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秘密結社MPD  作者: 名取
ファラリスの安全な棺
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「ロボトミー手術は、私のひいひいおばあさまの頃にはまだ行われていたのよ」



 フェリスはケーキを口に運んで、何度か咀嚼して飲み込んだ後、ごく自然な調子でそう言った。彼女が自分のエンジェルフードケーキにフォークを突き刺し、一口食べるその前まで、私たちは「自分たちの所属する秘密結社の今後」という、とても現実的な話題を語り合っていたのにも関わらず、だ。私は彼女のこの気まぐれさに、それは本当に時々のことだが、ついていけなくなる。

「なんだって?」

 飲んでいたブラックコーヒーをソーサーに置いて聞き返すと、フェリスは、黒く滑らかな生地でできたベールの向こう側で、静かに微笑んだ。

「ねえミランダ。あなたにはきっと、ロボトミー手術とは何か、という話から始めなければならないわね?」

「そうしてくれると助かるな。私はそれが楽器か音楽家か、と考えたあたりで思考が止まってしまった」

「あなたのそういうところ、私、とても好きよ」

 彼女はまた、器用に小さなフォークを使い、卵白だけで作られた繊細なケーキを一口サイズに切り分けた。ムラひとつない焼き色がついたその内側に、完璧なまでに不純物のない白色が光っている。ほろほろと柔らかなそれは、ベランダに降り注ぐ午後の日差しにさえ溶けてしまいそうに見えた。私は片肘を肘掛に乗せて、緑の庭を見渡した。初夏の近いこの時期になると、薔薇の二番花が咲き始める。春は仕事で忙しいせいもあったのだろうが、お父様は二番花をよく眺めていたように思う。一番花に比べれば、二番花なんて小ぶりで、暑さと養分不足のせいですぐ散ってしまうというのに。

「ロボトミー手術は、精神病の治療方法のひとつとして、実際に行われていたものよ。患者の大脳の神経回路を、脳の他の部分から切り離してしまうの」

「切断? ピアノ線を切るようにか?」

「ええ、きっとそうね。私は実際の施術をこの目で見たことはないけれど、ひいひいおばあさまが少女だった頃、同じ学校に、そのロボトミー手術を受けた女の子がいたそうなの」

 よくそんなことを知っているなと思ったが、そういえば以前、フェリスの生家であるローレンス家では代々女は日記を書くことを義務付けられていて、それを子孫に残していく決まりがあるのだと、本人から聞いた覚えがあった。それ以上詳しくは聞かなかったが、百年弱も日記を保存できるローレンス家独自の保管方法とは、いや相当なものなのだろうなと、そんな風に感心した記憶もある。

「彼女は手術を受ける前、『自分は二重人格だ』と言って騒いでいたそうよ。約束を平気で破ったり、いきなり暴れ出したり、人のものをとったり、ね。彼女はやがて医者から正式に『精神病』と診断を受けて、学校にしばらく来なくなったので、ひいひいおばあさまはご心配なさったそうよ」

「ほっとけばいいじゃないか。どうせ他人だ」

 私が言うと、フェリスは困ったように微笑んだ。

「あなたのように特別な才能を持った人は、そうすぐに割り切れるのでしょうけれど。私のひいひいおばあさまは、ごく普通の少女だったのよ。級友が脳を弄られたと聞けば、心配するのが人情というものだわ」

「そうなのか?」

「ええ。もちろん」

 フェリスはカップを持ち、紅茶を一口飲んだ。

「そうしてひいひいおばあさまは、手術を終えた彼女のところへお見舞いに行ったの。手作りのクッキーを持ってね。彼女の部屋に行って、『具合は大丈夫か』って聞いたそうよ。そうしたら……ねえミランダ。その子なんて言ったと思う?」

「なんて言ったんだ?」

 フェリスは、あははは、と可憐な少女のような声で笑った。

「彼女ひいひいおばあさまを突き飛ばして、『こっちに来ないで、汚らわしい売女!』と叫んだそうよ」

「効果がないな、その手術は」

 フェリスは微笑んで続けた。

「そのことを聞いた時ね。私、学んだの」

「何を?」

「世の中には、持って生まれた自分自身の脳でさえ、自由にできない人もいるってことをよ。だから、誰かがやってあげなければいけない。そういう人には、誰かが、脳の神経を切ってあげなければならないんだって」

 話しながらも彼女の手は、器用にケーキを切っていた。卵黄を使わない、無脂肪の甘い塊。フォークが触れるたび、ふにゃふにゃと動く。コーヒーを飲みながら、そういえば、と私は思い始める。

 私の愛おしいペットは、もう手紙を書き終えただろうか。

「ちょうど、庭師が伸びすぎた枝を裁断するようにね」

 その時どこかで、しゃきん……という音が聞こえた気がした。おかしいな、と私は首を回し、薔薇の咲く庭を見た。庭師は、確か今日休みを取っているはずなのに。

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