プロローグ
いつから世界はこうなったのか?
そんな問いを向けられたら、現代人は「百年前」と答える者が大多数だろう。
百年前の十月十日、アメリカのニューヨークにて、前代未聞にして驚天動地の大災害が発生した。
都市を飲み干すほどの大津波か? 違う。
ビル群を薙ぎ払う暴風雨か? 違う。
大陸を割かんばかり地震か? 違う。
氷河期を彷彿とさせる猛吹雪か? 違う。
恐竜絶滅が如き隕石の衝突か? 違う。
その正体は、怪獣だ。
あの時代のあらゆる科学と常識を一切合切否定するような超巨大生物が出現したのだ。
後に『第一次怪獣災害』と呼ばれることになるこの事件(災害)を引き起こしたのは、たった一体の生物。否、現代においてもあれを生物と分類することが正しいのかは専門家の間でも意見が大きく分かれるところではあった。
識別コード『ドラゴン』。あるいは『calamity one』。あるいは『地獄のラッパ』。
巨大生物はその名称の通り、形状が空想上の生物に酷似していることから『ドラゴン』と名付けられたのだ。この災害後、竜と呼ぶべき形の生物も多く確認されることになるが、多くの人々が『ドラゴン』と聞けば第一次怪獣災害を連想する。
時間が経とうと薄れることのない衝撃であり、世代を重ねようと衰えることのない脅威なのだ。宗教家の間では神が人類に与えた罰とも、魔王が送り込んだ怪物だとも言われている。
蜥蜴のような肢体。蝙蝠のような羽。牡牛のような角。口からは火を吐き、咆哮は衝撃波になり、飛んで移動するだけで竜巻を発生させた。たった一体の生物が、人類を蹂躙しようとした。
しかし、そうはならなかった。
邪悪な竜は出現したその日の内に倒されたからだ。
竜退治の英雄はアメリカ軍ではない。マントをたなびかせるヒーローでもない。神様でもなければ天使でもなく、まして悪魔でも聖剣使いでも巨大ロボットでもない。
魔法少女である。
アニメでお馴染みの、ヒラヒラとした服と煌めくステッキが特徴のファンシーな少女たち。ぱっと見では色以外は同じような衣装を纏う、十二人の魔法少女。
怪獣と同じように突如として出現した彼女たちによって、怪獣は倒されたのだ。目撃者曰く、決して楽な戦いをしていたわけではないが。
事態が事態であるため、正確な記録映像は残っていない。それでも、激しい戦闘であったことは間違いがない。
断っておくが、魔法少女などという存在が怪獣災害前に世間に認知されていたという事実は一切ない。怪獣と同じように、それらは空想の産物であった。そうでなければならなかった。
そして、『ドラゴン』の出現は世界が変わる合図に過ぎなかった。
怪獣の出現とほぼ同じ時間から、世界で当時多発的に『魔獣』が確認されるようになった。
スライム、ユニコーン、フェニックス、クラーケン、ヴァンパイア、ゴブリン、トロール、マーメイド……など、想像上の生物が現実にいたことが判明してしまった。既知の生物とは異なり、これらの生物は『魔力』と呼ばれる特殊な能力を持っていることが判明し、『魔獣』と区分されることになった。
後に人間も魔力を持っていることが判明したため、学術的な魔獣の定義は『人間以外で魔力を持つ生命体』とされている。魔力のある植物や菌類も広義の中では魔獣に含まれることになる。
怪獣の出現が、あるいは魔法少女の戦闘が、魔力の発見が、世界の常識を変えた。と言っても、これらの生物は元からいたという見方が主流だ。怪獣や魔法少女が原因で生態系が狂ったわけでも、異世界から渡来してきたわけでもなく、これまで人類が気づかなかっただけであると、人々は認識している。
そして、それは正しい。彼らは遥か昔からこの地球に存在していた。人々が認めていなかっただけで、この星の生命として存在していたのだ。ただ、人の目から隠れるように生きていただけだ。それが『ドラゴン』の出現を契機に隠れないようになっただけ。ある学者は、習性が変わったのではなく、単純に数が爆発的に増えて隠れきれなくなったのではないか、と唱えるが真相は定かではない。
