拉致(1)
大学一年生の冬の話だ。
そろそろ十一月も半ばに差し掛かり、気の早い商業施設なんかはクリスマス商戦を始め、各所イベントスペースにもクリスマスツリーの飾り付けが行われている。日が落ちるのも早くなってきたので近所のアーケード街はいそいそと夜に映えるイルミネーションまで準備し、少しでも客を呼んだり、街をゆく人々に否応なく年末の雰囲気をぶつけてくる。
やっとの思いでたどり着いた大学でも有志によるイルミネーションの飾り付けが行われており、めぼしい友人も恋人もいない俺としては虚しい気分でいっぱいであった。
「寒っ」
十七時までで予定されている五限の講義を終えた俺は大学の講堂を出て、一人学内の自販機コーナーへと足を急がせる。時刻としては夕方のはずだが、もうすでに日は落ち辺りは暗く、イルミネーションが光っている。
電飾が有志の手によって準備されるようになったのは最近のことだと聞いた。それまでは大学の計らいで用意されていた。だが、いつだったか、ネット上で『見てくれ、俺達の学費が光ってる』といった様な投稿があり、それが話題になってからというもの、炎上を恐れた大学側が取りやめたのだ。
それでもロマンチックな気持ちになりたい学生は一定数いるらしく、有志団体によってイルミネーションの飾り付けを執り行っているのだとか。
それに対して一昨日、千島さんがどこぞの企業のエントリーシート――勿論真っ白――をにらみながらぼやいていた。
「信じられねえよな。ああやって自分勝手、好き勝手に飾り付けた学校を自分の手柄として、就活のときに自分の企画力を売り込むエピソードとして企業に持っていくんだぜ」
別にそのくらい良いではないか、とも思ったが、俺も生まれてからずっと独り身を貫き、友人も少ないという『影』側の人間なので千島さんの主張には少し惹かれるものがあった。
俺はイルミネーションの綺麗な灯りとは違う、自動販売機の無骨な灯りに近寄っていって、缶のホットココアを購入すると、そのまま近くにあったベンチに座ってプルタブを引いた。
カコン、という乾いた気持ちのいい音が響き、甘い匂いが白い湯気とともに漂ってくる。猫舌の俺は細心の注意を払いつつそれを少しずつ飲んでいく。
「ふう……」
寒い中で温かいものを飲むとホッとする。冬の醍醐味だ。
しかし、信じられないといえば、千島さんの方も信じられない。俺は背負っているリュックの中身を意識しながら思う。このリュックの中には今日の二限にあった心理学の講義のノートが入っている。
「あ、そういやさ。明後日俺ちょっと授業いけないから、悪いんだけど代わりにノート取ってきてくれない? 飯奢るからさ」
千島さんの悪びれない表情を思い出しながらうつむいてため息をついた。ため息とともに白い靄が吐き出されて空中に消えていく。
もしかしたら一般的なのかもしれないが、後輩にノートを取らせて取得した単位で企業に自分を売り込みに行くのも、充分に信じられない行動だと思う。……まあ、いいか。これから『パーチ』に行って千島さんにノートを渡すついでに、晩御飯を奢ってもらおう。今日は少し高めのパーチ特製ステーキを頼んでやる。
「ん?」
俺は自分の近くに誰かが来た気配で顔をあげる。するとそこには、深くニット帽を被った眼鏡の男性が立っていた。
ベージュ色のコートを着込んでおり、手にはビジネスバッグを持ち、白いマスクで顔を覆っている。
「ようやく、見つけたよ」
しゃがれた声で俺の名を呼んだ。何か、平穏ではない声色をほとばしらせている。
「……どちら様ですか?」
俺はその声にも男にも心当たりが無く、ココアを持つ手に力が入る。不審者の類だろうか。相手を刺激しないように、ゆっくりと、しかししっかりとベンチから立ち上がった。
周囲に人はいない。何かあったら助けは呼べなさそうだが、それは同時に『不思議な力』を使いやすい状況ということでもある。
まずは、様子を伺おう。
「私か? 私の名前は、加茂山だ。覚えがあるだろう!」
「加茂山……もしかして、加茂山先生ですか?」
「ご明答!」
加茂山先生であると名乗った男は、ココアを持っていた俺の手を掴む。取り落としたココアの缶が音を立てて落ちて、まだ入っていた中身を撒き散らす。
「急に、どうしたんですか! というか、行方不明になってるんじゃ……!」
「黙れ! 時間がない! 私の質問にだけ答えてもらう!」
目の前の男が吠える。俺の知っている加茂山先生とは似ても似つかない暴力性にひるんだ俺は、『不思議な力』で腕力を強化して腕を振り払う。
「ちぃ! もうここまで『使える』のか!」
加茂山先生を自称するその男は俺に思い切り振りほどかれた腕をもう片方の手で擦る。おそらく痛かっただろう。痛くしたつもりだ。
「ホントに加茂山先生か? 顔を見せろよ!」
「そんな確認は無駄だ! いいから答えろ! 『銀のペンダント』はどこにやった!」
「『銀のペンダント』……?」
聞いたことも無い単語だった。もしかして人違いではないのか?
