夕食
一年前ほどから、湯上家の朝食と夕食は四人で行われることが多い。
住人である湯上一黄と湯上桜の他に、一山みかと七篠蒼月がいることが多い。というか、ほぼ毎日来ている。食費は入れてくれるため、兄妹に不満はない。多少騒がしいが、食卓に人が多いのは良いことだ。
なお、家主であるはずの男は滅多に食卓にいない。別に息子と娘から疎外されているわけではなく、仕事の帰りが遅いからだ。食事は外で済ませてくることが多い。朝は朝で、一黄が朝のトレーニングに出かけている内に起きて、一黄が帰ってくる前に仕事に出かける。一応、朝は桜の作ったご飯を食べて、桜の作った弁当を持っていく。
あくまで他人のみかや蒼月と食卓を囲うことになったきっかけは四年前に遡る。中学一年生の時に、一黄がみかと再会してからしばらく経過した頃だ。
再会してからしばらく経ったその日、みかと一黄はお互いの家庭事情について話し合っていた。当時から湯上家の人間の生活リズムは今と似たようなものだった。みかは家に母親だけで、その母親もアパートに戻ってくるのは非常に稀らしい。仕事の都合なのか、男でもいるのかは聞いていない。みかも知らないのかもしれない。
そんな話をしている内に一緒にご飯を食べようという話になった。最初はお互いに一度だけの前提だったが、思いのほか楽しかったため二回目を予定した。何度も続けていく内に頻度は高くなり、一年後にはほぼ毎日になった。
そして昨年、再会したばかりの蒼月にこのことを話したら、自分も湯上家の食卓に参加したいと言い出してきた。特に断る理由もなかったため、受け入れた。まさか、みかと同じ頻度で来るとは思わなかったが。蒼月も蒼月で家庭の事情が複雑らしい。怖くて深くは聞いていない。
自分も含めてこの三人特殊過ぎないか、とは思った。しかし、怪獣災害被災者が普通かと言われたら普通ではない。今更なので深く考えないことにした。
当然、常に四人いるわけではない。蒼月は生徒会、みかは部活、一黄はバイトがある。三者三様の生活があり、三人三色の青春がある。こうして同じ食卓に顔を合わせているのは、あくまでその一環だ。
ちなみに、朝食は桜でほぼ固定されているが、夕食は一黄と桜のどちらか、または二人で行うことが多い。蒼月とみかは料理のセンスがあまりなく、本人たちもそれを理解している。
本日の料理当番は一黄。メニューはオムライスだ。みかの好物の一つである。ちなみに、みかは美味しいものは何でも好物だ。
「やったあああああああ! オムライスだあああああああああああ!」
予想以上の反応にびっくりした。作り手としては甲斐もあるため、悪い気はしない。それはそれとして反応が大きすぎる気もする。
「みか。今日日、晩御飯がオムライスでそんなテンションになる女子高生はおまえくらいだぞ」
「いっちゃん大好きぃいいいいいいいいいい! オムライスはもっとしゅき!!」
「俺は卵とチキンライスに負けたのか」
「でも、できればデミグラスソースも欲しかったなー」
最近のオムライスはデミグラスソースがかかっているタイプが多く、みかはデミグラス派だった。ケチャップも悪くないが、デミグラスソースの方が高級感を味わえるからだ。
「悪いな。デミグラスを作る時間がなかった」
嘘である。
湯上一黄、このエイプリルフール渾身の嘘である。
エイプリルフールは他人が傷つく嘘を言わないことがマナーであるが、一黄の場合は誰もを傷つけないために嘘をついた。
口にこそ出さないが、桜は断然ケチャップ派だからだ。一黄自身は美味しければ何でもいい派であるが、そういう拘りが不和を生むことは知っている。特に、以前この家で勃発した『唐揚げには何をかけるのが至高か』戦争はひどかった。
「ま、いっか。いっただきまーす」
みかがスプーンでオムライスを切り取り、すくい上げる。一口がかなり大きい。ここには取り繕う必要のない者しかいないとはいえ、女子高生が人前でするべき食べ方ではないと、みか以外の全員が思った。
「ん~、美味しい。具沢山で、色んな命を一度に貪っている感じがたまらないね!」
「びっくりするくらい食欲を刺激されない食レポだな」
