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人差し指(1)

 高校二年生の梅雨明け頃の話だ。


 弥亜さんという少女に出会い、春頃から俺の身体にあらわれていた『不思議な力』の使い方を教えてもらった俺は、同時に『怪異』にも遭遇した。

 その怪異というのは、黒い靄が意思を持ったように動き、羽の生えた人間の姿――まるで天使のような――を象って襲ってきたという内容である。その『黒い天使』とでも言うべき存在は俺のことを指さして消えてしまったのだけど。

 そして俺はその現象についてある人物に相談するために、夜更けに家を抜け出して近所の公園まで来ていた。


「一時半……。約束の時間だ」


 俺は手元で携帯を弄りながら深夜の公園のベンチに座り込む。街灯の白くて強い光が周囲を照らしている。光に照らされて、遊具の後ろには長く黒い影が暗く濃く伸びている。どこかから山鳩の鳴き声が聞こえて、静寂の輪郭を切り取っていた。

 目の端で捉えたブランコがひとりでに動き出すような気がして、ほのかな恐怖を覚えた俺は再び携帯に視線を落とす。

 怪異についての相談だというのに、よりによって深夜の公園を提案してくるというのは、彼らしい。……つきあわされるこちらは堪ったものでは無いのだけれど。


「はあ……」


 ため息をついてサイト閲覧に集中する。今俺が見ているのは『黒い天使』を検索エンジンでサーチした結果だ。

 一番上に出てきた百科事典サイトにアクセスする。そのページによると、黒い天使というのはダンテ・アリギエーリというイタリアの詩人が書き記した『神曲』という長編叙事詩に登場する、堕天した天使のことをいうのだと書いてあった。

 確かに、俺が遭遇した黒い天使も禍々しい存在だった。俺もオカルトに明るいわけではないが、あれをもってして堕天した存在だと言われても腑に落ちる。あれは、それほどに嫌な感じのするものだった。


「待たせたな」


「うわっ」


 背後からいきなり声をかけられて携帯を取り落としそうになる。心臓がうるさく騒ぐ中で振り向くと、待ち合わせをしていた相談相手である人物……橋山一樹がいた。

 彼は俺の驚いた様子が面白かったのかひとしきり笑った後で、ベンチの隣に腰掛けてくる。


「悪い。目覚ましの時間がずれてて、遅れた」


「遅れたのは良いけど、脅かすなよ……」


 俺は相変わらずの様子の一樹に安堵しながらも、胸の中では警戒心を張り巡らせる。

 橋山一樹は俺の中学時代の友人だ。中学生の頃は彼と、柏崎燕という女の子と一緒に様々な怪異と出会い、そして切り抜け、その度に何かを学んでいった。

 ……それは柏崎さんが亡くなってしまうまで続いたが、それ以降はぱったりとそういった活動はしなくなり、彼とは次第に疎遠になっていった。


「こうやってゆっくり話すのは久しぶりだな」


 俺は携帯を閉じてポケットにしまい込む。

 今回、黒い天使の怪異について一樹に相談を持ちかけようと思ったのは、彼のオカルトに関する知識を当てにしてのことではあるが、それだけではない。

 彼は、俺と同じ行方不明事件の被害者なのだ。しかも警察の田島さんに確認したところ、俺と一樹は行方不明になる当日まで一緒に行動していたらしい。俺にはその記憶はないのだけれど。

 ……そして行方不明となってから発見された場所も俺と同じで、川沿いの土手なのだとも聞いた。


「今日来てもらったのは、ちょっと相談があったからなんだ」


 言いながら、俺は一樹の表情に目を向ける。

 俺には行方不明になっていたときの記憶がない。一樹も同じだと言っていた。しかし発見されたばかりの一樹のお見舞いに俺が行った時、彼は記憶に関して何かを隠すような素振りを見せていた。


 ……知っているのだ、その何かを。もしかしたら、行方不明事件の犯人が一樹かもしれない。俺はそんな疑いをはっきりさせるためにも、今回の相談で一樹にカマをかけるつもりだった。


