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間違い電話(2)

 昼休みも半ばになり、昼食の時間中ずっとクラスメイトに囲まれて質問責めにあっていた彼が何とか教室を抜け出す。他の友人とくっちゃべっていた俺は、廊下から合図を送ってくる一樹の存在に気が付いて、その話の輪から抜け出し廊下に出る。


「みんな、新しいもの好きだな」


 辟易したように一樹が言い捨てる。同年代の生徒たちの好奇心をそんなに俯瞰で見てとられると複雑な心境だ。俺もお前も、立場は同じなのだぞ、と言いたい気持ちになる。

 しかしとにかく、これでようやく一樹と落ち着いて話ができるようになった。俺と一樹はあてもなく廊下を歩き始める。

 クラスが変わったばかりの昼休みの廊下は、普段よりも少し人通りが少なかった。皆教室内にいて、しっかりとした自分の居場所を作るために奮闘しているのだろう。事実、俺もさっきまで同じ様なことをしていた。


 俺は廊下を並んで歩きながら、この二日で起こったことをつらつらと一樹に説明していく。

 間違い電話をかけてしまったこと。間違い電話の相手から、俺の側にいた一樹に電話がかかってきたこと。そして、そのいずれも、俺に対して『早く帰っていらっしゃい』というメッセージを伝えてきていること。果たして間違い電話の相手は、俺のことを『どこ』で待っているのだろうか。

 話が進む度に、彼は楽しそうな表情になる。


「……やっぱ、面白いな」


 一樹は明確に笑っていた。

 彼とは今日会ったばかりだけど、一応級友がビビっているのだからそんなに楽しそうにしないでほしい。

 そんな俺の気持ちも知らずに、一樹は笑みを崩さなかった。


「最近流行りの『都市伝説』だな、まさに」


 彼は言う。俺もテレビで耳にはする。紙幣に隠された陰謀論だったり、身近に潜む悪意だったり、……科学では説明のつかないような現象だったり。

 人間の薄暗い部分や、人間がまだ照らし出すことが出来ない部分。それをまことしやかに説明していく都市伝説や怪談。テレビ番組で有名になったこともあり、確かに俺のクラスでも流行していた。さっきだって教室の中で、都市伝説の話をしている人は何人もいた。


「都市伝説ね。……信じるか信じないかはあなた次第!」


 茶化そうとして微妙にテレビの芸能人のモノマネをしながらそう言ったのだが、一樹にはウケなかったようで、真顔に戻っていた。見事に滑ってしまった。

 一樹はため息をついて足を止め、廊下の窓に寄りかかる。ふと気がつくと周囲に人通りがない。渡り廊下まで来てしまったんだ。

 俺も足を止めると、一樹は話し始めた。


「輝の話……ざっくりというと『電話』にまつわる怪異だな。いくつかあるんだぜ。類例は」


「……どんな話なんだ?」


 聞かなければいいのに、気になってしまった俺は一樹の話を促してしまった。彼は怪しく笑って口を開く。


「例えば……そう。未来を教えてくれる電話の怪異」


 そう言って彼が切り出したのは、『さとるくん』という話だった。


 公衆電話に十円玉を入れて自分の携帯電話にかける。つながったら公衆電話の受話器から携帯電話に向けて「さとるくん、さとるくん、おいでください」と唱える。

 それから二十四時間以内にさとるくんから携帯電話に電話がかかってくる。電話に出るとさとるくんから今いる位置を知らせてくれる。そんな電話が何度か続き、さとるくんがだんだん自分に近づき最後には自分の後ろに来る。

 このときにさとるくんはどんな質問にも答えてくれる。ただし、後ろを振り返ったり、質問をさとるくんに出さなかったりするとさとるくんにどこかに連れ去られるという噂。

 他にも既に答えがわかっている質問をしてしまうと、さとるくんが怒ってしまうという。


 と、大体こんな話だ。

 どこかに連れ去られてしまうという話は誰から聞いたんだよ。連れ去られてるんならその話は出回らねえだろ、とか、さとるくんが怒ったらその後どうなるんだよ、とか、そんな突っ込みどころはあるのだけれど、妙な不気味さを持ち合わせている話ではあった。

 それに、公衆電話から自分の携帯電話にかける行為というのが、俺が今遭遇している怪異に近しいものを感じてしまう。


「一種の降霊術だな。コックリさんやエンゼルさんと同じく、自分が知りえないことを知るメリットと、霊障を負ってしまうリスクによるデメリットのバランスがとれている。そこに『メリーさん』の怪談のエッセンスも加わっているな」


