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擦り切れる夢

 高校生二年生の梅雨入り前ごろの話だ。


 当時の俺は自分で言うのも恥ずかしいが信頼できる友達が少なく、たった一つの悩みを相談する人さえいなかった。

 その悩みというのは、俺が行方不明者となっていた高校一年生の冬から高校二年生の春頃までの記憶が思い出せないことである。

 一応、短い間ではあったが警察御用達のカウンセラーである加茂山先生という方に相談をしていたのだが、彼は俺に対し『不思議な力がある』という旨の言葉だけを残して、先日からクリニックを閉めてしまっている。

 おかげさまで、たった一つの悩みというものを相談できる人間がいなくなった……と、そこまで考えて気がついたが、……たった一つの悩みというのは嘘だ。そんなに悩みの少ない高校生男子はいない。正直なところ、悩みは他にもある。


 そのうちの一つが『夢』であった。

 起きているときに見る方ではなく、寝ている時に意図せずとも見てしまう方だ。


 その日、俺は自宅二階にある自室でベッドに倒れ込み、天井を眺めてから目を閉じた。

 時刻はすでに二時を周り、明日の授業を控えた普通の高校生ならすでに寝ている時間だろう。

 それでも寝付けないのは、不気味な夢を見るからである。



 目を開くと、蒸した熱気が辺りを覆っていた。

 俺は自分が横たわっていることに気がついて、上体を起こしてから周囲を見渡す。視界には色の濃い植物たちが覆い尽くすように生い茂る。……ジャングルだ。


「……また、これか」


 立ち上がってから、空を見上げた。今俺がいる場所は丁度空き地のようになっており、植物は生えておらず、天まで見渡すことが出来る。

 また、だ。また、この夢だ。

 俺はため息をついて立ち尽くした。

 もともと、夢を見ているときに「これは夢だ」と自覚することは多かった。『明晰夢』と言うのだろう。翌日になっても記憶が消えないことも多くあり、あまりにリアルでショッキングな夢を見た翌日は、夢だとわかっていたとしても混乱することは多かった。

 しかし、ここ最近はおかしい。

 俺は何故かじっとしていられず、ジャングルの中へ踏み入っていく。歩くたびに疲労が嵩み、飢えと乾きがじわじわと責め立ててくる。

 ここ最近は、この『ジャングルを歩き回る夢』を何度も繰り返し見ている。


「暑いな……」


 まとわりつくような温度。歩き進んでも代わり映えしない景色。すべてが俺を追い詰めようと迫る。

 しかし、夢から覚めるための方法も知っていた。それは、ある一人の少女を探し出すこと。


「どこだ……」


 歩きながら、周囲に気を配る。枝の隙間、葉の向こう。黒い髪の少女を探す。

 体感時間で二時間、ジャングルを歩き回って探した頃だろうか。俺は目の端に入ってきた人影に気がついて、そちらへ進んでいく。

 草木を分け入っていくと、一本の大きな樹にもたれかかるようにして気を失っている黒い髪の少女が現れた。彼女はどこかの学校の制服を着ており、小さな寝息を立てている。……いつもと一緒だ。

 それから、俺は彼女の近くでしゃがみこんで肩をたたき、声をかける。


「おい! 起きてくれ」


 繰り返すこと数回。ゆっくりとまぶたを開いていく少女。その瞬間、俺は気付くと――。


「……起きて、く……あ」


 ――自室のベッドの上で、仰向けに転がっているのだ。


「今日も、か……」


 俺は目をこすり、体を起こして枕元の携帯電話を弄る。

 時刻は七時半。投稿の準備を始めるのには丁度いい時間帯だ。


 ジャングルをさまよい、乾きと暑さに追い詰められて、徒労感とともに少女を見つけて目をさます。

 一度だけ、単発のみ見る夢であればそこまで取りざたするほどのことでも無いだろう。問題は、この夢を何度も見ているということだ。少なくとも週に一度、多いときにはほぼ毎日見ることもある。

