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お前を見ている(2)

 依頼人である立川優奈の家は事務所のある駅から二駅の住宅街にあった。

 都心まで電車一本で行くことが出来るメリットは社会人である彼女にとって大きいのだろう。駅前も賑やかすぎない程の栄え方で、住みやすそうな街だった。

 薄暮の時間、電話で立川さんとのアポイントを取り付けた千島さんを先頭に家にたどり着く。

 現代的で小奇麗なマンションでオートロックもついており、とてもではないが若手会社員の稼ぎで入居できるような場所ではないように思えた。


「ずいぶん良いところに住んでるんですね」


「勤め先の家賃補助というのもあるかもしれないが、そもそも大家さんが格安で貸しているらしいな。知り合いだから、と」


 千島さんが資料を手に説明する。大家さんといえば、例の同級生とやらだろうか。立川さんが二十五歳だというのだから大家さんも彼女と同じ年齢であると思われるが、都内にマンションを持てるほどの財力があるとは考えにくい。あるとすれば、実家が裕福だとか、その様な理由だろう。

 ボンボンの青年のイメージが湧いてきて、何だか嫌な気持ちになる。


「いーなあ。私も格安できれいなマンションに住みたーい」


「おばけドロドロの物件でも探すしかないな」


「だよねえ。でもそれはやだなあ」


 気の抜けた宮間さんと千島さんの会話をBGMに、俺たちは早速マンションに立ち入った。

 エントランスにはポストスペースが有り、その先はオートロックのドア。数字を打ち込むパネルに立川さんの住んでいる部屋番号である302を千島さんが押し込むと、若い女性の声が聞こえた。


「はい」


「カントー総合情報事務所の千島です。お電話差し上げた件にて参りました」


「ああ、探偵さんですね……。開けます。どうぞ」


 ドアが開き、インターホンが切れる。俺たちはエレベーターで三階まであがり、302号室へとたどり着いた。

 玄関扉はきれいでは有ったが、資料の中の写真と同じだ。目玉のマークと『お前を見ている』という言葉を思い出して薄ら寒い気持ちになった。


「じゃ、いくぞ」


 千島さんが呼び出しボタンを押す。しばらくしてからゆっくりと玄関扉が開いた。

 チェーンの駆けられた扉の隙間から資料にあった通りの黒髪の美人が顔を覗かせる。千島さんが「どうも。カントー総合情報事務所の千島です」と名乗ると、一度扉が閉じられてから、今度はチェーンが外れた状態で扉が開かれた。


「ご足労ありがとうございます。中に入ってください」


 立川さんに招かれて、口々に「お邪魔します」というようなことを述べながら部屋に入っていく。

 マンションの外観に違わず、きれいな部屋だった。1LDKだ。玄関から靴箱を脇に抜けると、キッチンと食卓テーブルやテレビが置かれているリビング・ダイニング・キッチン。奥には扉が見えるが、恐らく寝室があるのだろう。

 一人暮らしには広めの部屋だ。豚小屋のような部屋に住んでいる俺としては羨ましい気持ちである。


「こちらにお掛けください」


 立川さんに促されてテーブルに座る。四人がけの片側に千島さんと宮間さんが座り、俺はなんとなくその二人の間に突っ立った。

 コーヒーの香りがしてきて、マグカップを載せたお盆を手にした立川さんがキッチンから出てくる。


「あら、おすわりになってください」


 立川さんはテーブルにお盆を置き、千島さんの対面に座ると、彼女の隣の席を手のひらで示して俺に微笑みかける。

 美人だからかとても絵になる。俺はなんとなく気恥ずかしい気持ちになりながら彼女の隣の席についた。


「すみません。じゃあ、失礼して……」


 それから千島さんが主となって話を進め始めた。すでに同様の依頼をこなしたことがあるのか、改めての事務所の説明や前置き、注意事項の説明をスムーズに終えていく。

 俺はそれを聞きながらコーヒーを啜って部屋を見渡す。

 木製やオレンジ色の家具をメインにシンプルにまとまった部屋だ。しかし、ところどころにぬいぐるみが存在していたり、キャラクターグッズも取り入れられていたりしており、女性らしさも伺える。


