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「それはできないよ」
しばらくの沈黙の後に、リビングに、そんな言葉が落ちた。ユウの声だった。それはあくまで声のことで、言葉を発した人格は、ユウではなかったが。
「僕とリアちゃんは、君のために死ぬことはできない。力になってあげたいけれど、ほとんど赤の他人に近い君のために命まで差し出すのは、さすがに無理だ」
「……」
拒絶の言葉を吐かれても、シノは、しばらく笑顔を崩さなかった。こちらの言葉が、まるで聞こえていないかのようだった。あまりにも酷な現実を受け入れたくない気持ちが、彼の耳を無意識にそうさせているのかもしれなかった。
「そう、ですか」
言った彼の声は、掠れていた。
「やっぱりダメですか」
「ああ。君の抱えている問題を、僕らがどうこうしてあげることはできない。君は確かに不幸だけれど、多重人格者ではないから」
堂々とした口調だった。言い方はかろうじて柔和ではあったが、シノを見つめる彼の目は氷のようで、取り付く島もない雰囲気を放っていた。
「でも、友達だよ」
気づけば、俺の口からは、そんな言葉が飛び出ていた。
口をついて出た言葉のはずなのに、どこか俺は、遠い昔にこんな場面に立ち会ったような気がしていた。声をかけるのは2回目のような気分だった。そんなはずは到底ないのに。
「その地獄から救い出してあげることはできないかもしれないけど、話くらい、聞いてあげる。そのクソみたいな金持ち女だって、それくらい許してくれるって。だって、ほら、私とシノは……友達なんだから」
「……」
シノは虚ろな目でこちらを向いた。その顔にはもう笑顔はなく、生気のこもらない色違いの目は不気味で、ほんの少しだけ俺はおののいた。
「お……私は、記憶も飛ぶし、時々意味わからない事言うかもしれない、現に今まさに言ってると思うし、空気なんてよっぽどのことがなきゃ読めない。でも、もしシノさえよければ、友達と思ってくれていい。話し相手くらいには、なれると思うから」
シノは俺の言葉を聞くと、鼻で笑った。テーブルから離れ、俺の隣を通り過ぎて行きながら、俺の耳元に囁いた。
「役に立たない友達なんて、いない方がましだ」
彼はそのまま家から出ていった。ドアを閉める音がした。放心状態の俺の耳に、やがて、クッキーをかじる乾いた音が聞こえた。「去る者は追わず」と、聞き慣れたユウの声が言う。




