〇鬼の対処法
「なあ、ありか。今からあの約束のオカルトの話聞きに行っていいか?」
鬼。その存在を浅水川さんに聞いてから、その手の類に詳しいありかへと俺は電話をかけていた。
そしてそれは十中八九、以前ありかが言っていた足跡のことと関係があるだろう。
『え、今?』
「すまん。今は無理か?」
『ううん、大丈夫。でもそれなら今日の帰りに言ってくれればよかったのに』
本当は今日行くつもりはなかったが、浅水川さんのあの話を聞いてからだと、今すぐにでも鬼に対しての何かしらのアクションを取りたいと思ったからな。
ここはありかには包み隠さずに発言した方が何かと都合が良いだろう。
「おう。それはな……――」
俺は先程までの経緯を話しながら、ありかの家へと足を進めた。
俺はありかの家に着いて、電話を切った。
親もまだ仕事だし勝手に入っていいと言われていたので俺は迷いなく扉を開ける……。
いや、嘘だ。めっちゃ緊張するわ。チキって開けらんねぇ……。
オカルトの話を休日にする際はいつも図書館やらカフェやらを利用して話していたので、実はありかの家に入るのは初めてなのだ。それに重ね、ありかは学校では顔をあまり他人に見せていないが、見てくれは美人だ。
もっと積極的に他人と接すれば人気爆上がり間違いなしだろう。まあ、ありか自身がそれを望んでいないのだから、俺なんかが何言ってんだって感じだがな。
そう。だから、そんな美人の家の扉を開くのは中々に難しいものだ。
俺は数十秒の間逡巡していたが、如何せんいつまでも四の五の言っていても何も変わらないので俺は意を決して扉を開ける。
すると、フローラルの落ち着いた匂いが俺の鼻孔をくすぐる。
芳香剤が置いてあるのだろう。
「リビングか自分の部屋にいるのか……?」
玄関にはいなかったので、俺はとりあえず最初にリビングの扉を探してみる。
そして、何となく玄関から一番近くにある扉を開ける。
「ここか?」
「へっ……?」
その扉の向こうにいたのは俺の探し求めていたありかだった。まあ見つかったのは良かったが……。
状況がまずい……!
そう、この風呂場で出くわしてしまったというこの状況は。勿論、こういう場合の被害者の格好はアレと相場が決まっていて……。そんでありかはバスタオルを乱雑に巻いただけの格好になっていたわけで。
や、やべぇ……!
どうしても胸に目がいってしまう。ありかもそこそこにあるのはわかっていたので余計に。
そしてバスタオルを乱雑に巻いているため、ありかの、いかにも風呂上がりのつるんとした太ももが多少こんにちはしている。これはアカン。このままじゃ、精神的にノックダウンしてしまうて。
さらに極めつけは、綺麗に手入れされていた爪がチャーミングな素足だった。いつもは学校や図書館、カフェなどの公共の施設でしか会わないので、足には靴下やらストッキングやらを履いているイメージしかないこの人物の素足にはドキッとせざるを得ないのだ。
「「……」」
二人の間に沈黙が流れる。
「あ、あのな……! これは――」
俺は必死に弁解を試みる……のだが……。
「変態……!」
ですよねー!!
