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空虚を埋める(2)

 平日の仕事――普段携わっている本業だ――を乗り切って迎えた土曜日の昼、俺はとある屋敷の前にいた。

 目的は一つ。弥亜さんから説明を受けた件の依頼主に直接話を聞くため。


「でけえな……」


 大きな木製の門と塀。伝統的な日本の建築様式ではあるが、よく見ると木は新しいし、所々に金属質の光沢がある建材が使われている。見た目以上に頑丈そうだ。住んでいる人間は相当な金持ちなのだろう。

 俺は携帯のアプリで自分の現在地と目的地の場所を再度確認する。東京都、都心部の一等地。土地だけで何億の価値があるのだろうか。……ここで間違いない。


「結構な大口案件なんじゃないのか」


 そういえば、千島さんが『断れない案件』だと言っていた覚えがある。断れないからこそ、俺に手伝いを頼んだのだったか。


「『断れない』、か」


 俺の頭の中で、別の角度からの嫌な想像がむくむくと育ってきた。怪異は確かに恐ろしい。でも、世の中には他にも恐ろしいものがある。


「……この伊吹さんって人、そっち関係の方とかじゃないだろうな」


 ためらいつつも、俺は門に取り付けられているインターホンを押した。しばらくしてから声がスピーカーから聞こえてきた。品のある、それでいて冷たさも感じさせるような女性の声だ。


「はい。伊吹です」


「お世話になります。カントー総合情報事務所から参りました久喜と申します。本日は直接お話を伺いたく、参りました」


「ああ、興信所の……お待ちしておりました。中までお越しください」


 任侠映画で聞くようなドスの利いた低い声じゃなくて少し安心した。

 追って木造の扉から、かちりとした音が聞こえた。鍵が開いたのか。木造なのは見た目だけで、内部的には遠隔で鍵の開け締めも出来てしまうようなハイテクな扉なのだろう。流石金持ち。


 さて。ただの金持ちか、ヤクザな人間か。どちらにせよ、何かあれば逃げればいい。『切り札』だってある。


 俺は胸元に触れて大きく息を吐いてから扉を開けて入っていく。建物の玄関らしき場所までは日本庭園があり、微妙に距離があった。全く豪華な家である。自分の住んでいるアパートを思い出し、どうやったらここまで稼げるのだろう、といっそ不思議にすら思った。

 玄関の近くまで来ると、和服を来た中年の女性が出てきた。細身で、和服がよく似合っている。キツめの顔つきだが、若い頃はさぞモテただろうな、という雰囲気を纏った美人だった。

 彼女はたった今歩いてきた俺に気がつくと恭しく頭を下げる。所作に滞りがない。上品なふるまいだ。俺も至らずながら、社会に出てから身につけた不格好なお辞儀を返した。


「はじめまして。カントー総合情報事務所の久喜です」


「お初にお目にかかります。この度の依頼人の伊吹杏華と申します。どうぞ、こちらへ……」


「ありがとうございます。お邪魔します」


 彼女が今回の件の依頼主になる杏華さんか。どんな『人』なのかは……まだ全然見えてこないな。表面に『人』を出してこない人間というのは良くも悪くも頭が良い。こちらとしてはやり難い事この上ないのだが。

 誘われるままに杏華さんについていく。豪華な玄関で靴を脱ぎ、廊下を進みながら欄間の華麗な彫刻を眺めつつも、通されたのは洋室だった。

 応接間だったり客間だったりと言われるものだろうか。日本家屋だからてっきり和室に通されるものだと思っていた。


「おかけください」


「ありがとうございます。失礼致します」


 派手さは感じない。しかし品のある落ち着いた色味の椅子に腰掛ける。

 杏華さんは一礼すると、廊下へ出ていき「遙華ようか。お茶をご用意して。母様もお越し下さい」と声を上げる。怒鳴るようなものではなく、それすらも品の良さを感じて俺は緊張してしまった。


「済みません、お飲み物まで……。ちなみに、先程の遙華様というのは……」


「ええ。私の娘になりますの。それと、母も同席させていただきますわ」


「かしこまりました。お母様と言いますと、橙華様でございま――」


「――お待たせいたしました!」


 俺の言葉を遮るように客間の扉が勢いよく開く。お盆の上にお茶と急須を乗せた白いワンピース姿の若い女性と、後から綺麗に白く色の抜けた白髪の和服の老婆が部屋に入ってきた。