 俺がそう思っていることを知ってか知らずか、一樹は「黒い天使か?」と訊いてきた、俺がさっきまでいじっていた携帯を覗き込まれたのだろう。


「ああ、まあ、それもあるんだけど……。もっと凄いことだよ。今、見せる」


「凄いこと……か?」


「俺の手のひらを見ててくれ」


 俺は目を閉じて右の手のひらを上に向ける。そして、白銀の風の帯が手のひらの上を回転し、小さな小さな竜巻になっていくところを想像した。

 胸元に熱を感じ、目を開く。闇夜に淡く輝く白銀の竜巻が現れる。俺は再度、一樹の顔を盗み見た。

 ……この不思議な力は、俺が記憶を失った状態で発見されたときから現れたものだ。恐らく、俺の失った記憶にも……行方不明事件にも深い関わりのあるもので間違いはない。だとすればこの不思議な力を見せたときの一樹の反応で、彼が何かを知っているのかを伺い知れるはずだ。


「マジ、かよ……」


 盗み見た一樹の表情は、心底驚いているというものだった。この反応では、やはり一樹は何も知らなくて、一樹が何かを知っている風に見えたのは俺の勘違いだったのだろうか。

 一樹は白銀の光に照らされながら、あっけにとられて開いている口を動かし始めた。


「これ、俺以外の誰かに見せたりしたのか?」


「いや、してない……。変な騒ぎにしたくもないし、警察にも言っていない。一樹だけだ。……あ、でも」


「……でも?」


 俺は弥亜さんのことを思い出す。彼女には見せている。それもそうだ。半ば暴走していたこの不思議な力の制御の仕方を教えてくれたのはその人だからだ。

 言っても良いものなのか迷った挙げ句、俺は情報をぼかして話し始める。


「知り合いのひとりには見られてる」


「……何の知り合いだ?」


「え、ああ……。針谷弥亜っていう人なんだけど、ゲーセンで知り合った人で……」


 説明すると、一樹は「ゲーセンね……」とつぶやいてから、深く頷いた。


「成る程……そうか。わかった。……うむ」


 一樹は腕を組んで考えるポーズを取る。俺は竜巻を出し続けるのも微妙に疲れるし邪魔なので力を抜いた。銀色の竜巻が解けていき、それと同時に押さえつけられた空気が開放されるかのように風が吹いた。


「どう思う?」


「……信じられない。それが率直な感想だよ」


 一樹は夜空を仰ぎ見て、息を吐く。初夏の生ぬるい空気に彼の吐息が溶けていく。


「……いや、世界には超能力者というジャンルの存在もいるか。十九世紀のアメリカの新聞には、『息を吹きかけるだけで火を起こすことの出来る青年がミシガン州にいた』と記載されていたりもしたんだ」


「息で火を……? そんな人間が居たのか……?」


 新聞のようなある程度公的な機関がそんなことを報じているというところに真実味を感じてしまい、思わず驚いてしまった。そんな人間が居たら不便で仕方ないだろう。ため息の度に小火ぼや騒ぎになってしまう。

 すると一樹は「お前が驚くのはおかしいだろ」と言ってから続けた。


「発火能力は類例も多くて、名前もついているんだ。一度は耳にしたことがあるかもしれない。パイロキネシスというのがそれだ。……だけど、どの例をとってもしっかりとした科学的な実験がなされたという話を聞いたことはないし、トリック説が濃厚だよ」


「……そっか。そりゃ、そうだよな」


 発火能力に関しては科学的な仮説を立てて反論することが出来そうな気がする。現代では高出力で不可視のレーザーによって着火する兵器があるとも聞いたことがあるし、もっと単純に気化したガソリンの近くで静電気が発生してしまった挙げ句の発火など、トリックや要因は探せば見つかりそうである。

