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起床

 大きな音を立てる目覚まし時計を、ぺちんと叩いて止める。


「……私は今、起きます」


 誰かに報告するような口調で、英語を日本語訳したような文章を口に出して、湯上ゆがみ一黄いつきは起床した。


 これといった特徴のない、中性的な顔をした少年だ。寝癖がすごいことになっているが、起きたばかりで意識がしっかりしておらず、鏡もないので本人は気づかない。


 枕元に置いている携帯端末を手に取り、話しかける。


「シアン。今日の日付を、教えて、ください」

『四月一日だ、一黄』


 一黄の声に反応して、端末の画面が光ったと思えば、無機質で機械的な音声が発せられる。


『本日、学校は入学式で、生徒会等関係者以外の在学生は登校の必要がない。なお、九時よりバイトのシフトが入っているため、八時半には家を出ることを推奨する』

「今の、時間を、教えてください」

『午前五時だ。二度寝防止のため、速やかに起床のトレーニングに出かけることを推奨する』

「俺はそれを分かりました。じゃねえ、分かった……よし」


 部屋着から運動用のジャージに着替える。年季の入った勉強机の上には眼鏡が置かれているが、手には取らない。伊達眼鏡だから。ほとんどオシャレのために着けているため、運動する時は外すようにしているのだ。


 洗面所で顔を洗い、寝癖を整えた後、お気に入りの整髪料で髪をセットする。そこまで時間はかけない。軽く整える程度だ。


 まだ夢の世界に出かけている家族を起こさないように静かに家から出ると、空はまだ暗い。未明と呼ぶに相応しい時間だ。


 そんな朝とも夜とも言えない時間の道を、一黄は走る。疾走というほどではない。あくまでも筋肉と脳みそを起こすための儀式のようなものだ。


 お決まりのコースを小一時間かけて走り、家に戻る。


 ドアを開けるなり、良い匂いがしてきた。玄関に見慣れた靴があることを確認する。


 シャワーを浴びて自室に戻って着替えるべきなのだろうが、その前にリビングに顔を出しておこう。そう思っていたが、一黄の帰宅に気づいたのか、あちらの方から玄関にやって来た。


「兄ちゃん、お帰り。あと、おはよう」


 出迎えてくれたのは、湯上ゆがみさくら。一黄の妹である。二つ年下で、今年中学三年生になる。


「ただいま戻りました。それと、おはようござい、……おはよう、桜」

「そこまで言ったらついでに『ございます』まで言えよ。何で言い直してんだ」

「口悪いぞおまえ」


 一黄のここ最近の悩み、妹の暴言が多くなったが挙げられる。年頃の妹の人間関係などデリケートすぎて把握できていないが、桜の親友である加賀かがあおいの影響かもしれない。特に口は悪いないのだが、性格が悪い。一黄の見ていないところで言葉遣いを乱し、桜に悪影響を与えている可能性はなくもない。


「この後すぐ洗濯機回したいから、その汗だくのジャージ早く脱いじゃってよ。あ、ご飯も早く食べてね。食器が片付けられないから」

「分かってる」

「それと、みかさんはもう来ているから」

「それも分かってる。靴あるし」

「うん。余計通り、蒼月さんは来てないから」


 桜がリビングに戻って行く。一黄は自室から着替えと伊達眼鏡を取り、シャワーを浴び、洗濯物を籠に投げ入れ、リビングに入る。


 四人用のリビングテーブルに、二人の人間が座り、和風朝食を食べていた。一人は桜だが、残りの一人は一黄と桜の両親のどちらかというわけではない。一黄と同じ年頃の、卵焼きを頬張っている少女だ。


 一黄がリビングに入ると、少女が朝の挨拶をしてくる。


「おはようだよ、いっちゃん」

「うん。おはよう、みか」


 一黄は少女――幼なじみである一山ひとやまみかに挨拶を返し、自分の定位置に座る。いつもならもう一人の幼なじみ、七篠ななしの蒼月そうげつがいるのだが、本日はいない。その事情を知っているため、一黄は特にそのことを口にはしない。