 杏華さんが眉を潜める。


「遙華、お行儀よくなさい」


「ごめんごめんお母さん……。それで、この人がこの前言っていた探偵さん? また別の霊能者? それとも二つ合わせて心霊探偵とか?」


 遙華と呼ばれていた若い女性は、母にたしなめられながらも、興味津々といった様子で俺の方をキラキラした目で見てくる。

 見た感じでは歳も俺よりは下だ。振る舞いから見ても若く見える。大学生くらいだろうか。活発で素朴な印象であるが、身につけているものは高そうである。細身のペンダントや、イヤリング、時計。……俺に審美眼があるわけではないが、きっとそれなりのものなんだろう。そうに違いない。


「良くおいでくださいました」


 老婆の方は穏やかに、和やかに微笑む。この人も品が良い。祖母から娘までまさに金持ち一族と言った雰囲気である。それぞれジャンルは違うが。

 それでも、金持ち特有のギスギスした感じも、見下した雰囲気もない。天真爛漫な娘と、品行方正な母、そして、温厚篤実な祖母。彼女たち同士の仲も悪くは無さそうだった。それはやり取りの最中の彼女たちの表情で分かる。何か問題を抱えている人間というのは、もっと顔に険が出るものだ。

 俺は咳払いをした後「改めまして。カントー総合情報事務所から参りました久喜と申します」と名乗り、この仕事用の名刺を差し出しながらアイスブレイクとしての雑談を振り始める。


「それにしても凄いお住まいですね。こんなに広いところにお邪魔したのは初めてです」


「いえいえ。本家の邸宅と比べると猫の額でございます」


 杏華さんが謙遜する。これで猫の額と言うなら、俺の住んでいるアパートの部屋はなんだというのか。ノミの小指か。


「本家、ですか……」


 卑屈になって突っ込みたくなる気持ちを抑え、俺は冷静さを保ちながら復唱する。すると、遙華さんが身を乗り出して、杏華さんと俺の話の間に割って入ってきた。


「そうなの! 山吹さんって言うんだけど、笑っちゃうくらい凄いんだから!」


「……山吹、さん……ですか」


 脳裏に浮かぶのは高校生の頃のクラスメイトで、級長だった山吹さんだ。確か彼女も大層なお家柄だったはずだ。

 そんな俺の様子を見て遙華さんが首をかしげる。


「あれ、知ってるの?」


「いえ。私の高校時代の同級生にも、山吹という苗字の方がいて、広い家に住んでいたなあ、と思い出しまして」


 伝えると遙華さんは目を細めた。何か考えている。


「……久喜さんはおいくつですか? その人の、久喜さんのご学友の『山吹さん』の名前は何ていうの?」


「私は二十三歳で、今年二十四になります。それで、ええと、名前ですよね。……確か、桜華おうかさん。だったかと」


 伝えると、遙華さんが乗り出していた身を更に勢いよく前へ。あまりに突然で情けないことに俺は少し驚いてしまう。


「えええ! たぶん桜華伯母様だよ! それ! キレーな長髪の黒髪で、すごい美人の!」


「お、伯母様……」


 遙華さんの言っているのがもし本当に山吹桜華その人であるとしたら、少し面白い。彼女がオバサマと呼ばれているのが想像できない。

 それに、本当に遙華さんの言う『山吹桜華』が俺の知っている『山吹桜華』その人であるならば、これは偶然ではないだろう。……千島さんがいたずら半分に人をからかう時の、あの憎たらしい表情が脳裏に浮かんでくる。