 ただ、今日はまあまあマシだった。運が悪くて彼女を見つけられない時、そして、彼女を探し出して目が覚めるということを知らなかった頃は、体感にして数日間、あのジャングルに閉じ込められた。


 俺は寝巻きを脱ぎ去り、制服に袖を通す。部屋にある姿見を前にネクタイを結んで、考える。

 この妙な『夢』を初めて見たのは、丁度加茂山先生のもとで妙な手品を見せられた日だ。そうであれば原因はあのオレンジ色の光だとは思うのだが……。肝心の加茂山先生はあの日以来姿をくらましている。

 警察に捜索を訴えようとも考えたが、人一人を探し出してもらうのに、夢見が悪いでは理由が弱い。また別のクリニックなりカウンセラーなりを紹介されて終わるのが関の山だろう。


 いっその事、本当に別のカウンセラーを紹介でもしてもらおうかと考え始めたあたりで、階下から母が俺を呼ぶ声が聞こえた。


「輝ー! 田島さんから、電話、きてるんだけど!」


「はーい! すぐに降りる!」


 俺はスクールバッグを手に慌てて階段を駆け下り、居間へと赴く。

 そして、電話機の前で不安げに待っていた母に対して「大丈夫だよ」と伝え、受話器を受け取った。


「お電話変わりました。久喜輝です。何かご用ですか?」


 問いかけると、受話器の向こうから複数人の人間が会話しているような騒がしい音声をBGMにして、渋いおっさんの声が聞こえる。


「よう。元気か、久喜くん。田島だ」


「ええ。全くもって健康ですよ、田島さん」


 田島さんは少年捜査課に所属している刑事だかなんだかであり、俺の行方不明事件の担当でもある。四月に自宅近くの河川敷で倒れていた俺を見つけたのも彼だ。

 何度も何度も同じ様なことを聞いてくる事情聴取において、彼が時折ジョークを交えて話しかけてくれたおかげで、そう嫌な思いをせずに済んだ。


「それは何よりだな。変なこととか起きてないか?」


「特に変わりないです。そちらはいかがですか?」


「こっちもいつも通りの悪ガキ対処で忙しいのは変わらねえな。その上、久喜くんに関わる新情報も出てきた」


「……新情報、ですか?」


「ああ。学校が終わったあとでいい。今日、時間取れるか?」


「大丈夫です。空いてます。加茂山先生のカウンセリングも終わったので」


 受話器の向こうで田島さんが「あー、そうだったか」と面倒くさそうに言う。苦虫を噛み潰したような表情が見えてくるようだ。


「あいつ、警察でも足取りが掴めねんだよ。まあいい。じゃあ、夕方十七時に中央病院に来てくれ。君が入院していた病院だ。受付で『少年捜査課の田島に用がある』って言えば大丈夫だ」


「わかりました。それでは、学校に遅刻してしまうので、これで失礼します」


 田島さんとの通話を切り、母に話の概要を告げる。「ついていこうか?」と聞かれたものの、特に田島さんにそういう指定も受けなかったので断った。

 行方不明になって戻ってきたばかりの一人息子が警察に呼び出されているという状況だ。心配して当たり前だとは思いつつも、母と合流するために一度家に帰ったりすることが面倒に思え、断ってしまった。


 それから無事遅刻することもなく登校した俺は、特筆すべきことも無いような高校の授業を終えて、駅からバスで二十分の市内の中央病院へ一人向かう。

 病院への呼び出しというところから考えるに、恐らくは加茂山先生絡みで、カウンセリングに関することだろうと高をくくっていた俺は、気の抜けた風船の様な気持ちで生あくびを噛み殺しながら病院の受付を済ませた。


「田島さんが降りてこられるらしいので、おかけになってお待ち下さい」


 受付の事務員に言われ、俺はロビーに並べられている長椅子に腰掛けた。

 中央病院は比較的大きな病院であり、多くの患者が入院している。俺も一日二日くらい入院していた。遅い時間帯であることもあり、ロビーに座っていても外来の病人を見ることはなく、むしろ入院患者の付き添いやお見舞いの人の方が多いように見えた。