 同時に、桜から炊き立てのご飯が盛られた茶碗を渡される。


「どうぞ、兄ちゃん」

「はい、いただきます」


 最愛の妹が作ってくれた朝食を堪能しながら、ニュースを流すテレビを尻目に、幼なじみと朝の会話を交わす。


「いっちゃんは今日はバイトかな?」

「まあな。そういうみかは部活はいいのか?」

「今日は入学式で学校がバタバタしているからね。部活は休み。他の部は頑張っているけど、我が卓球部は無理せず頑張っているのだよ」

「そうですか。……んん、左様か」

「その言い直し、意味あるの?」

「あるわけじゃないですか。兄ちゃんもそこまで言ったらもう言い切れよ」


 桜の言うように、意味はない。ほとんど癖のようなものだ。不自然な言い方をしてしまうのも、それを訂正しようとして余計に不自然になってしまうのも。最初の内は本気で直そうとしていたのだが、途中から直しきれずに諦めようとして、結果的に今のようになってしまう。


 一黄は話題を変えることを試みる。


「蒼月は入学式関係の仕事があるんだろう? 大変だな、生徒会」


 ここにはいないもう一人の幼なじみ、七篠蒼月。生徒会役員書記。成績優秀でスポーツ万能、おまけにイケメン。背も高いため、最近は隣に立って欲しくないと思うことが多々ある。一黄も決して同年代と比較して特別低いわけではないのだが、蒼月を物理的に見上げる構図はあまり愉快ではない。向こうはあまり意識していたいのも腹立たしい。


「だねー。もしかしたら、そーくんが次の生徒会長になるかもしれないんだよね?」

「その可能性は高いな。まず本命だろう」


 生徒会に一年の頃からいたことは間違いなく生徒会選挙で強みとして機能する。会長・副会長は三年生のため、来年の春には卒業している。会計は二年生だが、あまり前に出るタイプではないため、生徒会長に立候補する可能性は低い。


「だったら幼なじみ特権で部費を増やしてくれないかな~」

「地区大会一回戦敗退常連の部活に部費は増やしてくれないだろ。せめて部員を増やさないと」


 あの生真面目な優等生が身内贔屓で職権濫用をしてくれるとも思えないが。


「面倒くせ」

「最近桜の口調が悪くなってきたの、おまえのせいだな?」


 新入生対象の部活勧誘もあまり頑張らないであろう幼なじみに半眼を向ける。一黄の視線に気づいていないのか、気づいていない振りをしているのか、何喰わぬ顔で漬物を貪るみか。ポリポリと気味の良い音を立てる。


 蛙の面に水とはこのことだと思いながら、何となくテレビに視線を向ける。キャスターが昨日起きた魔獣災害のニュースについて喋っていた。


『――昨日夕方、××県の宝刀ほうとう市にキマイラの群れが出現しましたが、地元ヒーローチームの“プレシャスファイブ”によって討伐されました。市内に出現した個体については全て討伐されたことが確認されましたが、群れからはぐれた個体が残存している可能性もあります。地域の皆様は十分にご注意ください』


 宝刀ほうとう市は一黄たちが住むここ――藻取もどり町のすぐ隣にある町だ。隣と言っても町境に山があり、宝刀市と藻取町は発展具合にかなり差がある。宝刀市は県庁所在地ではないが県有数の都会であるのに対し、藻取町はかなり田舎の扱いだ。


 この地域では、宝刀市在住であることは一種のステータスなのだ。逆に、藻取町の人間であることを宝刀市在住の人間に言うと露骨に田舎者扱いされる。電話で駅一つか二つの差であるにも関わらずだ。解せぬ。


「キマイラかー。獣型の魔獣だっけ?」


 意外にもみかがニュースについて食いついたので、一黄もそれに答える。


「ああ。神話だと尻尾が蛇の頭になっているパターンもあるけど、普通に蛇の尻尾なだけだな。頭も一つだし、炎も吐かないはずだ。知性もないし、空も飛ばない。ランクはCだから魔力分解剤でも死なないけど」


 ギリシャ神話で語られる空想上の生物としてのキマイラと、魔獣として現存しているキマイラにそれほどの乖離はない。獅子の頭、山羊の足、蛇の尾の獣。主な特徴はそれだけだ。魔力はあるが、魔法を使ってくるわけでもない。凶暴性は高いが、一般的な変身ヒーローがいれば危険というほどではない。無論、何の武装もない一般人や変身ベルトを持っていない下位ヒーローが相手にするには危険すぎる生物には違いないが。