なお、『ドラゴン』はこれらの『魔獣』とは区別する形で『怪獣』と呼ばれるのが一般的だ。理由は、『ドラゴン』の生態が他の『魔獣』と違いすぎるからだ。
どちらもそれまでの物理学や生物学を全否定するような生態をしていたことは間違いがないが、『ドラゴン』と『魔獣』ではその度合いが違った。
最も分かり易い違いが、肉体の大きさだ。
現在確認されている魔獣の中で最大な種は巨大イカ型魔獣のクラーケンであり、全長は四十メートルにもなる。これは一般的なシロナガスクジラの成体を上回る数値だ。
地上に限定してしまえば、巨人が最大種として挙げられる。人に似た形をしているが知性はなく猿に近いとされる彼らの一般的な身長は五メートル。これはキリンに並べるほどの大きさだ。
しかし、クラーケンにしろジャイアントにしろ彼らに並ぶほど大きい種族がそれほど多いわけではない。まして特出して大きな個体も現在のところは確認されてはいないのだ。
しかし、問題の『ドラゴン』の全長だが、なんと約五十メートルである。頭部と尻尾を抜いた胴体部分だけで二十メートルを超える。魔法少女との戦闘により一部の骨して残っていないため正確な数値は不明だが、推定重量は千トン超。魔獣の研究が進んでいる現代においてすら、どういう生物が全く分かっていないのだ。
例えば、飛竜という魔物がいる。伝承では竜の一種とされているワイバーンだが、『ドラゴン』との生態は全く異なる。ワイバーンの成体は大きくとも二メートルほど。ワイバーンの前足は翼であり、白亜紀の翼竜に近い。ワイバーンが飛翔するには、単純に翼の力だけではなく魔力も必要になる。長年の研究により、ワイバーンの飛行のシステムは解明された。
だが、それを『ドラゴン』に応用することはできない。ワイバーンの飛行能力と魔力を参考に計算した場合、『ドラゴン』の体重と体格で飛翔することはできないのだ。どういう原理で『ドラゴン』が飛翔していたのかは謎である。巨体なのだから膨大な魔力を持っていた、というのは簡単だが、エンジンのついていないロケットが宇宙に行けるはずがないように、そのための器官が必要なのだ。一個体しか確認されていない種であるため、恐竜よりも研究は進んでいない。
地竜や海竜と呼ばれる魔獣もいるが、これらも『ドラゴン』とは区別された全く別の生物だと考えられている。学術上も『亜竜類』と総称され、『ドラゴン』とは明確に違う種族であると扱われている。
何より、『ドラゴン』は四肢と翼がある。実は、数多の魔獣が観測されているが、脊椎動物として有り得ない体格をしているのは『ドラゴン』だけなのだ。ペガサスやグリフォンと呼ばれる種族はいるが、あくまでも伝承に語られる姿と似ているだけであって、前足が翼化しているか、蛇のように足が胴体と同化しているか、翼のように見えなくもない突起物があるかのどれかである。
魔獣は星に隠れ住んでいたが怪獣は宇宙からやってきた、という説もあるが、学者の中には本気でその説を信じている者も多い。魔獣を調べれば調べるほど、知れば知るほど、『怪獣』の意味不明具合はデタラメなのだ。
人類の永遠の謎にして新時代の鍵。それこそが唯一無二の怪獣『ドラゴン』だった。
分からないと言えば、魔法少女についても同じだ。
魔法少女と、その御供である精霊を名乗る謎生物。
彼女たちがどういう存在なのか、よくわかっていない。あくまでサンプルがドラゴンしかいない怪獣と違い、魔法少女たちは世界各地で確認された。魔獣と同じように世界に認識されないように、隠れながら戦っていたようだが、『ドラゴン』の存在が彼女たちの事情を変えたようだ。
隠れずに戦うようになった。何の為に戦うのか、は個人によって異なるようだった。どういう能力を使うかも個人で異なるようだ。ステッキによるビーム攻撃と空中浮遊と認識阻害は標準装備のようだが。
自称精霊の謎生物についても同じだ。魔獣の中で知性を持ち、言語を使う種族は確認されている。だが、魔法少女たちの御供である精霊はそれらの魔獣とは明らかに雰囲気が違う。根本的な何かが違う。一部では「怪獣と同じように宇宙からやってきたのでは?」と言う意見もある。では、魔法少女たちは宇宙人なのかと言われたらそれはそれで首を傾げることになるのだが。
