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お前を見ている(1)

 大学一年生の秋のことだ。


 当時の俺はモラトリアム全開でのんべんだらりとした大学生活を送っていた。

 純粋な学問への探究心があるでもなく、ただ就職をする際に有利であろうという理由でなんとなく大学に入学してしまった俺は、時間があるのに講義もそれなりにしか出ておらず、それでいて暇だ暇だとわめきながら日々を過ごしていたのである。

 入学してから夏頃までは偶然同じ大学にいた知り合いの先輩がいるサークルに一応所属していたものの、夏にあった『とある事件』をきっかけにサークルが解散してしまったこともあり、講義をサボることによって出来た膨大な時間をどうするか悩んでいたのだ。

 暇ならば講義にでろ、という話である。安くはない学費を払っている両親には申し訳ない話だ。


 そんな有り余った時間の使い方として俺が始めたのがアルバイトだ。学生の時分である。なぜだか何はなくとも金欠は続くものだったし、いくつものアルバイトを掛け持ちしている。

 基本的には短期のアルバイトが多かったのだが、継続的に続けていた場所もいくつか有った。その内の一つが、知り合いの先輩に紹介してもらって始めた探偵事務所崩れの便利屋での事務作業スタッフだった。

 今日も薄くて頼りない我が財布に厚みをつけるために、都内を東西にぶち抜く路線の真ん中あたり、郊外と都心の混じり合った街にある事務所に向かっていた。


「そろそろ寒くなってきたなあ」


 俺は小さく独りごちる。

 あんなに暑かった夏を作り出していた太陽は鳴りを潜め、街中を歩く人々の装いも変わってくる。まだ長袖シャツ一枚で戦っている人もいるが、あんまり寒いのが得意ではない俺は上着を一枚羽織って駅から事務所までの道を進む。

 たどり着いたのは大通りから一つ二つ入った場所にある雑居ビル。一階には喫茶店が入っており、二階に事務所が存在していた。

 階段を登って『カントー総合情報事務所』の扉を開く。入ってすぐに呼び出し用の電話だけがある狭い受付スペース。向かって右奥には応接用のテーブルが有る部屋もあるが、俺は目もくれず向かって左にある事務スペースの扉を開く。

 作業デスクが並んだ部屋が出てくる。しかし、入って一番奥の大きな机に座る人物を除き誰もいない。いつものことだ。


「お疲れ様です」


「おお、久喜くん、おはよう」


 昼下がりではあるが、この事務所では何故か皆「おはようございます」という挨拶を返してくる。そういうルールなのだろうか。

 にこにことした笑顔でパソコンに向かって何かを打ち込んでいた中年の男がこの事務所の所長である菅藤すがふじさんだ。彼はメガネを掛け直し、禿げ上がった頭をかいてから俺の姿をみると「いいところに来た」と言う。


「来て早速で悪いのですが、このリストの備品を買ってきてもらえないかな」


「かしこまりました」


 俺は荷物も置かずに所長に近づいていき、彼が差し出してきたメモ紙を受け取る。ざっと目を通すと、見慣れた筆記用具などが並ぶ。


「これなら、駅前で揃いそうですね」


「ああ、それと、これもお願いしたいんですよね」


 所長が紙袋を差し出してきた。妙に重たい。


「なんです? これ」


「盗聴器発見器。壊れちゃってね。修理に出しておいて欲しいんです」


「わかりました。……こんなもの、あったんですね」


「これでも一応、探偵事務所ですから」


 所長は苦笑する。それから「修理は明田さんとこでお願いしますね」と補足する。俺は頷きながら思い出す。明田さんは懇意にしている街の電気屋だ。家電量販店やネットで製造元に送った方が確実に直るんじゃないか、とも思ったが、口にはしない。そういうつながりで生きている人も世の中にはたくさんいるんだ。