 メリーさんというのは、『私、メリーさん。今あなたの後ろにいるの』のフレーズで有名な怪談だ。あれも『電話』というのが話の仕掛け部分になっているものだった。

 自分の置かれている状況に似通っている怪談を聞いて厭な気持ちになっている俺を他所に、一樹は解説まで入れてくる。随分と余裕なものだ。

 一樹は話を続けてきた。


「他にもあるぞ。通話すると呪われる電話番号、とか。……まあ、そっちは現在使われてないものとか、実際にはどっかの企業につながっちゃうものばっかりだけどな」


 そんなことを知っているってことは、こいつは実際に電話をかけたのか。

 俺はよくわからない度胸のある彼に感心しながらも苦笑してしまう。彼は自分から怪異に巻き込まれたがる人間なのだろう。奇特な人だ。


「一樹は、こういう話、好きなんだな」


「ああ。不謹慎かもしれないけど、スリルがある。好奇心もくすぐられる。……輝は苦手か?」


「聞いてる分には良いけど、いざ、自分事になると、駄目だ。やっぱり怖いよ」


「だとしたら、どうにかしないとな」


 一樹は腕を組んで考える素振りを見せる。

 彼の後ろ、窓の外では桜の花びらが舞っている。差し込む陽光が温かい。こんな穏やかな日なのに、俺の心中は不安でいっぱいになっていた。


「偶然、だったりしないのかな」


 現実逃避のために絞り出した俺の言葉。しかし一樹は首を振る。


「一度だけなら偶然だ。でも、二度あったら必然だ」


 彼は組んでいた腕を解いて顔をあげる。同時に昼休み終了のチャイムが鳴り始める。


「……『器』を壊す必要があるんだろうな」


 チャイムの音にかき消されそうな小さい声でつぶやくと一樹は、また怪しげに微笑んだ。



 俺は放課後、誰とも遊ぶ約束をせずに帰宅していた。

 昼休みが終わった後、結局具体的な解決案の出ないまま一樹と俺は教室に戻った。しかも一樹はそのまま家の用事があると言って早退してしまう始末。


「……ただいま」


 家の玄関を開いて呼びかけるが返事は無い。居間に入っていくと食卓の上にメモが置いてあった。チラシの裏を使ったメモに書いてある内容を読んでため息をつく。


「買い物か……」


 母さんは外出中のようだった。情けないが、一人でいるのが嫌だった俺は少し落胆する。

 荷物を置きに二階にある自室に戻ろうと思ったが、視界の端に固定電話の親機が入ってきて、立ち止まる。

 電話は、話している相手の顔が見えない。直接話をしているのとは違うのだ。確かなのは声だけだ。それは逆に言うと、声以外は、確かではないということ。

 受話器の向こうに、人の姿があるとは、限らないということ。


「変なことばっか、考えちゃうな……」


 頭をくしゃくしゃと掻いた俺は自室に戻らず、居間のソファに腰を下ろす。窓の外の明るさが徐々に強さを無くしていく昼下がり。夕暮れの前の気怠い時間帯。遠くから廃品回収のトラックの放送が聞こえてくる。

 小さい頃、誰かが言っていた。悪い子はあの廃品回収のトラックに乗せられて、連れて行かれてしまうのだと。

 流石にそれを信じるほど純粋な心は持っていないけれど、あれも一つの『都市伝説』だったのかなと思ってから、俺はテレビをつけた。

 画面にはサスペンスドラマの再放送が流れ始めた。観光地で起きた事件の現場検証を俳優たちが真剣な面持ちで行っている。


「つまんねー……」


 全く面白くはないけれど、何もないよりはマシだ。

 途中から観始めたせいというのもあるが、話の内容が頭に入ってこず、次第にうつらうつらとまぶたが落ちていく。このまま昼寝しようかななどとぼんやり考えていたその時、急にけたたましい音が響いた。

 音に反応し、目を覚ます。耳障りな甲高い電子音が断続的に続く。音の出元を探る必要もない。……電話のコール音だ。

 目の前では画面の中で刑事が犯人を崖に追い詰めている。クライマックスのシーンなのだろうが会話は入ってこない。それを全て塗りつぶすような着信音。


 ……出よう。買い物中の母さんかもしれないし、父さんからの『今日、急に飲み会が入りました』という連絡かもしれない。


 俺はソファからおずおずと立ち上がり、親機の前まで行く。そして、ディスプレイに表示されている電話番号を覗き込んだ。


「ひっ」


 表示されているのは、家の電話番号と、下一桁だけが違う、番号。今日の朝、一樹の携帯電話にかかってきたあの番号。

 親機を前にして俺は硬直した。


「なんなんだよ、一体……」


 俺が何をしたっていうんだ。ただ、間違い電話をかけてしまっただけだろ。こんなに脅かされるなんて、理不尽だ。

 固まっている俺の目の前で、コールが止み、留守番電話機能に切り替わる。相手は電話を切らない。ピーッという電子音が鳴り、相手の受話器につながる。親機のスピーカーから、衣擦れの様な雑音と、電話口に息が吹きかかる音が聞こえた。


「早く帰っていらっしゃい」


「この……!」


 俺は思わず受話器を取る。こんな思い、もう沢山だ!