「また別のカウンセラーがあてがわれるのかな……」


 俺は突如として姿をくらましてしまった加茂山先生のことを思い出しながらつぶやく。

 彼曰く、俺の心は正しい位置にある。つまり、カウンセリングの必要は無いという見解らしいが、依然として記憶は戻らない。

 それどころか、妙な手品のオレンジ光を浴びせられてからというものの、悪夢まで見るようになる始末だ。


「魔法か……」


 俺は座っていた長椅子の青色の合成革張りの表面を指で撫でる。ぐるりと、人差し指で円を描いてみる。加茂山先生であれば、オレンジの光を出すことが出来る。あと、コーヒーを温め直すことも。

 俺にも力があるのならぜひ方法を教わりたいものだった。飲み物を温め直せるのは地味に便利かもしれないと思うから。


「久喜くん。待たせたね」


 今朝方電話口で俺を読んでいた声が聞こえてきた。椅子から立ち上がり、声の方を見ると黒黒とした肌が特徴的な中年の男がこちらに向かってきている。

 田島さんだ。

 今日も暗いグレーのスーツを身にまとい、眉間にシワを寄せている。近づくと煙草の残り香が鼻につく。なんともまあ、絵に描いたようなおっさんだ。

 田島さんが軽く頭を下げてくるのにあわせて、俺も会釈をする。


「どうも。お久しぶり……では、無いですね」


「ああ、先週も事情聴取でお時間割いてもらったからな。助かってるよ」


「それで、単刀直入ですが……」


「新情報かい? せっかちだな」


「夕飯時までには帰りたいですし」


 嘘である。我が家の夕飯は大体二十時過ぎ。慌てる必要もない。カウンセリングの話云々だったら面倒だから、帰る理由を作っているだけだ。

 田島さんは腕を組んでため息をつく。


「じゃあ、今日は奢ってやる。で、どうだ? 親御さんに連絡入れとけ」


 あっさりと見抜かれたようだ。その上で、嘘に乗ってここまで言ってくれたのなら、無碍にするわけにも行くまい。


「……じゃあ、お言葉に甘えて……」


 俺は言いながら母に要件だけの短いメールを送った。そして返信を待たずに携帯を折りたたんでポケットに突っ込む。


「それで、なんで病院に――」


「――結局せっかちかい。まあ、いい。ついてきな」


 田島さんは「やれやれ」とぼやきながら踵を返す。俺はその横に並んで歩く。診察室がある場所を抜け、病室がある棟へ進んでいるようだった。

 カウンセリングの話じゃない……? 少しだけ、『新情報』とやらに興味が湧いてきた。


「新しいカウンセラーの話じゃないんですね」


「ん? 新しいカウンセラーを探してほしいのか?」


「いえ……。加茂山先生がいなくなってすぐのご連絡だったので、そういった話なのかと」


 田島さんは鼻で笑った。


「成程ね。それで乗り気じゃなかったのか。……まあ、確かに、君にはむしろ迷惑だったろう?」


 問いかけられて、どう答えるか迷う。『加茂山先生とお茶飲みながらダラダラくっちゃべってただけだから正直無駄な時間だった』という真実を話してしまったら、きちんとカウンセリングを受けていないと思われてまたカウンセラーをつけられてしまうかもしれない。

 だが、『いえ、しっかりとしたカウンセリングで前向きになれました!』なんて嘘をついても、田島さんには見破られてしまいそうだ。


「いえ、迷惑だなんて……。それに、手品も面白かったですし」


 適当に話をそらして話題を濁した。

 田島さんは「うーん?」と唸っていた。


「手品出来るなんて初めて聞いたな……まあいいか。それより、新情報についてだったな。すぐわかるから楽しみに待ってろ」


「はあ……わかりました」


 田島さんと一緒に病室棟の三階へエレベーターで上る。それから廊下を進んでいく。田島さんは305の部屋の前で立ち止まると、「ノックして入れ」と指示してくる。


「え、俺がですか?」


「ああ、そうだ」


 有無を言わせない雰囲気を感じ、諦めた俺はノックをして引き戸をスライドさせる。夕方の日差しが差し込む病室。個室のようで、カーテンが引かれた向こう側のベッドに誰かが横たわっている影が見えた。

