スライム
スライム。
主な特徴は、その名が示す粘っこい身体。形状は不定。ゼリーや粘液に近い。大きさは手のひらサイズからボーリングの玉を丸飲みできるものまである。生物としては貝類に近い。ゼリーのような肉体だが、その中には内臓も知覚器官も備わっている。しかし、五感は非常に鈍感であり、機動力も肉体強度もない。当然、知性はない。
色は多種多様。地域性が出る。アジア圏では赤色系統のスライムが多く、藻取町を含む宝刀市周辺では牡丹色のスライムが主だ。
汚染された川や下水道に沸く。雑菌と寄生虫の宝庫であり、感染症の温床になることもあるため、積極的に駆除すべき魔獣の一つだ。数年前、某国の大都市の下水道で大量発生しパンデミックを引き起こしたことは記憶に新しい。
上記にあるように雑菌と寄生虫を大量に宿しているが、毒を持つスライムはいない。その他の特殊能力を持つこともない。
雑食。冗談抜きで生物由来ならば何でも食べることが可能。人間以外の多くの生物が苦手としているネギ、チョコレート、アボカドも食べられる。多少どころか完全に腐敗していても体調を崩さない。種類によってはシロアリのように木材も食べる。自分より大きな生物は襲わないため人間が食べられる事例は非常に稀だが、農家が作物を荒らされたり犬や猫などの小さな家畜が食べられたりすることは多々ある。共食いもするが、別に一体を丸飲みしても二体分の大きさにはならない。
原典ではともかく、百年前まではゲームや伝奇小説では雑魚モンスターとしておなじみの存在であった。魔獣が現実となった現代においても、その印象は変わらない。最弱の魔獣として有名である。
卵生で繁殖期は一年中、しかも一度の出産で百個以上の卵を産む。ただし、孵ったばかりの幼体が共食いをするため、爆発的に数が増えることは稀である。
上記のような特徴に加えて、猛暑でも氷点下でも活動可能。ゴキブリやハエより生命力の塊と恐れられている。
一般人でも目にすることがある程度には発生しやすく、魔力分解剤さえあれば一般人でも倒せる程度にはか弱い魔獣である。余程の特異種でもない限り、スライム相手に魔獣警報が鳴ることはない。だが、見慣れていない人間からすれば――見慣れていても――非常に生理的嫌悪感が止まらない生物であり、退治が簡単だと言っても、目撃者の多くはヒーローに通報する。
その最大の理由が、スライムは基本的に単体ではそこにいないからだ。
「うわぁ……」
少年に連れられて一黄は山道の奥の方へと入り、あまり使われていない細道に足を踏み入れた。そして、そこで目にしたのは不法投棄されたゴミの山とそこを根城に沸くスライムの群れであった。
群体の恐怖とでも言えばいいのか、ただでさえゴキブリ並みに嫌悪感を持つ生物なのに、ここまで集まってしまえば戦慄の領域だった。
「千匹くらいいるじゃん。ここはこの前見たは何もなかったはずだけど、誰だよ。不法投棄ってなったら警察の管轄だし……。まずは駆除して、それから……」
残業も視野に入ってくるため、一黄は頭を抱えた。そんな一黄に少年は元気いっぱいに報告する。
「ちょうちょを探しにきたんだ。そしたらこんなに気持ち悪いことになっててびっくりしちゃった!」
「うん。君も災難だったね。通報ありがとう」
「じゃあぼく帰るね!」
「気をつけてね。こういう場所だと足元にスライムいて転んだりするから」
「はーい!」
少年を大きな道まで見送ってから、一黄は携帯端末のカメラにこの状況を録画する。
「シアン。確認だけど、このスライムの中に特異種はいるか?」
『いいや。どれも至って普通のスライムだ。即ち、弱くて脆くて遅くて愚かな不快なだけの生命体だ』
そして、一通りの観察が終わったら、出張所に連絡する。ちょうど直接の上司が出たため、現場への出動を要請した。出動と言っても、現場検証をしたら警察に引き継ぐだけの作業だ。スライムの駆除ならば上司がここに到着するまでに終わる。
リュックから魔力分解剤のスプレーを取り出した。スプレー自体はヒーローならば誰もが持っている必需品だが、これは一黄の上司が改造したものであるため、広範囲に強く届く。
スライムとアンデッドの駆除には魔力分解剤だと相場が決まっている。熱に弱いが、火は危ない。物理で潰す方法もあるが、気持ち悪いので却下である。塩で弱くなる種類もいるが、分解剤を使った方が色々な意味で効果的だ。
「あの少年が見つけてくれて助かったと見るべきか。この数がこのまま増殖してたら宝刀支部の方に応援を呼ぶとこだったな」
スライムの繁殖力を考えれば一週間後には大惨事になっていた可能性が高い。
『流石にスライム相手に応援を呼べば赤っ恥だな』
「ああ。通常パトロールのコースに入っていなかったとはいえ、俺にも責任の一端があることになるからな。そうなったら所長に何て言われるか。早期発見で助かった」
