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その医者は、というかその病院は、なんというか、色々と予想外だった。
見かけは普通の病院だった。少なくとも待合室までは、いつも見るような静かで清潔で消毒液っぽい匂いの漂う、私のよく知る病院そのものだったのだ。両親をそこへ置いて、私は一人、のっそりと冷たいソファから立ち上がる。
けれど診察室に入った瞬間、私の体は固まることとなった。
なぜなら医者が、興味津々、と言った顔で私の目の前に顔を近づけてきたからだ。
「……あの」
じり、と後ずさりをすると、「ああ!」と合点がいった顔で医者はひょいっと私から離れた。
「ごめんごめん、近かったかな?」
「はい、少し」
医者は私から離れると、今度は鼻歌交じりにデスクの引き出しからなぜかティーポットとティーカップを取り出し、紅茶を注ぐと、皿に乗せて私に差し出した。
「まず言っておこう。僕は、君を治すつもりは、一切ない!」
「……はあ」
私はとりあえずそれを受け取り、椅子に座った。
こういう病院もあるのだなあ。
「じゃあ、何するんですか。医者なんでしょ」
「いい質問だ!」
同じく椅子にかけた医者は、得意げに微笑み、私に向かってビシッと指を突きつけた。
「僕は、君を多重人格者のみからなる秘密結社に引き入れたいのだ!」
「ヒミツケッシャ?」
「そうだ。『秘密結社マルチプル・パーソナリティー・ディスオーダー』。通称MPD。それが我々のグループ名だ」
「地下アイドルでもあるまいに」
紅茶をすすりながらボソッと呟いたら、ばきっと音がして頭に鈍い痛みが走った。どうやらカルテを投げられたらしく、ツーっと頬に血が伝った。
こんな医者もいるのだなあ。
「で、だ。はっきり言って、僕らの活動目的は金儲けなのだが」
「はあ」
医者は別のカルテをめくりながらハッハッハと笑った。
「つまり、金を儲け、パーっと使い、ゲラゲラ笑うことが至上命題なのだ」
「じゃあ、私には向いてないかもしれません」
困惑の意味で、私はかすかに首をかしげた。ぽたっ、と血がカップに落ちる。
「私、あまり笑うの、うまくないですし」
「なあに、心配することはない。君は笑えなくとも、『彼』の方は笑えるだろう」
「『彼』?」
すると突然、フッと意識が遠のく感覚を覚えた。消えゆく意識の中で最後に聞いたのは、医者の謎めいた台詞だった。
「まあそうカッカするなよ。このご時世、同志にはなかなか出会えないのだから」