〇跼天蹐地
「がはッ」
「……時雨!!」
鬼の拳を食らい、数メートル吹っ飛ばされ、背中からダイレクトに地に転がる。
だがその甲斐あってか、幸い愛奏への攻撃は防げた。
くそッ……背中痛って!
鬼の攻撃を直に喰らったのだから骨が折れる事は多少覚悟していたが、恐らく骨は折れていないだろう。過去に骨折を何度かした事がある。骨折の感覚はもっと鋭い痛さだった。
今は俺のことなんかより愛奏の安否だ。
「愛奏! 大丈夫か!? ……………………?」
「私は……大丈夫……それより時雨背中は大丈夫なの……!?」
―—逃げないと。
「やばい……!!」
――殺される。
「逃げないと! 早く! 早く! はやぁく!! 怖い怖い!!」
「え……し、しぐれ……?」
逃げないと。逃げないと。逃げないと。逃げないと。逃げないと。逃げないと。逃げないと。逃げないと。逃げないと。逃げないと。逃げないと。逃げないと。逃げないと。逃げないと。逃げないと。
無我夢中で俺は走り出す。
わけもわからず。どこに行くかもわからず。
けれど走る。怖いから。
夜闇の中をひたすら走る。後ろは振り返らない。
「どうしたの!? 時雨!!!!」
周りの音すら遮断して俺はひたすら走る。
大切な人の声すら。
あの約束も守れないまま。
私はようやく学校での残業を終え、帰りの準備を済ませ、校内を後にする。
腕時計に目をやると時刻は八時過ぎ。気付けば当たりは真っ暗だ。暗夜の中では街灯やら月などを光るものが目立つ。
ふと、月を見る。半月だ。
……おかしい。クレの話では鬼の影響で明日が満月になるはずではないか。鬼がまた月の満ち欠けを変えたのか!?
猫屋敷が心配だ。とりあえず電話を。
と、思ったところで丁度猫屋敷から電話がかかってくる。
「もしもし先生!!」
「私も今かけようと思っていたところだ。猫屋敷今何処にいる? 鬼は大丈夫なのか?」
「今は学校の近くの河川敷にいます! それでさっきまで鬼がいたんですがもう消えちゃって!」
「そうなのか……」
「でもそれは今はいいんです! それより時雨の様子が変なんです!」
「変って何がだ?」
「それが時雨が私を庇ってくれて鬼に背中を殴られてそれから何か様子がおかしくなって急に酷く怯えているような感じになって、どっかに行っちゃって! それでそれで……」
クレが鬼に殴られた? 酷く怯えていた?
とりあえずこの電話越しにいる猫屋敷を落ち着かせなければ。
「とりあえず落ち着け。これから会おう猫屋敷。とりあえず私の家……はわからないか……とりあえず今から学校に来れるか? 正門で待ち合わせよう」
「わかりました」
「詳しい話は私の家で聞こう」
「はい……」
どうやら猫屋敷の様子を見る限り想像以上に大変な事になっているかもしれない。
私は正門へと移動して、猫屋敷を待つ。
正門の横の壁に身体を預け、目を瞑り猫屋敷の電話のことを思い出してみる。何か手掛かりがあるかもしれない。
クレが鬼に殴られる……そして怯えて何処かへ行ってしまった……か。
そしてこの関連性を加味して一つの可能性を思いついた。
――心の鬼――
浅見川という大学生が言っていた鬼の名前。
以前クレから聞いたものだ。
心の鬼の詳細はクレも知らなかったが、心という点から推察すると……。
人の心を何かを奪うのか?
わからないし断念はできない。けれど、タイミング的にクレが鬼に殴られてから怯えたというのなら、例えばそこで鬼の恐怖に耐える心を奪ったり、逆に恐怖心を植え付けたり出来るのではないだろうか。極端な例えかもしれないが可能性としては有り得るだろう。
そう考えている内に、歩道の方から足音が聞こえ、段々とこちらへ走って近づいてくることがわかった。
「先生!!」
そこに居たのは会う約束をした猫屋敷ではなく、膝に手をついて息を切らした帆波の姿だった。