「というか、悪魔が人間を虐殺した感想みたいだよ」
一黄と桜がややドン引きする。
「まあ、いいじゃないか。食欲があるのはいいことだよ」
そう言うのは、今朝はいなかった少年、七篠蒼月。
一黄とみかの幼なじみ。あの大災害を生き延びた一人。現在は一黄たちも通っている高校の生徒会書記を務めている。体育を含めたあらゆる教科で学年トップの成績を誇る。同級生だけではなく教師・先輩からの信頼も厚く、人気者。長身でイケメンで美声で学内外にファンクラブまである。
物語の主人公の如き能力に恵まれた男の幼なじみであるが、この男と同等以上のスペックを持つ生徒会長には驚きしかない。
「うん! やっぱり一黄は料理が上手だね。そこらへんのレストランよりも圧倒的に美味しいよ」
「そりゃどうも。競争相手が手ごわいもんでね」
ちらりと、最愛の妹を見る。一黄の視線に気づいた桜も不敵に見返す。
「最初は兄ちゃんの方が上手だったけどね。今じゃイーブンだよ。その内、追い越すから」
「やってみろ」
「仲がよろしいことで。お代わり」
みかが一皿目のオムライスを完食し、ケチャップの跡だけになった皿を一黄に差し出す。一黄は手慣れた動きでそれを受け取り、キッチンに戻って卵を焼き始める。もう一つのコンロで冷めてしまったチキンライスも温めておく。
オムライス完成を待つ間、みかは蒼月に話題を求めた。
「そういえば、そーくん。今日の入学式ってどうだった?」
一黄たち三人が通う高校では、入学式は基本的に入学生とその父兄、教員、生徒会およびその手伝いの生徒以外は立ち入りを禁止している。
そして、明日の始業式から新学年としての生活がスタートするのだ。
「うーん。それほど言うことはないかな。去年は迎えられる側だったけど、今年は迎える側だけだったってだけだよ」
「普通はそれ、かなり違うはずなんだけど……」
「こいつ、新入生たちの入学に何の感慨も覚えてねえな」
「だって一黄もみかもいないイベントに思い入れなんてないからね」
何の衒いも恥じらいもなくそう言い切る幼なじみに対して、一黄とみかは「重い……」と呻くように呟いた。彼の自分たちに向けている感情が何の裏もない友情や親愛であることは理解しているのだが、理解しているからこそ怖かった。
今年度もまたファンクラブのメンバーから刺されそうになるんだろうな、と遠い目をするみか。今年の各種イベントもまた荒れそうだな、と軽く頭痛を覚える一黄。
「あ、そういえば、残念ながら僕たちは今年、違うクラスなんだ」
「こいつ、もう入学式の話題終わらせたよ。て、え? 何で知って……ああ、明日の始業式用の手伝いもあったのか」
本来ならば、新しいクラスメンバーは明日の朝、校舎前の掲示板を見てようやく判明する。しかし、掲示板に張られるということは当然、それを張る人間がいるわけだ。そして、これまた当然のことだが、明日の朝一番に印刷したり張ったりするのでは少々忙しない。
つまり、この男、職権濫用で新しいクラス表を見たということだ。
「三人とも違うのか。じゃあ、ちょっと寂しくなるな」
一年生の時は三人とも同じクラスだった。七つクラスがある中でよく同じクラスに入ることができたものだと感心したものだ。
「え? 待って、三人とも違うの?」
「うん。残念ながら」
苦虫を潰したような顔で心底残念そうな顔をする蒼月に対して、みかは本気で絶望したような顔をした。
「だったら誰が私に勉強を教えてくれるというんだ!」
「自分でやれ」
「いっちゃんやそーくん以外の誰が、提出物を手伝ったり、ノートの板書を書き写させてくれたり、授業中爆睡しているところを起こしてくれたり、テスト勉強で出題範囲を教えてくれるっていうの!」
「同じクラスの友達に頼れ」
「いっちゃん、記憶喪失にでもなったの……? いっちゃんは私が幼なじみじゃなかったら面倒見切れないって、去年だけで百回以上言っているじゃない!」
「数えてんじゃねえ」
「まあ、いいや。いざとなったらいっちゃんのクラスに教えてもらいに行くねー」
厚かましい女だと思うが、言って治るような性格ではない。
