初夏の街頭占い
社会人になって二年目の初夏のことだ。
その日は会社の飲み会があった。
今自分が属しているチームの親睦会に近いようなもので、若手である俺はそれなりに気を使った飲み会であったのであまり飲まないようにしていたものの、途中からは『無礼講』であるという理由で浴びせられるようにアルコールを摂取させられた。
社会人の若手なんてそんなものであるという話は聞いていたので、そのアルコールを甘んじて受け入れた俺は自宅の最寄駅になんとかたどり着いたものの、意識は朦朧としていた。終電で帰ることが出来ただけマシというものではあるが、強かに酩酊していた。
「頭いてえ……」
それなりに酒に強いはずではあったが、金曜日の夜ということもあって上司や先輩に飲まされすぎた。
駅近くのコンビニで買ったペットボトルの水を時折飲みながら自宅に向かって歩いていると、人気の少ない道に街頭占いが出店していた。
「懐かしいな……」
街頭占いは大学生の頃、大学の先輩と一緒に働いていたアルバイトの仕事で関わったことがある。
とはいってもあの占い師は素人だった。長い間路上に出ていたような経験を積んだ熟練ではない。一度占ってもらったものの、あまりいい結果ではなくて心の中で苦い思いをしたことを覚えている。
占いなんて、そんなもんだ。
そんなことを思いながら街頭占いの側を歩いて通り過ぎようとすると、声をかけられた。
「そこのお兄さん、占いはどう?」
声は若い女のそれだった。何となく昔を思い出しながらその街頭占いの方へ視線をやると、黒いフードマントをすっぽりと被った占い師。
普段なら無視して通り過ぎていたのだが、酒を飲んで気が大きくなっていたのか、人肌恋しかったのか、俺は気づけばその街頭占いの席に座っていた。
「占ってもらおうかな。いくらですか」
「お金は要りません。少し、話したかったもので」
占い師の女性はそう言うと、フードを取る。
目が隠れるほどの長い前髪。その下にある口元がにやりと開き、八重歯が覗く。
「あなたも話したかったでしょ? 久喜、輝」
南国の果実よりも甘い、怪しい声色。その声に聞き覚えがあった。
ハッとして酔いが覚める。思わず眼の前にいる女性の顔を覗き込んだ。
「……お前……! もしかして……人見か?」
「覚えててくれたなんて嬉しいわ」
その占い師の女――人見つかさは、目だけ笑わない特徴的な笑顔で微笑んでいた。
「なん……で、ここに……!」
体中からアルコールの火照りが消えていき、どんどんと冷静になっていく。高校を卒業してからは、もう二度と会わないと思っていた。
人見はその冷たい微笑みを崩さない。
「そんな事、言う必要無いわ」
俺は席を立つ。こんなところ、一秒でも居たくないと思ったからだ。
「帰る」
「あら、そんなこと言わないで。私達には色々と積もる話があるじゃない。……例えば、あなたの周りに『銀色の落とし物』が落ちてきたことについてとか」
今、こいつは何と言った? 俺が酔っているわけではない。はっきりと『銀色の落とし物』と言った。
立ち上がっていた俺は人見を見下ろす。人見も、俺を見上げて変わらず邪悪に微笑む。
「なぜ、知ってる」
「気になる? なら、とりあえず座ったらどうかしら」
俺は小さく舌打ちをして再び人見の前に座る。
人見は満足げにうなずくとそのマントをまくり、左腕をみせてきた。
「何を……」
「話の種を」
人見は言って、左腕の上腕部、腹側を見せてくる。生白い肌に一筋、痛々しい真っ赤な傷口がある。腕に沿うようにして縦に十五センチほどだろうか。まだ比較的新しい。
「『呪い返し』なんて、久しぶりに受けたわ」
彼女の言葉を聞いて、俺は思い出す。『銀色の落とし物』の事件があった時、俺は弥亜さんのアドバイスもあって、空から落ちてきたナタのようなものを、そのまま空に投げ返した。
呪い返しというからには……。
「……まさか、あれはお前がやったのか」
「そうね。戯れよ」
「ふざけるな! お前のせいで……!」
「そうね。身体に傷がついちゃったわ。遊びにしては大きすぎる代償よ」
人見はその微笑みを崩さない。俺は『銀色の落とし物』のせいで怪我をした弥亜さんのことを思い出し、語気を荒げた。
「遊びって……!」
しかし、遮るように人見の手のひらが俺の口元を抑える。