「――それで、今回の件、再確認なんですが」


 千島さんがカバンから取り出した手帳を開き、ペンを握る。


「あくまでも、犯人の特定を優先する、ということでよろしいですね?」


「はい」


 間髪入れずに頷く立川さん。


「警察に頼んでも警護になってしまうので、今回は御社に依頼させていただきました」


「……でもでも、怖くないですか?」


 宮間さんが心配そうに問いかける。それも切り捨てるように立川さんは貼り付けられたようなきれいな笑顔を浮かべる。


「ええ。ですが、泣き寝入りはしたくありませんから」


 一見すると自信に満ち溢れた笑みだ。しかし、隣に座っている俺にはわかる。彼女が自らの膝に置く手は固く握りしめられている。


「それに……正直なことを言いますと、大事にしたくないのです」


「それは、何故ですか?」


 千島さんが食いつく。立川さんは声のトーンを変えずに答え始める。


「家族が、仕事を辞めて実家に帰ってこいとうるさいのです。ここで事件など起きてしまえば、私はこの家を引き払って里帰りすることになってしまうでしょう」


「それが、警察ではなくウチに頼んだ本当の理由ですね」


「ええ。ですから、皆様には期待しております」


 彼女の家族は心配性なのだろう。かわいい女の子だ。旅をさせようと外に出してみたものの、親のほうが子離れできていなかった。……大学の学生の間でもたまに聞く話である。


 それから、俺たちは彼女の普段の行動について聞いた。

 平日は七時頃に起床して八時には家を出る。それから電車で勤め先まで移動し、九時に始業。十七時過ぎに会社を出て、外食。その後は寄り道をして帰る。大体はその様な過ごし方をしているという。


「寄り道はどこへいくんですか?」


 宮間さんが首をかしげた。「いろいろですよ」と立川さんが返す。


「買い物したり、ちょっと飲んだり、ジムに行ったり……。あ、後は占いとか」


「占い、ですか」


 千島さんが手帳に何事かメモをしていく。俺はそれを眺めながら思わず、自分でもわかるほど苦い顔をしてしまった。宮間さんに目配せされ、立川さんに気づかれる前に真顔に戻す。

 決して占いのようなオカルティックなものが嫌いで顔をしかめたわけではない。むしろそういったオカルトや非科学のものは馴染み深く、付き合いも長いものなので、慣れたものである。

 ただ、ストーカーと聞いて中学時代の頃を思い出すのと同様に、高校時代、占いに関わる出来事で少しばかり嫌な思い出があるだけだ。


「どんな占いを?」


 俺は初めて口を挟んだ。基本的に聞き取りは経験のある千島さんたちにおまかせしようと思っていたのだが、つい口が開いてしまった。

 立川さんは照れたように笑う。


「私が言うのもおかしいと思うのですが、そんな大したものじゃないんですよ。大学時代の友人が道端で占い師をやっていて、そこに行ってちょっとしたお喋りをしてるだけです。それでたまに、タロットをやったりとか」


「そうなんですね……タロットか……」


 アルカナと呼ばれる寓意画が描かれたカードをシャッフルして特定の並べ方で展開し、どの位置にどんなカードがあるかによって物事を占うのがタロット占いだ。寓意画によって象徴される物事は様々だが、解釈次第で意味のとり方に振れ幅があるので人気があると聞いたことがある。

