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ゲームセンターの出会い(2)

 晴れの日にはあんなにも無味乾燥としたアスファルトも、雨で濡れるとつややかに色々な表情を見せる。黒く沈んだ色を見せたと思ったら、店先や車のヘッドライトの灯りを反射して白くきらめく。どこかから流れてきた油か洗剤かにコーティングされれば、虹色に照る。

 同じものでも、環境が変われば、状態が変われば、その見え方は変わる。そんなことを如実に表しているかのようだ。

 いつもの帰り道。下を向いて歩く俺はそんなくだらないことを思いながら傘をさして歩を進める。


「『いつか』か」


 新山さんが言っていた『いつか』。そんな日は来るのだろうか。来てほしいと願う。きっと新山さんに好ましく思われることはこの先もない。それだけのことをしてしまった。それでも、去年のように、俺が過ちを犯す前の頃のように。

 脳裏にフラッシュバックする光景。

 片手で新山さんを無理やり壁際に押さえつけ、そのブラウスのボタンに手を伸ばす。苦悶の表情を浮かべる彼女の必死の抵抗に対して、拳を握る――。


「――最低だ」


 あの時の俺の行いはどんな理由があったって、許されることではない。それでも、仮に口先だけだとしても『許す』と言った彼女の勇気。俺はそこに報いなければならない。

 ……実のところ、行方不明になる前までは、そんな風に思うことは無かった。

 俺には俺の正義があって、俺の理由があった。そこにこだわっていたから、謝ることすらしなかった。その考え方が変わった理由はわからない。行方不明となって、記憶のない二ヶ月を経た四月になってから考え方が変わったんだ。

 例え理由があれど――罪には、相応の責任を。報いを。

 その概念が、重く胸にのしかかる。こんな風に思うだなんて、記憶のない二ヶ月の間に何があったんだろう。


 雨に濡れたアスファルトが反射する光の色に猥雑さが混じってきた。いつの間にか高校の最寄りの駅前繁華街まで歩いてきていたようだ。

 顔と傘を少し上げて視界を広げると、古いゲームセンターが目に入った。『ハガネ』という名前が古臭いネオンによって痛々しく光る。去年の夏、戸上という上級生に弱みを握られて奴隷のようになっていた頃に一度訪れたことがある。あの時はいくらかお金を奪われたし、暴力も振るわれた。


「いってみようかな」


 戸上とその取り巻きはもういない。だけど、新山さんのことで沈んでいた俺は、もしかしたら自分を罰してくれる存在を求めていたのかもしれない。自傷癖のある人間のように、傘を閉じてその自動扉をくぐった。

 ハガネの中は雨雲が立ち込める店外と違って明るかった。様々な筐体が色とりどりの光と雑多な騒音を撒き散らしながら存在している。

 入内付近にあるクレーンゲーム筐体の固まったコーナーをプレイするでも無しに眺めながら歩き進んでいたら、見覚えのある懐かしい筐体にたどり着いた。


「これ……」


 ボウリングの様なレーンの向こう側にバスケットゴールがあり、バスケットボールがレーンの奥の方に溜まっている。バスケットボールゲームだ。俺は筐体に近づいていき、硬貨を入れる細い穴をなぞった。

 シュートして、入らなければ一球につき罰金百円。

 そういうルールで戸上たちに囲まれながらプレイしたことがある。シュートしようとすると後ろから殴られたり蹴られたりして妨害された。彼らは罰金が欲しいというよりは、ただおもちゃが欲しかったのだろう。

 今でもその時のことを思い出すと、自分自身の情けなさと恥ずかしさで顔が真っ赤になるような錯覚に陥る。


「いくら持ってたかな」


 俺は財布を取り出して小銭入れの中を確認した。数百円はある。戯れに、プレイしてみても良いかもしれない。

 百円玉を財布からつまんで筐体に入れた。ブザー音が鳴り、せき止められていたバスケットボールが一気に手元に流れてくる。俺はボールを一つ掴むと、狙いを定めてシュートした。