「……なんなんだよ、あんた! こんな悪趣味な電話――」


「早く帰っていらっしゃい」


 遮るように、繰り返し聞こえてくる言葉。俺はもう、恐怖を越えて、怒りのほうが前に出てきていた。


「頭おかしいのか? 出るとこ出るぞ!」


 怒鳴りつける。すると、向こうの反応が無くなった。一秒、二秒、三秒……。切れたのか?

 受話器を耳から離そうとしたときだった。


「――そこにいるのね。それじゃ、こちらから行くわ」


 背筋が凍る。全身を鳥肌が覆う。『こちらから行くわ』というのはどういう意味か、考える。答えに辿り着く前に、背後から気配がした。


「はあ……はあ……」


 振り向けない。再び恐怖が上回ってくる。家鳴りがする。誰かが俺の背後から近づいてくる気がする。床がきしんでいる気がする。

 俺は受話器に向かって、話しかけた。


「はあ……? 『行く』って、どういうことだよ……?」


 耳元に生暖かい息がかかった。受話器を掲げている右耳とは逆の左耳に、声。


「向かえに、き――」


「――もしもし。久喜さんのお電話ですか?」


 唐突な一樹の声。先程までの『受話器の相手』の声に割り込むように。同時に今まで感じていた存在感が一気に霧散する。

 俺は放心して、口を半開きでほうけてしまった。


「あのー。クラスメイトの橋山です。……あれ、聞こえてます?」


 我に返り、俺は受話器に話しかける。


「い、一樹……?」


「お、輝か。ちゃんとつながったみたいだな」


 俺は親機のディスプレイを見る。先ほどと変わらず、俺の家の電話番号と下一桁だけ違う番号。でも、話しているのは、聞こえてくる声は、一樹だ。……どういうことだ?


「え、なんで、この番号……」


 訊くと、一樹は笑い混じりに飄々と答える。


「ああ、これ? 今日、今の瞬間から俺んちの電話番号だから」


「……は?」


 何を言っているのか上手く理解できない。戸惑っている俺のために、一樹が細かく説明をし始める。


「引っ越ししたから、電話番号の指定取得、したんだよ」


「指定、取得……」


「知らねえの? ホントなら時間かかるんだけど、俺の親父が電話会社のお偉方と知り合いでさ。超特急でとってもらったんだよ。この電話番号。誰も使ってなかったみたいだし」


 俺はヘナヘナと床にへたり込む。安心感で力が抜ける。


「た、助かった……んだよな……」


「……その反応、ギリギリセーフって感じだったみたいだな。まあ、これにて解決ってことで。また明日」


 それだけ言うと、一樹は一方的に電話を切ってきた。暗くなったディスプレイを眺めて、俺は受話器を置く。


「これ、解決なのか……?」


 でも確かに、もうあの厭な存在感は無くなっていた。後ろを振り向いても夕暮れ前の居間があるだけ。テレビはサスペンスドラマのスタッフロールを流していた。エンディングの女性ボーカル曲が呑気に流れている。

 いつもの自宅だ。何の変哲もない。

 まるであの怪異すら、元々存在などしていなかったかのように、普段と何も変わりなかった。



 翌日。登校すると、待ち構えていた一樹が色々と説明してくれた。

 あの怪異は電話番号という『器』を手にすることで姿を現した怪異なのではないかというのが一樹の仮説だった。

 彼は言う。


「水は器に注がれて、一つの水として存在できる」


 そして、こうも言った。


「じゃあ、器が無くなったら?」


 一樹の問い。

 朝の喧騒の中、教室の花瓶の水を入れ替えている日直の女子を見ながら俺は考える。

 花瓶に入っているからそこにあると、ちゃんと認識できる、水。それじゃあ、その花瓶が無くなったらどうだろうか。


「……形が、なくなる……?」


 俺は恐る恐る一樹に返す。彼は満足げに頷いた。


「正解。器の無くなってしまった水は散ってしまって、形として存在することは出来ない。覆水盆に返らずとはよく言ったものだよ」


「それ、そういう意味のことわざでは無いような……」


 指摘するが、彼は屈託なく笑った。


「まあ、細かいこと言うなよ。結果として、助かったんだからさ」


 ……これが、俺と橋山一樹という男との出会いの顛末だった。

 様々な『怪異』に遭遇した中学二年生の春と夏。全ての始まりは、この出会いだった。今はどこにいるのかもわからない、この、男との。

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