「明田さんですね。領収書はいつもどおりでもらっておきます」


「助かります。……ちょっと、それを使いそうな事案もあってね。いつ直りそうかも確認しておいてくれますか?」


「たまに聞きますもんね。そういう話……ストーカーの相談とか」


 自分で言っておいて、少し薄ら寒い気持ちになる。ストーカーという言葉が中学時代の出来事を思い出させる。あれは結局、ストーカーでも何でも無いどころか、犯人は人間ですら無かった。

 所長はにこにこ顔を続けながら、ふと思いついたように口を開いた。


「そういえば、君が千島くんと出会ったのも、ストーカーがどうのって聞いたこと有ったかな。……うん、いい機会だし、君、ちょっと調査員のサポートについてくれる?」


「いや、でも、それ業務外――」


「――ボーナス弾むよ」


「ぼ、ぼーなす……」


 頭の中に割り箸のような棒が刺さった茄子が浮かぶ。


「そう。成功したら五万円」


「ご、ごまんえん……」


 福沢諭吉が五枚。想像するだけでも素晴らしい。欲しいものがいろいろと湧いてくる。ゲームや漫画、新しいパソコンやタブレット端末、冬に備えて服も欲しい。


「やります」


 お金に対する欲望を上手く利用され、俺は首を縦に振ってしまったのだった。

 後日俺は後悔することになる。このストーカーにまつわる事件は、思ったよりも大変なものだったのだ。



 事務所の一階には喫茶店がある。所長の昔なじみである木田さんが営む『パーチ』という名前のその店には、喫茶店には珍しく個室があり、事務所の職員がたまにそこを打ち合わせスペースとして利用している。

 俺は所長のお使いを終えてからパーチに入る。応対に出てきたウェイトレスの女性に「二階の関係で個室です。ココアください」と申し付けてから、その個室へ文字通り顔を出して覗き込む。すると若い男女二人がコーヒーを飲みながら談笑していた。

 男の方は大きい体つきをしていて、黒い髪を襟足の辺りで小さく縛っている。あごひげを生やしており、やや無骨に見える。女の方は茶色く染めた髪をショートカットにしていて、活発な印象。どちらも会話の中でくるくる変わる表情が面白い。


「あ、来た」


 女の方が俺に気づいて会話を中断する。男の方も遅れて俺に気付くと「来て早々盗み聴きとはこの案件向きだな」と冗談ぽく笑った。


「すみません。お待たせしました。千島さん、宮間さん」


 俺は円形のテーブルの空いている椅子に座ってから会釈をした。


 彼ら二人も俺と同じく事務所のアルバイトである。男の方は千島悠斗。女の方は宮間明里。どちらも大学の二個上の先輩で、夏に解散してしまったサークルに一緒に所属していた人たちだ。