「あ、くそ」


 ゴールリングにあたって弾ける。何だよ、妨害されなくても入らないな。

 自嘲的な気持ちになりながらシュートを続けていく。段々入ってくるようになってきたと思ったら、また胸元に熱を感じてきた。

 まずい……。また、『馬鹿力』の発作だ。

 俺はものを壊してしまわないようにそっとボールをレーンに戻して、筐体から離れる。徐々に熱が収まっていくのを感じた後で、今度はまた視界の端に黒い靄が浮かんでいるのが見えた。

 プリクラコーナーにある写真を切ったりするスペース。その辺りに靄がかかっている。今までと同じように、数秒も経つとそれは消える。


「何なんだよほんと……」


 やっぱりこの『馬鹿力』が原因なのだろうか。もしかしたら脳に悪い影響でもあるのかもしれない。

 俺は財布から再度硬貨を取り出して縦に摘んだ。いくら力を入れても曲がったりしないことを確かめて、『馬鹿力』が収まったことに安心してからバスケットボールのゲームの方を見ると、丁度終了のブザーが鳴り響くところだった。結局五本くらいしかシュートは入っていない。

 ……帰ろう。病院も、本気で探したほうが良いかもしれない。


「ねえ。ちょっといい」


 若い女性の声がして俺は振り返った。俺を呼んだわけでは無いかもしれないが、何となくその声の主が気になった。

 振り向いた先にいたのは帽子を被った同い年くらいに見える女性。黒い髪をショートカットにしていて、服装もパンツスタイルというボーイッシュなものだったが、顔立ちは可愛らしい少女だった。

 俺は自分の周囲を見てから、「俺ですか?」と自分を指差す。すると彼女は帽子を深く被りなおしてから静かに頷いた。そしてそのままつかつかと近づいてきたと思ったら、俺の右腕を掴んできた。


「えっ」


「ちょっと、来て」


「いや、待って、なんですかいきなり」


 帽子の少女は睨むように俺を見つめてきた後「良いから」と言い、その細腕に見合わないような力で腕を引いてくる。

 俺は振りほどこうと必死で抵抗したが、彼女は全く離してくれない。何かよっぽどの事情があるのかもしれないが、わけのわからないまま連れて行かれるのは普通に嫌だ。


「くっそ! 人呼びますよ!」


「……『その力』、放置したら、死ぬよ」


「へ……?」


 俺は耳を疑う。彼女は確かに『その力』と言った。ゲームセンター内は騒音で声も聞こえづらいが、そう言ったのははっきりと聞こえた。

 その力、と言われて思い出すのはつい先程も出てきた『馬鹿力』だけだ。俺はつい抵抗を緩めてしまう。


「何か知って……うおっ」


 疑問で油断をした瞬間に彼女は俺の腕を引いて歩き始める。こんなタイミングなのに綱引きや握力計の時と同じような『馬鹿力』は出てこず、引かれるがままにゲームセンターの外まで連れ出された。


「わかった! ついてきますから! 離してください!」


 入り口の自動扉をくぐり抜けたところでなんとか腕を振りほどく。俺のついていくという言葉を信じてくれたのか、今度は簡単に腕を離してくれた。


「ほら、雨降ってるじゃないすか。傘くらいささせてください……」


 帽子の少女はじっと俺を見つめ、それから傘もささずに無言で再び歩き出した。傘をささないポリシーでもあるのだろうか。俺が傘を開いていると、振り返ってこちらを見てくる。


「行きますって。待ってください」


 ローファーがアスファルトの水たまりを跳ねる。

 妙なことに巻き込まれてしまったようだ。……でも、この『馬鹿力』について相談できる人もおらず、その対処について途方に暮れていた俺にはその少女の情報はとても魅力的に見えていた。

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