この変態というのはここに来てしまった事への変態バッシングなのか。それとも俺がドキッとしたものへの変態バッシングなのか。
いや、どちらにしてもだ。
「――本当ォに申し訳ありませんでしたありか様! どうかご慈悲を!!」
こんな時は王道のグーパンを一発や二発カマされるかと思ったが、ありかのとった行動といえば腕の皮膚をつねってから、足の踵でグリグリと俺の足を踏むといった案外地味なものだった。どうやら俺の願ったご慈悲をくださったようだ。でもまって二つ目のはちょっと俺の刺さるとこに刺さる。
「いたい……です……」
「ふんっ」
一つ言えることがあった。
ぷいっ、とそっぽを向いたありかの横顔は、やはり美人だった。
「猫屋敷さんの今の事情はわかった。だから私のとこにね……」
あのちょっとした悲劇の後、ありかはラフな部屋着に着替え、髪を乾かし、俺を自室に招待してくれていた。
「――ああ。そうなんだ。信じてくれるか……?」
「うん。勿論。ていうか私はその話を聞いた瞬間から信じてた。信じる理由としては私がオカルト好きってのもあるのかもしれないけど、一番は時雨を信用してるから」
素直に嬉しかった。またもや友達が俺の目頭が熱くさせてくれるが、何とか堪える。少し俺は涙腺が緩いのだろうか。
でも今は早く鬼の情報を――。
「ありがとな。それで早速なんだが――」
「ちょっと落ち着いて時雨。今は猫屋敷さんのためにも冷静に情報を調べて考えよう。ちょっとお菓子と飲み物持ってくるから待ってて」
ありかは俺の元へとしゃがみ、俺に優しい目線を送り、その華奢な手を両肩に置いてくれる。
ああ、そうか。俺、焦ってたか。
浅水川さんの話を聞いてからはどこか早く早くと自分を急かしていたのかもな。
「おお。すまんな。ちょっと落ち着くよ。ありがとな」
「気にしないで。こっちもありがとう。――友達――の危機を教えてくれて」
「ああ……!」
そう言ってありかはこの部屋を出る。
俺は少し深呼吸をしてこれまでの事を振り返る。
二年生になって俺の生活は変わった…。
突然転校生が来て、その転校生が昔の幼なじみだったり、その幼なじみと友人二人と俺でデパートで遊んだり。
そして不良に襲われたり、幼なじみが鬼のことで困っているかもしれないと知ったり。
どうやらこれまで通り、全くの平和な日々は波乱万丈な日々に変わるのかもしれない。順風満帆な生活は送れるのかどうか。
これからの事はこれからの自分にしかわからない。でもただ自分のやるべき事をやるだけだ。
――安心してくれ愛奏。お前は俺が、俺らが助ける。
落ち着くために少しばかりこのありか部屋を見回す。
この部屋は色々なオカルトの本が多い印象だ。なので全体的に落ち着いた雰囲気ではあるが、ぬいぐるみやら女子ウケしそうな家具なんかもあるので、ちゃんと女子力のある部屋でもある。
てか、オカルト好きでもオカルトグッズは置いてないのな。そういったマニアもいるのだろうか。
そしてふと、棚の上に置いてある写真なんかを飾るスタンドに見がいく。そこに飾られているのは勿論写真。
これは家族写真だろう。写真にはありかと思われる小さな女の子ともう一人の女の子。そしてありかの両親らしき人が写っている。もう一人の女の子についてはありかよりは身長が少し高いので姉だろうか。ありかに姉がいるなんて初めて知ったな。いや、確定した訳では無いが。
四人とも笑顔をかと思いきや、ありかだけ不機嫌な顔を浮かべている。まあ小さい子にはよくある事か。
俺が写真から目を離すとほぼ同じタイミングでありかがドアを開ける。そして俺は視線ありかへと向ける。
「待たせたね。持ってきたよ。飲み物はブラックコーヒーで良かった?」
「おう。感謝」
コーヒーはブラックしか飲めないんだよな。これは決して自慢ではなく、微糖は少し甘いのが特徴なので、それだったら完全に甘さを無くした方が飲みやすくね? という俺の謎の考えからだ。
まあ、これはあくまで個人の意見です、ってやつだが。
「よし、そろそろ始めようか」
