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ゲームセンターの出会い(1)

 高校二年生の梅雨の頃の話だ。


「輝、また、田島さんから電話」


 ある雨の日の朝、自宅のリビングで登校の準備をしていたら、受話器を持った母からそう告げられて俺は電話に出た。

 田島さんからの電話の内容は単純なものだった。

 俺の行方不明事件を担当していた刑事の田島さんが引き合わせてくれた一樹。彼も俺がそうだったように行方不明になってから発見された後、しばらくは検査のために入院していたのだが、身体的には何の問題もなかったようで無事に退院したという。

 俺は話を聞きながら、田島さんの立ち会いのもと、入院していた一樹に面会しに行った時のことを思い出す。

 彼は、俺が行方不明の時の記憶が無いことに動揺を見せていた。それに、彼も記憶が無いと言っていたが……何かを隠していたようにも見えた。何かを知っているのかもしれない。それも、警察である田島さんの前では言えないようなことを、だ。


「今度は、どうしたって?」


 田島さんに礼を言って電話を切ると、食卓でテレビを見ながら朝食を食べていた父が聞いてくる。俺が「一樹、退院したって」と報告すると、「そりゃ、良かった」と一言言ってからまたテレビに目を向ける。

 そっけないように見えるが、田島さんからの連絡がある度にその内容を聞いてくるのだから心配してくれているのだろう。両親に心配をかけるくらいなら、いっその事、田島さんには俺の携帯に直接電話をかけて欲しいものだ。

 一度そのように頼んだことはあるが『息子と刑事がひそひそ話している方が不安だろう。親御さんの気持ちも分かれ』という一言で断られてしまった。確か田島さんにも娘がいる。俺と同じ様な年の頃だと聞いたことがあるので、『気持ちがわかる』というやつなのだろうか。


 朝食をかきこみ、自宅を出て傘をさす。通っている高校までは、電車で学校の最寄りの駅まで向かい、それから十分歩くという全部で三十分程度の道のりだ。

 今日もそれは変わらない。駅までたどり着いた俺は定期を取り出して電車へ乗り込んだ。


「お」


 サラリーマン然としたスーツの男女が入り乱れる車内だったが、何故か一席だけ空いていた。何とかスーツの林をすり抜けて席へ座ろうと突き進んだら荷物がスーツ姿の若い女性に引っかかり、小さく舌打ちされる。


「す、済みません……」


 小さく謝ってから、俺も心の中で舌打ちをする。朝っぱらから自分の鈍臭さに腹が立つ。

 引っかかってしまった荷物は学校指定のジャージを入れた袋だった。とはいえ、今日は体育があるわけではない。梅雨明けに行われる体育祭の、その練習が行われるので、そのための着替えだ。

 すぐに引っかかった袋を外して再び席の方へ向かおうとすると、すでに他校の高校生らしき制服を着た男女のカップルの女子が席に座り、その前に男子がつり革を持って立っているという状況だった。二人は談笑しながら電車に揺られている。

 席、とられた。しかも、幸せそうな人たちだ。

 対する俺は席も座れなかった上に、朝っぱらから疲れたOLに舌打ちをされてしまう――俺が悪いのだが――自分と彼らを比べてしまい、反射的に苛立つ。どろりとした感情。嫉妬というやつだ。


「はあ……」


 こんなくだらないことではあるが、羨ましいのは事実。だが、考えすぎてもしょうがないことも事実。俺は大人しくOLの隣でつり革に捕まって揺られる事にした。

 窓の景色でも眺めて呆けていようと思い顔をあげると、直後、視界の端っこに何か揺らめくものが見える。

 何だろう? そう思って揺らめいた何かを追いかけていくと、先程の他校のカップル。その周囲に黒いもやの様なものが見え、すぐに霧散する。


「ん……?」


 目を凝らしても、もう何も見えない。一瞬見えた黒い靄は見間違いや錯覚の類だろうか。目を閉じて、目頭を抑えてからもう一度カップルの方を見る。何も見えない。

 気のせいだろう。

 だが、不気味な違和感があった。それは彼らが急に暖かな談笑をやめて、各々手元の携帯を眺め始めた冷たさの、その温度の落差のせいかもしれない。



 その日の授業が終わった後、体育祭の練習時間となった。OLに舌打ちされながら持ってきたジャージがようやく活躍する時間だ。

 七月にある体育祭までの間、週に二度練習時間が与えられている。たった一時間程度ではあるが、体育館を使っての練習だ。今朝方より雨足は弱まったもののグラウンドが使える状況ではないし、梅雨の時期でも練習できるように、という学校側の計らいだろう。もっとも、普段体育館を使っている室内系運動部の連中は不満を漏らしているが。