個人・組織・国家を問わず彼女たちに接触しようとする者は絶えない。捕獲や殺害を試みた過激な集団も少なくはない。だが、そのほとんどが失敗している。そして、成功しても意味はない。魔法少女の謎は『ドラゴン』と同じくらい深いのだ。
魔獣や魔法少女のことが公になってすぐに、悪魔祓い――『エクソシスト』の存在も明るみになるようになった。
もっとも、怪獣や魔法少女よりも、その存在の判明による社会の混乱は大きかったかもしれない。何せ、『エクソシスト』は、国家の中枢と根深い存在だったからだ。国家の大きさに関わらず、エクソシストが国家と繋がりがあったのだ。つまり、国家権力は何年――何千年もの間、『魔獣』の存在を隠匿していたと公表すると同義だからだ。
そして、そこまでやってなお、現在までエクソシストの詳細は不明な部分が多い。公表されていない部分がほとんどであり、都市伝説レベルの噂でしか内部の情報が洩れることはない。
財政の混乱は元より、各地で確認されるようになった魔獣からの被害は人間社会に大きく傷をつけることになる。国や人が対応しきれずに崩壊し、破棄された町も少なくない。自然から断絶された町に、突如として出現する魔獣たち。警察や自衛隊の装備では相手にならず、避難するしかない一般市民。まるで環境破壊が続ける人間に、星が罰を下したような日々が続いた。
得体の知れない魔法少女やエクソシスト、頼りにならない国家への不信感から、『ヒーロー協会』と呼ばれる一種の自警団のような組織も出来上がる。だが、武器もない彼らには何もできず、結局、対抗すべき魔法少女やエクソシストの下働きをするような立場にあった。
だが、四十年前、天才科学者である大和院拾人教授によって開発されたヒーローベルトによって状況は変化した。ベルトによって変身したヒーローたちの活躍によって、彼らの立場や魔法少女やエクソシストと同等なものとなった。
こうして、人々を襲う魔獣、謎多き魔法少女、秘密主義のエクソシスト、発展途上のヒーローという図が出来上がった。
そんな時代が流れていった。そんな時間が過ぎていった。
しかし、今から約八年前、事態は大きく動くことになる。
世界が忘れていた可能性。人類が考えないようにしてた大災害。第二次怪獣災害の発生である。
識別コード『タイタン』。あるいは『calamity two』。直立歩行の巨人型。『ドラゴン』とは異なり、炎も吐かなければ空も飛ばない。だが、全長五十メートルの巨大さはそれだけで脅威だった。
出現場所は日本。某県の空無市。目立った名産もなく、かといって治安がひどく荒れているわけでもない、人口も三万人程度の、小さな都市(いわゆる地方中小都市)。
穏やかなだけが取り柄だった町を、その巨大な悪魔は破壊した。
今回の怪獣災害も解決したのは魔法少女だった。ただし、『ドラゴン』の時とは異なり、『タイタン』はただ一人の魔法少女によって倒された。その名を魔法少女『トゥルーゲート』。記録が確認されている魔法少女の中では間違いなく最強クラスだと言われている魔法少女である。
怪獣『タイタン』が魔法少女『トゥルーゲート』を倒すまでの時間は、出現から僅か十分ほどだった。だが、その十分の間に空無市は圧倒的なまでに蹂躙された。死者・行方不明者は五千人を超え、負傷者は二万人にも上った。
世界的な大都市で起きた第一次怪獣災害と比較すれば、被害は大きいとは言えないが、二体目の怪獣の出現は世界に激震を走らせた。『ドラゴン』だけが特別だったのだと、誰もが思い込んでいたからだ。また、世界が変わろうとしていた。
無論。
そこに住んでいた人々からすれば、それが世界的な大災害だろうが怪獣の災害だろうが、あまり興味のないことだった。
――自分たちは失った。何もかも奪われた。
それだけなのだから。
だから、あの日、三人の子どもが怪獣を倒せるくらい強くなると決意したことを、世界は知らない。
次に世界が変わる日があるとしたら、それは世界が彼らを知ることになるその日だろう。
さあ、最新の神話を始めよう。