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拉致(2)

 千島さんは書きかけの履歴書を前にして、話し始めた。


「当時、俺は川島調査のバイトに毎日通っていた。ちょうど、今の久喜と同じような状態だ。川島調査は大きい探偵事務所で、広いオフィスもあって、抱えている案件もチームも無数にあった。その中でも目立った存在だったのが『カントーチーム』。菅藤さんを中心としたチームだった」


「へえ、優秀だったんですか」


「まあ。でも目立っていたのはチームが抱えていた案件の特殊さによるものが大きかったな。カントーチームの案件は他のチームが依頼の遂行を諦めた案件だったんだ。

 関係者の人間関係が複雑にこじれすぎていてどうにもならなくなってしまったもの。表の世界だけでは解決が難しくなってしまったもの。やんごとなき理由で警察には明るみに出せない事件の調査。そして……所謂、オカルトにまつわるもの」


 オカルトという言葉にピクリと反応してしまう。俺は無言で頷いた。


「菅藤さんも明田さんも、オカルトには疎いらしく、そういった案件は俺の先生である香夜さんが主に引き受けていた。

 先生はフリーターだった。

 あまり詳しい話を聞いたことは無いんだけど、彼女は高校を出てフラフラしていたところを菅藤さんに拾われてアルバイトとして働いているらしかった」


「へえ。香夜さんという方は『そっち』に造詣が深いんですか?」


「みたいだった。で、ここからが本題なんだけど」


「拉致未遂事件、ですよね」


「そう。オフィスの休憩室で先生とテレビを見てた時、ニュースで一瞬取り上げられてたんだ。オフィスからえらく近い場所で事件が起きててな。そしたら、先生の勘が働いたのか急に『こいつを解決しよう』って言い始めたんだよ」


「なんだか、凄い人ですね」


 正確には、凄い『変な』人、だと思った。


「ああ。別に依頼が来ているわけでも無いし、警察の範疇だって俺も先生に言ったんだけどさ。無理やり手を引かれて外に出たんだ。不思議だった。先生が興味を持つようなオカルトめいた事件じゃなかったから」


 当時高校生であった千島さんの驚く顔を想像する。

 千島さんの先生である香夜さんという女性。オカルトへの興味や依頼もない事件への介入をしようとしたりという話を聞く限り、破天荒な人間であるのだろう。


「でも、いくら近所って言ったって、現場とかって普通封鎖されてたりしますよね」


「すでに事件が起こった後の現場はな。……先生に連れられて向かったのはそこじゃなかったんだよ」


「……どこへ行ったんですか?」


「信じられないと思うけど、張り込みだよ。何の手がかりもないのに、一目散にとある公園に向かっていって、そこで三時間くらい」


 話の様子がおかしくなってきた。まるで昔、一樹から聞いた怪談噺の様に、徐々に常識から外れていく。


「三時間待って、それで、どうしたんですか?」


「現れたんだよ。鮭にぎりマンの覆面被った男が」


 千島さんは呆れたように笑った。俺は鳥肌のようなものが僅かに背に現れる感覚を覚えた。

 彼女は次の事件が起こる場所を知っていたのか? しかし、千島さんの話からすると突発的で、情報を集めていたわけではなさそうだ。そもそも事件の解決に取り掛かるまでの流れからして衝動的なもののように思える。


「先生に言われて俺はその覆面の不審者に声をかけた。そうしたら、そいつ、走って逃げ始めてさ――」


 千島さんが顔をしかめる。


「――そのまま道路に飛び出して、車に跳ねられて死んじまった」


「え」


 知らなかった。あの事件の犯人は捕まったのではなく、事故死したのか。


「ニュースではやってなかったですけど」


「被害者もいない小さな事件だしな。それで、通報して、警察で事情聴取を受けた。一度目の拉致未遂のときに犯人が落とした髪の毛と、事故死した覆面の男のDNAが一致したのもあって、先生と俺は警察には何も言われなかったんだけどね」


「そんなことがあったんですね……」


 俺はコメントに困って曖昧な相づちを打った。まだ、この話の一番大きな謎が明らかになっていないからだ。それは……香夜さんがどうやって何の手がかりもなく犯人にたどり着くことが出来たのか、という謎。今の話からは全く想像がつかない。

 この際だ、聞いてしまおう。


「その……『先生』は、何で犯人の現れる場所がわかったのでしょうか?」


「そう思うよな? それで、当時の俺も同じ様に聞いたんだよ。そしたらなんて言ったと思う?」


 千島さんが大きなため息をついた。


「勘、だとさ」


「か、勘……?」


 俺は拍子抜けして口も半開きで呆れる。


「そんな無茶苦茶な話あります?」


「あったんだよ。……で、先生はそれだけじゃなくて、こうも言ったんだ。……まだ終わってないかもしれない、って」


 俺は混乱する。事件が起きて、犯人が特定された。その犯人も、死んでしまった。これで終わりではないというのはどういったことだろう。


「事情聴取のときに、犯人の遺品を見せてもらったんだ。血まみれの財布だった。で、そこに珍しい名字と名前が書かれててさ。一旦仮に『田中太郎』とするんだけど、他じゃ中々見たことない名字と名前の組み合わせだった」


