〇コーヒー、クレ
「すまんな。少し散らかっているがそこのソファにでも座っててくれ。コーヒーでも出そう」
俺は秋野先生へと連れられて学校のとある一室へと招かれていた。
「ありがとうございます」
先生は室内の隅にあるコーヒーメーカーを起動させる。さすがにあれは自腹だろうな。
いや……まさか職員室から盗んできたとかじゃないよな……。この人結構大胆なとこあるからな。心配なところだが。
「二年生になってからは初めて来ましたけど、正直、少しどころじゃないと思うんですが……」
ここは学校の中でも人目のつかない場所にある、生徒の悩みを解決する相談室――という名の秋野先生の休憩場となっている部屋だ。
秋野先生は教師の中で生徒の相談に乗る相談係というものに入っているらしい。
そして俺は一年生の頃、何度かこの部屋のお世話になっていた。
内室はというと、少し校長室に似ているかもしれない。高そうなソファが、中央にある長方形のテーブルを間にして二つ置かれている。そしてテーブルにはたくさんの書類が。
……やっぱ散らかり具合すげえな。
テーブルには何かの書類やらウチのクラスメイトの提出物やらが乱雑に放置されている。
「これでも整理していたんだがな」
まじか。
「……やっぱ職員室よりこっちなんですね」
「そうだな、他人が居ないからなここは。私一人の空間だ」
確かにそうか。総合的に見ると教師は生徒よりは人数が圧倒的に少ないが、一つの室内に何十人もいる中で作業するのは生徒よりも辛いよな。
「んしょ」
とりあえず突っ立っていても仕方ないのでソファに座り、体重を預ける。するとふわっとソファの底が沈む。
そして目の前の机に散らばっている紙の中に、埋もれていた本? を見つけた。題名はというと紙で上手いように隠れていたので、俺はその本を手に取ろうとするが……。
それよりも先に、視界がマグカップ一面に変わる。
「ほれコーヒー、待たせたな。クレはブラックだよな?」
「あってますよ、せんせ」
クレ。
それは秋野先生が俺とプライベートで会っている時の愛称だ。高校一年で自分のクラスの担任として出会ったのを皮切りに、なんやかんやがあって先生は俺をクレと呼ぶようになった。まあ俺の方は先生やら秋野先生とかだが。ときたま二人の時にせんせと呼ぶくらいか。
そんな秋野先生から手渡されたコーヒーカップを口に運ぶ。
ズズズ。
俺はコーヒーを啜る。
ん?
「あっま!! せんせ! あんたやったな!?」
これ全然ブラックじゃねえぞ!
「ん、どうした?」
「ん、どうした? じゃないっすよ!! あんたこれ砂糖入れまくったろ!!」
いや、あっま!! どんだけ入れたんだ砂糖!!
これは甘党でも好き嫌い別れるくらいなんじゃないか!?
「まあまあ、落ち着けクレ。血糖値上がるぞ」
「あんたの砂糖も原因になってるんだよ!」
「まあ落ち着け落ち着け。こほん。まあ正直に言うとな、これはクレにも甘党の気持ちも理解して欲しいと思ったからでな。もっと視野を広くした方がいいんじゃないか?」
「はあ……。まあそうかもですけど、先生は極端過ぎるんですよ」
秋野先生はとんでもないくらいの甘党だ。
今回のコーヒーにしろ、カレーにしろ何でもかんでも甘いものが好きならしい。
「仕方ないな。それは私が飲もう。今度はちゃんとブラック持ってくらから安心しろ」
そう言って秋野先生は俺の持っていたコーヒーカップを奪い、ゴクゴクと飲み始める。
「あ、え、ちょ」
「ん、んん。ぷはー。確かに少し甘すぎたか」
全然、微塵も少しではないと思うのだが。これ如何に。
それよりも。
「間接キスやんけ……どないするん……教え子と間接て……」
「そうだなこれは。まあ気にするなよクレ。それとも何か? お前は家族同士でもその考えを抱くのか?」
「ま、まあそれは……。いや、あんたと家族になった覚えはないぞ」
「どっちにしろ同じ人間だろ」
「いや家族の話はどうした! ――はあ、もうこの話はやめましょ……。それよりそろそろ本題を」
秋野先生は甘々のコーヒーを飲み終える。
閑話休題。
「――ああ、そうだな。まず、これなんだが」
そう言って先生は俺が手に取ろうとしていた物を埋もれていた書類の中から取り出す。
「これは……」
「妖怪・怪物辞典だ。色々な妖怪や怪物の情報が載っている」
妖怪? 怪物?
もしかして先生は愛奏の鬼のことを……!?
いや、でもなんで知ってるんだ?
「先生、それって――」
「猫屋敷のためだ。おそらくお前も――いやお前らも何かしら動いているのではと思ってな。知っているんじゃないか?猫屋敷に何が起きているか」
「はい。俺達もできる限りの事はしてます。でも先生はなんでそれを?」
「直接本人に聞いた――というかあちらから打ち明けてくれた」
なるほどな。
秋野先生には相談出来たということは、愛奏もこの人のことを信頼出来る人だと感じ取ったのだろう。
「じゃあ俺達はなんでその事を知っていると思ったんですか?」
「一年の頃と明らかに様子が違った。何かについて真剣に向き合っているような顔というか。それはお前だけじゃなく、お前と仲が良い水上や帆波にも感じ取れた」
「さすがっすね先生は」
「まあこんなんでも思春期の子どもに寄り添いたいと思う教師の一人だからな」
俺は先生のこういうところに惹かれたのかもしれない。
「――良かった」
「猫屋敷を信じてくれて、か?」
「はい」
「当たり前だ。あの時の事を考えれば信じない方が不自然だ。何よりあの目は本物だった」
考えてみればそうだよな。
この人はそういう人だ。
「で、とりあえずこういう資料からと思ってな。で、お前をここに呼んだ理由は理解できるだろう。私もこの件に協力しよう」
「はい!早速情報を共有しましょう」
それから俺は言霊やつきかんやらの情報を話した。
「そろそろ帰るとしようか」
二人で情報を共有をした後、先生に改めて入れてもらったブラックコーヒーを飲み終えた。
先生からの情報としては目を見張るものはなかったが協力者が増えただけでもありがたい。
「はい、先生はまだ仕事ですか?」
「ああ、まだ山ほど残ってる。さっきの私の部屋にも結構あっただろ? 書類やらなんやらが」
「いつから相談室はあんたの部屋になったんだよ」
「まあまあ。一応私が相談受け付けてるからな。ただ相談者が来ないだけだ。――まあ来ないだけで打ち明けてくれた奴はいるがな」
愛奏か……。
「……その……ありがとうございます。愛奏のことを考えてくれて」
「教師として当たり前だろ。私はさっきのように生徒と笑って過ごせるのが好きなんだよ」
ほんとに、あんたってそういう時はカッコイイんだよな。
「ああ、それと質問なんだがクレ達はこの一件を知っていることを本人には言わないのか?」
「後々言おうと思います。まだ今は心のケアしていければなと。今直ぐにでも話すと色々考えちゃうと思うんですよあいつ」
幼なじみだからわかること。
愛奏は昔から不安なことだったり気がかりなことだったりを解決するまでずっと抱え込んで悩む性格の持ち主だ。今話すのは得策ではないだろう。
だから今のところの鬼による被害には俺達で何とかするしかない。
「そうか、わかった。とりあえず今日はこのくらいにしておこう」
「はい、また明日」
まだ口の中に残っているコーヒーの味を感じながらも、俺は新たな協力者に心強さを感じていた。