 一連の流れを見ていた杏華さんが大きなため息をつく。


「いい加減になさい、遙華。……申し訳ございません、久喜様。大変失礼致しました」


「いえ、私も仕事に関係ないことを話してしまいましたし……あはは」


 アイスブレイクにしてはやりすぎたかもしれない。遙華さんも杏華さんに怒られてしょげている。

 逆に、橙華さんはにこにこと笑っているのみで会話に口出しはしない。こういう人って、怒らせたら怖そうだなあ、などと考えながら、俺は本題に話を戻し始める。


「それでは早速、どの様なことが起きるのか、改めてお聞かせ願えますか」


 今回の怪異についての説明をしてきたのは今回の依頼主である杏華さんだった。

 概要は弥亜さんから見せてもらったファイルと大きな相違は無い。亡くなってしまった浩次さんにしか出来ないはずのことが行われている。そういった内容だった。


「ありがとうございます。大体把握出来ました」


 お礼を伝えてから、俺はふと思ったことを口に出す。


「失礼ですが、お伝えいただきました怪異は、皆様に悪影響を与えるものではないように見受けられます。確認になりますが、……それでも解決を望まれますか?」


 杏華さんはしずしずと首肯した。


「お願いします。気味が悪いのもそうですが、父がもしまだ成仏できておらず、此岸で漂っているであれば……。もう、安らかに眠ってほしいのです」


 やはり、仲の良い家族だったのだろう。こう言われてしまうと、俺も今回の依頼から引き上げるわけにもいくまい。

 今の所なんの手がかりも無いわけではあるが、手元にある情報以上のことは聞けそうにない。一度出直して作戦を練ろう。


「かしこまりました。……それでは、具体的な解決策を検討してまいります。改めてご連絡させていただきますので、お待ちいただければと思います」


「宜しくお願い致します」


 座したまま、頭を下げる杏華さん。その隣で遙華さんも渋々といった雰囲気で母に倣う。俺もお辞儀をしようとして、ちらりと橙華さんの方を見たら、彼女は頭を下げずに笑みを浮かべて俺の方を見ていた。


「……何だろ……?」


 疑問を覚えるも、その時何かを言い出すのも憚られ、俺は身支度をして玄関から出ていった。

 杏華さんに見送られて、日本庭園を歩きながら俺はため息をつく。

 こういった依頼は初めてだ。

 怪異に際して、俺は嫌な予感や空気を感じることが多い。しかし、それもない。それに依頼主も困っているわけではない。もっと言えば、因果というものを感じなかった。だからこそ情報収集も早々に切り上げてきてしまったのである。


「どうしたものかな……」


 大仰な門から敷地の外へ出ていき、その場で少し考えをまとめようと立ち止まって佇む。すると、そこで「すみません」と呼び止められた。

 振り返ったところにいたのは、依頼人の母である老婆……橙華さんがいた。



 その日の深夜、俺は伊吹邸の前にいた。東京都心はまだまだ明かりの眩しい時間帯ではあるのに、この一角はしっかりと暗くて静かだ。周辺に住んでいる人間もそういった礼儀やマナーの行き届いた上流の人間なのだろうか。

 俺は伊吹邸の門についている監視カメラに目配せをし、それからその両脇に続く塀に視線を移す。一定間隔ごとにカメラやセンサーのような機材がついているのは見えるが、一箇所、塀の中から立派な木が枝を伸ばしている。


「ちゃんとやるのは久しぶりだから、ちょっと不安だな」


 目を閉じて、胸元に触れる。そして、全身の筋力が上がるようなイメージをした。胸元が徐々に熱くなっていって、代わりに体中が軽くなる。


「じゃあ、行くか」


 上空へ跳ぶ。空を覆うように生えている木の枝に捕まって、登っていく。

 セキュリティに引っかからないように日本庭園を忍び込んでいく。目的地は裏庭の盆栽だ。時間は聞いていたのとドンピシャだ。もし『あの人』の証言に間違いがなければ、このまま行くと……。