「そんなもの知らない! さあ、答えたろ! あんたも顔を出せよ! 加茂山先生だったら話くらい聞くから!」
「知らないはずが無いだろう! それだけ『使える』んだ! 記憶も戻ったんだろう!」
記憶の話を指摘してくる。それを知っているということは人違いではない。おそらく目の前にいるのは加茂山先生だ。だが、残念なことに記憶は戻っていない。何より俺の記憶を取り戻すことを諦めたのは加茂山先生のほうだろう。
「戻ってないですって! いいから落ち着いてください!」
「く……! 外れか……!」
男は悔しそうな顔をしてから足で地面に円を描く。するとその箇所がオレンジ色に光った。
見覚えのある光。加茂山先生が最後に俺のカウンセリングを行ったときに見せてくれた、『コーヒーを温める魔法』の時と同じものだ。
「まあいい。記憶もペンダントも無いんじゃ片手落ちだが、『使える』人間だ。お前を連れて――」
「――そこのひと、離れなさい!」
遮るように聞こえてきたのは女性の声。声の方を向くと、天見さんが携帯を耳元に当てて立っていた。
「人を、呼びますよ!」
「ち……面倒な……」
男は吐き捨てると、オレンジに光る円を思い切り踏みつける。すると踏みつけた彼の右足が光った。そして、しゃがむように地面に沈み込み……跳んだ。
俺は視線で動きを追う。彼は数メートルの高さを舞い、跳ねるような動きで素早く駆けていったと思ったら、そのまま建物の影に入っていき見えなくなってしまった。
「久喜くん! 平気?」
天見さんが駆け寄ってくる。俺は先程の光景に動揺したまま頷いて「それより今の」と口を開こうとしたら、遮られた。
「変なことされてない? 何か聞かれた? 変なこと言われたりしなかった?」
「い、いや。大丈夫」
普段の天見さんからは想像もできないような剣幕に、俺はたじろぎながら答える。すると天見さんは大きなため息をついた。
「良かった……。でも一応、こっちで通報はしておくね」
「え、いや。今の人、通報しても意味がないかと……」
魔法を使っていたんだ。普通の不審者じゃない。警察のほうが手に余るだろう。
しかしそんな俺の言葉を無視するかのように彼女は持っていた携帯を耳に近づけた。そして、俺から離れるように歩いていく。
「え、ええー」
何が何やらと混乱していると、天見さんは一度だけ俺を振り返った。
「最近、変な人多いんだから、気をつけてね!」
「あ、うん。ありがと……」
俺のお礼は聞こえているのか否か、彼女は携帯電話を手に去っていってしまった。
○
「――っていうことがありまして……」
「あっはっは。お前不審者に狙われてたのか。傑作だな」
十九時頃、『パーチ』で晩飯を奢ってもらいながら大学で起こった出来事について、魔法と思しきところを除いた顛末を千島さんに話してみると、笑われてしまった。
「笑わないでくださいよ……。意味不明だし、怖かったんですから」
「男がそんな風に怖がっててもかわいくねーって。それにほら、お前『火事場の馬鹿力』があるじゃんか」
俺が高校時代に身に着けた『不思議な力』の内の『怪力』のことを、千島さんは『火事場の馬鹿力』と呼んでいる。彼には、俺が竜巻を起こしたり、傷を癒やしたりすることまで出来るということは伝えていない。
ただ、『怪力』についてだけは以前見られてしまってから、たまに事件解決の為に使っている。そこで命名されたのが『火事場の馬鹿力』。昔俺が自分の『怪力』が暴走することを『馬鹿力』と呼んでいたので、似たような名前のセンスを持っているのかと思うと悲しくなってくる。
「それで、その天見さんって子には、メールかなんかで詳しく聞いたのか?」
「詳しく……とは?」
質問を返すと、千島さんは白紙の履歴書に名前を記入しながら話し始める。
「その子、どう考えてもおかしいだろ。普通不審者に襲われたやつがいたら、久喜ならどうする?」