ありかは円形のテーブルにお菓子と二つのマグカップを置き、手をパンと叩いて、オカルト話という名の鬼の対策会議の開始を宣告するありか。
俺はおう、とだけ言ってありかの方へと耳を傾ける。
「最初になんだけど、時雨は私が以前チラッと話した足跡の話は覚えてる?」
俺は以前ありかから何かの大きな足跡が見つかったとの情報を聞いていた。確かあれは始業式の次の日くらいだったか。
「ああ、最近の町中に出現した不自然に大きな足跡のことだよな。俺もそれは思ってたんだが、恐らく鬼と関係あるよな?」
「そうだと思う。私、この猫屋敷さんの件を聞く以前にその足跡ついて調べてたの」
そう言ってありかは、勉強机の奥の方からノートパソコンを持ってきて起動する。そしてだいぶ配色が暗めなサイトを立ち上げる。
「このオカルトサイトに足跡の情報が数十件投稿されてる」
そう言ってありかは俺にパソコンの画面を見せてくる。
その投稿には『夜勤バイトの帰りに歩道を歩いていたら不可解な大きい足跡があった』、『登下校の道路の表示看板の鉄製の棒部分が、人為的としか思えないように折られていた』などがあった。そのどちらの投稿にも写真が一緒に載っていて、とても人間の大きさとは思えない足跡と、無惨に真っ二つに折られている表示看板の棒が確かにそこには写っていた。
おそらくイタズラでは無いだろう。その理由として足跡の部分はコンクリートが数十センチ凹んでいる。そして表示看板の棒の方はとても人の力では到底不可能なくらいに折れ曲がっている。何かしらの機械を使えば実現可能かもしれないが周りの目がそれを許さないだろう。写真を見る限り、周りは住宅も多いので夜間の行動でも無理に等しいだろう。
「二枚目の方は勿論、車での事故の可能性もあるから調べたんだけどこの辺りでは最近交通事故は起きていないのがわかった」
「なるほど……やっばりこの二件も鬼の仕業か」
浅水川さんは、人には危害は加えないと言っていたけれど無機物は被害の対象に入っているのかもしれない。それか鬼自体が浅水川さんの時より少々過激になったのかもしれない。だとしたら危ないな……。
「浅水川さんが言ってたんだがどうやらその鬼は人に危害は加えないらしいんだ」
「そう……。もしそうだとしたら命の無い無機物には容赦ないのかもしれない。というかその浅水川さん自体も気になるところだけどね」
実際浅水川さんのことは俺も気になるところなんだがな。
「でもこれだけじゃ対処の方法はな……」
「うん。でもこれを見て欲しい」
そう言ってありかはその二件の投稿以外の他の投稿を見せてくる。
「で、この他の数件の投稿に書いてあるんだけどさ、この投稿者もこっちの投稿者も書き込みに時刻を書いてるの」
「……深夜、それに満月の日……。そういえばさっきの投稿でも夜勤バイトの帰りだったな……」
「そう、深夜。それも満月の日。それは鬼の活動が一番活発になる時間とも言える」
……そうか。鬼は満月の日に活発になる。それは一般的に知られているポピュラーな話だろう。
いやでもそれは吸血鬼の話だろう。仮に海外で生まれた鬼であっても、日本の鬼の可能性は捨てきれないだろう。
「でもそれは吸血鬼の話じゃないのか? 今回の鬼は日本の妖怪の類かもしれないんじゃないか」
「あー、それは関係ないと思う」
「へ? そうなのか?」
「吸血鬼だって鬼なんだし」
そんなものなのか? まあ鬼と言えば鬼なんだが。
「そんなものなのか!?」
「そうそう、これはオカルトの中でも結構有名な話だよ。まあそうなると必然的に対処の方法は――」
そう言って、ありかはどこからともなく十字架とニンニクを取り出した。こうなる事を予測していたのだろう。
「ニンニクと十字架……!」
その物を俺の目の前に持ってくる。
「まじか」
「まじ……!」
微妙な雰囲気に俺達は沈黙する。
「これで戦うつもり」
「と、とりあえずそれはわかった、というか今は置いておこう。でもいつ戦うんだ? おそらく次の満月の日まで長いだろ? それまで何も出来ないってのもあれだろ」