「……あ、いた……」


 真っ暗な裏庭の中、一人分の人影が盆栽の周りをうろついている。足音を殺してそっとその人影の後ろに立って、俺は後ろから口を塞いだ。


「むぐっ」


「落ち着いてください。危害は加えません。だから声を出さないで」


 俺の腕の中で動きを止めて、しばらくしてから細い肩を揺らして頷いた。


「落ち着きましたか? それでは手を離しますので、音を立てないように振り向いてください」


「もう、びっくりしましたよ……。探偵さん」


 ふくれっ面で、それでも小声で話してくれた彼女、遙華さんは、剪定バサミを手に盛大に溜息をついた。


「盆栽の手入れ、あなたがやっていたんですね」


「……どこでバレたのか、納得いかないけど……。バレちゃあ、しょうがないよね。……お茶も私だし、他のもそう。全部ぜんぶ、私が犯人だよ」


 俺が彼女の犯行――と呼ぶにはいささか優しすぎるが――を知った理由は後で話すとして、それよりも俺は彼女の動機の方が気になっていた。


「どうして、こんなことを」


 そう。どうして、死者が蘇ったかのように見せかけたのか。……死者の死を否定するようなことをしたのか。

 きっと俺は彼女と『別の人物』を重ねている。そんなことは分かっている。分かった上で聞きたかったのだ。

 俺の問いに対して彼女は切なそうな笑みを浮かべた。


「だって、おばあちゃん、悲しそうだったから」


 彼女は言う。


「だから私がやろうって思って、色々勉強して覚えたんだよ。やっぱり腐っても山吹家の親戚だから、このくらいできちゃうんだよね」


 山吹さんも完璧超人だった。これもまた、血筋というものなのだろう。


「で、相談なんだけどさ、探偵さん。このこと、秘密にしてくれないかな」


「そう言われると思いました。……いや、違うか。そう言ってくるはずだって聞きました。この言い方のほうが正しいですね」


「……どういうこと」


 遙華さんの目が見開かれ、鋭く俺を視線で刺す。……この強い目も、山吹さんと同じだ。居心地の悪い、断罪する視線。おそらくすでに俺の言葉から、察しているのだろう。


「昼、お話を伺って帰る前に、あなたのお母様……杏華さんのものとは別の依頼を受けたんです。あなたのお祖母様である、橙華さんから」


 俺は彼女の視線に耐えながら説明していく。胃腸に悪いプレッシャーだ。


「孫娘が無理をしている。止めてほしい、と」


「……いつから」


「最初はわからなかったんだと聞いています。本当に救われたとも。……でも、あなたが入れたお茶で分かったとのことです。あのお茶は、本当は橙華さんの好物じゃないんです。橙華さんはあなたにだけ伝わるように、あえて嘘をついてたんです」


 依頼の情報の中に入っていた『橙華さんの好きな銘柄の茶葉でお茶まで淹れられている』という話。あれは橙華さんが遙華さんにカマをかけるために嘘の情報を遙華さんに渡して試していたのだ。

 遙華さんも山吹さんと同じ才媛なのかも知れないが、橙華さんもその上をいく人間なのかも知れない。……つくづく敵に回したくない一族だ。

 遙華さんは鋭かった目を閉じ、それから「そっか……あの時から」とつぶやく。そして、目を開くと優しい視線を俺に……いや、俺の背後に向けていた。


「いるんでしょ。おばあちゃん」


 俺は振り返る。一人の老婆がにこやかな表情で裏庭に面した縁側に立っている。いつの間にいたのか。橙華さんだ。

 彼女は柔らかく笑った。


「遙華。本当にありがとう。あなたは色々と聡いから、全然証拠が掴めなくてねえ」


「おばあちゃん……」


「今までお疲れ様。暖かいミルクでも飲んで、もう寝ましょう」



 後日、弥亜さんから電話があった。無事に伊吹家から謝礼が入ったそうだ。事件の顛末を報告したときにもお礼はされていたが、改めてお礼がしたいという話を持ちかけられた俺は、ある日の土曜日の夜に弥亜さんとパーチで合流して、夕食をご馳走になった。


「大切な人を失う喪失感の大きさが分かるから、遙華さんはあんなことをしたんだと思う」


 夕食を食べながら弥亜さんはそう言っていた。

 その考えに対して俺も異論はない。大切な人を失ったときに感じる痛みは、胸に空いた穴の虚無は、耐え難いものだ。……弥亜さんも、そういった感情を覚えたことがあるのだろうか。

 少なくとも彼女の表情は、自然とそう思ってしまうようなものだった。


「あの家族は大丈夫だと思うよ。空いた穴も、ちゃんと埋めていける人たちだ」


 俺は彼女たちを思い出しながら弥亜さんへ返した。

 遙華さんも、祖父を失った喪失感を感じているに違いないだろうに。それでも彼女は祖母のために行動していた。誰かのために行動する人間は――俺はあまり真似しようとは思わないが、それでも――独特の強さを持っているということを俺は知っている。きっと、自らの胸に空いた穴に飲み込まれることはないだろう。


「……あの人たちは埋められて、良かった」


 俺は大学時代のことを思い出しながら呟いた。

 喪失を埋められなかった人間がどうなってしまうのかを、一番如実に示していた事件に心当たりがあったからだ。

 大学一年生になったばかりの五月、ゴールデンウィーク。『死人を蘇らせる』。そのタブーをおかした人間に心当たりがあった。

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