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「人間が感動する時って、どんな時でしょーか?」
カメラに向かって話しているのは、暗視ゴーグルをかけた、茶髪の青年だった。肩にスカーフを巻き、その下は黒いパーカーを着ている。カーキ色のズボンにボルドーのブーツを履き、そして彼の右手首には、手首をきつく縛り上げるようにロザリオが巻かれていた。
そして暗い画面からはわからないが、耳を澄ませると、部屋の奥の方から絶えず呻き声のようなものが聞こえてくるのだった。
「まさか、これまでの人生で一度も感動したことがない不感症野郎なんて、ここにはいないよなぁ……? てかぶっちゃけキモいから、そーゆーのは人類から一切割愛して、大抵の場合、人が感動するのは……自分の力なんてちっぽけなものだと思わせるような、神の御業を見たときだよ。わかる?」
満点の夜空然り、山頂から見る日の出然り。
青年は指を折って例を述べると、「うんうん」と一人で頷く。
「それで、俺は思った訳よ。感動と絶望って、実は紙一重なんじゃないか、って。だから、さ」
彼が移動して画面から消えると、ほどなくカチッと小さく音がし、部屋の中が見渡せるほど明るくなる。部屋は、豪邸の一室なのではと思わせるほどにわかりやすく絢爛だった。床は滑らかに光を反射し、壁には肖像画や絵画がかけてある。背後に映る窓はカーテンが開いていて、ちり一つ無いガラス越しに、夜空に浮かぶ満月が見えた。
しかしそんなものよりも目を引いたのは、猿轡と手枷をされて椅子に縛り付けられ、こちらに怯えた顔を向ける格好の四人の男女と、その四人と向かい合うように同じく拘束され座らされている、一人の男の姿だった。
「だからさ。神が我らに与えたもうた感動って、ひょっとして再現できるんじゃないか? って、俺は思ったの」
暗視ゴーグルの青年が画面上に戻ってくる。その手には先ほどまで無かった、橙色のチェーンソーが握られていた。チェーンソーの表面にはキラキラとしたシールのようなもので、十字架が描かれていた。
「ね、思い出してみてよ。夜空の星を見上げたとき、ああ、俺の悩みなんてちっぽけなもんだなあ、と思うでしょう? 山の上で朝日見て感動したとき、俺の存在なんて、俺の力なんて本当に微々たるものだなあ、とか思うでしょう? あれをさ、これからやるわけ」
そう言うと青年は、こちらに背を向けて座る男の頭を、まだ回っていないチェーンソーの刃先で示した。男はずっと唸り声を上げ、拘束から逃れようと身体を揺らしている。
「で、その、こいつね。すごい頑張ったわけよ。平凡な家庭の出なのに、惚れた彼女が名家のお嬢さんでさ。そりゃもう必死に頑張ったわけ。仕事も恋愛も、ひたすらに努力して、ようやく彼女のご両親の許しも頂いて、結婚が決まったんだって。うん、いい話だねぇ。あとはもうヤるだけって感じですね」
スポーツ解説のように微笑み混じりに言うと、青年は次に、四人の中で、向かって一番左にいる女性のところに歩み寄った。彼女は恐怖に顔を引きつらせ、かたかたと震えている。
「んでこれがこのお嬢様なんだけど、この子がねー、うーん。ここで悲しいお知らせです。この子こんな『男なんて知りません』な可愛い顔しといて、実は隠れて男を取っかえ引っかえだったわけ……悲しいよねぇ、幾重にも」
ねえおとうさん? と青年が親しげに話しかけたのは左から二番目の初老の男性だった。やはり拘束から逃れようと身をよじらせているが、その顔は今にも爆発しそうに紅潮していた。
「ま、名家の重圧ってのもあったんでしょう。責めんでやってください。ストレス解消に手っ取り早いのはまあ、恋愛っつーか、セックスですし。だからその辺は結構どーでもいいんですが、ただ、手を出した男が悪かったねぇ……あと振り方も酷かった。お互い合意の上で付き合って、それなりに良い思いもさせてもらったのに、別れるときには男が一方的に悪い、みたく言うやつね。嫌ですね。男は自尊心の生き物ですから、今後はやめて頂きたく思います。ま、彼女に『今後』は永遠に来ないわけですが」
うふふ、と彼は一人で笑ったあと、不謹慎だったという風に咳払いし、笑いを堪える仕草をした。
「ま、それもね、別にこの子に限ったことじゃありませんからね。同性のお友達と上手くいかなくて、異性との肉体関係に逃げる女の子なんて、文字通り掃いて捨てるほどいるわけです。……なのでね、女友達のいない可哀想なアリシア・メアリー・ウィンドお嬢様に、女の子のお友達をご紹介したいボクなのです」
じゃーん、と嬉しそうにカメラの前に突き出されたのは、例の橙のチェーンソーだった。照明に照らされ、十字架がきらりと光る。
「はいそれがこの子、皆様ご存じ、リサちゃんでーす! リサちゃんはとってもよく働く真面目ないい子でね、俺の相棒なんですよ。物静かで人の話をよく聞いてくれる、まさに理想の親友。ま、でもそれだけですとね、さすがに飽きてしまうと思うので、今日はリサちゃんの方からも挨拶していただこうと思いまーす」
ドルンッ。
青年は慣れた手つきでエンジンをかけると、耳をすませるように爆音のそれに顔を寄せた。
ギャギャギャ……!