 指定のジャージに着替えて体育館へ向かうと、体育館の端っこにクラスメイトが固まっていた。逆側の隅には別のクラスもいる。今日は他のクラスと半分ずつ体育館を使える日なのだろう。

 体育館の隅には運動部がミーティングで使っているホワイトボードが置かれており、級友たちはその周囲にいるという状況だ。


「輝! こっちこっち」


 名前を呼ばれた。赤田ユウスケという隣の席のクラスメイトだ。自慢の天パを揺らしながら手を振ってきている。彼は、諸事情あってクラスに馴染めていない俺とまともに接してくれる唯一の人間だ。

 そんな赤田に感謝しつつ、俺は彼に話しかける。


「体育祭、時期ずれたんだな」


 確か俺の記憶では、去年の体育祭はもっと早い時期、五月頃の開催だった。徒競走に参加することになって走り込みをしたことが何年も昔のことのように懐かしい。

 あの時は確か転んでしまって、俺はビリだったんだっけか。


「ああ、そうなんだよ。……去年の体育祭、懐かしいな」


 赤田が俺と並んで、どこか遠くを見ながら呟く。俺は声を出さずにうなずいた。


 しばらくすると学級委員である藤谷カズトと山吹桜華の二人が前に出てきた。藤谷がリレーや騎馬戦など、各種目をホワイトボードに書いていく。まずは選手決めを行うつもりだろう。

 山吹さんの仕切りで次々選手が決まっていく。特に希望する競技もなく、推薦をされるわけでもないので俺は定員の多い綱引きに参加する事になった。


 赤田が俺の背中を叩きながら「今年は転ばなくて済みそうだな」と言ってきたので、「全員リレーもサボりたい気分だ」と返した。

 その後、藤谷が体育館の逆サイドで練習を始めていた他のクラスに話をつけて、綱引きの練習をすることになった。


「相手は上級生だから、無理せずに! あくまで練習だから色々試しながらやろう」


 藤谷曰く、今日体育館を一緒に使っているクラスというのは三年生だとのこと。体育祭の本番では同学年としか当たらないので、前哨戦ということでもなく本当にただの練習、という訳だ。

 俺は他の級友に習い、綱の横に立つ。ゆっくりと綱を拾い上げてから、他人にぶつからないような距離をとる。熱心に作戦を説明する藤谷を横目に、体育館のトラックを利用して徒競走の練習をしている他の生徒を眺めた。

 赤田と井上、そして石田という生徒が男子側の選手だ。女子は前田さん、山吹さん、そして……新山さん。去年、俺が片想いを向けていた人で、俺が傷つけてしまった人。

 俺のクラスでの今の立場は、彼女を傷つけてしまった事件に起因している。今の俺にとっての彼女は、罪悪感の象徴だ。


「おい、何突っ立ってんだよ、輝。始まるぞ」


 不意に声をかけられた。いつの間にか藤谷が作戦の説明を終えて、俺の隣で綱を持って構えていた。


「あ……」


 一瞬の間もなく、笛の音。クラスの全員が「イチ、ニ!」と呼吸と声を合わせて綱を引き始める。慌てた俺も綱を引く。すると、胸元に熱いものが当てられる様な感覚とともに、手応え軽く一気に綱を引けてしまった。


「熱っ」


「うわあああ!」


 相手クラスから悲鳴が上がる。一気に綱が引っ張られて倒れた人がいるのかもしれない。


「大丈夫ですか!」


 藤谷がすぐに綱から手を離して相手クラスへと走り出す。俺はというと、先程感じた自分の胸元の

熱さの原因を探ろうと、ジャージの襟元を引っ張った。毒虫の類でもいたのだろうか。

 しかし、何も見当たらない。そうこうしている内に胸元の熱は引いていき、嘘だったかのような元の状態に戻る。


「……何か急に勝てたな……」


「……いや、マジで急だった……」


「……向こうの誰かが力抜いたのかな……」


 同じチームのクラスメイトがボソボソと話している。嬉しそうかというと、そうでもなさそうだ。どちらかというと不思議そうというのが近いかもしれない。


「……これは」


 俺には何となく原因はわかっている。

 思い出すのは、体育の授業中にやった体力測定だ。少し力を入れただけなのに、今までの自分では考えられないような握力の数値を叩き出した。

 その後も、時折この様な現象は起こっている。シャーペンを握りつぶしてしまったり、ちょっと肩をぶつけたつもりの教室の扉を外してしまったり……かと思えばどれだけ力を入れてもジャムの瓶の蓋が開かなかったり、電車で肩をぶつけられて吹っ飛ばされてしまったりということもある。