 俺は後ろを振り返る。田島さんが後から入ってきて、声を上げた。


「客だ。起きろ」


 その声にカーテンの向こうの影が動く。上体を起こし、布を掴むと、一気に引く。


「客って誰……」


 気だるそうな声に聞き覚えがあった。


「……輝、か?」


「あれ、一樹……?」


 ベッドの上にいたのは、俺の中学時代の同級生である、橋山一樹という男だった。

 彼は手入れ不足か、毛先だけが茶色に染まっている髪をくしゃくしゃとやってから、一瞬考える素振りを見せる。

 その行為の意図がつかめなかった俺は、彼に近づいていきながら笑いかけた。


「えっと……久しぶりだな。卒業以来、会ってなかったか?」


「卒業以来……?」


 一樹が怪訝そうな声を発した。そして、それから無理やりうなずいてみせる。


「……ああ、そうだったな! ……いろいろ、大変だったな。お互い」


「大変って……」


 俺は一樹の『大変』が何を指しているのかわからず、背後にいる田島さんを振り返る。

 田島さんは相変わらずの渋い表情のまま、小さなため息をついた。


「収穫は無し、か……」


「どういうことですか? 田島さん」


「いや……。記憶の一つでも戻ればって思ったんだが……」


 そう言うと田島さんは俺の隣に並ぶ。


「昨日、行方不明になっていた橋山一樹が、久喜くんが発見された場所で見つかったんだ。何らかの関連性があるとみても不思議ではないだろう?」


 俺は息を飲む。


「それは、どういうことですか?」


「言葉通りだ。ついでにいうと、君たち二人は行方不明になったと思われる日の夕暮れ時まで、二人で遊んでいた記録が駅前のカラオケボックスで確認できている」


「待ってください! それ、初めて聞きましたよ!」


「言っていないからな。だが、その反応を見るに……」


 田島さんは俺と一樹を交互に見た後、再度ため息をついた。


「捜査に進展はなさそうだな……」


 心底残念そうな田島さんの様子。だが、俺の心中はそれどころではなかった。


 一樹も行方不明だった? いや、それよりも、行方不明になった時、俺は一樹と行動していた――?


 もちろん俺にはそんな記憶はない。

 一樹に会ったのは、中学の卒業後、今日がはじめてのはずだ。


「記憶は……こう、揺さぶられたりとかないか?」


 田島さんが聞いてくる。俺は無言で首を振る。一樹も同じくだ。

 でも、待てよ。引っかかる。

 そうだ。さっき一樹は俺が久しぶりの再会を伝えた時、一瞬戸惑いのようなものを見せていた。あれが気の所為ではないとしたら……。


「何か、知ってんのか……?」


 俺の口から思わず一樹に向けた問が出てくる。一樹は口の端を上げて無言で首を横に振った。


「残念だけど、俺も記憶が無いんだ」


「そうか、そうだよな……」


 そんなはずは、無い。彼は嘘をついている。俺には確信があった。

 一樹は絶対に何かを隠している。それは、少なくとも警察がいるところでは話せない内容だ。


 そんな秘密を持っている人間など、……疑わざるを得ない。


 そして、ある一つの可能性に思い当たり、俺は戦慄する。緊張で喉が渇き、無い唾液を飲み込んで喉を鳴らす。

 それは橋山一樹が、事件の犯人である可能性――。


「――田島さん、うなだれているところ悪いのですが、そろそろ腹が減ってきました」


 俺は田島さんを促し、一樹に軽い挨拶をしてから病室を出る。


 空調は聞いているはずなのに、じっとりとした脂汗が浮き始めているのを感じる。

 渇き、飢え、脂汗……。それを感じながら歩いていく――。


 ――まるで、最近良く見るジャングルの夢のようだった。

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