「慌てないで。お詫びはしてあげるから」
「お詫びだと……。……! ぐ、身体が……!」
無理矢理にでもその場を離れようとしたが、身体が思うように動かない。
「……そう、お詫び。あなたが私の復讐を待つことなく、死んじゃいそうな運命だったから」
「死んじゃいそうって……どういう事だよ!」
「私が言えるのはここまで……。具体的な助言は、私の運と魂を傷つけるから言わないわ。代わりに……占ってあげる」
そう言うと、人見はどこからかタロットカードのデックを取り出した。
「これが一番でしょう? 私達の間では」
そして、俺の眼の前でカードをシャッフルし、さばいていく。高校の頃よりも手慣れた手付き。
「ワンカードで充分ね。詳細な占いをするほど、代償はもらってないわ。あの娘の怪我も、あなたが治してしまったし」
「誰がお前に占われるかよ! どうせわざと『死神』のカードでも出すんだろう!」
「わざと? ……そんな事しないわ。さっきも言ったけど、運と魂に傷がつくもの」
人見は俺が動けないのを良いことにゆっくり丁寧にカードをシャッフルする。そして、薄ら笑いながらデックを纏め、俺の前に差し出してきた。
「さあ。あなたの運命よ。引きなさい」
身体が動かない。そのはずなのだが、デックに手を伸ばそうとするとゆっくりと俺の右腕が持ち上がった。
きっと、制限付きの身体拘束だ。カードを引くという動作以外を封じられているんだろう。
「……わかったよ。引く。引かせてもらう」
「最初からそのくらい素直だったら良かったのに」
「……うるせえ」
俺はカードを手に取る。そして、裏返した。
十三番。死神のカード。馬鹿にしてるのか。
文句を言おうとした瞬間、先に人見のほうが「あら、残念ねえ」と口走った。
「やっぱりわざと……!」
「そんなことはしないっていったでしょう。それに、私にとって残念なだけ。あなたにとっては逆」
逆と言われてハッとした俺は改めて死神のカードを見る。人見からすれば正位置だが、俺から見ればその逆だ。
「……逆位置ってことか」
「そう。受け取ったのはあなたよ。だから、天地はあなたに紐づくわ」
逆位置の死神。
意図するところは、『再始動』、『再出発』、『仕切り直し』。
「思った通りの結果だわ。あなた、これから動くわね」
「……何が」
「さあ。でも、大きなことかしら」
その言葉を聞いた瞬間、急に眠気が全身を襲ってきた。酒が入りすぎたのか? それとも別の要因が……。
「なん、だ、大きな事、って……」
意識が薄れ、口がおぼつかない。
「さあ。でも、今まで通りではなくなるのかもしれないわね」
「ぐ……!」
頭が鉛のように重い。まぶたも重い。徐々に視界も暗くなってくる。
「まあ、健闘を祈るわ。まだ復讐できていないんだもの」
そして、人見はその長い前髪から片目を覗かせて、細める。
「一つ助言をあげる。……あなたの作ってきた『縁』を信じることね」
「勝手な、ことを……」
そして、視界が真っ暗になった。
○
「んあ……」
気がつくと、俺は公園のベンチに座って寝ていた。
体中が怠い。いくら初夏で凍死する心配は無いとはいえ、自分自身にあきれてしまう。
「飲みすぎたかな……嫌な夢を見た」
よりによって人見の夢を見るなんて。これだったらまだジャングルの夢でも見ていたほうがマシだった。
「……帰ろう」
俺はうんざりした気持ちになりながらベンチから立ち上がる。すると、何かが足元の地面に落ちた。
「何だ……?」
暗いので携帯のライトをつけて足元を照らす。すると、一枚のタロットカードが地面に刺さっていた。
「これは……」
夢じゃなかったってことか……。
「……くそ」
俺は思い切りそのカードを足で踏みつける。くしゃくしゃになった死神が、逆位置から俺を嘲笑っていた。
だが、俺も何となく察するものがあった。
このタイミングで人見が現れたということは、つまり、再出発も再始動も嘘ではないということだと思う。
ふと、暖かい夜風が吹いてくる。もう、春の夜の寒さはどこかへ行ってしまった。
「もう少しで……夏だな」
あの時、中学生の時に一樹と出会ってから、柏崎さんと出会ってから。そして、柏崎さんが死んでしまってから。
……あの時からずっと終わっていなかった夏が、また今年も始まろうとしていた。