 要は、占い師の手腕が良ければ、バーナム効果なりで客の方から的中してくれるというというものだ。

 もちろん、世の中には本物もいるのだろうが。


「タロット、お好きなんですか?」


「ああ、いや。昔、知り合いがやっていたなって思っただけです」


 俺は隣に座る立川さんに作り笑いを返す。


「えっと……それより、立川さんの中では犯人に心当たりはありませんか?」


「心当たり、ですか……」


 立川さんは考える素振りを見せる。「うーん……」と唸る彼女だったが、答えは出てこない。もしくは、疑わしい人が多すぎるのだろうか。


「まあ、出てこないからこそ、ご依頼頂けたんですよね。……それで、次のアクションについてなのですが、まずは立川さんの警護をさせてくれませんか」


 千島さんが話をまとめにかかる。聞き込みで出来ることはそこまで多くないと踏んだのだろうか。


「……警護ですか」


 立川さんが不満げな顔を見せた。犯人を見つけることが目的だと言う話だったから、実際不満なのだろう。

 千島さんは「『まずは』ですよ」と言いながら愛想笑いを浮かべる。


「目的は、立川さんの周囲に怪しい人間がいるかどうかを調べることです。ですので警護とは言いつつ、わたくしどもは立川さんから離れたところにいます。プライバシーを気にされるのでしたら別の方法を考えはしますが……いかがですか?」


 問われ、しばらく考える立川さんであったが、勢いよく面を上げると力強く頷いた。


「……わかりました。犯人逮捕のためならしょうがないです。『まずは』、お願いします」


 立川さんの了解を得た俺たちは彼女の明日の予定の確認を行い、退散することにした。立川さんからは夕飯に誘われはしたものの、事務所への日報作成や明日の準備をすることを思うと早く帰りたかったのだ。

 マンションの渡り廊下を出て、一階に降りる為にエレベーターに乗り込む。


「無事OK出て良かったねえ」


 宮間さんが胸を撫で下ろしながら言う。「そうだな」と千島さんも微笑んだ。

 彼らもアルバイトであり正社員のプロではない。そんな当たり前のことをふと思い出してから疑問が浮かんでくる。

 明日は平日だ。俺含め、全員アルバイトであり正社員ではない。つまり、本業とも言うべき学生という立場がある。

 俺は今日も堂々と講義をサボっていたりしている。明日も出席をとる講義は無いので元々サボる気でいるのだが、二人はどうするのだろうか。彼らは大学三年生であり、就職活動だって近づいてきている。大事な時期だろう。


「あの……」


 俺が口を開くと二人の視線が集まる。


「どした?」


「明日ってどうします? 俺は元々講義行かないつもりなので一日空いているのですが、お二人は?」


 聞くと、宮間さんが笑う。


「講義、出ないと駄目だよ。私も三限と四限は出たいから、その間は外すつもり。……で、良いんだよね? 悠斗」


「ああ。明里はそれで大丈夫。俺が張り付くから。ま、代わりに差し入れ買ってきてくれるって話になってるしな」


 千島さんはそう言ってから俺に目を向ける。


「久喜はどうする? 差し入れ持ってきてくれれば無理はしなくても良いけど」


「いや、行きますよ。警護に行こうが行くまいが、講義には出ないですし」


 言い切った辺りでエレベーターが一階に着く。扉が開き、エレベーターホールへ出ると、作業着を着た青年がこちらを睨みつけていた。


「ふん。あんたらが……」


 青年はあからさまに不愉快そうな表情を見せる。色黒で、体格が良い。身長は百八十を超えているのではないだろうか。俺たちを一瞥したあと、左手に持ったモップを弄ぶようにして大理石の床を磨く。

 千島さんが足を止めた。


「何か御用ですか?」


「……ふん」


 青年は返事代わりの悪態をつき、モップとバケツを持って踵を返すと関係者用の扉をくぐって去ってしまった。


「あの人のネームプレート、『恩田』って……」


「え?」


 ぼそりと呟く宮間さんに疑問を向けると、代わりに千島さんが答えてくれた。


「例の大家さんだよ。恩田翔。なかなか敵対的だな……」


「……そうですね」


 俺は恩田という青年の睨む顔を思い出す。あれは外敵に対する警告の表情だ。理由は知らないが、どうも俺たちのような余所者には近づいてほしくないのだろう。


 それから俺は千島さんたちと別れて家路についた。菅藤さんには電車の中で書いた簡単な日報をメールで送り、コンビニに寄って晩御飯を買って帰った。

 交通の便は悪くないが、狭いアパートの自分の部屋に転がって目を閉じる。


 ストーカー。

 誰かに対する気持ちが大きすぎて、『普通』から外れてしまった者。


 俺は目を開ける。視界に真っ暗闇を映すテレビが入ってくるが、点ける気にはなれなかった。

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