『きしょいのー。マジきしょいのー。一黄、早く退治せんか。肉体のない儂じゃが、鳥肌気分じゃ』
「分かっているって」
右手に魔力分解剤が入ったスプレー缶を構え、左手にそのあたりにあった『ちょうどいい感じの枝』を持つ。スプレーを吹きかけたスライムが逆襲してきた時に防御するための備えである。この距離で一黄がそのような動きを見せてもスライムたちに逃げるような気配はない。というよりも、一黄の存在に気が付いていないようだ。
殺虫剤よろしく魔力分解剤を散布する。分解剤を受けたスライムたちは身体をぶるりと震わせた後、空気が抜けた風船のようにしぼんでいく。
「マゼンタ。おまえから見てもスライムって気持ち悪い生物なのか?」
『うん? まあの。というか、これが苦手じゃない奴なんかおるのか? そりゃ低位の魔獣は魔力補給で喰らう。じゃがなー、儂も肉体があった頃は呼吸するだけで魔力は補給できたしなー。好き好んで食べようとは思わんわ。べったべたするし』
分解剤を受けたスライムの何匹かが襲撃者である一黄に飛び掛かってくる。飛翔するゴキブリを彷彿とさせる動きであるため一瞬怯みかけたが、一黄は素早く枝で応戦する。
ゼリーのように見えるスライムだが、ゼラチンのように脆いわけではない。ある程度の強度はあるため、砕かないように最低限の力ではじき返す。これが力を込め過ぎたら肉体が砕けて飛び散る。具体的には、顔面や服に付着して汚染された川に潜ったような姿になってしまう。
「……昔見たテレビの番組で、魔獣を食べる原住部族を特集していたけど、スライムだけは絶対に食べないって言ってったっけな」
インセクトやゴブリンは勿論、アンデッドでさえ煮たり干したりする部族であったため、スライムだけはダメだと言っていた姿が印象深い。食の研究家も言っていたが、スライムだけは安全に食べることが不可能な魔獣らしい。
フィクションにありがちなドクターフィッシュのような能力もないし、川などの自然環境を綺麗にすることもない。その他、どのような利用方法もない。強いて言うなら、他の魔獣を呼び寄せる餌として使える程度か。それも処理の手間や確実性からインセクトの方が重宝されがちだが。
ある意味、人類を最も苦しめている魔獣はスライムなのかもしれない。
「正直、スライムの弱さはあからさま過ぎて将来とんでもない種が生まれるんじゃないかと不安になるんだけど」
『パンデミック系の漫画ではあるまいに』
『B級映画の見過ぎじゃ』
「フィクションの具現化みたいな二体に言われてしまった」
魔獣の存在自体、つい百年前までフィクション以外の何物でもなかったのだ。それを考えれば、自分もマゼンタもシアンもかなり滑稽な存在だろう。虚しいとも言えるかもしれない。
「はい、駆除完了」
所持していた魔力分解剤を半分ほど使用してしまったが、この場にいた全てのスライムの駆除を完了した。当然、一黄の服にも身体にもスライムは一片も触れていない。山の中であるため、分解剤で駆除したスライムはそのまま地面に変える。これがコンクリートやアスファルトならば強力な洗剤を使って掃除をしなければならなかったところだ。
時計を確認する。出張所からの距離を考えると、一黄の上司が到着するまであと五分と掛からないだろう。
「さて、どうしたもんかね。……うん?」
手持無沙汰な時間をどう過ごすか考える一黄だったが、微かに胸騒ぎを覚えた。漠然としたそれは、やがて音となって耳に届き、明確な気配として形を持っていく。
「何か来るな」
『スライムの死が、強い魔獣を呼び出したようだ』
「死んでも迷惑な生物だな」
一度に駆除し過ぎたというのもあるだろう。
スライムの匂いではなく、魔力が散る気配が問題なのだ。
魔力分解剤の欠点だ。魔力分解剤でスライムやアンデッドを駆除した場合、気をつけなければならないのは、分解された魔力の気配を察知して他の魔獣が寄ってくることがあるという点だ。
別に、魔獣の生息圏が近くなければ問題ないのだ。
藻取町の近辺には強い魔獣はいない。だが、ここは強い魔獣が出現しやすい宝刀市に比較的近い、町の境界線の山の中である。しかも、昨日、宝刀市にはニュースになるほど強い魔獣の群れが出現した。討ち損じがいるかもしれないとニュースで言っていた。
「ちっ。プレシャスファイブめ。本当にしくじってやがったか。何の為に昨日、姿を見られないように数を減らしてやったと思ってんだ」
『一黄。まずい。間違いなく群れのボス級だ』
「だろうな。生き残ったのが雑魚ならむしろ町から遠ざかるはずだろうし。……あらかじめ言うってことはだ。つまり、使っていいんだよな?」
『仕方ない。急がなければおまえの上司も来る。ベルトの使用を許可しよう』