 ……この『馬鹿力』――と言って良いレベルなのかどうかは置いておいて――が出てくるかどうかが非常に不安定なのだ。意図してコントロールすることが出来ない。


「……またこれか……」


 俺はため息とともに宙を見上げる。体育館の二階にある観客席に黒い靄の様なものが見えた。


「あれ……?」


 しかし、それは今朝のカップルの周囲に浮いていたものと同じく、すぐに霧散してしまう。

 幻覚だろうか……一度、病院に行ったほうが良いかもしれない。急に『馬鹿力』が出てきてしまうことも含めて診てもらおう。


 その後の綱引きは手を抜いて過ごした。

 気を張って、細心の注意を払って手を抜く。そのおかげと言って良いものか、何度か上級生のクラスとの再戦を行ったが、初回を除き一度も勝つことは無かった。練習も終わりの時間になり、そのまま運動部の活動へ向かう者や、着替えてから帰宅の準備を行う者、それぞれの行動に移っていく。

 特段課外活動に参加していない俺はさっさと着替えてから帰ることにした。汗一つかかなかった綺麗なジャージを袋にしまい、教室を出る。雨の日の放課後は校舎内で筋トレやダッシュトレーニングを行う運動部と、どこかから聞こえてくる吹奏楽部の金管楽器の音で想像以上に賑やかだった。

 これからの時期は部活動に勤しむ生徒以外に、体育祭の練習を行う生徒たちも加わるのだから更にやかましくなりそうだ。


「あ、輝」


 昇降口へ向かおうと廊下を歩いていると、藤谷と新山さんとばったり出くわした。二人はゼッケンの入ったカゴを抱えている。先程の練習のときに使ったものだ。片付けの途中だとみえる。

 藤谷は相変わらずの端正な顔立ちで笑いかけてくる。だが、その隣で新山さんは口を噤んで目を逸らしていた。面白みのない比喩だが、胸が痛い。

 ……それでも、俺は無視するような――逃げ出すようなことはできない。加害者が被害者面下げて逃げ惑うなんてこと、あっちゃいけない。


「……二人は、片付け?」


「ああ。ま、新山にも手伝ってもらえたからすぐに終わったけど」


「そ、そっか……。あ」


 俺は目を背け続ける新山さんに向き直って、手を差し出した。


「か、カゴ、俺が持とうか――」


「――嫌っ」


 新山さんは、俺の手に怯えて一歩後ずさる。そして、すぐに藤谷の背中に隠れてしまった。


「……ごめん」


 俺は小さい声で謝る。俺と新山さんの間に挟まれた藤谷はあからさまに困った顔をしていた。

 駄目だ。ここにいては、新山さんを更に傷つけてしまうだろう。もしかしたら、加害者が逃げてはいけないと考えているのも、俺の勝手であって、新山さんが望んでいるのは俺が目の前に二度と姿を現さないことなのではないか。

 だとすれば、一刻も早くここを立ち去ったほうが良い。


「……帰るよ」


 俺は藤谷とその後ろに隠れる新山さんを大回りしてすれ違う。なるべく、近付かない様、なるべく、姿を見せなくて済む様。


「……まって」


 背後から新山さんの声が聞こえた。震えている、頼りない声。

 俺は脚を止めて振り返る。新山さんがカゴを強くいだきながら、藤谷の前に立っていた。


「な、何かな」


 震えて、頼りないのは俺の声も同じだった。

 俺の視線を向けられた彼女はゆっくりと口を開いた。


「まだ私は、キミと上手く話せないけど。私は、もうキミを許しているから。それは、本当だから」


 そして、やはり藤谷の後ろに隠れてしまう。


「いつか、昔のように、戻れたらって、思うよ」


 彼女は苦しそうに、途切れ途切れにそう言ってそのまま走り去ってしまった。

 残された藤谷と俺はそのまま立ち尽くす。


「追わなくていいのか」


 俺は藤谷に問いかける。すると彼は「迷っちまった」と返してきた。


「迷っちまうよ。震えて、それでも勇気を出した新山を褒めてあげたい。でも、男のくせに涙目になって震えている人間を放っておくのも難しいな」


「馬鹿にすんな」


 俺は踵を返して藤谷に背を向ける。彼のこういう綺麗過ぎる性格が好きではない。好きではないが、感謝すべきだというのも事実だ。


「……ありがとう。……新山さんにも言っておいてくれ」


「そりゃ、自分で言えよ。今じゃなくても、いつか」


「わかってる。……俺は大丈夫だから、新山さんを頼むよ」


「ああ。じゃあ、気をつけて帰れよ」


 背後から廊下を駆ける足音が聞こえてきて、離れていく。充分に離れていったことを耳で確認してから俺は、制服の袖の硬い生地でまぶたを擦り、その場を去った。

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