 千島さんが履歴書の脇に置いていたメモ紙に簡単な財布の絵を描いて、そこに『田中太郎』と書く。


「そしたら先生、『見たことある名前だ』って言ったんだよ。警察から開放された後、どこで見たんですかって聞いたら、昔の新聞だと」


「昔の、新聞ですか?」


 千島さんがうなずく。


「それから、その足で先生の家に行った。先生の実家では蔵に過去の新聞を保存していてさ。二人で探したんだ、その名前を」


「……見つかったんですか」


「一ヶ月かけて十年分遡ったところで見つけたよ、名前。十年前のある事件の被害者として」


 千島さんが『田中太郎』の文字を丸で囲む。俺はつばを飲み込む。


「どんな事件の、被害者だったんですか」


「――誘拐事件。覆面を被った男にさらわれたという目撃証言があるが、未解決。俺の眼の前で車に跳ねられて死んじまった誘拐未遂事件の犯人は、同じく誘拐事件によって行方不明者になっていた人物だったんだ」


 どきり、と心臓が鐘を打つ。全身の皮膚が粟立つ。

 言葉をなくした俺を見ながら、千島さんが『田中太郎』の文字を横線二本で消す。


「行方不明者が新たな行方不明者を作ろうとして誘拐を繰り返す。……な、今の久喜にピッタリの事件だろ」


 二年前、急に姿を消した加茂山先生と、今日、俺を連れ去るつもりだった加茂山先生を名乗った不審者を思い出す。

 今しがた千島さんから聞いた事件との共通点――顔を隠した行方不明者が、他の誰かを拉致する――ばかりが頭をちらついてしまい、気味の悪い思いになる。


 千島さんが、鼻で笑った。


「『無くしたものは、消えるわけじゃない。世界の何処かに在るままだ』」


「……へ?」


「この事件のときに先生が言っていた言葉だ。俺も同感だと思う。……だからお前の記憶も、世界の何処かにはあるんだろうな」


「あ……」


 俺は千島さんから目を逸らして、メモ紙に書かれた『田中太郎』の文字を見る。丸で囲まれて、横線によって消されてはいるが、その文字の存在はまだ読み取れる。

 俺の失った記憶も同じかもしれない。今は横線二本で消されてしまった様に思い出すことは出来ないけれど、確かにこの世に存在している。


「……ありがとうございます」


「いや、気にするな。でも、不審者にはやっぱり気をつけとけよ。無くしたものは消えないかもしれないけど、壊れたものは戻らない」


 もっともだ。

 俺だって死ぬつもりもなければ、そう簡単に拉致されるつもりもない。


 しかし、千島さんの語った先生という女性は、特殊な勘の持ち主のようだ。

 俺や弥亜さん、加茂山先生の様な能力があるのかどうかはわからないけれど、特殊な勘というのは一種の魔法の様なものと言ってもいいだろう。

 ふと、会ってみたいと思った。勘が冴え渡るときというのは、どんな感覚なのだろうか。もしかしたら、俺が『不思議な力』を使うときのような感覚なのだろうか。


「ちなみに、その先生は今、どうされてるんですか?」


 問うと、千島さんは「ああ」と相づちを打ってから答えた。


「死んだよ」


 彼はそう言うと、隠すこともなく悲しげな表情を見せた。『無くしたものは消えないかもしれないけど、壊れたものは戻らない』。先程言っていたその言葉の重みが増した気がした。


「先生は、変な事件ばっかり追ってたから、俺の知らないところで何かに巻き込まれちゃったのかもな。……この通り、もう先生より俺のほうが年上だ」


「そう、ですか……」


 沈黙。それから千島さんは再びペンを手に取り履歴書を埋める。すべて埋まりきったところで、俺はまた口を開いた。


「……そう言えば、就職活動、始めるんですね。いつだかのように、いつまでたっても真っ白の履歴書じゃないですし」


「いや、始めるってか、もう決まったよ。これは形式上出さなきゃいけないから書いているだけ」


「え、どこで働くんですか」


 千島さんは天井を指差した。


「上」


 つまり、『パーチ』の二階にある『カントー総合情報事務所』だろう。

 少し驚きはしたが、千島さんらしいといえばらしい。彼は目の前でタバコを一本取り出すと、手慣れない様子でジッポを使って火をつける。

 ライターオイルの匂いがふわりと漂って、それから遅れてタバコの煙が浮かび始める。


「あれ、吸ってましたっけ」


 千島さんは一つ煙を吐いてから「最近」と返してきた。


「先生が吸ってたんだ」


 そして、履歴書に目を落とす。


「少し、あの人の見ていた世界が気になってさ」


 それから千島さんは一服すると、履歴書を出してくると言い、代金を置いてパーチを去った。

 後に残ったタバコのニオイを感じながら、俺は加茂山先生の言葉を思い出していた。


 銀のペンダントはどこにやった。


 あの加茂山先生らしき不審者の言うことには、それはどうやら俺が持っていたものらしい。千島さんと、千島さんの先生の言葉を借りるのであれば、壊れてしまったのならその限りではないけれど、なくしたのであれば、いつか手元に戻ってくる時が来るかもしれない。

 消えていく煙草の残り香をすって、俺はココアを啜った。

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