一黄はジャケットの腹の部分をめくった。そこには腰に巻いたベルトがある。ただのベルトではなく、如何にもな機械の部品が取り付けられている。ちょうど一黄が持っている携帯端末を差し込める構造になっていた。
変身ベルトだ。
この藻取市にはないはずのベルトである。しかも、持っているのはヒーローと言ってもランクが低く、非正規雇用のアルバイトヒーロー。更には、魔力欠乏症により本来ならば変身ベルトを使用できない体質の高校生と来ている。
何かもがちぐはぐだった。不自然極まりない状況だ。第三者が見れば首を傾げるだろう。自らの目を疑い、一黄のベルトが偽物であるかと疑うだろう。
『ゲ―ティア・ワールド・ネットワークに接続。コード認証。使用条件を解決。エネルギー充填完了。ヒーローネーム「×××・×××」。変身および戦闘を許可します』
嵐のような気配が近づいてくる。一黄は其方に身体を向けた。
彼の顔を普段から見ている者は違和感を覚えるだろう。彼の瞳の色が普段とは変化していることを。黒曜石の瞳が、稲光を宿したような黄色に変貌していた。
「行くぜ、シアン。マゼンタ」
『了解』
『うむ。任せよ』
嵐が一黄の前に辿り着く。
魔獣キマイラ。獅子の頭、山羊の足、蛇尾。通常の個体ならば外見以外には特出した特徴はない。しかしながら、この個体は通常のそれではない。明らかに巨大だ。それでいて、その大きさには遅さを感じない。むしろ俊敏さと獰猛さを感じる。
魔獣は、一黄を見て唸った。警戒ではなく、牽制でもなく、獲物に向ける捕食宣言。すぐに飛び掛からないのは逃げ出しても追いつくと思っているから。逃げる姿を、あるいは怯える姿を見て楽しもうとしている。知性はないが、こういった嗜虐心に富んでいるのが一種の魔獣の特徴だ。
キマイラの敵意を確認して、一黄は携帯端末をベルトに差し込んだ。
「――――変身!」
一黄の身体を眩い光が包む。キマイラも突然の光に顔を逸らした。
光は一瞬で止むと、そこには一人の変身ヒーローが立っていた。
露出皆無の全身鎧の如きバトルスーツ。頭部も同じ色のフルフェイスヘルメット。スーツとは対照的に白く長いマント。右手には刀剣型の鉄塊を携えている。
ヒーローがどういう存在であるのか知っているのか、キマイラは狼狽したように怯んだ。ある程度の魔力を持つ魔獣は、獣に近い種類でも理性を持つ。キマイラは感じ取ったのだろう。自分が相対している存在が、捕食する餌などではなく、己の死神であると。
世間が『キープレート』と呼ぶヒーロー。その正体こそが、湯上一黄だ。
「今日もこの町で魔獣警報は鳴らなかった。それが確かな現実だ」
■
「一黄ちゃん、お待たせ☆ あんら~、スライムの駆除はもうやってくれてたのね、感心感心」
「そりゃどうも、捨石さん」
「もー☆ ステーシーって呼んでっていつも言っているでしょ?」
「上司をそんな風に呼べませんよ」
「それはそうと……スライム以外の何かが出たみたいな痕跡もあるわね。え? 何これ?」
「さあ、何でしょう」
「何でしょうはなないでしょう、一黄ちゃん! さっきの連絡じゃこんなの言ってなかったじゃない!」
「言い忘れてました」
「もー☆ 一黄ちゃんたらうっかりさん。まあ、いいわ。多分、昨日宝刀市に出たっていうキマイラがここを通ったのね」
「だと思います。後のことは任せていいですか? 今日、うちの食事当番でして」
「分かったわ。スライムの処理はともかく不法投棄のゴミの処理は役所仕事だもの。まあ、どうせ私たちに委託されるんでしょうけど。手続きは早くて明日の午後あたりかしら。明日は半ドンでしょ? 手伝ってちょうだいね」
「分かりました。あ、魔力分解剤を使い切ったんですけど、予備って出張所にありましたっけ?」
「どうだったかしら? 前にかなり買い足したはずだけど、皆が結構使うものですものね。あんまり残ってなかったかもしれないわ。帰ったら確認しておくわ。ささ、あのことはお姉さんに任せて一黄ちゃんは帰りなさい。妹さんや幼なじみちゃんたち、お父さんが待っているわよ」
「どうせあのクソ親父は帰ってきませんよ」
「もー☆ 一黄ちゃんたらツンデレなんだから」
「やめてくださいよ、そんなデタラメ」
「あら? 昔からそうだったって幼なじみちゃんの女の子の方が言っていたわよ?」
「あの鮭泥棒! 彼女は私をどうしたいのでしょうか!」
「相変わらず素になると変な喋り方になるわね……。何なの、その外国語の文章を日本語に直訳したみたいな喋り方」
「癖なんですよ。日系アメリカ人な実の父譲りの」
「成程。ツンデレはお父さんの遺伝なのね?」
「俺がツンデレなのは否定しますけど、実の父は確かにツンデレだったかもしれないですね。……もう、そんな気がするってくらい昔の話ですけど」