 今のこの事務所のアルバイトも、千島さんに勧められて始めたもの。この二人にはかなりお世話になっている。


「ついに久喜もこっち側か」


 しみじみとした様子で千島さんが腕を組みながら頷く。宮間さんも「来ちゃったねえ」と笑顔を浮かべていた。


「こっち側って……どういうことですか?」


「ん。アルバイトの中の、一攫千金部隊」


 俺の脳裏にボーナスという言葉が浮かんだ。

 先程『ついに』と言っていたからには、この人達は俺よりも遥か昔からこういう仕事もしていたのだろう。道理で事務スタッフの人数の割には仕事が多いと思った。

 宮間さんが口を開く。


「忙しくて所員だけじゃ回ってないらしくて」


「へえ……。そうなんですね」


 確かに、事務所に所長と事務スタッフしかいないことは多い。他の調査員は皆外へ出て働いているのだろう。

 何はともあれ、稼げるチャンスだ。俺は「それで……?」と話を促す。千島さんは持っていたカバンからファイルに入った資料を取り出した。そして、それを手渡してくる。


「ストーカーだってよ。懐かしくて泣きそう」


「『ああいうの』は御免ですけどね」


 俺は中学時代の霊園沿いの夜道を思い出して苦笑した。

 それから、ウェイトレスによって運ばれてきたココアを飲みながらその資料を読み込む。


 依頼人は立川優奈という二十五歳の会社員。付属されている写真を見るに、長く艶のある黒髪が似合う美人だ。顔立ちははっきりしていて、我の強さも伺える。

 彼女が遭遇したのはストーカー被害だった。会社帰りを誰かにつけられたり、郵便物を荒らされたことも有ったらしい。そして、決定的な被害が一つ。


「気味悪い……すね」


 ファイルに潜むように隠れていた、A4の大きさでカラーコピーされた写真を取り出してから言う。写真には、恐らく依頼人の住んでいるであろうアパートの扉に、赤い塗料で描かれた落書き。

 目玉を表しているのだろう、二重丸のマークの下に、文字が書かれている。荒れた字で読みにくいが「お前を見ている」という文字が横に伸びている。

 どうしてもストーカーというと『怪異』を思い出してしまう俺は、なんとなくその塗料も血文字に見えてしまう。

 俺は鳥肌の立ちかけた手で資料をまとめてから千島さんに返却する。


「大体、わかりました。警察には言わないんですか?」


 聞くと、宮間さんが肩をすくめた。


「みたいね。依頼人のたっての希望だって」


「もしかしたら、彼女にも心当たりがあるのかもな」


 千島さんが受け取った資料をそのままカバンにしまい込みながら言う。


「心当たり?」


「ああ。何かやましいこととか」


「なるほどです……」


 俺は考える。

 警察にも言えない心当たり。過去に犯罪的な行為で貶めた誰かからの復讐か。それとも弱みを握られているのか。だが、こうやって調査依頼をしているのだ。やましいことは有ったとしても、犯人が誰であるかの確証は無いのだろう。

 確証を得てから対策を練る。……そういうつもりかもしれない。

 さっきの写真を見た後では、もうそんな余裕も無いように感じるが。


「……そういえば、この赤文字の塗料って、調べられませんでしたか?」


 俺は疑問に思い、二人に聞いた。

 現状あまり手がかりはなさそうだから、少しでも情報は集めたい。ボーナスのためにも。


「それがね……」


 宮間さんが苦笑してから、千島さんが引き継ぐ。


「残念なことに、大家さんがすぐに洗い流してしまったらしいんだ」


「大家さんが?」


 普通、建物に損害が出たら警察にでも何でも言いそうなものだが。


「依頼人……立川優奈の中学時代の知り合いだったらしくてな。ショックを受ける彼女を見て、すぐに洗い流してしまったんだと」


「優しい人なんですね。男性ですか?」


「ああ。ご名答。よくわかったな」


 千島さんが少し驚いた顔をする。

 根拠なんて無い。美人にいい格好をしたいなんて思うのは男性だろう、というなんとなくのイメージだ。

 しかし、そうなると手がかりがない。警察よろしく警護をしながら次の事件が発生するのを防ぐしかないだろう。しばらく警護を続ければ、ストーカーも諦めて去っていくのではないだろうか。


「とりあえずは、ボディーガードとして張り付くしかないですね」


「いや、それじゃ駄目だ」


 俺の提案を蹴った千島さんが否定する。


「依頼人の意向は、事件の防止じゃなくて犯人の特定。張り付いて犯人に警戒されて、逃げられでもしたらおじゃんだよ」


「……なるほど」


 少々面倒な依頼人の様だ。


「それじゃあ、どうします?」


「そーだな……」


 千島さんが椅子の背もたれに体を預けて天井を見上げる。視線の先ではレトロな雰囲気を醸し出すシーリングファンがゆっくりと回り、店内の空気をかき混ぜている。


「何にせよ、まずは本人に話を聞くのが一番だね。ふたりとも、今日の予定は?」


「私は大丈夫」


 答えた宮間さんの視線が俺の方へ向く。

 花の大学生だというのに、特になにもない自分の予定や交友関係を顧みて、悲しい気持ちになりつつ俺は諦めたようにうなずいた。

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