「え。まあ……。とりあえず、安全な場所までは連れていきますけど」
「だろ。よっぽど急いでいたのか、男だから大丈夫だと思われたのか知らないが、一応探っておいた方が良いと思うぞ、理由を」
「うーん……」
確かに言われてみればおかしな話だ。それに、冷静に考えてみると、天見さんは加茂山先生が常人離れした動きで逃げていったのを見ていたはずだ。それなのに、それにしては落ち着いていた。
……でも、助けてくれた人に対して疑いの目を向けるのも収まりが悪い。
「まあ、そのうち聞いてみます。機会があれば直接」
俺が煮え切らない言葉を返すと、急に千島さんの目つきが鋭くなった。
「……好きにすればいいとは思うが、笑えない話かもしれないぞ」
「さっき一番笑ってたの、千島さんじゃないですか」
言い返すと、千島さんは苦い顔で「かも、って言ったんだよ。笑える話で済むかもしれないし」と言い訳じみた言葉を述べた後で、こう聞いてきた。
「その加茂山ってのは、行方不明者で、お前を連れて行こうとしてたってのは、あってるんだよな」
「帽子と眼鏡とマスクで、顔わかんなかったですけどね」
事実だ。あそこまで顔を隠されてしまうと、他の人でも成り立ってしまう。俺があの不審者を加茂山先生だと認識したのも、俺が記憶を失っていることを知っていたから。それだけの情報であれば、知っている人は沢山いる。もしかしたら本人では無いかもしれない。
だが、千島さんは履歴書に文字を書き加える手を止めずに、険しい顔で続ける。
「じゃあ、余計に、かもしれないな。……この話は、久喜には、初めて話すが、ちょっと聞いて欲しい」
千島さんの雰囲気が変わる。先程まで後輩の恐怖体験に笑っていた人間と同一人物だとは思えないような、真剣な眼差し。
「この話は、『カントー総合情報事務所』が出来る前。……俺が『川島調査』という興信所の『カントーチーム』でバイトをやっていた頃の話だ」
「『カントーチーム』……『カントー』って、菅藤さんの昔のあだ名ですよね」
菅藤を音読みするとカントー。それだけの単純なもの。
「そうだ。当時の川島調査の中で、厄介な案件を任されていたチームなんだよ。メンツはたった四人。社員が菅藤さんと明田さん」
「明田さんって、あの、電気屋の?」
「ん、電気屋というか、ガジェットの扱いがべらぼうに上手いんだ。あの人。たまに自作してるし」
知らなかった。菅藤さんが明田さんに機材の修理などを色々依頼しているのは、昔からのつながりがあってのことだったんだ。
「四人ってことは、後二人は、千島さんと……宮間さんですか?」
「いや、明里はまだいなかった。俺と、俺が先生と呼んでいた女性がアルバイトで働いていた」
「先生、ですか」
千島さんは「そうだ」と呟いて頷いた。
「彼女の名前は音羽香夜。俺は先生と呼んでいたけど、皆には香夜ちゃんって呼ばれていたな」
千島さんは履歴書を書く手を一瞬止めてから、微笑む。まるで、少年の様な笑みだった。
「あれは、俺が高校生のときだった。児童向けアニメの覆面を被った不審者が拉致未遂を起こした事件は覚えているか? 当時、結構話題になっただろ」
「ああ……。何でしたっけ。確か『鮭にぎりマン拉致未遂事件』でしたっけ。懐かしい……」
鮭にぎりマンというのはおにぎりをモチーフにした児童向けの定番アニメのキャラクターだ。俺が生まれる前から長いことテレビでアニメが放映されており、主人公の鮭にぎりマンは今も昔も子どもたちの人気キャラクターである。
その鮭にぎりマンの覆面を被った不審者が拉致を働いたというのが当時のワイドショーで鮮烈に報道されていたことを覚えている。当時俺はまだ中学生だった。
「あれ、関わってたりするんですか?」
千島さんは遠い目をする。
「ああ。そうだ。顔の見えない不審者に拉致……そして、行方不明者。今のお前にぴったりな事件だった」