 勿論、この俺の不思議な力はトリックではない。結果だけしか認識できず、その過程がよくわからないものだ。

 超能力が存在する証拠にはなりそうだが、もしかしたら俺の知らない科学的な方法で再現できてしまうのかもしれないな……。

 考え込んでいると、一樹がベンチから立ち上がり、振り返って俺を見下ろしてくる。


「輝は……どうしたいんだ。その能力を。もしかしたら、そっちのほうが重要かもな」


「俺は、そうだな……」


 言われて考える。風を起こせたって、スカートめくるくらいしかパッと使い方が思いつかない。そんな能力だったら、無いのと同じだ。


「特にこれを使ってどうこうするつもりはないよ。別に、こんな事ができたって、大学に入れるわけでもないし、いい会社に入れるわけでもないし……」


 率直な気持ちを言ったつもりだった。


「……ぷっ」


 だから、一樹が吹き出したのは予想外だった。


「あはは! そりゃそうだな! さすが輝、傑作だ!」


「わ、笑うなよ……」


 俺の考えが子供じみていたのかな……。でも、実際この現代社会で風を起こせることがそんなに役立つとは思えない。何か有効的な使い方があるなら逆に教えてほしいものだ。

 それに、あんまり見せびらかしたら研究機関にでも連れ去られて、実験動物モルモットにさせられそうだし。

 一樹はひとしきり笑った後で笑顔を見せた。


「いや、らしくって良いなって思って。そのつもりだったら、その能力は使わないほうが良いのかもしれないな」


「そうだね……。変に目立ってしまうのも嫌だし」


「そうと決まれば今回も解決かな。……久しぶりにこういう話が出来て楽しかったぜ、輝」


「……うん、そうだな」


 こんな話をするのは実に二年ぶりだろうか。いや、もっと長いかな。あの葬式から三年近く経っている。

 あの頃は、目の前に迫っていた怪異たちに対する恐怖が強かったけど、今は懐かしい気持ちのほうが大きい。一樹の笑顔を見ていたらそう思った。

 ……うん。一樹が行方不明事件の犯人なんて、あるはずない。今ここに無防備な俺が一人で、それも深夜の公園という人通りも何もない場所で何の危害も加えられていないのがその証拠だ。

 俺も帰ろう。ベンチから立ち上がって、それから今の時刻を確認しようと携帯を取り出して開く。その画面を見て思い出した。


「あ」


「どうした?」


「もう一個あるんだ、話」


 画面には『黒い天使』の検索結果が出ている。

 不思議な力を使うとそれに呼応して現れる黒い靄。そいつが天使の形を持って、俺に指差しをして消えていく。

 俺が体験談を掻い摘んで説明していくと、一樹は再び腕を組んだ。


「黒い天使、ね……」


「一樹はどう思う?」


 唸った後で一樹は両手を上げ、降参のジェスチャーを取る。


「詳しい状況は、居合わせたわけじゃないからわからない。でも、その黒い天使が最後にやったっていう、『指差し』は、気になるな……」


 俺の脳裏にあの黒い天使の見えない顔が浮かんでくる。何故あの黒い天使は、指差しで満足して消えてしまったのだろう。


「まあ、不気味ではあったけど……」


 しかし、一樹は「そうじゃない」と言って首を横にふる。


「違うんだ。人差し指での指差しっていうのは、不気味以上の、明確な意図があるんだ」


「意図……?」


 一樹は「呪いだよ」と言い切った。


「ヨーロッパに広く分布していた話なんだが……。高位の魔術師はその人差し指で呪いの対象を定める。んで、そこに向かって魔力や精霊、悪霊などを飛ばすことが出来るらしい」


 彼はそう言うと「黒い靄は、お前のその不思議な力を使うと現れるんだよな……」と続ける。


「つまり、その力に反応して出てくるんだろう? やっぱり、その力は使わないほうが良いかもな」


 異論は無い。元々弥亜さんにもそう言われていたのだ。その約束を破る気はない。


「うん……。そうする」


 それから俺は、一樹に確認を求めるように問いかける。


「この問題も解決、ってことだよね」


「ん……。そうだと思うけど」


 一樹は何ともいえない表情で考え込んでしまう。俺は不安に思いつつも、茶化すように笑った。


「何だよ。歯切れ悪いな」


 すると、彼は真剣な表情で俺を見据えた。


「一応、気をつけとけよ。本当にその黒い天使の指差しが呪いの類だとしたら、まだ輝のもとにその影響が現れていない」


 不気味なことを言う。

 でもその通りだとも思った。あの黒い天使は俺に指差しして満足して消えたんだ。それはつまり、あの存在は何らかの目的を果たして消えたということになる。

 その目的が何なのか。俺には、俺たちにはわからない。


「俺も少し調べてみるよ。また連絡する。じゃあ」


「わかった。気をつける。……またな、一樹」


 すっきりとはしない。それでも俺は『不思議な力』を使わないようにするという答えを得ることが出来た。それを良しとして、その場は解散となったのだった。

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