「え? そこは蒼月さんじゃないんですか? 兄ちゃんも成績は良い方ですけど、蒼月さんは全国クラスなんでしょう?」
「あー……」
桜からの問いに、みかは微妙そうな顔をする。蒼月も頼りにされていないことに傷ついたかのような影を宿している。みかの意を察した一黄はオムライス作りに集中している。
「あんまりそーくんのとこに行くと、またファンの子に刺されるかもだから」
「うわあ。イケメンは罪ですね」
分かり易く暴力を行使してくる者はまだマシだ。一時期はひどく陰険ないじめもあった。何とか、蒼月とみかがお互いを恋愛対象として全く見ていないことを周囲に理解してもらうことで騒動は収まった。一黄もこの問題には関わっているため、決して他人事ではない。
思えば、みか自身、他人の思考を読んで立ち振る舞いを考えるあたり、成長したものだ。
いじめがエスカレートした原因として、当時のみかの言動もあったのだ。みかに罪や悪意があったとは言わないが、問題がなかったわけではない。こう言っては何だが、類は友を呼ぶ。変人の友人はやはり変人なのだ。
「また過剰防衛で停学受けたら面倒だし」
「うわあ。返り討ちにしたし、これからも余裕で撃退できるつもりなんですね」
問題があった対応、その一である。刺そうとしてきた相手をボコボコにしたのだ。一黄はその場にいなかったため、話で聞いただけだが、顔面を潰す勢いでぶん殴りまくったと聞く。見ていたクラスメイト曰く、本当に殺すんじゃないかと恐怖に襲われ、手出しできなかったそうだ。
「女子はともかく男子にナイフ向けられた時は怖かったよね」
「それ、死や痛みとは別の恐怖では?」
そのナイフを向けた男子曰く、決して同性愛ではないとのこと。あくまで敬愛と言っていたが、あれはもはや崇拝、否、狂信の領域だ。
「たまに思うんだけどさ。俺や桜って、おまえに毎日飯を食わせて大丈夫なのか? 嫉妬で襲われたりしない? 特に桜にあったら俺は親父に申し訳がない」
「大丈夫じゃない? 今日まで何もなかったんだし」
「昨日は大丈夫だったは、今日や明日が大丈夫なわけじゃねえんだよ。ほら、完成したぞ、お代わりだ」
「わーい」
「ま、大丈夫だよ、兄ちゃん。相手は人間でしょ? 魔獣じゃなければ、私は大丈夫」
「……そうか」
その言葉に、一黄は胸に痛みを覚える。今の自分を構成している要素の最も大きな部分が、歪な泣き声を上げる。
「まあ、万が一が起きないように警戒はしているから」
蒼月の妙に確信めいた言葉に、ふと我に返る。
「警戒って。ファンクラブの動きはちゃんと把握しているってことなのか?」
ファンクラブからしてみたら、崇拝対象者が自分たちを悪い意味で監視しているというのはどういう心境なのだろうか。一部の過激派を恨むのか、此方への嫉妬を濃くするのか。出来れば前者であって欲しいところだが、それはそれで暴走を生む可能性がある。
一黄の疑問や懸念はみかや桜も共通のものだったが、蒼月は自信たっぷりに頭を振るうのだった。
「大丈夫。詳しくは言えないけど、僕を信じてくれ」
「まあ、そこまで言われたら信じるけどよ。ああ、桜。一応、外に出る時は警戒しておけよ。こいつが家に入り浸るきっかけになった俺が言うのも何なんだけどさ」
「あいあい。問題ないよ。そこで問題あるからもっと早くに言うし。兄がヒーローだと頼もしいしね」
「ん、助かる」
魔力欠乏症で変身できないと言っても、ある程度のハッタリには使えるはずだ。そのハッタリが通じない相手となると、もう一黄というか、警察の出番も視野に入ってくる。
「一黄。それなら、バイトやめて生徒会に入らないか? 庶務なら空いてるぞ」
蒼月からの提案。実は去年から何度も受けた話なのだが、一黄の答えは決まっている。
「断る。俺、会長さん苦手なんだよ」
「何でだよ? いい人だよ。特に怖いとかはないけど」
「それはおまえが会長さんと同じ上級階層の人間だからそう言えるんだよ。あれだ。何なんだ、あの対面しているだけでオーラが見えて来る覇王っぷりは。ただ立っているだけで『君臨』って字が似合う高校生は他にいねえよ」
