、『シャイニングレッド』だけだと思っていたよ」
「えっと? ああ、現在の『赤』担当の人でしたっけ。ゲ―ティアシリーズの所有者でしたよね? 確か本名は……、本名は…………あ、あ……」
「合戸雄輝だ。これからおまえの先輩になるんだから覚えておけ。というか、何で知らないんだ。滅茶苦茶な有名人だろうが」
合戸雄輝は、一黄と同じ学校・学年に所属する男子高校生だ。去年はクラスが違ったが、今年は同じクラスになった。朝からクラスの女子が同じ組になれたことを喜んでいて、勇気ある数名は話しかけていた。
幼なじみの蒼月ほどではないが、彼も顔が良く、全国武闘大会男子中学生の部で優勝経験がある。しかし、彼が有名人である最大の理由は中学の部活の功績でも、プレシャスファイブに所属していることでもない。
「その様子だと知らないようだから言うけど、あいつが持っているゲ―ティアシリーズは『アンドロマリウス』だ。大和院博士が世に出した最新にして最後の変身ベルト。適合者は五年振りで、四代目の所有者になる」
ゲ―ティアシリーズ。大和院博士が作り出した七十二の一点ものの変身ベルト。量産型とは桁違いの性能を誇る。量産型の変身ベルトですら大和院博士にしか理解できないオーバーテクノロジーと言われているが、ゲ―ティアシリーズなど『大和院博士は未来人からベルトをもらった』と本気で言う学者がいるほどだ。
日本国内には『アンドロマリウス』の他に五本のゲ―ティアシリーズが存在し、いずれも所有者はランクA以上のヒーローである。世界に四十人しかいないランクSヒーローは、当然の如くゲ―ティアシリーズの所有者である。
「はい、先輩から物事を教えてもらうなんて屈辱の極みですけど記憶の片隅に置いておきます。それで先輩には……ランクEから始まって所属して一年経過した今でもランクD止まりの無力で無能な湯上先輩に、この期待の大型ルーキー加賀葵が宝刀支部に行くまでのエスコートをさせてあげようかという気遣いです。無価値で無意味な先輩のヒーロー生活に存在意義を与えてあげようかと」
すでにヒーローネームも決まっているところを考えると、ベルトの装着も済ませているのだろう。これは今年の入隊式の主役は彼女で決定だろう。惜しむらくはその姿を見ることが叶わないことか。
「ああ、それは無理だ」
「む、無理って何ですか。あれですか? 誰かに見られたら恥ずかしいとか、先輩の癖に生意気なことを言うんじゃ――」
「だってプレシャスファイブに入るってことは、所属は宝刀支部だろう? 俺、宝刀支部の所属じゃないから」
「え?」
素で驚いている葵。どうやら本気で知らなかったらしい。高校は宝刀市に通っているが、暮らしは藻取なのだから所属が其方になることは何となく予想できそうなものだが。
「正確には宝刀支部所属扱いにはなっているけど、その下位部署扱いの藻取出張所の所属だ。言ったことなかったっけ?」
「初耳なんですけど」
一年間所属しているが、パトロール中には葵に出会っていないことを思い出す。葵とは中学を卒業してからも何度か会ってバイトの話もしているが、詳しいことは話していなかったかもしれない。特に、所属についてはあえて伝えるほどのことではないと言っていなかったのだろう。
「うん。じゃあ今日から覚えておいてくれ。それに加えて言うと、あんまり出張所の人間が支部の方に顔を出すと面倒なんだよ」
「面倒とは?」
「めっちゃ絡まれる」
今のおまえみたいに、とは言わなかった。この後輩はどこかの幼なじみと違って、精神の防御力が紙のように脆弱であるため、そういう言い方をすると滅茶苦茶傷ついて、日によっては半べそをかく。
「絡まれるって……」
「そういう意味だよ。それ以上の意味はない。支部の連中は出張所を見下してんぜ? 警視庁の警部が所轄の巡査を馬鹿にするみたいに。特に、俺は魔力欠乏症だからな」
一般人であれば、魔力欠乏症だと言ってもそれほど不便はない。奇異と蔑みの視線を受けるだけで済む。だが、ヒーローであるならば話は別だ。ヒーローの象徴たる変身ベルトが使用できないことを意味しているのだから。
「そういうわけだから、期待の新人さんがこんな底辺に親しく話しかけるなんてやめとけ。道が分からないから案内してくれとかじゃないんだろう?」
「……何ですか、その言い方。私は好きで先輩と話しているんですけど」
「それは嬉しい限りなんだけどな」
てっきり嫌われていると思っていたのだが。どこで好感度を稼いでいたかは全く分からない。
「嬉しいんですか?」
「まあ、それなりに」
「へー。気色悪いですけど、感謝しておきますね」
気色悪いとまで言われた。やはり嫌われているのかもしれない。昔からどうにも分かりにくい少女であった。
「まあ、俺と仲良くすることがおまえの選択ならいいけどさ」
「自惚れないでください。私が先輩如きを慮るはずないじゃないですか。先輩が私を選んでいるんです」
プロポーズみたいだなと寝ぼけた感想を抱きながら、腕時計で時間を確認する。
「まだ時間あるなら近くのモキュドナルドでシェイクでも奢ってやろうか?」
葵が目を輝かせる。
一黄と葵、ここにはいないみかが通っていた中学校は、藻取町にある公立学校だ。家も藻取町にある以上、生活圏は当然、藻取町の中になる。そして、藻取町には世界的チェーンであるモキュドナルドの店舗がない。純粋な面積の差もあるが、宝刀市には十店舗以上ある。