「リサちゃん、どう? アリシアとは仲良くなれそう?」
ぶっ通しで鳴り続けるチェーンソーの音をしばらく頷きながら聞くと、彼はエンジンを止め、カメラに向かってVサインをした。
「なれないわけがない、そうです! ま、リサちゃんはアバズレのアリシアお嬢様とは違って純潔だから、誰とでも仲良く出来るって話です。一生懸命さこそが彼女の長所。一度友達と認めたら、死ぬまで尽くしてくれますよ! よかったですねアリシア」
彼は暗視ゴーグルをしたままカメラに寄り、サービスと言わんばかりにウインクをする。
「あ、忘れてましたが、右の二人はアリシアの旦那のご両親。アリシアのお母様は幼い頃に他界なされているそうで、ここにはいらっしゃいません。そんな悲しい家庭環境が生んだ男癖の悪さってのもあるのかも。でも皆様、どうぞご安心ください。このアリシアが、死んでも地獄に堕ちてお母様に会えないどうしようもない女であっても、リサちゃんという生涯のお友達がいた尊い事実は変わりません!」
再びエンジンをかける。チェーンソーが高らかに唸り、アリシアのくぐもった悲鳴が画面から溢れた。
彼はチェーンソーを頭上高く振り上げる。
「では、いただきまぁす」
ぶしゃぁっ。
ぐちゅ、ぐちゃ、ぐじゅ。
ものすごい勢いで血が飛び散り、ぴちゃっ、と何かの欠片が床に飛んだ。
子供の泥遊びのように、赤黒い泥をこね回すように気だるげに、わざとゆっくりと刃を動かし、彼はアリシアを分解していく。血と肉の細切れになるまで、執拗に。
「リサちゃんは、優しい子ですから……」
そんなことをぶつぶつと呟きながら、あらかたアリシアだったものを解体してしまうと、彼はエンジンを止めて右の二人に向き直る。二人はすでに虫の息で、顔は恐怖で流した涙で濡れていた。その惨状を真正面から見せられた婚約者の後ろ姿は、あまりの絶望に気をやってしまったのか、先ほどからぴくりとも動かない。
「さて、言っときますが、あなた方の息子がこうなるかどうかは、息子さんの態度次第ですよ? なにせ、リサちゃんは誰とでも打ち解けられるとはいえ、女の子なんで。女を見る目のまるでない男と、果たして、友達になってくれるかどうか……あ、アリシア嬢のお父様は気絶してしまわれたようなので、ちょっと起こしてあげましょう」
そう言うと、そのままチェーンソーを起動させ、回転する刃を頭に当てると、ほんの少し斬る。隣から飛び散ってきた娘の血肉に塗れて気絶していたアリシアの父親は、瞬時に目を見開き、金切り声を上げ足をばたつかせた。暗視ゴーグルの彼は舌打ちをして刃を離す。
「人の話の途中で寝るなよ、ボケが。金持ちのお前は特に念入りに仕上げなきゃいけねえんだから、余裕ぶっこいてんじゃねえぞ」
カメラに背を向け、苛立ち任せにその椅子を正面から蹴飛ばし、その勢いでまたチェーンソーを振り上げた。が、振り下ろしたそれが獲物の身体に触れるか触れないかという距離で、彼は、ぴたりと動きを止めた。
「ま、それはそうと、ここでCM入れていいかな。俺、次、多重人格の奴らを解体する依頼を受けてるんだけどさ。そいつらって、どんな風になるのかね。死ぬ時。一人ずつ死んでったら面白くない? 表に出てる人格が死んで、次に内面に隠れてる奴が死ぬの。断末魔が二倍で、一度で二度美味しい。乞うご期待」
よっ。
コマーシャルを勝手に言い終えると、チェーンソーが初老の男の肩に食らいつく。