〇脱兎
「愛奏……?」
愛奏は夜闇の中、愛奏は少しの薄い街灯に照らされて、大きな資材に寄りかかっていた。
「時雨……早く逃げて……」
俺は愛奏の生気のないような姿に唖然としていた。
「――鬼からか?」
「……ッ? なんでそれ知ってるの?」
まあそういう反応だろうな。
だが今もし本当に鬼がいるのなら説明より先に早く逃げた方がいい。説明なら逃げ切った後でいくらでも話せる。
おそらく愛奏の心の中にいる鬼だとしても暴れる際には勝手に姿を現すだろう。
ここはとりあえず愛奏を連れて何処かに隠れてありか達に連絡をしよう。
「説明は後だ。とりあえずどっかに隠れるぞ」
「え?なんで時雨はこの事を……!?」
混乱しているようなので、ここは無理にでも手を引っ張って連れていこう。
「愛奏、すまん!」
俺は愛奏のその華奢な手を取り、ビルの解体跡地から出ようと試みる。
「――ッ!!」
突如ドン!! という地面に高い場所から着地するような音と振動が俺達の背後から響く。
俺は身を震わせた。
それは大きな振動によるものなのか……それとも。
「こいつが……鬼……!!」
――それとも今目の前にいる鬼のせいなのか。
夕日が落ちる河川敷。私は河川敷の小さな坂で裸足で寝そべり、川を眺めていた。
坂に生えている芝生が晒された肌に触れて気持ちいい。
川に目をやると、一匹の小魚が悠々と泳いでいる。その魚は自分を縛るものが何も無いとでも言わんばかりに生き生きとしている。そんな自由奔放さが感じ取れた気がした。
「さあて、青年は上手くやれるだろうか」
私は期待しているよ。青年。君がこの試練を乗り越えることを。
いや、期待というより『願い』なのかな。
「そろそろ寒くなってきたな」
春と言っても、始まったばかり。それにもう日も落ちる時間帯なので少し肌寒い。早々に引き上げよう。
なので、私は傍に置いていたシューズの中に入っていた黒のタイツをするり、するりと自分の足に履かせていく。
突如スマホからメロディーが流れる。電話だ。
私はタイツを履き終えたところで電話をとる。
「もしもし?……ああ、わかったよ」
私はスマホを片手に歩みを進めた。
俺はその存在を認識した。
「――あれは……!!」
「――やっぱり……」
そして向こうも俺の存在を認識する。
瞬間、身体が訴える。
逃げろ、と。
ありゃ物体だ。お化けでも幽霊でもない。やはりあの人の言う通りか……。
現に言霊ヤツの歩いた場所は地面が凹む。それに足音だって聞こえる。
もう、なにがなんだかわからなくなる。
今起こっているこの状況、これは紛れもない現実なのか。夢なら覚めてくれと思い、その一心で、もう何度目を擦ったかわからない。だが目覚めない。現実だ。
信じてた筈だろ……俺。ヤツはいるって。
言霊ヤツは俺の赤くなった瞼より赤い。
ずっと見ていれば、沈んでしまいそうになるような深い赤。
当然、人間が酷く擦った瞼程度では、その赤に近くづくことは出来ない。
それもそのはずだ。
言霊は、元々赤いのだから。
「ありゃ、三メートルくらいあるぞ……」
その巨体は三メートルの縦幅と同じくして横幅も人のそれではない。
「時雨……逃げてよ……」
「お前も一緒にな!!」
「わ、私は――」
「いいから逃げるぞ!」
やっぱりいた。
ソイツは。
俺は愛奏の手を引っ張るのを諦め、いつぞやの大学生のようにお姫様抱っこの形をとる。
「――ひゃ!」
「ちっと我慢してくれよ……愛奏!!」
俺達は脱兎のごとく逃げ出した。
お久しぶりです