そして、葵はモキュドナルドを始めとする世界・全国チェーンの店に対して強い憧れを持っていることを一黄は知っている。
「いいですね、モッキュ。でも今の時期なら期間限定の苺パイの方が食べたいかもです。あ、飲み物はストレートのアイスティーでお願いします」
「細かいことは店員さんに言ってくれ」
おそらくは一黄に誘われなくとも近い内に行く予定だったのか、モキュドナルドのリサーチは完璧なようだった。
駅のすぐ近くのモキュドナルドに入り、葵が先程のメニューを注文する。一黄はアップルパイとコーヒーを頼んだ。期間限定商品は一黄も気にするタイプだが、すでに食べているためだ。新しいメニューも悪くないが、一度食べてしまえば、食べ慣れている味の方を求めてしまう。
すぐに注文した品が用意され、窓際のテーブル席に座る。お互いのメニューの感想を言い合った後、葵の近況について話し合う。一黄の方は一年生から二年生になったとしても大きな変化はない。
「ふーん。じゃあ加賀は寮暮らしになるのか」
「はい。もう昨日から住んでいますよ。プレシャルファイブに所属する特典の一つですね。まあ、コンセプトから考えて当然の処置かもしれませんけど」
「隣町と言っても、山を挟んでいるから歩いては厳しいものな」
「実家を離れることを両親に話したら『寂しい』って泣かれました」
「父親はそりゃ寂しいものだろう」
一黄だって妹の桜が家から出るなんて話になったら、親父と一緒になって絶対に引き留める。最終的に折れるかもしれないが、とにかく一度は泣いて引き留めるだろう。
「いえ、母親も泣いてます」
「愛されてんだな、おまえ」
「愛され過ぎている気もしないでもないですが……。いえ、先輩も言っていましたけど、隣町ですよ? ヒーローになることには反対しないのに一人暮らしには反対なあたり、何ともまあって感じです」
「左様か。……ご両親は大事にしなきゃダメだぞ。そんなに大切にされているなら、尚更だ」
「……説得力が違いますね」
一黄の言葉の裏にある感情や事情を知っている葵は、素直にその言葉を受け止める。そして、少しでも明るい話題に移るように努める。いきなり全く違う話題を出すのもわざとらしいため、家族の話をする。
「そういえば、桜ちゃんは元気ですか? SNSではやり取りしていますけどしばらく会ってないんですが」
「ああ、元気元気。今日のことはちゃんと伝えておくよ。またごはんを食べさせてやるから家に来い。あ、その時はみかにもいていいか? 紹介したい奴もいるし」
当然、紹介したい奴とは蒼月のことだ。今時のミーハー女子である葵にはあのイケメンはドストライクであろう。どうせすぐに学校かバイト先で一黄と蒼月の関係は知るであろうから、先に教えてしまおうという魂胆だ。
何故か葵が首を傾げる。
「みか?」
面識は何度もあるはずなのだが、顔が出て来ないようだ。
「一山みかだよ」
フルネームを聞いて、葵はようやく理解した。
「……ああ、一山先輩ですか。あの人には、そういうのは別にいいかもですね、はい。私たち、お互いのこと苦手なので」
「そうなのか?」
葵がみかのことを苦手なのは薄々感づいていたが、逆方向からも同じ内容の矢印が向かっているとは思わなかった。しかし、一黄が頻繁に呼ぶはずの下の名前を憶えていなかったことを考えると、葵がみかに良い感情を抱いていないのは明白だった。
「あいつには苦手な人間とかいないと思っていたけどな」
「そうでもないですよ。いえ、あの人は誰にでもフレンドリーに行きますけど、一方で人との距離感はちゃんと見極めていますから。私の方が苦手にしているので、必然的にあの人の方も苦手っぽいんですよね。ソースは桜ちゃん」
双方に面識がある桜が言うなら間違いない。一黄が今日まで気づかず知らなかったのは、同性異性の関係か。
「それで、おまえはあいつのどこが苦手なんだ? 愛する幼なじみと大好きな後輩に微妙な空気が流れていたら俺もやりづらいんだけどよ。改善できるところなら俺も協力するから直そうぜ」
「……………………先輩、今の言葉をもう一度」
葵の目が大きく見開かれる。何か聞き捨てならないことを言ってしまったようだ。
「俺も協力するから直そうぜ」
「その前です」
「あいつのどこが苦手なんだ?」
「戻り過ぎです」
「愛する幼なじみ」
「何でよりによってそこなんですかー!? その、もうちょっと後です!」
「まさかとは思うけど、大好きな後輩」
「んも~~~~~~! うわ、うわ、うっわ! 激キモですね! 気持ち悪すぎて身体が熱くなります! 二度と言わないでください! 全く、今日は人生最悪の日ですよ、もう、本当! あーあ、今日この瞬間のことは一生忘れないでしょうね! どんな風に責任取ってもらおうっかな」
その反応をされるからまさかだと思ったのだ。
「あ、えっと、一山先輩を苦手な理由でしたっけ? なんとなくですかね」
「生理的に無理ってやつか?」
「んー、ちょっと違うかもしれません。根拠は多分あるんですけど、上手く言葉にできないんですよね」
「何だそりゃ」
「あ。別に先輩と仲がいい幼なじみだから妬ましいなんて理由ではないので、念のため」
「そりゃそうだ」
次の瞬間、店内にけたたましいサイレンが響き渡る。
二日ぶりの魔獣警報だった。