「流石プロ。スラスラ出て来るね」

「茶化すなよ。俺はただのバイトだよ。まあ、いずれは就職するつもりだけどさ」


 湯上一黄は高校生兼バイトヒーローである。今の時代では有り触れた肩書だ。隣の町には学生でありながら正規のヒーローもいる。


 現在テレビで取り扱っている町こそが、その隣町だ。大きな山が境界線になっていることもあり、魔獣が出たと聞いてもほとんど他人事だ。一黄たちが通っている高校のある町でもあり、この家はかなり宝刀市寄りの場所にあるのだが、心理的な距離は大きい。


『しかし、宝刀市ですか。最近話題の正体不明のヒーロー、キープレートの出る町ですよね。昨日は出なかったんですか?』

『出なかったようですね』

『そんなヒーローをお化けみたいに』

『いやぁ、ヒーローって言っても正体不明なわけでしょ? エクソシストや魔法少女ならともかくヒーローで正体不明って本来有り得ないわけですからね?』

『ですよね。先生は専門家としてどうお考えですか?』

『私としては――』


 テレビでは、昨日の魔獣騒動よりも正体不明のヒーローの方が気になっているようだ。アナウンサーもゲストもニュースの主題を忘れたかのように、『キープレート』に対する議論を交わしている。


 みかの興味もニュースからは完全に離れたらしい。ごはんを頬張りながら一黄に言う。


「でもいっちゃん、魔力係数高い方じゃないんでしょ?」


 魔力係数。そのままの意味で、その人間または魔獣が持つ魔力の量だ。生まれながらに高い人間もいるが、訓練や整形手術である程度は高めることができる。魔力が高いほど身体能力が高かったり生命力があったりする。一説では、『運命力』というオカルトめいた力にも魔力が関わっているという。


 エクソシストや魔法少女はこの魔力を使いこなして戦う。ヒーローはどちらかと言えば、ベルトを始めとしたアイテムで魔力を増幅させたり変換させたりして戦っている。ヒーロー自体、エクソシストや魔法少女よりも歴史が浅い上、魔力の研究もこの三十年でようやく始まったようなものであるため、まだまだ進歩の余地はある。


「……高いどころか、めちゃくちゃ低いですね」


 桜の声に僅かに剣呑な響きが混ざる。


 実際は低いどころではない。一黄本人と桜とここにはいない父しか知らぬことだが、一黄には魔力がない。低いのではなく、一黄の体内には魔力が巡っていない。生まれつき存在しない。


 先天性魔力欠乏症。


 十億人に一人に発症されると言われる奇病。症状は、人間ならば生まれ持っていて当然のはずの魔力が全く感知できないこと。魔力自体、この百年で発見されたため研究は進んでおらず、詳しい原因や改善方法などは分かっていない。


 日常生活ではそれほど不便があるわけではない。人間の魔力を探知するタイプの道具に対して支障が出る程度だ。しかし、ヒーローとしては決定的な欠陥だと言わざるを得ない。何故ならば、変身ベルトは使用者の魔力によって起動するのだから。


 論理的に考えて、湯上一黄は変身ヒーローにはなれない。


『ほれほれ、妹御と友人にあのように言われておるが言い返さぬのか? なあ? 儂のことを二人に教えてもよいんじゃぞう?』


 一黄にしか聞こえない声が脳内に響くが、桜とみかの前であるため、全力で無視する。声の主も反応が返ってこないことはあらかじめ分かっているだろうが、面倒くさい性格なので、あとでフォローしておかなければならない。


「それは道具でどうにかなりま……んん! なるからな。最近のヒーローアイテムはすごいぞ? 電力を魔力に変換してそれを充電しておけるんだ」


 最新の技術というか、一黄の上司が趣味で作ったものであるため、一般的なヒーローが使えるものであるかと言われたら否なのであるが。


「へー。そんないっちゃんの本日のヒーローとしてのご予定は?」

「川沿いでゴミ拾いしながらスライム探しだな。いたら魔力分解剤で駆除。低位のスケルトンやゾンビ、インセクトでも同じだ」


 クラゲとナメクジを合わせたような生物、スライム。生物の死骸の肉に沸くアンデッド。魔力を持った昆虫の総称、インセクト。これらはランクFの魔獣として定められており、魔力分解剤で駆除が可能とされている。生命活動の大部分が魔力を基盤としているからだ。要は、殺虫剤のようなものである。


 時折、高い魔力を持った上位種が出現する時もあるが、種類によっては分解剤が利かない。全く通じないわけではないが、大したダメージにはならない。そんな魔獣が出現すれば、変身ベルトを持つランクC以上のヒーローの出番になる。