すでにお代わりのオムライスを半分にしたみかも、一黄の言葉に同意する。
「ねー。遠くから見ている分にはすごい人ってだけで終わるんだけど。実際に会話するってなると、無理だね。私たちと歳が一つ違うとは思えないよ。そんなんだから、会長さんのファンクラブはそーくんのファンクラブより厳かなんだよ」
「なー。ファンクラブっていうか支援会って感じがする」
「君たち……学園の皆はあの人を何だと思っているんだい?」
「親しみやすさ皆無の超人」
「『伝書バト』」
「は?」
「みか、手紙でも運んでもらうつもりか? あの人はむしろ運ばせる立場だぞ。『殿上人』な」
「そう、それ!」
ちゃんと言えない癖に難しい言葉を使い出す幼なじみに苦笑しながら、訂正を入れた方のもうひとりの方に告げる。
「まあ、気が変わったら言ってくれよ。一黄も来年には大学受験なんだからさ。いつまでもヒーローだなんて言っていられないだろう?」
「いいや。いつまでも言うね。俺はそういう運命に選ばれた男なんだから」
「あっはっは。いっちゃんも言うよねー。今晩もこの後走るんでしょ? 夜道に気をつけなよ」
「分かってる」
「本当、気を付けてくれよ。ちゃんと魔獣が出そうな道は避けて通るんだよ」
「だから分かってるって」
「ところでもう一回だけお代わりいい?」
「あなたはどれだけのオムライスを食べるのですか?」
「出た。訳文喋り」
■
その日の深夜。
蒼月とみかを見送り、遅くに帰ってきた養父に食事を用意し、桜に夜食を用意して、一黄は家を出た。夜のトレーニングという名目である。コースは朝と同じである。
「――さて、と」
山の中の、道とは言えない場所にいた。家族に話しているコースからは大きく離れた位置にある。恰好は運動向きではあるが、山登りをするほどしっかりとした服装ではない。
そこは、およそ人の入るべき領域ではない。魔獣が公になる前の世の中でさえ、熊を警戒しておくべきような奥地だ。魔獣の蔓延る現代において、夜中の山など自殺志願者とエクソシストとランクB以上のヒーローしか入らない。
魔獣は昼間に発見されることが多いが、それは昼に活発になるからではない。夜中、魔獣たちは人の領域に出ないだけで山や森、川や海の中で活発に蠢いている。星空を見上げれば飛竜が飛んでいたというのは珍しい話ではない。
魔獣は人間を積極的に襲う習性があるにも関わらずどうして夜中には街に入らないのか、は色々と所説が唱えられているが確定的なものはない。多くの人は『そういうものだ』と納得している。
一黄もそれを知らないわけではない。むしろ知っているからこそ、この場にいる。無論、死ぬつもりはない。生きるために、生き抜くために、この場にいる。
『昼間と同等レベルのキマイラも複数体いるか。やはり、四年前から徐々にこの山に発生する魔獣のレベルが上がっているな』
「やっぱり? その内、わざとじゃない討ち漏らしが町に行くかもしれないか。いや、行くとしても宝刀市の方にだと思うけど、念には念を入れないと、か」
これは日課だ。これは日常だ。ロードワークの一種だと言ってもいい。究極的に命がけのロード―ワークであるが。一歩間違えれば死ぬというより、踏み入ること自体が自殺行為の暴挙と言ってよい。
そんな危険行為を、一黄はこの町に来てからずっと繰り返している。あの悪夢を生き延びてから、ずっとこの地獄を繰り広げている。
そうしなければ、あの日の全てを清算できない。
『分かっているだろうが、死にそうになるまで、ベルトの使用は許可しない。五体が動くうちは、おまえの身体能力と周囲にあるものだけで倒せ』
携帯端末の声に従って、一黄は戦いの準備を始める。準備と言っても、周囲を見渡して地形を確認し、いい感じの枝を両手に持つだけだ。
「あいあい、了解」
魔獣たちが一黄の周囲に集まってくる。
唸り声と敵意に囲まれながら、一黄は不敵に笑む。その両目は、昼間のように黄色をしていた。
「今日も、明日も、明後日も、この俺がいる限り、この町には決して魔獣警報は鳴らせない。絶対にだ」
その言葉が合図であったかのように、魔獣が飛び掛かる。