「それなんだけどね。さっきの全て投稿の日が始業式の次の日の四月九日ってことに注目して欲しい」
「九日の深夜……。愛奏が転校してきた日の前日か……」
愛奏が転校してきた日は十日だが、前日くらいに日本に来ていないと色々と学校だったりマンションだったりの手続きが必要だろう。十日に帰国していては十日の転校には間に合わない。つまり、愛奏は九日には日本に来ていた可能性が高い。
「転校の前日ならおそらく愛奏もこっちに帰ってきてたよな」
「うん、そう考えると鬼が九日に出現したのも頷ける」
俺が浅水川さんの話から導き出したのは、Sさんと同じで、鬼は愛奏のいじめの背景から生まれたものだと思った。
そしてその鬼は愛奏にが日本へと帰国した際についてきた。
そう考えた。そしてありかに電話をしながら俺はその考察と浅水川さんの話を織り合わせて話したのだった。なのでありかは今俺と同じ知識を持っている。そのため、ありかとの話がスムーズに進む。
「で、それで戦うことについてとどう繋がるんだ?」
「そこで――」
と言ってありかはオカルト投稿サイトを縮小して、今度はそれとは違うサイトを開いた。
「最新最速月観測オブザベーショナー……?」
「そう、このサイト。これ私のお父さんの会社が作ったんだけどね。毎日毎日の月の形を精密に観測する機械を通して朝昼夜に三回このサイトに月の形とかその他諸々の情報が書き込まれるの。ちなみにこの観測サイトの正確さはほぼ百パーセント。これを使って毎日確認して猫屋敷さんの――」
へぇー、そっかお父さんの会社がねー……え?
「……え! ありかの父さんってなんか偉い人……!?」
つい興奮と驚きのあまり、ありかの言葉を遮ってしまう。
「時雨には言ってなかったね。私のお父さん衛星関係の社長なの」
「ええぇー!!」
「このサイトもお父さんが中心になって開発されたの。その専用の機械も」
「そうなのか……。それより遮ってすまんな」
そうだ。今は自分の驚きよりも、愛奏の事が優先事項だ。
「ううん、大丈夫。それで続きなんだけどこのサイトを使って毎日月を確認して満月の日を突き止めるの」
「でも、それじゃ普通の予想サイトでも充分じゃないか?」
少し失礼かもしれないが言ってみる。
「その答えとして、そこでさっきの時雨の疑問なんだけど、本来は九日の日は満月じゃなかった。このサイトでも予測機能はあるんだけど本当は九日は三日月の日だった。つまり満月の日が一週間くらいズレてるの」
「それも鬼の仕業なのか……」
「そうじゃないかな。だから満月の日はいつ来るかわからない」
なるほど。そういう事ならその……最新最速月観測オブザベーショナーの手番って訳か。ネーミングセンスがあれなのは否めないが、とても画期的なサイトには変わりないだろう。
「正直なところ、直ぐには大きく動けないと思うし、それに重ねて満月の日もいつ来るかわからなくなる。だから何も起きてない今はとりあえず猫屋敷さん自体に重きを置く必要があると私は思う」
「心のケア……だな」
「うん。今私達にできるのはそれだね。サイトに関しては私が随時連絡するよ。とりあえずまあ作戦会議はここまでだね」
ありかはまた、手をパンッ、と叩く。
「おう、そうだな。ありがとな」
「ううん。友達のためだからね」
こうなってくると一つ思うところがある。
咲也について。
このことを話すか。話さないか
答えは決まっているよな――ありか。
「最後になんだがこの事、咲也には――」
「――話そうよ」
「――おう」
俺達はわかりきっていたかのように顔を合わせる。
まああいつなら結構深いところまで予測していそうだが。
あいつだって愛奏の友達なんだから。話しておいて損は無い。むしろ話さない方が駄目だ。
「よし、とりあえずティータイム再開しようよ時雨」
「おう、そだな」
俺達は苦いコーヒーを味わいながら、心のどこかで鬼に対してまだ何も出来ない苦い辛さを感じるのだった。
そして浅水川さんが別れ際に言った――心の鬼――という言葉。それに何か違和感を覚えた。