 藻取町にはランクD以上のヒーローが駐在していないため、ランクC以上の魔獣――それこそ先程ニュースに出たキマイラが出現した場合、隣の宝刀市にヒーローを要請することになる。だが、この藻取町がその手の要請を出したのは四年前が最後だ。更にその前となると、十年以上前になるらしい。


 宝刀市には一週間に一回か二回のペースで出ているが、これは珍しい話ではない。どうも魔獣は人が多い場所に出現する傾向にあるため、都会であるほど魔獣が多く、その魔獣を倒すヒーローもまた多い。


「あ、でも新学期ってことは新しいバイトが入るから、その準備もあったか。資料の整理でも手伝わされるかも」

「ふーん。いっちゃん、真面目だよね。意外と」

「最後の一言余計じゃね?」

「おっと、『豚足』だったね」

「はい?」


 たくあんを齧ったままきょとんとする桜を見て、一黄は咀嚼中の米を飲み込んで言う。


「『蛇足』って言いたいのか?」

「……そうとも言うね!」

「兄ちゃんもよくわかったね」


 みかはよく熟語や慣用句を言い間違える。一黄が丁寧語もどきで話す癖と同じで、一向に治る気配はない。


 幼なじみの絆と言うべきか、一黄や蒼月は本当は何と言いたいのかすぐに理解できる。聞き流してもいいのだが、周囲の人間の首を傾げたままにするのも忍びないため訂正することが多い。逆を言えば、幼なじみ三人だけの時はみかの言い間違いを積極的には突っ込まない。


「私は今日は街に出るつもりなんだけど、桜ちゃんもどう?」

「すいません。私は今日、ゲームのエイプリルフールイベントを走らないといけないんで」


 桜は中々のゲーマーである。一番好きなシリーズは大人気シリーズ『ファイナルモンスターワールドクエスト』(通称ファイモン)だが、最近はスマホ対応のソーシャルネットゲームも雑多にしている。課金はお小遣いの範囲で行っているらしいが、それ故にお年玉は全額つぎ込むこともしばしば。


「えー、ゲームなんていつでもできるじゃん! 一緒に遊んでよ~。いっちゃんもそーくんもいねえからつまらないんだよ~」

「エイプリルフールイベントだって言ってんでしょうが。今日だけの限定なんですよ。他に友達いないんですか?」

「……いっちゃん! おたくは妹にどんな教育をしているの! よりにもよって友達いないのかなんて残酷な質問を……!」


 悲しいボッチみたいなことを言い出した。箸の先を向けてきたので、流石に一黄も若干キレた。マナーをとやかく言うつもりはないが、最低限の礼儀は守るべきである。


「あなたには一年の時の同級生や部活の仲間がいるでしょう」

「うるせえ、この英文翻訳喋り! あの子たちとは休日遊べるほどの仲じゃねえー! 春休みの間も誘われるかと予定を空けてずっと身構えていたけど、何の連絡もなかった!」

「俺はあなたの悲しい現実を聞きたくありません」

「うわあああああん! そーくんに言いつけてやるー!」

「あ」


 そして、みかは一黄の鮭に箸を突き刺したかと思えば、そのまま自分の口に放り込む。そして、湯上家から飛び出して行った。


「みか! あなたは私の卵焼きを奪うな! 待ってください! この……待ててめえおい!」

「ついに口調が完全に乱れたね」


 正直、蒼月にこの出来事を話したからと言ってどうなるのかという思いが強いのだが、あえて止めるほどでもない。


「そういえば、エイプリルフールなのに何も嘘を言ってないな」

「わざわざ言うほどでもないでしょ。あ、そういえば兄ちゃん。今日の晩御飯はどうする? たまには一緒に作る?」

「いいよ。ゲームのイベントあるんだろう? 魔獣警報でも成らなきゃ残業もないだろうし、俺が作るからじっくりやれ」

「ありがとうね。お言葉に甘えるよ」


 もう完全に見えなくなったみかの背中を見送りながら、今晩は彼女の好きなオムライスにしようと決めた一黄であった。


「それから、みかさんの友達云々は多分嘘だよね?」

「だろうな。あいつ、普通に友達多いし」

「何だったら昨日も宝刀の方で遊んだらしいしね」

「どういう意図の嘘なんだろうな……?」

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